ウォルフガング Ⅱ
ウォルフガングは極東から来た剣士と刃を交えていた。互いの肌を鋒が掠め血が滴る。なかなか急所を断つことができない歯痒さと面白さのジレンマ。近年稀にみるほどの強烈な高揚感が胸中を満たしていた。
こんなにも長い時間、足を止めて剣撃を結び続けるのはいつぶりなのか思い出せない。
二十年前、ウォルフガングが始めて国別対抗戦に参加したころは、前衛同士がガッツリ組み合うのが主流の戦術だった。相手の瞳孔の大きさは測れるくらいの距離で、罵声を浴びせながら斬り合う。野蛮で醜いが、濃密で虚言のない時間がこの上なく至福なものであった。
ところが最近はまともに組み合ってくれる前衛がほとんどいなくなってしまった。
原因はウォルフガング自身にあった。
強すぎたのだ。
時代は彼とのマッチアップを避け、距離を取り、広く薄い陣形に引き込んで半包囲を狙う広域高速戦術が主流となる。
すると射程も機動力もない重量級のラインマンが淘汰されていき、もはや絶滅危惧種。
だから、かつてを彷彿とさせる戦いとはウォルフガングにとって非常に懐かしく、有意義な時間だった。
ナトラを弾き飛ばすと間合いができ、一瞬で納刀した彼は居合に構え、待ち受ける。非常の不合理で、滑稽だが、それだけ魔導具に濃厚な理念が染み込んでいるはず。警戒を解けない。
その間にも〈集束煌〉と〈銀色の仕業〉がナトラを取り合うように攻防を繰り返す。
簡単に踏み込むわけにはいかないから。呼吸を整える意味でも、ついつい口が軽くなってしまう。
「良いのかね、仲間の援護に行かなくて」
両陣のウィングが試合場の中央付近で飛び交っている。
開戦時と違いオイゲンの方が優勢、アナスタシアが撃墜するのは時間の問題だ。
だが返事はない。
ウォルフガングが間合いを詰めると彼は抜刀し先手を打つ。〈竦む我が身に一喝を〉の大盾で三メートルほどに伸びる座鯨切を受けると深い傷が付いた。
〈竦む我が身に一喝を〉の盾はあらゆる具象物の中でもトップクラスの硬度を誇る。
居合の威力は中々のものだ。
だが悲しいかな、明らかに力が衰えているのが分かる。大盾を突き出しながら突進した。彼は左手の鞘を座鯨切の峰に添えて受け止めると、パキッと骨を折った手ごたえがあった。手首だろう。
更に押し込むため足を踏み出すと、その足に目掛けて彼は踵を落とす。
パリッと爪が割れ、親指が潰れる感触。
大盾を突き出して、彼を弾き飛ばす。
再び彼は納刀し、ウォルフガングはその間に傷ついた大盾を修復する。
武術を収めた者の特有の不屈さ。力押しでズルズルと押し込むことができない。
だが、まだ彼の底を見ていない。引き出してやりたいと欲が出る。
「いちいち納めるのは面倒だろう?」
「ウチは抜刀術だ」
今日初めての返事は、聞いたことのあるフレーズだ。
抑揚から、息遣いから、四年前とそっくりだった。
「君は天龍院の出身だね?」
しかし返事はなかった。
「トウドウ・クノは素晴らしい剣士だった」
彼の目の色がカチッと切り変わる。
冷徹色から情熱色に。
名前を出したことを後悔させる、濃い色だ。
「前夜祭のことを怒っているのかな? あれはパフォーマンスさ、記者がいたからね」
「黙ってろ!」
「可哀想なことだ。“試合”など君たちの流儀に反したろうに。それでも健気に順応していたよ」
「ぶっ殺すぞ!」
彼が本気を出すのかと期待する。
が、いつまでたっても抜かない。
もう一押し必要か。
「私も残念だったのだ。まさかあの傷で死んでしまうとは…… 君も戦闘用魔導師なら分かるだろう。脳が無事なら早々死ぬはずがないんだ」
失血によるダメージは脳にも現れるし、未熟な医者にかかれば死ぬこともある。
だが脳が無事で、三分以内に魔導師による治療を開始できれば八割方は蘇生できる。しかし彼女は残り二割を引いてしまった。
『ウォルフガング、私語を慎め』
「娘に怒られてしまった。無駄話はここまでかな」
突如、試合場の反対側でバシュッとオレンジ色の光球が空高く舞い、飛行船のひとつに吸収された。
光の色は降参を示していた。
消えたのはアナスタシアだ。
ひとり消えると途端にバランスが崩れ、戦況が急転するのが国別対抗戦。
気合い入れ直すと、ナトラの目の色が冷徹色に戻っていた。
「ふうー…… ああ、今日は勝ちに来たんだ」
どうやって斬り伏せるか思案していると、彼の方から斬り込む。
盾で防ぐと、今まで踏ん張るだけだったナトラの足は、流れるように地を這う。
ウォルフガングの身体を軸に、二人の身体の位置が百八十度入れ替わる。間合いを外した彼はシャルロットに向かって駆け出す。あるいはその先のジェノバ狙いだろうか。
今までずっと組み合って来たから、ここでマークを外すのは予想外だった。
それにしても見事な足の運びだった。
とにかくナトラは背中を見せて走っている。しかしこれではウォルフガングが自由に動ける。指揮者に迫ることができる。
それで、しまったと脳内で警鐘が鳴り響く。
ナトラのマークを外したことではない。
エドワードを視界から外したことがだ。
再び前を向いた時、眼前には最悪の光景。エドワードが羽織っていた純白のマントを地面に広げて、その上に四つん這いになっていた。
マントは先程まで柔らげであったのに、今は堅そうな見た目に変わっている。形状はサーフボードのような流線型。ボードの下面から水流が吹き出すと、勢いと圧力で三十センチほど浮き上がる。
「空飛ぶボードか!?」
「行きまあああぁぁすぅぅぅ!」
大量の水を撒き散らしながら加速し、すぐ横を滑走していく彼にできることはなかった。自分の交戦範囲の小ささを呪う。
水銀塊は放置しているから、後先考えていないだろう。
誰かが足止めできれば追いつけるか。
「オイゲン!」
『遠すぎる!』
中央部を見ると豆粒のほどに小さく見えるオイゲンが全速で滑走している姿がチラチラ見える。きっと間に合わない、と舌打ちをするくらいに距離が離れている。
オヴリウスの連中が潰したかったのは最初からオイゲンだったのだ。