ミド Ⅳ
響測の魔女ことミド・アンティーナ・クドリャフカは、天井が崩れ落ちていた建物の中で耳を澄ませながら鋼玉を撃ち続けていた。この辺りは若木が生い茂っていて、雑な軌道であっても出どころが分かりにくい。かつ、ナトラから百五十メートルほど後方で、彼が何をしているか手に取るように分かる場所だ。
“響測”は、音がどのような経路で耳まで届いたかを把握できる能力だ。結果的に高い空間把握能力を有している。音質によって精度にムラがあるが、〈玉撞き遊び〉の放つ音なら、おおよそ二百メートル程度の範囲を掌握できる。
多くの索敵用魔導具がこれよりも広範囲を把握するため、広域支援は本職には及ばず、あくまで射撃の補助に利用するのだが、今回の試合は想定通りの狭い戦いになってきたのでなんとか誤魔化しきれるだろう。
「アーシェちゃん、どう?」
『わっかんねっす』
現在、アナスタシアは試合場中央部の、“響測”で把握できるギリギリで待機している。目的はオイゲンが遠回りにエドワードを狙ってくる場合の備えである。
区域線側のナトラ・エドワード対ウォルフガング・シャルロットの攻防が想定以上に踏ん張れているおかげで、アナスタシアを遊撃として残しておけるのは嬉しい誤算だ。
かといって時間はない、前線はジリジリと後退し続けている。このまま試合が進めば押し込まれて、シンカフィンの降着を許す。
問題はアナスタシアをどう使うかだ。選択肢のひとつは彼女をナトラ達に合流させて前線の押し上げに加えるか。ふたつ目は彼女を敵陣形の後背に侵入させて、シャルロットなり指揮者なりを狙わせるか。
いずれにせよ、オイゲンが対応に回るだろう。
ミドは多少考えたが、悩むというほどではなかった。
アナスタシアを敵陣に突っ込ませてみよう。
最初の攻防でアナスタシアはオイゲンに優位を取っていたのもあるが、正直、連携勝負で勝てる気がしないのだ。エドワードはもちろん、ナトラとアナスタシアだって出会って連携の訓練はほとんどしてない。確実に混乱するだろう。
だったら、一対一の方が味が良い。
「アーシェちゃん、強襲戦術お願い。シャルロットちゃん狙いで、オイゲン君が出てきたら撃墜して。でも私の耳の届かないとこまで行かないで」
アナスタシアに指示を出すと『りょーかい!』と元気な声が弾む。ここが勝負所なのだが理解してるのだろうか。
活を入れた方が良いかもしれないが、かといって思っていたよりメンタルが弱いかもしれないし、変にプレッシャーをかけないほうが無難だろうかと悩み、ミドは窓から首を出して目視でも確認する。
懐から取り出した単眼鏡を覗くと、ブレる視野の中で一瞬だけ彼女の表情を捉えた。スッと座った眼光と少し口角の上がった口元、集中した凛々しい顔だ。
ガタガタ言うのは野暮かな。
シャルロットに接近するアナスタシアを捕捉した〈首を刎ねられた雄鶏〉が彼女に群がる。
それをミドは〈玉撞き遊び〉の鋼玉が次々と射抜き、爆散していく。
爆煙の中に撃ち込まれる〈集束煌〉を、身を翻して躱すアナスタシアは踊っているように軽やかだ。
いくら弾速が遅めといえ、弾幕を全く苦にしていないのだから、集中したときの彼女の反応性は眼を見張る。
気掛かりなのは、この期に及んでオイゲンの姿がないことだ。てっきり援護に出てくると思っていたから、このタイミングで出てこないのは想定外だ。オヴリウス陣側に潜んでいるのだろうか。
見えない相手に気を取られても仕方ない。
シャルロットを撃墜できそうならしといた方が良い。
あと一息でアナスタシアの刀身が届く。“ここ”と判断したミドは鋼玉をシャルロットに集中的に撃ち込む。
鋼玉の一団は一度高く上昇すると、無駄な屈折はせずに一直線に飛翔する。彼女の鼻先まで接近すると散開して、三百六十度全ての方向から襲った。
すると球面の防盾がシャルロットを取り囲み、これを防いだ。
さらに一瞬遅れて、〈蝶々発止〉で勢いをつけたアナスタシアが全体重を乗っけて〈嘲笑う白刃〉を振り下ろす。
いつもなら、こういうパターンで崩せる。
ミドもアナスタシアも、その攻撃は独特であるが、破壊力自体はそれほど優れているわけではない。だから強力な防盾は動いて避けたり、引き延ばして薄くしたりして攻撃を通りやすく努めている。
だが、シャルロットの防盾は硬すぎた。
短槍はガキンッとイヤな音を出すとアナスタシアの手からこぼれ落ちた。
「さすが怪物シャーリー」
『どんな魂魄だよ!』
シャルロットが「出直して来い」と言わんばかりの〈集束煌〉を撃ち込むからアナスタシアは咄嗟に跳ねた。
それにしても近すぎた。
身体を捩っても右の脇腹を掠った。それだけで、アナスタシアの皮膚はガリガリと削り取られ、圧力で引き裂かれる。
『がああッ!』
悲痛な叫びが耳を突き刺す。
さらにもう一発。右膝から下を吹き飛ばした。
二つの大きな傷口からは血が漏れ出している。
活性化で止血できるレベルではない。医療用魔導具が必須な傷だ。
放っておけばあと数分で撃墜するだろう。
アナスタシアは片脚で跳ね続け試合場の中央部に引き返すが、オイゲンが「待ってました」と言わんばかりの嬉しそうな顔つきで廃墟の中から飛び出した。
同時に、〈首を刎ねられた雄鶏〉の挙動が変わった。今までは〈玉撞き遊び〉の射程ギリギリを行ったり来たりをして牽制していたのが、アナスタシアの周辺に集まって、ミドたちの間に壁を作っている。援護させない気だ。そのせいで彼女はどんどん敵陣側に誘導されてミドの射程圏外に出てしまった。しかもアナスタシアは傷を負ってから動きのキレがなく、オイゲンから逃げ切れそうにない。
『コんノォォ!』
「アーシェちゃん、こっちまで戻ってこれる?」
『ムリィィ!』
さっきの凛々しさはどこに行ったのか、情けない泣き言が聞こえてくる。
〈打ち上げ棺〉は精神の異常も感知する。このままだと早々に撃墜判定で起動する。
すると、ブローチにナトラの声が混ざる。
『アーシェ、なんとかしろ』
『簡単にいうなぁぁ』
『頼む』
『ぐうぅぅ、なあああぁ!! 分かったよ! やってやるよ!!』
声色に覇気が戻ってきた。これならまだ使える。
しかしアナスタシアは時間が経てば勝手に撃墜するのは変わりない。
彼女を執拗に追い回すオイゲンと〈首を刎ねられた雄鶏〉は積極的な攻撃ではないが、絶対な逃がさないと意気込んでいるのが分かる。
この消極的な動きはオヴリウスにとって、とてもとてもありがたい。
「みんな、少し手順は変わるけど予定通りにいきます」