ナトラ ⅩⅣ
ナトラがウォルフガングの斬撃を受けたときに覚えたのは、圧倒的な重量差であった。彼には人間と綿帽子の区別がついていないのだろうか。
そして彼の重さは単純に物質的なものではなく、もっと抽象的な、背負っているもの重さなのだと実感してしまった。
きっと復讐心だけならナトラが立ち上がるのはもっと遅かった。誰かのために戦っていなければ、彼に組み着くことはできなかった。
頭の奥のスイッチを入れっぱなしにするイメージ。代表に合流してからイマイチ切り替えができなかったが、今日はスッと抵抗なく切り替わった。するとそこから冷たい液体がナトラの全身を巡る。
痛みも怒りも無視して淡々となれる。
鍔迫り合いの最中ウォルフガングが叫ぶ、
「剣と鞘の変則二刀流か。いいね、なかなかどうして骨太だ。最初から全開でいこう」
彼が両手に持った大剣と大盾の中間がポゥッと紫に光る。
途端、ナトラの身体が悲鳴をあげる。
全身が針金で縛られ、地面の底に引きずり込まれる錯覚。潰れた内臓が液化して、股の間から出ていってしまいそうな気になる。
彼の剣盾一体の魔導具〈竦む我が身に一喝を〉の能力。それは、半径十メートルの重力結界。この中では最大で三十倍程度まで重力を強めることができる。
ただし、その影響が最も強いのは中心部。つまりウォルフガング自身が最も影響を受ける、自爆技といってもいい代物だ。
それでもなお、ウォルフガングは飄々とした風貌で剣を振り下ろす。
間違いなく、先ほどよりの重厚な一撃だ。これをまともに食らえばペシャンコに潰れる。
思考より先に身体が動いた。
頭上で刀を斜めにして、左手に持った鞘で刀身を支える。
大剣はキンッと鳴って太刀筋が変わり、刃筋に沿ってナトラの横を通っていった。これ以上ない完璧な受け流しだ。
それでも、腕、腰、脚。全身に剣撃の重みが走っていく。
だが戦える。一歩も下がらず踏ん張って、額のぶつかりそうなこの距離で、あの剣聖と戦える。
返す刀でウォルフガングの右手を狙うため、〈座鯨切〉を振り上げた。
その瞬間、〈竦む我が身に一喝を〉の加重が増す。不意に刀の重心が動いたせいで、ナトラが振り下ろすのが一拍遅れてしまった。
その隙に、ウォルフガングは左足を軸に腕ごと右半身引いてこれを躱す。すると、彼の持った盾が全面にきて、攻め手がなくなる。
「攻守交代かな」
「チッ、面倒な」
すぐ左横の廃墟が音を立てて崩れる、中から〈集束煌〉次々と飛んできた。
その精度は正確無比だ。
シャルロットにはナトラとウォルフガングはほどんど重なって見えているはずなのに、弧を描く〈集束煌〉はナトラだけを撃ち抜こうとしている。
「厳しい」
ナトラは最小最硬にした防盾を具象してこれを受けるが一発でヒビが入り、二発目以降は〈座鯨切〉で受けるしかなった。
「素晴らしいな。だか良いのかね? 右が空いているぞ?」
彼の言う通り、右側から突如として首のないのニワトリが十匹くらい、手脚をバタつかせながらナトラに突進してきた。
「キリがない」
防盾は再充時間の都合で間に合わない。
かといって〈座鯨切〉は集束煌を捌くのと、ウォルフガングへの備えで手一杯。
大ピンチである。
それでもナトラは問題にしなかった。
なぜなら、後方にはミドがいるからだ。
背中の方から、カクッカクッと特異な軌道を描いて飛んできた鋼玉が、ニワトリを射抜くとキイィィンと聴神経がマヒする甲高い音が劈く。ニワトリはプクッと膨らんでから爆発を起こした。同時に火のついた羽を周囲に撒き散らす、これが見た目とは裏腹に固い。肌に突き刺さり、しかもかなりの高熱で、右半身に刺さった何枚もの羽のせいで、肌が焼ける。
ナトラは事前の予習でこの魔導具を知っていた。〈首を刎ねられた雄鶏〉だ。
数的優位を作ることを目的に、人形やそれに類する物体を作ったり、操ったりするモノを自律型魔導具と呼ぶ。魔力の消費量の割に一体一体は弱いのだが、広範囲に布陣させることで索敵や妨害に使ったり、攻防において捨駒にしたりと戦術に幅をもたせてくれる。
〈首を刎ねられた雄鶏〉もその一種で、どちらかというと攻撃に向いている。
『文句ある?』
「いえ」
爆発がもっと近かったらマズかった。
足を止めて戦う前衛が組み合った付近は、両陣営の後衛からの火力が集中するためホットスポットと呼ばれるくらいだが、想像以上だった。
対して、ウォルフガングは防盾を使って上手いこと躱した。羽は一枚も刺さっていない。この辺の防御は見事である。
火中にあっていまだ無傷でいるウォルフガングはフッと上がる口角をあげる。
「今の射撃は響測の魔女か、厄介だな」
言葉の割には余裕綽々といった具合だ。
遠くからも爆発音が鳴る。試合場に散らばる〈首を刎ねられた雄鶏〉はミドが処理する段取りだ。
ウォルフガングは大剣を振りかぶりながら、
「響測は広域支配に専念かな? ありがたいがね!」
再び始まったウォルフガングの剣撃を受ける最中も〈集束煌〉は依然として降り続ける。
直撃しないように〈|座鯨切《ざくじらぎり〉を操り、防盾を具象させ猛攻を捌く。
剣撃を受けるたびに骨が砕けそうになる。内臓は破裂しそうになる。冷や汗が止まらない。死なないでいるのが精一杯で圧力に負けてナトラの身体はジリジリと後退しだす。
自分一人ではどうしようもなかった。
だから、アメーバのように這う水銀の塊が廃墟の影から姿を見せた時、ナトラは頭の奥のスイッチが切れそうになるほど安堵した。
水銀はニュルリと形を変えて三日月型になってナトラの周囲を取り囲む。
撃ち込まれる〈集束煌〉に対して水銀は、ひだをニュッと伸ばして盾となりナトラを守った。
帝室に伝わる杖、〈銀色の仕業〉は水銀を操る。
ただし、魔導師と水銀の距離が離れると精度が落ちるので、エドワードはナトラの後方の僅か二十五メートルほどに姿を見せて立っていた。
「遅い」
『すみません、手間取りました』
「役者は揃ったのかな?」
ウォルフガングは嬉しそうに鼻歌を響かせた。