エドワード Ⅱ
五月二十三日、木曜日。
国別対抗戦運営事務局ジャルガン支所から帰ってきたエドワードは、〈灼煉離宮〉の二階にある第二会議室にやってきた。ここはそれほど大きくない部屋で、主に少人数で話し合う時に丁度良い。
折りたたみの長机と椅子とスクリーンがあって、窓のカーテンは閉じられ、とってつけた電球がオレンジ色に灯っていた。
「お帰り」
長机の上にはラジオが置かれ午後のニュースを告げているが、面白くないのか、はたまた三時のおやつを賭けているのか、ナトラとアナスタシアは腕相撲しながら出迎える。ナトラが副作用のせいで体調が良くないせいで勝負は拮抗、なかなか拳の位置が動かない。
ナトラは力の入った声で、
「あれ、シエスタ、さんは?」
「医療室に行きました」
帝都からの「エドワードの良いようにさせなさい」という報せを聞いてから、エドワードの言葉数は明らかに増えた。
代表団は近衛師団の傘下になり、名実ともにエドワードに全権が移った。
体温が上がる。ジッとしてられない。
やりたいことが認められることなど今までなかったから、とにかく手当たり次第に何かしたい。
“使えるものは使おう”ということになり、無駄に部屋数の多い〈灼煉離宮〉は活用することになった。
シエスタは「帝室の威信が失墜します」と言ったが「実績のない者に威信などない」と言い返すと彼女は黙って|頷《うなず〉いてくれた。
「遅れてごめんなさい」
振り返るとミドがいた。エドワードは封筒に入ったファーストオーダー表を彼女に渡した。
ファーストオーダーとは、試合がある週の木曜日の正午までに各代表団から国別対抗戦運営事務局に提出される、六人のメンバーのことである。実際に試合に出る四人はこの六人からが選出される。
提出されたファーストオーダーは即時公表され、本来ならこれを分析して細かな作戦の調整をして試合当日を迎える。
オヴリウス代表からはミド、エドワード、アナスタシア、ナトラ、さらに数合わせとしてハンシェルとジャスパーの名前が運営事務局に提出された。
アナスタシアが「フンッ」と鼻息を荒げ腕相撲に決着をつけると、サンドウィッチを頬張る。
確かめるように手首を伸ばすナトラは、恨めしそうに彼女を見つめながら、
「エドワード、事務局の前どうだった?」
「ギュウギュウでした。脱出が大変で」
「だろうな。ラジオもそんなんだ」
ナトラは卓上ラジオのダイアルを捻ると、ノイズまじりの音声が大きくなった。
聞こえてくるのは“オリシズム”という、国別対抗戦関連のニュースを取り扱う番組だ。
キャスターの女は普段と変わらぬ落ち着いた口調であったが、解説の男は明らかに焦ったオドオドした話し方だ。さぞ目が泳いでいるだろう。
『しかし何度見ても信じられませんね』
『あり得ないことですよッ、皇太子殿下がオーダーにな、名を連ねているなんて…… あり得ない……』
『トーマさん、これはブラフなんでしょうか? それとも殿下は試合に出ますか?』
『分かりません、前代未聞ですよ! 帝室の人間がですね、国別対抗戦の試合に出るなんて』
『しかしそれだけに注目度は抜群でしょう』
『はい、是非とも皇太子殿下の活躍する姿を見たいものですね』
『この件については明日改めて分析していきたいと思います。それでは次のニュースで……』
ミドがラジオを弄るとプツリと途絶える。
「外野を気にするのはここまで。ブリーフィングを始めましょう。ドリスちゃん」
「ウッス」
ミドの後ろから革の鞄を持ったドリス・ワーゲンが姿を現した。普段のケンカ上等な振る舞いと違い、ダークブラウンの髪をバレッタでまとめ、度のキツイ眼鏡をかけてどこか知的な印象だ。
彼女は分析員、過去に集めたデータを数値化して、どのようなことが起こるかを予測している。ブリュンベルクの人間だからてっきりゴリゴリの戦闘系だと思っていたので、エドワードは自分の早とちりを恥じた。
「初出場が三人もいるんで、ルール確認からしていきやしょうか」
全員が着席すると、ドリスは一枚の用紙を配って説明を始めた。表にはルールの概要、裏には地図が描かれていた。エドワードは懐からメモ帳と万年筆を取り出して、ドリスの言葉を真剣に聞く。
「基本的には陣取り合戦っす」
国別対抗戦は四人対四人のチーム戦。
試合会場は正方形で四隅のいずれかが、本陣として割り当てられる。今回は一辺五百メートルと、レギュレーション上最小の試合場となっている。
「本陣は毎回変わるんですよね?」
「はい。対角になることもありますが、今回は隣角戦です」
本陣はファーストオーダー提出時に、順位の低い代表団から先に選ぶか、後に選ぶかを決めることができる。今回は先に選び、北側の角を取った。
帝国ラウンドも三節が終了すると陣地ごとの特性が判然としてくる。ジャルガン旧市街の北角は、他より三十メートルほど標高が高く見晴らしが良い。
これに対し共和国代表は、西の角を取った。本陣の近くに半壊している時計塔があり、最高点だけなら北よりも高く、やはり見晴らしが良い。
残りの南角と東角は低い位置にあったり、足元に不安がったりとクセが強いと判明し、トリッキーな戦術を用意しない限りは選択されることは考えづらく、北角と西角の対決は定番となっている。
「駆け登らなきゃならん分、西の方が前衛不利だよな」
「後衛の技量次第っすね。三百メートルの狙撃ができるかどうか」
ポジションは基本的に前衛と後衛の二つがあり、さらに細分化される。
前衛は敵と接触して戦線をハッキリさせ、その上で押し上げて相手陣地を奪っていく。
性質上、敵味方の攻撃が集中する場所で居座ることを求められるため非常に死傷率の高い。反面、魂魄性能が低くとも体術で補うことができ、育成しやすいポジションでもある。
後衛は、前衛が作った戦線の後ろから射撃や支援をし、後押しをしていく。交戦距離にもよるが、優秀な魂魄であることを要求され、さらに広い視野と戦術眼も必要で、難易度の高いポジションである。
「私とナトラは前衛で、ミドさんが後衛…… 殿下も後衛でいいの?」
アナスタシアがそう訊いてくるから、エドワードは恐縮しながら、
「はい。さすがに前衛は無謀すぎますから」
「さすが魂魄成績九十点台。俺もそんな贅沢なこと言ってみたいな」
「指揮者は殿下で確定…… というか前提条件よね」
試合に出場する部隊にはひとり、指揮者を立てることになっており、二つある勝利条件のどちらにも関わっている。
勝利条件のひとつめは敵軍の指揮者を撃墜すること。
ふたつめは自軍の指揮者が敵本陣に降着すること。試合時間は三十分。それまでに決着が付かなければ引き分けとなる。ちなみに、名称こそ指揮者となっているが、必ずしも部隊を指揮するわけでない。
試合結果に応じて勝ち点が加算されていく。勝利なら三点。引分なら一点。敗北なら〇点。全三十試合を行い、勝ち点が最も多い代表団が優勝となる。
基本ルールを確認すると、ドリスが眼鏡をクイっと直して、
「質問ありますか?」
「だいじょぶへーき」
いくら初出場とはいえ、ルールくらいは事前に把握しているのだろう、サンドウィッチを食べ終えたアナスタシアはテーブルに突っ伏し、詰まらなそうに反応した。
「で、肝心の共和国のオーダーですが、ウチの計算では九十パーセントほどの確率で、剣聖ウォルフと怪物シャーリーの二人はまず出てきます」
「嬉しくない予測ね」
「外して泣くなよドリス」
「確率は確率です。十パーセント出場しない場合もあります。ま、とりあえず見てもらいましょうか」
ドリスは電球を消すと、床に置いていた鞄の中から〈トラパーズのラッパ吹き人形〉を取り出した。それはラッパを持った一つ目の猿の人形で、起動するとラッパ管からピカーッと光が放たれ、スクリーンに映像が映し出される。
内容は、今大会のシンカフィン共和国の試合であった。
どの試合もウォルフガングとシャルロットの二人が目立っている。圧倒的と言って良かった。
四十分ほどの鑑賞が終わり、ドリスが眼鏡の縁を持ちあげるとレンズがキラリと光る。
「ご感想は?」
「すごいですね。こう、バコーンッ、ズバーンッて感じです」
エドワードの説明の仕方がおかしかったのか、ミドはクスクス笑うと「失礼」とすぐに表情を作った。
「問題は残りの二人がどうなるかですが、どの組み合わせもそれなりにあり得るんですよね。難しい問題です」
「アテにならない分析員だな」
「分からないものはハッキリ言うのも分析員の仕事っすから」
勝ち狙いか、引き分け狙いか。新人に経験を積ませるか、信頼のある古参を使うか。
どんな方式で来るか分からないと予想できない。
エドワードは頭の中で計算をして、
「残り二枠を四人だから…… 十二パターン。試合が始まってからじゃなきゃ分からないんですよね」
「正確には、試合が始まった後に索敵する必要がある、ね」
ラストオーダーは運営事務局には提出するが、それは公開されない。
つまり試合が始まって、実際に対峙してからでないと対戦相手が判明しない。
エドワードは恐る恐る、
「私見ですが…… 共和国は引き分け狙いに動くのではないでしょうか?」
「根拠は?」
少し怖いミドの視線が刺さる。
こと戦術論に関してはこの中で最も精通している彼女に意見を言うのは、エドワードの拍動を早くさせた。
「僕を殺したくはないでしょう」
語気は申し訳なさそうに尻窄みに弱くなっていく。
肩身を縮ませたエドワードを見て反省したのか、ミドはコツンと自ら頭を叩くと雰囲気は緩む。
「そうね、言っていることは理解できます。でも、“だからこそ全力で潰す”って思考するのが剣聖ウォルフなのよねぇ」
ウォルフガングの名前が出たからか、全員の視線がナトラを向いた。
すると彼は面倒そうに手のをヒラヒラさせる。
「大丈夫、冷静だよ」
「いずれにせよ、ウォルフガング・シャルロット軸の対策が先決。そこを止めないと試合にならない。殿下、お願いしてたものは?」
「こちらに輸送中です。明日には届きます」
「そうですか、では、作戦を煮詰めて行きましょうか」
夜も更けてるまでブリーフィングは続いた。
傾向、予測、仕掛け、対策。
できること、できないこと、互いの位置、相手の位置。
撃墜が出た後のフォロー、追い込み方。合図、符丁。
おおよそ、意見は出尽くした。これしかない、と思える作戦は出来上がった。
ただ、痛みを伴うのは明らかだった。
「ナトラくん、死ぬ気はあるのね?」
「きっちり血路開いてやりますよ」
ウキウキと悪い笑顔を浮かべたナトラが、手の骨をポキポキ鳴らすと、申し訳なくてエドワードの心が痛んだ。