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抜刀ナトラ  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
オヴリウス帝国ラウンド
30/95

ケイネス Ⅲ

 五月二十一日、火曜日。

 ケイネスは療養という名目で帝都ハウシュカに舞い戻っていたが、代表団からの電報を受け、朝一番で皇帝の私室へ続く廊下を歩いていた。

 壁際には歴代皇帝の肖像画や彫刻が飾られ、六大国最長の歴史を否応なしに誇示しているのだが、通い慣れたケイネスにとってこれらの美術品は毛ほども興味がない。

 彼の頭の中には、ユーリが投げた宿題の答え探しで一杯だ

 エドワードが試合に出るのはありがたい。死ぬ可能性が増えるのだから。

 しかし代表団の管轄が近衛に移ることと、国宝級魔導具(ガジェット)の無制限使用は避けたい。敗色著しい彼らが好転するターニングポイントになってしまいかねないのだから。

 かといって握り潰すことはできない。この情報は近衛にも伝わっているので、迅速に皇帝の裁可を伺わねば、“私的に立場を利用した”と逮捕の口実を与えてしまう。


 ケイネスが皇帝の私室の前に立つ頃には考えがまとまった。やはり下手なチャンスを与えても仕方ない。神輿(みこし)は神輿らしく、何もさせずに担がれていたほうがお互いのためだろう。

 近衛兵が重厚な木のドアを開くと、薄っすらと花の香りが(なび)いた。

 広い広い部屋の中に美術品はなく、淡い色を基調とした内装は目に優しい。

 部屋の最奥に天蓋付きのベッドがある。これには金装飾や宝石がちりばめられ、比較的豪華なものだが、中で寝ている当人には見えないところに限られて、無用な刺激を与えない。

 ベッドの横には近衛総監、侍従長、医師長が直立不動で控え、いつ何が起こっても最善を尽くせるように備えていた。

 つまりは、それほどまでに皇帝は弱っているのだ。

 レースのカーテンの向こうには見飽きた男が横たわっている。

 歴代皇帝の中には名君と呼ばれる者もいるが、大抵は自分の力では何もできず、社会を成立させるための一種の装置として生涯を送るだけの存在だ。

 その究極系とも言えるのが現皇帝フリードリヒ三世である。

 元からこれといった才覚はなかったが、ほかの皇帝候補が相次いて死んだため、成り行きで帝冠を戴き、その後すぐに暗殺未遂を受けた。以降は精神に異常をきたし、あっという間に弱っていき、まだ四十歳にも満たないのに寝たきりの生活だ。


 ケイネスは片膝をついて最敬礼をすると、

「皇帝陛下、本日はお伺いしたい議がございます」


 流星事件から始まる長い話をギリギリ聞き取れるくらいの早口でできるだけ難解に、しかも否定的なニュアンスを丁寧に含ませて語った。


 皇帝は喉にコルク栓が詰まったような掠れる声で、

「エド、ワード?」

「“全て私におませください”」


 脳に酸素が足りなくなった皇帝は思考が追いつかず、「ノルマンディーの良いように」と言うのが常だった。そうなるよう長年かけて仕込んだ。

 しかし催眠とか洗脳とか、そんな無粋なものではない。

 こと政務に関して、皇帝と接触できる人間がケイネスひとりにしただけだ。


 だが、

「そうかそうか、ケホッ。エドワードの良いように」

「はぁ?」


 ついにボケたか。


「陛下、もう一度説明致しましょうか?」

「エドワードの良いように、させな、ハアハア、さい」

「よろしいのですか? 皇太子殿下に何かあれば国家の存亡に関わりますが」

 そう言うと、天蓋の向こうで枯れ木のようなシルエットが起き上がる。


「あの子の前に試練が、現れたのなら、挑みたいというのなら、存分にやらせて、ハア、やりたい…… 余にはできなかったことだから」

「しかし、法的な手続きがございます。出場自体はともかく、国宝級の持ち出しや管轄の移動には時間がかかります」


 皇帝は偉そうな声を渾身の気合で絞り出し、

「ケイネス、私は誰だ?」

「……絶対にして不可侵たる、オヴリウス帝国皇帝フリードリヒ三世陛下でございまする」

勅命(ちょくめい)である。エドワードの良いようにさせゴホッゴホッ! ……させな、さい」

「皇帝陛下の(おお)せのままに」


 影はフッと崩れ落ちて消えた。

 途端にベッドにあしらわれた宝石が眩しく光って警告を告げた。体調を管理する〈悠久なる安床御殿(ハイエストブレス)〉が皇帝の異常を感知したのだ。

 医師たちが隣室から次々駆け込んで救命を始める。彼らの表情から、かなり難しい容体だろう。


 すると近衛総監が、

「閣下、退室いただけますか?」

「陛下は大丈夫だろうか?」

「分かりかねます」


 こうなってはどうしようもない。ここでまだまだ打つ手はいくらでもある。

 それよりも、ボケ病衰(びょうすい)に利用価値がなくなったのが明確になった方がケイネスにとって収穫である。

 試合は見物だなぁ、とケイネスは無性に楽しみになり、思わず顎をさする。

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