アナスタシア Ⅱ
陽が少し落ちた頃に、特別試験の第二戦の組み合わせが張り出された。相手は声をかけた内でも一番強そうだったから、アナスタシアの心は躍りまくっていた。
タップダンスでも始めたいくらいだ。
開始時刻はもうすぐ。浮ついた足どりで試合場に向かってると、知った声に引き止められた。
「ご機嫌だね、アーシェ」
身長が低く杖をつき、腰の曲がった老女であった。
白い髪を頭の上に団子にまとめて、鼻が高い顔には皺が目立つ。
彼女を見たアナスタシアは、青汁を飲んだ時みたいに渋い顔に凶変し、
「げぇッ! ババァ!」
「そりゃないだろ! まだまだ若いよ!」
年甲斐のない怒声、鼓膜がしばらく機能不全を起こす。
老婆の名前はグラディス・レイフィンドール・フォン・イストレール。オヴリウス帝国の代表団本部長。つまりは帝国における国別対抗戦の総責任者である。
幼い頃からアナスタシアと知り合いで、年寄り特有のおせっかいな人物だ。
「親父さんは元気かい?」
「はい? あー…… 元気元気、つーか邪魔っす」
「そうかい? “俺は病気になんてならん”と言ってるのがコロッと死んじまうもんだから、気ぃ付けんだよ…… それはさておき」
グラディスはコホンと喉を整えて空気を締める。
するとアナスタシアの身も引き締まる。
「一試合目は棄権しているようだが?」
「いや、弱っちそうな相手だったんで気が乗らなくて」
気まずくて頭をガリガリと引っ掻いた。
「今も?」
「いんや、絶好調になりました」
彼のことが脳裏に浮かんで、少し口元があがる。
するとグラディスは嬉しそうに、
「そうかそうか、気の強いのは良いことだ。それはそうと……」
その視線は、品定めをするように上下に動く。
「その格好で試合に出るのかい?」
「動きやすいっすから」
「そういう問題じゃないよ」
ショールを剥いだ白いワンピースは、胸元も背中も大きく開いてスカートも短く、瑞々しい肌色が目立つ。
アナスタシアだって他人の視線は気になるが、動きやすさ最優先。肩や脚に布が絡むのが嫌いだ。
「大丈夫っす。中のは見られてもいいヤツなんで」
スカートをペラっと捲ると、ボクサー型の黒の下着が垣間見えた。装飾性の強いデザインで下着っぽさが多少は薄れているが、これはこれで色っぽさが倍増していることに本人は気付いていない。
目を覆ったグラディスが溜息混じりに、
「見られて良い下着なんて、あるわけないだろ。私の若い頃は……」
長い説教が始まる予感がビンビンした。
「試合ッ、すぐ始まるんで!」
「ああ、そうかい…… そうだね、じゃあ後で良いよ。試合、楽しみにしてる」
「はいっすッ」
グラディスはポンッと肩を叩くと観戦席に向かって行く。
すると突然、威圧感がアナスタシアを襲い、浮かれ気分を吹き飛ばした。
対戦相手が試合場に上がったのだ。
スッと背中に芯が通っているのが遠目でも分かる。紙巻き煙草を咥え、緊張感のある重い空気を纏っている。
嬉しくなって思わず口角が上がる。
大会本部の拡声器から、ノイズの混じった指示が飛ぶ。
『時間は五分間。決着が着いたと判断した時点で合図を鳴らします。両者よろしいですね。それでは、アナスタシア・フォン・ブリュンベルク対キラミヤ・ナトラ試合を行います。構えて』
アナスタシアはダラリと脱力し、意識を研ぎ澄ました。
生き物には魂魄と呼ばれる霊体器官があり、ここでは魔力を精製、貯蔵している。
本来、魔力は精神活動の原動力であるが、その影響は物質にもおよび、流し込まれた物質は活性化してその能力が強化される。
しかも、流し込む物質になんらかの強い理念が込められていると、特異能力を起動することができる。これを魔導具と呼ぶ。
アナスタシアは魂魄を全力で回し、溢れんばかりの魔力を全身に滾らせた。
ペンダントと左手の指輪が彼女の魔導具だ。この二つに魔力を流し、いつでも能力を使えるように準備する。
ナトラは、納刀したままの刀の鞘を左手で持って、右手は柄に添えている。
「あれ? 抜かなくて良いの?」
「ウチは抜刀術だ」
ナトラは無表情で淡々と答えた。
妙に言い慣れた感じが不思議だった。
『それでは……』
審判役がピィッと笛を吹いた。
同時にアナスタシアは〈嘲笑う白刃〉と〈蝶々発止〉を起動した。
手には青白い短剣、足元に紅い八角形の板が現れる。板を踏むとバネが仕掛けてあるように弾き飛ばされ、ナトラに向かって突貫する。
彼は身体を捻って避けようとするが、すれ違いざま短剣を振るうと、鞘を持った彼の左腕をスパッと斬って落とした。
簡単に一撃を入れることができたので、拍子抜けしたアナスタシアはフラーっと振り返って、
「なに? こんなも……」
言いかけて、アナスタシアの頬からブシュゥと熱いモノが吹き出る、舌を舐めずると鉄の味。そしてようやく痛みがやってきた。
彼の右手には刀があった。いつの間に抜いたのだろう。
フゥっと一息ついたナトラは、“うっかりしていた”と言いたげに、
「悪い、顔に傷付けたな」
そう呟くと、右手など最初からなかったみたいな自然体で中段に構えた。
「面白くなってきやがった!」
腹の底から溢れた感情を吐き捨て、二本目の短剣を具現させ両手に一本ずつ持つと、アナスタシアは再び跳ねた。