ミド Ⅲ
明け方のナトラとエドワードとシエスタのイザコザは、ほかの者が駆けつけた時には終息していたから、何が起こったのかはミドの耳に断片的にしか伝わらなかった。
団員たちが朝食を取っている時には話題の中心人物であるエドワードの姿がなく、ダイニングスペースには「戦う」という言葉だけがやたらと反響していた。
朝食の後、エドワードの意向によって〈灼煉離宮〉の広間で臨時会議を行うことになる。
広間といっても何があるわけでもない。本来なら絨毯なり絵画なりといった美術品があり、客の目をもてなすはずだが、焦げた焦茶一色で何もない。こんな中にいては気が滅入りそうなものだ。
広間だけではない、この屋敷にはとにかく物がない。
〈灼煉離宮〉はあくまで建物を建てるだけであって、生活に必要なものは別途用意する必要がある。外見だけ取り繕った、中身空っぽの屋敷に皇太子が住んでいるというのは、言い得て妙である。
屋内にしては広いとはいえ、二十人以上が一度に集まるとさすがに狭く感じる。全員が床に座ると各派閥ごとに少し間が開いて、まさに一線が引いている状態だ。みんなエドワードが来た時より頭が冷えたのか、こういう状態に飽きてきたのか、気まずい空気が漂っていた。
そんな中、口火を切ったのはユーリ・エーデルフェルトだ。
「それで殿下、戦うとは? どういったことなんでしょうかね? はいはい」
空気を読まない陽気な口調ではあるが、みんなが気にしていることを直球で問うのはさすがである。
「次の試合に出ます」
毅然とした態度で揺らぐことなく言い切るエドワードが一回り大きく見えた。だからか、一人を除き茶化すようなことはせず、真剣に受け止めた。
例外のひとりはやはりユーリで、真面目な空気を台無しにする。
「殿下殿下ぁ、国別対抗戦はそんな簡単なものではありません。おままごとではないのです」
「一度決断したことです」
「御身に何かあれば帝国は根っこから崩壊してしまいます。どうかお考え直してください。足を引っ張るだけです。ね? 皆さんもそう思いますよねー?」
言っていることは何一つ間違っていないが、ミドは追従したくない。ほかの団員たちも同じ心境なのだろう、鋭く複雑な視線がユーリに集まる。
「事務監の仰りようはごもっともです。しかし、考えは変わりません」
「なるほど…… では、理由を聞きましょうか?」
「僕は…… 僕は皇帝になります。そしてそのためには僕が、帝冠を戴くにたる存在だと証明しなくてはなりません」
「それが試合に出る?」
「皇帝が誰かの背中に隠れているようでは、誰からも支持されないでしょう」
「無茶苦茶ですねー」
「理屈で考えたことではありませんから」
エドワードのジッとブレない目つきは尋常でない決意がこもっている。
確かにこれは理屈じゃない。心の問題だ。
強い皇帝と弱い皇帝、帝国臣民がどちらを望むかは比べるまでもない。
「ん〜、シエスタさん。あなたはよろしいのですかぁ?」
「近衛の任務は殿下の威信を守ることであって、御意志を阻害する権限はない」
「ごめんなさい」
淡々としつつも悔しさ隠せないシエスタに、エドワードは謝った。だが今までのような卑屈さが感じられず、一本芯が通っている。
「そうですかですか、しかしオーダーを決めるのは殿下ではないのです、ねえヘッドコーチ代理」
ユーリは喜劇で使う仮面のような、ニタァとした湿度の高い顔でミドに促す。何かあれば責任が自分に来るなぁと思ったミドは一応、不本意ながら、苦渋の想いで、ユーリに追従しておく。
「現実問題として、皇太子殿下は戦ったご経験がおありですか?」
「大丈夫です。帝室秘蔵の魔導具を引っ張り出します。そして僕の魂魄に関しては、国別対抗戦の水準でも優秀なはず」
「つまり、経験は無いんですね」
しかし、帝室秘蔵と聞いてミドの心はグラついていた。それらはおそらく文化財のばかりで、軽々しく使用はできないはずだが、歴史と伝統の長さではそこらの貴族の十倍はあるだけに、宝物庫の中には国宝級がゴロゴロしている。当然、魔導具の質、量ともに最高と言っていいだろう。
問題は使用できるかだ。
「持ち出しには国務省の許可がいるのでは? ……ですよね?」
「試合には間に合わせます」
喉から手が出るほど欲しい。
エドワード本人の戦闘能力はともかく魂魄に関しては確かに優秀だろう。
というのも、魂魄成績は両親からの遺伝によるところが大きく、婚姻統制の施された大貴族たちは、誰も彼も優秀なのだ。
試合に出ずにとも、それらを使うことができれば戦略的、戦術的にはずっと楽になる。
かといって「あなたは出場しなくていいから、魔導具だけ貸してくれ」と、そんな不敬なことを言えるわけがない。だが上手いこと彼がそう思考してくれないものかミドは誘導してみる。
「それでも、まったく戦闘経験のない方を出場させるわけには行きません。理由は分かりますか?」
「僕が危険な目に合うからですか? それは……」
「殿下と一緒に出場する人間が、危険な目に合うからです。戦闘の素人と一緒に出たがる人なんて……」
「自分が出ます。焚きつけたのは自分なんで」
ミドの言葉を遮ってナトラがそう言うと、ユーリは意地悪く、
「君は剣聖と戦いたがっていたね。今回のことはそれが目的かなぁ?」
「事務監、話をややこしくしないでください」
「なんですか?」
知らなかったのか、エドワードとシエスタの頭の上にクエスチョンマークが回る。
ナトラは観念して、自分の生い立ちからクノが死に、ウォルフガングに復讐心を抱いていることを端的に話した。
参戦動機としては割と普通なので、みんな詰まらなそうに聞き流していたが、シエスタには歪んで聞こえたようで、
「貴様、殿下を利用する気かッ!」
さすがにバツが悪すぎるのか、ナトラは反論せずに口をつぐんだままジッとエドワードを見つめていた。
すると何か察したのかエドワードは、
「復讐できれば、あとはどうなっても良いなんて人じゃありませんよ。仮にそうだったら国別対抗戦なんて参戦してないでしょ?」
「しかし」
「僕も、無条件に心酔されるより気が楽です」
「殿下ッ!」
この信頼関係はなんなのだろう、男の友情というものなのか。会議中にもかかわらずミドの好奇心に火がつきそうで困る。
別の意味で火がついたのか、アナスタシアが床からガッと立ち上がって、
「面白くなってきやがった、その試合私も出る!」
「お嬢ッ?! 今のなし! 無視してくれ」
ブリュンベルク派の面々が引きずり寝かせ、それを隠すためにドタバタし出す。子供がガラス窓を割った時みたいである。彼女のテンションが高くなると否応なく空気がコミカルになるから不思議だ。
「なんだよッ、皇太子の覚悟を見定めるなら、侯国の姫じゃあなきゃダメだろ?」
「アーシェちゃん。あなた体調は?」
「治すッ!」
自信満々に即答した彼女の顔は「ンフー」と鼻息荒く、抑えきれない高揚感に満ちていた。
ハンシェルが真っ青な顔で首を振るから、考えを変えないのは間違いないだろう。
複雑な心境を表すようにシエスタは絞り出す。
「最後の一人は…… 無論、私が」
「シエスタはダメです」
「何故ですかッ!?」
「あなたは医療用魔導具を使えますから」
最近、ルルゥが虚ろな表情で「ククク」と笑う彼女の姿がたびたび目撃されている。心身ともに限界に近いのだろう。やはり医師一人体制は厳しい。シエスタに何かがあれば医療班は本当に壊滅するだろう。
シエスタの手を取ったエドワードは、無垢な上目遣いで、
「僕になにかあったらあなたに治してもらわねばなりません。そうでしょう?」
苦悩する彼女の顔はクシャリとシワだらけになるほどだったが、結局コクリと頷いた。有無を言わさぬとはこのことだろう。立場がどうあれ、このお願いをされたら拒めない。
仕方ないと思考を逆転させたミドは、作戦を変更する。
「ほかに出場したい人はいますか?」
促したが、シーンと黙りかえる。
前の試合で負傷しているとはいえ、極めて熱狂的だったジャスパーですら唇を噛み締めて固唾を飲んでいる。どれだけ彼に心酔していても、それに引きづられることなくシビアな判断をしている。
魔導師としては模範的といって良い。
これで取引ができると安堵したミドは、
「分かりました、私が出てもいいです。私には試合を成立させる責任がありますから。代わりに条件がございます」
「なんでしょう?」
これはもう、打算していることを全て言い放っておいたほうがいい。
「今回の国別対抗戦において、帝室所有の魔導具の、国外へ持ち出しと使用を無制限にしていただきたい」
エドワードは少し考え込んでから、
「そうですね。ヘッドコーチ代理が必要と考えるなら……」
使える魔導具は多ければ多いほど良い。
幸い、旧本部長派はそれほど彼に反感を覚えていない、明確に取引して協力しやすい土壌を作れば関係は改善できる。
さらに、向こうに恩を売っておきたい。
「加えて、代表団の管轄を国務省から近衛師団の隷下に移管していただきたい」
エドワードが代表団にやってきた経緯がミドには謎なのだ。しかし、大貴族たちの中で思惑が渦巻いているのは間違いなく、国務省が一枚噛んでいるのは必然だ。
移管がなされて、近衛主導になれば後顧の憂いが消える。
シエスタがホッと溜息を吐くように、
「一考し……」
「おおっとぉ、それとこれとは別に考えた方がいいんじゃありませんかぁ?」
ユーリが楽しそうに突っかかってくる。彼はケイネスの部下なのだから当然だ。
捲したてたユーリのセリフはこの上なく正論であった。
代表団の予算は国務省から出ていること。
経験のない近衛がいきなり後方支援するのは難しいこと。
急な組織図の変更は帝国内外の信用がなくなること。
帝室の魔導具は文化財ばかりだから、包括的な判断が出来ないこと。
「全ての計画は緻密に計算されているのです。デメリットが大きいと言わざるを得ません。議会が認めるとは思えませんね」
「その計画とやらに、殿下の御身の護衛が含まれているのか?」
「近衛に移管したところで、より良くなる保証がありますか?」
議論が平行線のままでいると、ユーリはパチンと指を鳴らし、
「んーこの場ではなんとも結論が出ないようですね。では皇帝陛下にお伺いを立てましょう。元より帝国は“絶対にして不可侵”たる皇帝陛下の威光を受け成り立っている。これ以上の方法はない。違いますか? 違いませんね?」
最悪なのは、試合には出るが管轄は移らず、魔導具も使えないパターンだ。
団員たちの視線が一斉にエドワードに向けられると、彼はコクリと頷いた。
「分かりました。皇帝陛下にお伺いを立てましょう」