ルルゥ Ⅱ
五月十九日、日曜日。
前日には国別対抗戦第三節の試合があった。オヴリウス代表は敗北し、これで通算成績は二敗一分。勝点は変わらず、一点のままだ。
この時点で最下位。そのせいか、キャンプの中はピリピリとしているが、ルルゥにとってどうでもよかった。一週間ごとに運ばれてくる重傷人の数々に心が躍る。
かといって、自分の趣味を大っぴらにしたいとも思わないので、できるだけ無表情で怪我人の処置を夜通しして、ひと段落したのはそろそろ朝食という頃合い。食欲ないなぁと、考えながらルルゥは血塗れの白衣を医療テントのゴミ箱に放り込んだ。
「とりあえず、一服しようか」
シエスタが来てからずいぶんとルルゥの負担が減った。
彼女は医師としての知識、技術を修めている。加えて、医療用魔導具も持ち込んでくれた。前回は死人を出してしまったが、今回の試合では全員救うことができて、医療班としては面目を保てた。
それは、本当なら喜ぶところなのだが、いかんせんルルゥは趣味的に治療をしているから、自分のオモチャを取られた気分になってしまう。
椅子に身を任せ大欠伸をすると、シエスタが少し嫌味っぽく、
「ヘンドラム先生、お疲れですか?」
「いやぁ、お恥ずかしい」
適当な返事をしつつシゲレットケースを開くと中は空っぽ。補充しておくのを失念していた。
ストックを取りに女子テントに行こうかと考えていると、シエスタがニコやかに葉巻を一本差し出す。
それにはラベルが貼ってあって、それで銘柄がわかるのだが、“ジュリント・プレミアムシガー”という、帝国内で流通している葉巻では最高級の逸品だった。
思わずヨダレが垂れそうになった。喫煙はルルゥ第二の生きがいと言っていい。
待ちきれなくて、手元のハサミで雑に吸い口を作って加えると、魔導具を使ったのだろう、シエスタの小指の先には火の玉が浮かんでいた。
それで火を点けると豊潤な香りが鼻を抜ける。普段吸っている煙草よりずっと香り高いモノだった。
ルルゥはウットリとした酔いしれながら、
「スー…… ぷはぁ、煙草、吸うんですね?」
「いえ私は。貴族の方には嗜む方が多いので持ち歩いているのですよ」
「おたくも大変だぁ」
「名誉ある仕事と理解してます」
「殿下は今どうしています?」
世間話くらいのつもりだったのだが、何か勘ぐっているのかシエスタの緊張感のある声に変わる。
「離宮でお休みになってます」
「いいんですか側を離れて?」
「やむをえません。代表団が崩壊しては元も子もありません。自律探知魔導具はつけています」
「ま、キャンプ内で変なことは起こらんと思いますがね。スー……」
葉巻を愉しんでいると、衝立の向こうからガシャんと音がする。
あそこは以前からの昏睡者を寝かしているから、意識を取り戻したのだろう。
「やれやら、休ませてくれないなぁ」
嬉しさを隠しきれないルルゥは半分になった葉巻を灰皿に置こうとすると、シエスタが手で制して「私が」と言って衝立の向こうに消える。
すぐにドタバタとベッドが軋む音がなる。
案の定、面倒なことになったなぁ、と向こう側を覗くと、錯乱しているのだろう、定まらない視線のナトラがシエスタを組み伏せていた。
「おいッ、落ち着きたまえ!」
「ぁ? うぁ?」
彼の呼吸は荒く、顔は土気色。まるで溺れているようだ。
もちろんシエスタはあえて無抵抗だったが、反射的に技を掛けた彼の習性は恐ろしく鮮やかだった。
リンゲル液の注いだコップを彼の口元に持っていき、
「喉が渇いたろう。ゆっくり飲むといい」
彼の顎を持って無理やりに流し込むと、彼の息は落ち着いてくる。
「……ここは、医療テントか…… で、誰ですこの人」
「新人だ、最近来たんだ。さ、ベッドに戻ってくれ、キラミヤ。診察ができないだろう?」
「はあ」
ナトラを寝かし直し、何が起こったのか簡単に説明すると、彼の脳髄も徐々に動き出したようで、朦朧としていた視線が定まってきた。
「そうだった、前夜祭で……」
「侯爵令嬢が怒っていたぞ。“ナトラに庇われなければ火傷ひとつしなかった”とな」
「泣きベソかいてたくせに何言ってんだか」
「では、直接言うと良い」
仕切りのカーテンを開けてやると隣のベッドにはアナスタシアが寝ている。本人の要望でこのベッド位置になった。曰く、すぐに殴れるようにだそうだ。
「アーシェ? あれ、上手く守ったつもりだったんだけど」
「これはただの熱病だ。怪我はとっくに治っている」
「はあ」
シエスタが聴診と触診を済ませると、
「異常は感じません」
「一安心だな」
ナトラは内臓を焼かれていた。
魔導具で再生させても、不具合が出ることがあるから心配していたが、とりあえずは大丈夫だろう。
「体力が回復するまで寝ていなさい。あとで食事を持ってこさせよう」
「はあ…… あッ、ヘンドラム先生、俺の魔導具は!?」
「安心したまえ、回収済みだ」
そのことを聞いたナトラの表情がまた穏やかになる。
魔導具は理念の塊であり、その影響か、物質としての耐久性を著しく向上させている。
もちろん、元々の耐久性と理念の重さによっても変わってくるが、ナトラの魔導具は流星事件の中にあっても、無傷で回収された。
ルルゥはベッドの下から長細い布袋を取り出すとナトラに手渡す。中には名無しのライターと〈座鯨切〉が入っていた。
しばらく見つめてブツブツと唱えながら考え事をしたナトラは、
「今日は?」
「五月十九日の朝」
「復帰までに、どれくらいかかります?」
「身体の方はほぼ完治している。問題は副作用が抜ける時間だ。そうだなぁ…… 十日、個人差が激しいから、あくまで目安だが」
「五日で治します」
「まぁ、そうなってくれるとありがたいが、しばらくは安静だ。せいぜいブリュンベルクに殴られたまえ」
「……三日になりませんかね?」
「なれば良いな」
そう言ってやると、彼は肩を竦めてからアナスタシアを眺めるのだった。