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抜刀ナトラ  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
オヴリウス帝国ラウンド
20/95

ルルゥ Ⅰ

 五月五日、日曜日。

 医療テントの中で椅子にもたれかかっていたルルゥ・ヘンドラムの口元からは、(よだれ)が一筋垂れていた。普段、アンニュイな無表情を崩さない彼女にとっては非常に珍しい顔である。

 頭の中がミルク粥になった気分だ。

 そんな調子で惚けていると、ズレたナースキャップのリーリスが心配そうに肩を叩く。


「先生、大丈夫ですか?」

「んぁ? ……大丈夫だ。君はどうだ?」

「大丈夫です」


 いつもは物腰柔らかく愛想のいい表情をしているリーリスが、顔面蒼白でげっそりとしている。せっかくの美人が台無しだ。彼女も限界ギリギリなのだと悟った。

 ルルゥが国別対抗戦(オリスタイラム)に参加した理由は単純で、多くの患者を診ることができるからだ。

 昔から他人の身体に興味があって医者を目指した。魔導師(ドライバー)の適性があり〈癒々着々(ピン・ハンド)〉と出会って直接患者の体内に触れるようになると、その快感は衝撃的だった。瑞々しく熱い感触は、命に触れている実感は、何物にも代え難い娯楽。病み付きである。

 〈癒々着々(ピン・ハンド)〉で患者の身体の中を弄り回すために生まれたのだと確信した。

 ところが、どんな娯楽でも続けていると身体は疲れるようで、目は霞み脚は痛い。できるなら永遠に患者を弄り回していたいが、そうもいかないようだ。


「お休みになさいますか?」

「いや、みんな待っているだろうから…… まったく、嫌な仕事が残っているな」


 夜中に叩き起こされたと思ったら、前夜祭(レセプション)会場が高熱の溶鉄でメチャクチャにされたと聞かされた。

 しかもオヴリウス代表の幹部級が巻き込まれたと知らされた時にはさすがに混乱した。結局、運ばれてきた十人の内、生きているのは四人だけで、ほかは全く蘇生の見込みがなかったから断腸の思いで切り捨てた。

 大変なのはここからだった。

 元々、オヴリウス代表団には医者が三人いたが、その内二人が溶鉄に飲まれてしまい、医者はルルゥひとり。リーリスは看護師だが、治療に関しては猫の手くらいの仕事しかできない。大会規定(レギュレーション)により、外部の医者を招き入れるわけにはいかないから、四人の重態患者を独り占めすることになってしまった。

 それはルルゥにとって幸福なことであるが、患者にとっては不幸なことだ。

 綱渡りの治療が終わったところで、放置していた死者の検分を始めた。手脚は焼失し、肌は黒く焦げていたから、外見では“黒い干物”であった。それでも懐中時計は健在で、歯型も確認した。

 周囲に散らばっていた魔導具(ガジェット)と、事前に提出していた書類と照らし合わせても矛盾ない。六人分の死体の確認が終わるころには丸二日経過していた。

 その間にあった開幕戦で怪我人が運ばれて来なかった。対戦相手も士気が低かったから試合は硬直し引き分け。

 もし一人でも怪我人が運ばれてきたら、間違いなくルルゥが術中死していた。本望ではあるが、今死ぬのは無責任がすぎる。


「行こう。みんな待っている」


 泥のような身体を引きずって医療テントから出ると、もうじき夜明けなのか地平線が白んでいる。

 こんな時間帯でも代表団の全員が起きて待っていた。みんな目の下が黒く、一昨日よりも痩せて見える。地べたに転がって顔を覆う者、木箱に腰掛け貧乏ゆすりをする者、立ちすくんで天を見上げる者。火の消えた葉巻を咥える者。幽霊みたいな彼らはいっせいに、冷たい視線をルルゥに向けた。

 霞んだ目でカルテを淡々と読み上げる。

 すると、ジャスパーが震える声で、

「それは本当か? なにかの間違いじゃないのか?」

「修正の余地はない、本部長以下五名は亡くなった」


 グラディスが死んだ。

 彼女は人格者だった。曲者揃いの代表団を一個の集団としてまとめ上げる手腕は天性のものだ。時に真面目に、時におどけてみせ、国別対抗戦(オリスタイラム)参加選手の気概を見せてくれた。

 みんなの心に大きな穴がポッカリ開いた。

 ほかの五人も代表団の幹部たちで良き師であり、良き先輩であった。

 誰もが虚ろな瞳で下を見て、何も言えなかった。

 時間感覚が狂う沈黙が流れる。

 取り乱す者がいないのは意外だったが、二日あれば心の準備もできるのだろう、とルルゥは思い至る。


 息苦しさの中でリーリスがパンと手を叩き、

「外の様子は?」

 オヴリウスキャンプの中は水銀のように重い空気、これを変えたいと思ったのだろう。だが焼け石に水だ。一気に沸騰した行き場のない怒りが吹き出す。


「大恐慌だよッ、地獄の釜さ!」


 叫けんだジャスパーがグシャグシャの新聞紙を投げる。

 見出しは“流星事件”。前夜祭(レセプション)の事件はそう名付けられた。

 事件の詳細は不明な点が多いが、間違いないのは、魔導具(ガジェット)によって打ち上げられた高熱の鉄の塊が、前夜祭(レセプション)会場に落とされ、その量は三百トンにも及ぶ。

 とても個人で行なうことはできないから、組織的な犯行なのは明らかであるが、犯行声明などはいまだない。

 ほかの代表団も甚大な被害を受けたが、より深刻なのは記者たちや会場のスタッフたちの方だろう。彼らは魔導師(ドライバー)でないから、逃げることも防御することもなくただ狼狽(ろうばい)しながら焼かれ死んだ。

 各社の発表を合わせてみると百人以上が死んだのがすぐに分かる。さぞ地獄絵図だったろう。

「そう、ですか…… すみません」

 少し考えれば分かりそう話だが、リーリスに考える余裕はなったのだろう。

 空気はより重くなる。

 しかしそんな空気をぶち壊す、空気の読めない陽気な声が響いた。


「皆さん! 落ち込むのはこの辺にしましょう、いい加減、将来を考えましょうよ!」


 楽しそうに笑い、白い歯がキラリと光る。万人ウケする爽やかな笑顔の持ち主はユーリ・エーデルフェルトだった。

 まだ三十歳と若いが、国務省の高等参事官であったのをケイネスが強引に、事務監として代表団に推し込んできた。ブランド物のスーツを着こなし、官僚というよりファッションモデルを思わせる、(きら)びやかな見た目の人物である。

 唯一グラディスが認めていなかった人材だ。当然、ケイネスの息がかかっているのは全員が承知しているところである。


 ジャスパーは顔を真っ赤にして立ち上がり、

「ああ?! 今それどころじゃねえだろうが! バカか!」

「でも国別対抗戦(オリスタイラム)は予定通りに開幕しましたよ。つまり、僕たちは戦わなくてはならない。違いますか? 違いませんね?」

「おまッ、何も知らねえクセに偉そうにしやがって!」

「偉そうなんじゃない、偉いんですよ! そういう規則ですからね。僕、序列二位ですから!」


 二本立てたユーリの指は、まるでピースサインである。

 オヴリウスに限らず各代表団には団員たちに序列が割り振ってあり、トラブルが元で上位の者が指揮をできなくなった場合、基本的には下位の者に権限が移る。

 序列一位(グラディス)の死亡を確認した瞬間、序列二位(ユーリ)に本部長の権限が移ったのだ。


「次の試合はどうしましょうか? 誰が出るのがいいんですかねぇ? はいはい」

 悩ましげに頭を抱えたユーリに、沈黙を貫いていたミドが反論する。


「オーダーの製作はヘッドコーチの職責で、それは今、私にあります。そういう規則です」

「だったら早く持って来てください。添削(てんさく)してあげますから」


 彼が鼻で笑って挑発すると、ミドの視線は鋭く冷たくなった。

 ハンシェルが「まあまあ」両手を広げて落ち着かせようとする。


「皆さん少し落ち着きやしょう、ルルゥ先生もお疲れのようですし、日を改めてで良いじゃありませんか」


 カッと目を見開いたジャスパーがハンシェルを指差し、

従属国(とざま)が仕切んじゃねえ」

「……なんだと?!」

 禁句が出たその瞬間、ハンシェルの眉間にピキッと青筋が立つ。

 だが構うことなくジャスパーはまくし立てる。

「日和見に帝国に付いてる金魚のフンが、意見をするんじゃねえつってんだよ。ブリュンベルクなんて小国、帝国が一息吹けば消し飛んじまうだろうが。黙ってひれ伏していればいいもの、一丁前にカッコつけやがって」

 するとブリュンベルク派閥の団員たちは眼光には戦意がこもり出す。


ブリュンベルク侯国(おれら)に喧嘩売ってんのか?」


 ほかのブリュンベルク派閥の団員も各々魔道具(ガジェット)を構えて臨戦態勢。ジャスパーや彼に親しい者も対抗して魔道具(ガジェット)を取る。

 どこまで本気なのか誰にも分からない。相手が憎いというより、行き場のない不安や怒りをとにかく放出したい、そんな感じだ。

 一触即発。

 咳をするだけで爆発が起こりそうな、先ほどとは違う種類の緊張が場を支配する。


 やはり面白いのか、ユーリの陽気な声は変わらぬまま、

「まあまあ、落ち着いて下さい。僕たちは仲間じゃないですかぁ。武器を突きつけるなんておかしいことですよぉ?」


 それが余計に怒りの温度をあげる。

 ハンシェルは鬼の形相で吼える。


「先にガタガタぬかしたのはテメエだろうがッ!」

「あれ? 僕、間違ったこと言ってます? 言ってませんね? 悠長なことは言ってられないようですから、ここは帝国国務省の指示を仰ぎましょう」

「ちょっと待て、本部長は皇帝陛下の勅命だろ! 勝手なことすんな!」


 叫んだジャスパーが、にこやかに微笑むユーリの前に立ちはだかる。

 そもそもオヴリウス代表団は、皇帝の意を受けたグラディスに全権が一任されていた。ここで皇帝の意思も伺わずに勝手に話を進めるのは、ジャスパーをはじめ皇帝を崇拝している人には許せないことなのだ。


「確かにイストレール前本部長はワンマンでした。しかし組織図的に代表団は国務省の傘下ですよ? 予算もここから出ています。非常事態に指示を仰ぐのは真っ当でしょう?」

「そもそも国務省だってテンパってんじゃねえのか!?」

「はい。どうやらノルマンディー国務長官は四肢を失い内臓を焼かれて生死の境を彷徨(さまよ)っているようです。まったくどうなることやら…… 不安で仕方ないですね!」


 言葉とは裏腹に声色は楽しそうなままであった。

 ユーリの純真とも言えるほどの笑顔に誰もがドン引き。また緊張が場を支配して、沈黙が流れるのかを思われた。

 それを、苦しそうな声が変えた。


「うるっせぇな…… アァ、起きちまったぞ」

「お嬢ッ!」


 包帯まみれのアナスタシアが地面を這って医療テントから姿を現わす。

 ハンシェルはさっきまでの鬼の形相はどこかへ消え去り、間の抜けた顔で駆け寄って抱きかかえる。

 ルルゥも続き脈拍と血色を確かめる。まだ意識が朦朧(もうろう)としているようだが、とりあえず大丈夫そうだった。


「とりあえず、もう大丈夫だろう。ほらベッドに戻るぞ」


 アナスタシアは助かった四人の中では、最も軽傷ではあった。意識が戻れば快方へ向かうだろう。話せるようになれば容体も分かりやすくなるし、食事が取れれば回復も早い。

 それが分かっているからハンシェル達は人目も(はばか)らず、大粒の涙をボロボロ落として嗚咽をあげる。


「良かった…… 本当に、良かっだ」

「上からなんか落ちてきて…… それから、痛いし」

「分かってる。いや分からないことだらけだが、君はとにかく身体を休めろ」

「あの野郎どこにいる。ブン殴って、やんなきゃ…… どこにいます?」

「落ち着け、とにかくベッドに戻ろう」


 ユーリは満足そうに見つめ、

「感動的です。どうやら会議どころではありませんね? それでは、これから国務省の指示に従うということで」

 なし崩しにそう決めると、代表団は(けわ)しい顔で散り散りになった。

 そんなことは気にも留めないルルゥは、ウキウキとした心でアナスタシアの治療に取りかかる。

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