アナスタシア Ⅳ
大きな岩の上で眠い目を擦っていたアナスタシアは、頭上から灼熱の豪雨が降り出すと同時に眠気が消え失せた。
本能的にとにかく遠くに行こうと立ち上がると、ナトラに腕を引っ張られて地面の上に叩きつけられる。
馬乗りになった彼は空を見上げて、いつもよりずっと冷たい乾いた口調で、
「アーシェ、寝てろ」
「はあ!? 早く逃げないと!」
起き上がろうとすると、彼は腕を取ってまた押し倒す。
「無理だ」
「〈蝶々発止〉使えば……」
機動力に自信があった。
顔を横に向けると、逃げている魔導師の姿がいくつかあった。アナスタシアと同じ考えをしたのだろう。
空を飛んでいる者や地面を滑っている者。遠目でもかなりの速さだと分かる。だが彼らは皆、脱出する寸前で撃ち落とされた。
溶けた鉄が絡むと身体ボッと燃え上がり、すぐに動かなくなる。見ただけで、身体が震え喉が干上がる。
「この手のモンは外側が一番高密度と相場が決まっている。逃げる奴を殺すようにできてる」
適当なことを言っている感じには聞こえなかった。
アナスタシアに大規模な防盾はない。ナトラにもないだろう。
直感で死期を悟った。
素直に彼にされるままになった。
というより、失意のせいで、身体から力が抜けてしまう。
明日には国別対抗戦が開幕するのに、あと少しで出場できるのに、こんなところで死ぬのか。
地面の上でグッタリと横になる。
搔き集めた土をアナスタシアの頭や胴体にかけていた彼は、頬に手を当て、しっかりと目を合わせる。
「アーシェ、頭と胸は守ってやる、そしたら医者がなんとかする。だからちょっと痛いだけだ。君は死なない」
「……本当に?」
「ホントホント」
彼は互いの小指を絡めて断言した。
知らないまじないだったが、ちょっと安心できた。
それで少し心に余裕ができたのか、自分のこと以外に気がついた。
「ナトラは? どうするの?」
「……アナスタシア」
「はい」
呼び方が変わって、ドキリとする高鳴る。
「お互い生きてたら、キスでもしようぜ」
「はッ?!」
「おいでなすった」
返事を待たずに彼はアナスタシアの上に覆いかぶさり、更に防盾を展開した。
直後、すぐ横の地面に真っ赤な鉄の塊が落ちた。それは着地の衝撃で、弾け、分裂して舞い上がる。再び落ちて来た灼熱の雫は、一度防盾に乗っかり、縁からトロリと落ちた。
ナトラの身体越しにドスッと何かが激突する衝撃と、ジュゥゥッとステーキの失敗作のような匂いが香ってくる。
意識はあるのだろうか。何も言わず、叫んだりもしない。
代わりに、彼が奥歯を食いしばる音がギリギリと耳に届く。抱きしめる腕が強張る。
心なしか彼の身体自体が熱くなっている気がする。
「ナトラ! もういい! 私は大丈夫だから!」
届いているのかいないのか、彼の腕の力は一層強くなった。
そして予感があった。
足首の近くが火傷しそうなほど熱くなっていった。
熱さは天井知らずに高くなりそれが溶けた鉄だとすぐに分かった。このままだと触れてしまう。
咄嗟に脚を反対方向へ動かして避けようとした。
そこにも溶鉄があった。
ボチャンと浸かると、熱はアナスタシアの脚にへばりつく。
「ぎゃあああああッ!!? なあああああ!!」
とにかく、痛いという感覚以外頭から吹っ飛んだ。
激痛が両脚を包み皮膚を焼き、筋肉を焼き、ついには骨に達する。
脚のあらゆる場所が激痛を訴え続けると冷静でいられない。思わず、顔を覆っているナトラの胸部に食らいつき悶え暴れる。自らの意思とは関係なく痙攣する。全身の細胞が警告を鳴らす。彼がガッチリと押さえ付けてなければ、ものの数秒で岩陰から飛び出ていただろう。
アナスタシアは戦闘用魔導師として経験が浅い。だから知らなかった。痛みが、こんなにも頭の中に響くだなんて。
激痛に耐えかねた意識は、遥か遠くに飛んでいった。