グラディス Ⅱ
グラディスは、ナトラが騒動を起こしたと聞いて彼を呼び出していた。
会場から少し離れた場所に移動してほかのオヴリウスの面々も集める。半分くらいは先にキャンプに帰していたので、集まったのは仕事で残っていた代表団の中でも幹部級の面々だ。
そんな上司たちに囲まれた彼は、心底落ち込んだ表情で正座していた。
「すみませんでした」
「謝って済む問題かい。いいか、国別対抗戦ってのは建前上は平和目的だ。それを記者の前で騒ぎを起こすんじゃないよ」
持っていた杖でポカポカ叩く。
ナトラは黙ってされるがままだ。
「別に奴と戦いたいってのは良いよ? でもね、時と場所を選びな。いいかい? 私らは、ともすれば野蛮人と罵られたっておかしかないんだ。殺し合いスレスレだからね。それを規則と自制心で縛るからこそ、存在がギリギリ認められているんだ。現に……」
いい加減みんなウンザリしてきたのか、フィリップが間に割って入る。
「まあまあ本部長、どうやら突っかかって来たのはウォルフの方みたいですし…… 前衛は血の気が多いくらいがちょうど良いじゃありませんか。反省しているようだしこの辺で……」
「……そうだね」
「今晩はこの辺にしておきます」
そう言い残し、ナトラはトボトボと会場から離れていく。相当堪えたのだろう彼の背中が小さい。あの調子ではオヴリウスキャンプに辿り着くのはいつになるか分からないが、夜風に当たりながら考えてみるのも良いだろう。
「アーシェ、お前も帰るんだよ」
「あー…… 分かりました」
眠いのか、ダラシない顔したアナスタシアがダラダラ付いていった。あの騒動の後で良く落ち着いていられるものだと呆れる。というより、トラブルを起こすならアナスタシアの方で、まさかナトラが起こすとは思ってもみなかった。
しばらく歩いた二人は手頃な岩の上に腰掛け、グッタリと肩を落とした。今晩はもうトラブルを起こしたりしないだろう。
気持ちを切り替え、仕事モードに変わる。
「フィリップ、あとは何があったけね?」
「取材希望の雑誌社が二つ。それと……」
「ああ、皆さんお揃いで、ここにいましたか」
落ち着いた、演劇的な声が響いた。
「……ノルマンディー伯爵がお見えになっております」
タキシードを着たケイネスは不敵な笑みだった。
「これはこれは伯爵殿。あんたが来るとは思わなかったよ。一人かい?」
「ええ、陣中見舞いに来たのです」
「嬉しくもないね」
「これは手厳しい。ところで先程、トラブルがあったようですが…… 良くないですね。国別対抗戦は平和の祭典。やはり田舎者は礼儀を知らない」
「そうかい? 前衛はあれくらい血の気が多くないとやってけないんだかね」
フィリップが“俺の台詞ですよ”と胸を張っているのを感じた。
コホンと喉を鳴らしケイネスは続ける。
「やはり、あなたとは気が合いませんな」
「現場と官僚ってヤツはいつだって相容れないさ」
「しかし我々は一蓮托生、協力し合わねばなりません。本部長、実は私、分の悪い賭けが好きでして…… 今回の国別対抗戦、上手くいくことを望んでいるのです」
ケイネスは右手を差し出す。
嫌々であるが、拒否するわけにもいない。
「私だってそうさ」
ガッチリと握手をした。
それをほぼ同時に、会場の中心部がざわつき出した。
次の瞬間、真上から威圧感を微かに覚え、グラディスはバッと上を向いた。
「どうかなされましたか?」
「いやこれは……」
夜空には星が煌いていた。
今晩は天気がいいから、満天の星空なのだが、その中でもひときわ目立つ赤い星がある。しかしグラディスの記憶の中に、そんな星は存在しなかった。
「あんな星あったか? アンタレス?」
「バカ、アンタレスはもっと南」
そのうち、赤い星が徐々に大きくなり、ドォォンと腹に響く轟音と共に分裂すると灼熱の豪雨となって降り注いだ。一滴一滴の雫が列車のようなサイズのものを“雨”と呼べるかは疑問であるが。
会場中がパニックに変わった。「キャァァァ」だの「ウォアアア」だの悲鳴をあげて右往左往している。無理もない、半分以上が記者や会場スタッフ。戦いとは無縁の人たちだ。
一瞬ごとに威圧感は増す。長く魔導師をやっているグラディスでさえ感じたことのない巨大なものになっていた。
速度、威力、共に戦略級なのは間違いない。
落着するまであと数秒しか猶予はないだろう。
死の予感が脳裏をよぎる。
「逃げるよッ!」
嗄れた喉を振り絞りグラディスが声高に叫ぶと、団員は会場の中心部から遠ざかろう走り出す。
現役を引退した者たちばかりだが、活性化した彼らの動きはまさに疾風のようだ。
医師長や設備長の二人は足が遅いが、それでも手を引きながらでもなんとかなる。
問題は上手いこと雨を避けることができるかだったが、こればっかりは神頼みをするしかない。
グラディスも後れを取るわけにはいかない。老体に鞭打って走り出そうと、渾身の力を脚に込めた。
すると激痛が右腕全体を襲った。手が万力で掴まれているようにガッチリと動かない。衝撃で肩関節が外れてしまった。
原因はケイネスだ。
「本部長、いけません」
見た目はただの握手。だが振り払おうと腕を引っ張るが離れない。
握力の問題ではなく文字通り張り付いている。
目一杯の力で暴れるが微動だにしない。混乱の中で気がつかなった。明らかに魔導具を使っている。
「お前、まさか……」
この騒動の首謀者なのか?
「か弱い私を置いてくなど、許されませんな」
「本部長何を!」
「早くッ!」
すると異変を察知した団員たちが引き返してきた。こともあろうに全員である。
泣けてくる。
「皆さんも私に手を貸して下さい」
「いいから行きッ……」
グラディスの叫びも虚しく、灼熱の雨が彼らに降り落ちた。