ナトラ Ⅸ
乾杯から三時間が経過した。
ダイニングスペースにいた団員たちは十人ほどに減って、残っている者も大体は真っ赤顔をしてノビている。
彼らを羨みながらナトラはグビグビとジョッキ飲み干す。
「酔えねえ」
ナトラは酒に強い体質で、生まれてこのかた酔い潰れた経験がなかった。
顔色は変わらず、テンションが上がったりはせず、吐いたり倒れたりもしない。
酒の味自体は嫌いではないからあれば呑むが、なんだか損している気がしてならない。
「なんだぁ結構いけるクチか〜、ひょーしトコトンのむじょー」
ジャスパーは既に顔を真っ赤にしてグデングデン。焦点の合っていない瞳はグルグル回り、鼻の下がビロビロに伸び切っている。「トコトンのむじょー」は既に三回は聞いていた。
戦闘用魔導師なんて刹那的な生き方な連中ばかりなのだが、それにしてもこれは酷い。
彼のことを、残念そうな目でリーリスが見つめる。
「これだから宴会は嫌いなんですよねぇ」
呟くと、ジャスパーの両足首に枷を取り付ける、威圧感からして魔導具だ。枷は浮かび上がり、そのまま容赦なく引きずっていく。医療テントの方に運ぶのだろう。
ナトラは思わず、
「担架とかないの?」
「あるにはあるんですが、“酔っ払いには上等すぎる”と先生が……」
「さいですか、どうも」
ジャスパーの口に苦そうな草が入りこんでいるが、今の彼にはビールと区別がついてないのか、どことなく幸せそうである。さすがに、ああはなりたく。
「手伝おう」
ナトラはジョッキを置いて立ち上がろとすると、リーリスが手をパタパタ振って、
「大丈夫です。これもお仕事ですから」
ニコリと浮かべたあざとい笑みの中に、少し疲れが見えた。
やっぱり手伝おうと席を立つと、今度は怒ったようにムッと目つきが悪くなる。大人しくしておこう、彼女にもプライドがあるのだろう。
酔っ払いが居なくなり、自分もそろそろ休もうかと考えていると袖を掴まれる。アナスタシアが、ナトラの飲み残しのグラスを興味津々な視線で見つめていた。
さっきまで静かに頬杖をついて、何度かうつらうつらしていたから、とっくに寝ていたのかと思っていたから少し驚いた。
「お酒って美味しい?」
「何? 呑んだことない?」
「ない」
彼女のグラスはオレンジ色、酒ではないだろう。
年齢を聞いたわけではなかった。
天真爛漫な顔立ちにはあどけなさが残る。しかし、スラッと伸びた四肢やキュッと括れた腰つきからは、大人の香りが漂う。静かに大人しく微笑んでいれば、誰が見ても美少女で通るだろう。
「一口ちょーだい」
「どーしよっかなぁ?」
「いいじゃん減るもんじゃあるまいし」
「減るがな」
両手を合わせ、上目遣い、加えて甘い声で媚びるの心がグラつく。
大人と子供の中間点にいる彼女に、酒を舐めさせるのは正解なのだろうかと悩む。
ナトラが目を瞑って唸っていると、背後にはハンシェルがいた。
「お嬢にはまだ早いです」
「ええ、なんで!」
「何が何でもです…… 絶対に酒やら煙草やらは呑ませないでくだせい」
ハンシェルは強い眼光でナトラに迫った。
明らかに“まだ早い”以上の何かと、身の危険を感じたので、ナトラは「はい」と端的に答える。
ところがアナスタシアは納得できないのか駄々をこねる。
「良いじゃん、もう十六だし普通だろ」
「そうなんですか?」
オヴリウス帝国では、酒は煙草は十五歳から制限付きで解禁である。
だが、ハンシェルは変わらず強い口調で、
「ミドもヤらねぇでしょ」
「……あー、確かにそうだな」
それで一応納得したのか、途端にテーブルに突っ伏してブツブツ呟く。
不思議に思っていると、察したのかハンシェルが、
「お嬢はミドの大ファンなんです」
「へ〜、その割には全然戦い方違うな」
感覚派の近接手と理論派の射撃手では水と油である。普通仲が悪い。
「うるさい!」
酔いが覚めそうなくらいの怒声であった。酔ってないが。
いくら何でも不機嫌すぎる。知らぬ間に彼女の癪に障ったのだろうか。
それでも、ハンシェルのお願いを無下にする理由にはならない。
「わかりました。アナスタシアが酒瓶持ってたらブン殴ります」
「お願いしやす」
殴るのは良いのか。
ブスッとテーブルに突っ伏したアナスタシアは突然、
「“アーシェ”」
「は?」
「“アナスタシア”って呼ばれ方イヤなんだよ。“アーシェ”って呼んでくれていい」
「分かったよ、アーシェ。だから機嫌を直していただきたい」
そう言うと、彼女は「でへへ」と品のない笑みでオレンジジュースに口をつけた。