ナトラ Ⅶ
ナトラはまだ焦っていなかった。
ミドの姿を見失ってからも波状攻撃が止むことはなく、常に十発前後の鋼玉がナトラを襲う。
鋼玉は特異な軌道を描き、足元の草葉や物陰を目隠しにして回り込んで全方位から襲って来る。一度避けた鋼玉が折り返して再び襲ったり、逆にすぐ近くまできた鋼玉が周回を続けて結局襲ってこなかったりと、意識を離すと何をしでかすのか予測がつかない。
それを刀と鞘の二本で撃ち落とし続けるのは技量よりも集中力を要求されたが、鋼玉から発する高音が聴神経を削っていくのが地味にシンドい。
侮っていたつもりはなかったが、いくらなんでも長く持たない。このまま後手に回るの訳にはいかなかった。
何はともあれ彼女を探すため、そして一ヶ所に留まることを避けるため、攻撃を捌きながらなんとか足を動かす。
魔力には独特の威圧感がある。これを頼りに魔導師の行動を推測するのが普通だが、今は周囲を取り巻く鋼玉の威圧感が邪魔でそれができない。
場所を変え、姿勢を整え、鋼玉の群れを処理しつつ眼球を動かし辺りを伺う。どうやら木箱の山の裏から撃たれているようだ。
罠かもしれない。
一か八かの勝負。意を決して走り、飛び込む。
案の定、人の気配はなかった。
鋼玉は別の所から撃ち迂回させたのち、コンテナから現れるようにしてあったのだ。
マズいと思った次の瞬間、四方八方から合わせて二十発ほどの鋼玉がナトラを襲った。
「呆れた」
増えてやがる。
刀と鞘では全て捌くのは不可能だ。
咄嗟に、先程受け取ったばかりのライターに意識を集中、細かい制御なんかできる訳もないが、とにかく魔力を流し込んで展開させた。
すると赤色の半透明の円盤が背中の後ろに現れ、ガリガリと嫌な音を出しながら鋼玉を遮った。ヒビが何本も走って、あと一発も耐えられなかっただろう。
初めて起動させる魔道具は普通、慣らしておかないとまともな制御ができないものだが、相性が良いのか、あるいは運が良いのか。いずれにせよ、もう一度同じことをやれと言われてもできないだろう。
冷や汗が滲ませたナトラは、完全に手玉に取られているなぁと自嘲した。
「厳しい」
それでも、不思議とネガティブな感情はなかった。元より実績のある相手、これくらいの苦戦は当然だ。まだ負けたわけじゃないし、逆利用するくらいの気概でなければこの先を戦い抜けないだろうからだ。
むしろ、こういった駆け引きのある戦いはナトラの土俵でもある。ミドを仕留める算段を考える。
次も軌道を見せて釣り出すなら、本人は反対方向の安全そうなところに身を隠すだろう。
攻撃を撃ち落としながら首を回して周囲の観察をし、鋼玉の軌道をできる限り遡る
すると案の定、鋼玉が飛び出されない空白のスペースを見つけた。
テントとテントの合間の小さな場所だ。
「罠か」
ナトラは“気づいたぞ”と誇示するため、身体の向きを変えて正面に捉える。
それでもやはり、“そこ”から鋼玉は撃ち出されない。
一秒。
二秒。
三秒。
時間が経過すると、今度は同じように打ち出されない空白の場所がひとつふたつと増えていく。
そして、最初に見つけた場所からは鋼玉が飛び出してくる。
一連の流れに違和感を覚えたナトラは、これは罠ではなく、ミドの魔道具の都合で仕方なく起こっているのだろう、と推察した。
「射程か、とすると……」
推進系魔道具はどうしても飛距離に限界がある。
大きく迂回させて障害物を避ける軌道は直線距離の何倍も長くなる。だとしたら、手の届かない場所がどうしてもできてしまうのだろう。
逆に言えば、より複雑な軌道を描く鋼玉の出所に、彼女はいるだろう。
もちろん罠の可能性が消えたわけではないが、このままではこちらが先に集中が切れる。グズグズやるのは分が悪い。
腹をくくり、一瞬で納刀すると、小型蒸気機関の裏に目掛けて全速力。
裏に回ると、木箱に手を添えたミドの姿があった。
彼女まで五十メートルを切った。ナトラの間合いまであとほんの少しだけだ。
「捉えた」
「お互い様」
そう呟いた彼女が〈玉撞き遊び〉で木箱をノックするとポォッと光り、猛烈な勢いで突っ込んできた。
「うわ、何でも飛ばせるのかッ」
「もちろん」
しかしこれは好都合だった。
ナトラは〈座鯨切〉を起動しながら抜刀した。
一瞬のうちに、薄荷色に光る刀身が露わになる。
鋒が鞘から離れると異変は起こる。七十センチほどの刀身が、スーッと滑らかに伸びだしたのだ。
〈座鯨切〉の理念は、“伸びる居合刀”。
抜刀の際の一瞬だけ刃長を伸ばすことができ、斬れ味も向上する。斬速に比例して威力が上がり、ナトラの技量では最長四十メートル程度まで伸ばすことが可能だ。
その理念上、魔導師なら誰でも使えるという勝手の良い魔道具ではないが、魔力の消費量は少ないのが特徴だ。
斬撃は木箱を左右に両断したが、鋒はミドの鼻先スレスレを掠め、惜しくも触れることは叶わなかった。あるいはあらかじめ数歩下がっていたのか。
これで決まってほしかったが、そう簡単にはいかない。
木箱は断面から石炭が漏れるとバランスが崩れ、ボロボロと崩壊した。残骸が勢いそのままに降りかかる。
木片と石炭のゴツゴツとした感触が皮膚を撫でるたびに振り払いたくなるが、ここでミドを仕留めなくてはまた逃げられるだろう。覚悟を決めて再び納刀した。
対してミドもここが勝負所と判断したようで、さらに一歩下がりながら、木片と石炭の合間を縫って鋼玉を撃つ。
ナトラは三歩踏み込んで再び抜刀する。
伸びる刀身は鋼玉より早くミドを襲った。
「〈潔癖証明書〉ッ」
起動した白濁色の防盾が彼女の全面に展開するが、〈座鯨切〉の一振りは、それを真っ二つにした上で彼女の右肩を切り裂き骨に達する。
一呼吸遅れてから、鋼玉がナトラの腕や脚を掠めた。
「終了ー」
いつの間にか蒸気機関の上に居たフィリップが、カンカンとフライパンが鳴らすと、団員たちが歓喜と落胆の混じった声をあげる。
ホッとして〈座鯨切〉を納刀するとフィリップが、
「ミドの勝ち」
「はッ?! 何で?」
「いやはや、木片、身体に当たってたよ」
確かに破片を受ける時に、鋭い痛みを何度も感じていた。
“やっちまった”と内心では感じつつ、ナトラは一応反論する。
「あの段階では、木箱は自分が破壊しましたから、“ミドさんの攻撃”にはならないのでは?」
歩み寄ってきたミドは、左手の人差し指を伸ばしてナトラの額を突く。
「ここ」
「おぅ」
キュッとした痛みが走る。
彼女の指先には血が付いていた。
自分でも額に触れると、確かに試合前にはなかった小さな小さな傷がある。
「まだ何かあるかな?」
「……自分の負けです」
証拠を見せられ、審判役に断言されると受け入れるしかない。ルール無用の殺し合いではなく、ルールあっての勝負事だ。
重い溜息をついた。
「正直、ここまでできるとは思っていませんでした。素晴らしい手捌きです。でも自分が有利になると我慢しきれませんでしたね。仕切り直しても良かったのに」
ミドは子供を慰めるようにナトラの頭を撫でる。団員たちの好奇の視線が突き刺さるから、ナトラの耳が紅くなった。
「あの、勘弁していただきたい」
「いえいえ、こういうのは勝者の特権ですから、存分に恥ずかしがってください」
「……そいつはどうも」
これも修行だと諦め、憮然とした表情で心を強く持ち、ナトラは恥ずかしさに耐えた。
ミド・アンティーナ・クドリャフカ。戦闘員兼後衛コーチである。