ミド Ⅰ
物資の出し入れがしやすいように、〈大いなる卵胞〉の正面から反対側までは、障害物がなく一直線に均されている。真紅のユニホームに着替えたミドはその端に立っていた。
ミドが手に持った〈玉撞き遊び〉はビリヤードのスティックである。長さ一メートルほどのこれを地面につけ、杖のように凭れかかっていた。
腰にはゴツいベルトがあり、そこには長細い革袋が四つもぶら下がっていた。これがまた重くて重くて、ミドはその場にしゃがみ込んでしまいたくなるのをなんとか堪える。
反対側に対峙するナトラは、腰のホルスターに差した刀に左手を添え、柄に右手を置いていた。いつでも抜刀できそうだ。
彼の体格は百八十センチ弱だろう、前衛としては小柄な部類だが、引き締まった体幹が服の上からでも見て取れた。しょっちゅう立ち眩みを起こすミドにとっては羨ましい限りだ。
そんな分析をしていると団員たちが面白がって騒ぎを起こし始める。どうやら賭け事をしているようで、大声で囃し立て、お札がバサバサ飛び交っている。
それだけでミドの聴神経はジンジンと反響した。
ナトラが大きな声を出して、
「本当にここで良いんですか?!」
これもまた耳を痛くした。
「いいです」
消え入りそうな声だったせいか、彼は首を傾げた。
側にいたアナスタシアが見かねてが、代わりに声を出す。
「ここでいいってッ!」
耳がキーンとした。早く終わらせて静かな場所で雑誌を読みたい。
「それじゃあヨーイ……」
カーンッとフライパンが鳴った。
今回のルールは簡単。二人が互いに攻撃し合って、先に“当てた”方の勝ちだ。
同時に彼は駆け出しこちらミドに迫る。とにかく距離を潰したいのだろう。
「素直ね」
〈玉撞き遊び〉を起動して、腰の革袋のひとつに手を差し込むと、中身がジャラリと溢れる。
直径一センチの鋼の玉だ。
ただ、地面に落ちることなく浮遊し、薄黄色に光りながらミドの周囲を取り巻いた。
「まずは様子見ということで」
〈玉撞き遊び〉は推進系、つまり物体に運動エネルギーを与えて操るができる。鋼玉の一個をナトラの顔面目掛けて一直線に飛ばす。
彼は頭を横に倒して、余裕を持って見送る。
目は良いようだ。身体も正確に動いている。
「次」
鋼玉四個をほぼ同時に飛ばす。
彼は抜刀して、ふた振りで全て斬り落とす。
「ほぉー」
鋭い剣さばきに感心してため息が出た。重い身体を動かす甲斐があるというものだ。
小さな玉を正確に払うのは技術が必要で、簡単にできる者はそう多くはない。
しかし撃ち落とされた鋼玉からは、キィィンと耳の劈く高音が響いた。〈玉撞き遊び〉の能力である。
ナトラの表情筋はレモン果汁をぶっかけられたように苦悶で歪むが、身体の動きは滞りない。
そして一瞬で納刀すると再び駆け出し、ミドに迫る。
いちいち納めるのは発動条件に関係しているのだろうと察した。できるだけ抜いたままにしておきたい。
残り五十メートルを切った。
「さて」
生白かったミドの顔色に朱色が見えてきた。
鋼玉を十二個同時に飛ばす。問題は数ではなく、軌道が曲がるところにある。
ひとつひとつの鋼の玉がカクッカクッと鋭角的に曲がりながら、ナトラを襲った。
〈玉撞き遊び〉の特徴は軌道の制御が可能という点だ。射出する前に“ここで曲がれ”と命令を念じ、それに合わせて物体が動く。かなり細い制御が可能だが、その分難易度が高く、本来命中率五割程度で達人と称されるくらいだ。
ただし、ミドの命中率は八割を超える。
理由は明快、彼女が魔女であるからだ。
女性の中には数万人にひとりの割合で、自身を活性化すると魔導具のような特異能力を発動できる者がいる。その数少ない者を魔女と呼ぶ。
ミドの“響測”は、周囲に響く音を頼りに空間把握を行う能力だ。音源から聴神経に届くまでの音の経路が、彼女の脳内で立体的に構築される。音質によって精度は変わるが、当然〈玉撞き遊び〉の放つ音は、耳まで届きやすいように調整されていて、〈大いなる卵胞〉全体を把握するくらいわけがない。
刀一本では手に余ると判断したのだろう、足を止めたナトラの左手がホルスターから鞘を引き抜く。刀と鞘を同時に操り、襲い来る鋼玉を次々に捌く、捌く。
「あーッ、やっぱ二刀流ジャンッ!?」
誰かの歓声があがった。
正面から、横から、真後ろに回り込んだ鋼玉さえも、見誤ることなく払い落とし、手が回らないモノは身体を捻り、躱す。
あまりの流麗さに鳥肌が立つくらいだ。
「やっかいな」
これでまだ防盾系を使っていないのだからたいしたものだと、面倒になってきた。簡単に仕留められる相手ではない。うまくハメる必要がある。
ミドは踵を返すと、ゆったりとした足取りでその場を離れ団員たちの中に向かう。
「あッ、ちょ、まッ……」
追い掛けようとするナトラの足元や顔目掛けて鋼玉を撃ち込むと、彼はグッと踏ん張って鋼玉を捌かねばならず足が止まる。
ミドは悠々と人波に紛れ込んだ。