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出来損ないの恋物語

出来損ないは恋を知る

作者: 霜月 せつ

前作の『出来損ないは愛を知る』を読まれていないと分かりにくい内容なので、読んでおくことをお勧めします。

この世界の人は二つに分かれている。

できる人とできない人。


私はきっと後者。


できる妹の背中に隠れてせっせと努力するだけで、才能が無いくせに皆に認めてもらいたいと足掻いている落ちこぼれ。

妹の栄光を羨ましそうに見つめる、出来損ない。


妹は私には無いものを常に持っている。

彼氏、学力、友人、信頼、親からの期待。


三歳年下の妹が、私は羨ましくてたまらない。

私の努力を嘲笑うように私を越えていく彼女を見ていると悔しくてたまらない。

もっと頑張りなさい、と成績表を親から突き返される時、虚しくて仕方がない。


でも、やっぱりそれ以上に、


実の妹にそんなドロドロした汚い劣等感を抱いている自分が一番嫌いだ。







静かな図書館に、清々しい風が吹いた。あぁ、もうすぐ夏が来る、なんてらしくない感想が頭に浮かぶ。


少し乱れた髪を整えながら、またシャーペンを握った。


季節は初夏。そこら辺のJK風に言えば恋の季節。私から言わせれば学力テストの季節である。


テストまで一週間はきった。そろそろラストスパートに入る時期だ参考書を捲りながら、何回も確認した問題を解き直す。


今回は負けない。絶対に一位になってやる。


憎たらしい一位の奴を思い出せば、ピタリと問題を解く手を止めた。


小中高一貫の一流進学校である我が学校でずっと首位を守り抜いてきた鬼才、(みや)翔也(しょうや)


彼は学力偏差値だけでなく、顔面偏差値も有り得ないほど高い。彼の美しさに心酔するファンクラブたるものが存在するほどだ。

ファンクラブの会員は200人を越える。女から男まで。しかもその人数が、高等部のみの数なんだから本当に恐ろしい男だと思う。


宮はイケメンで、頭がよく、サッカー部のエースでもある……が、彼は天才ではない。

いや……語弊があるか。

彼は天才だが、努力をする。自分の才能に満足していない。

少なくとも私はそう思う。


正直、才能のある人は自分の能力に酔っていて欲しい。その間に抜かしてしまうから。


しかし、こうやってなんとか学年二位をキープし続けてきた私には越えられない壁が二つある。一つは宮翔也。もう一つは、私の妹。


妹の名前は本条(ほんじょう)空良(そら)。色素の薄い柔らかい髪に、くりっとした大きな瞳が特徴的な可愛らしい女の子である。


彼女はすごい。

勉強なんかしなくてもテストは満点だし、一度見たものは忘れない。数字も、英単語も、重要用語も、なんでもだ。授業を受けただけで出来てしまうし、課題なんか秒で終わる。


宮翔也も中々だが、うちの妹も元々の能力が高い。


しかもポテンシャルが高いのが勉強面だけでない。そこら辺のアイドルより可愛いし、世渡りも上手い。自分をどう見せたら可愛いのか、どう言ったら相手が喜ぶのか、そういうことを彼女はよく知っている。

私のとても苦手なことだ。こんなのだから友人ができないのだろうけど。


妹と自分の差を感じてがっくりと肩を落とした。ぐしゃぐしゃになった文字の羅列を見て、ため息をつく。


私だって勉強がしたいわけじゃない。こんなののどこが楽しいんだろう、いつ役に立つんだろうって皆と同じように思った時期もあった。

けど、期待されているから。親から頑張れって言われたから、やらなくちゃって思うのは間違っているだろうか。


大学は決めているし、親が医者だから私も必然的に医者になると思っている。

医者になりたいのかと言われたら、正直分からない。勉強をするのも、医者になるのも全部自分が決めたことだ。だけど、その裏には常に親からの期待に答えなければならないという義務感が付きまとっている。


これで良かったのだろうか。私は幸せになれるのだろうか。


「あー、駄目だ。頭痛くなってきた」


こういうのは底無し沼みたいに考えたらキリがない。勉強の詰め込みすぎでストレスが溜まってる。


痛くなった頭を振って思考を切り替えた。


半年に何回かこんな風に考え込んでしまう時がある。

すべてを投げ出してどこかへ逃げたくなってくる。誰もいないところで静かに休みたいと思う。黒い沼に落ちていくみたいに考えたら止まらない。すべて楽な方に逃げて生きたい。


やはり、学力テストでプレッシャーがかかっているのだろうか。知らないうちに抱え込んでいるのかもしれない。


抱え込んだものを吐き出す余裕もないけど。


自嘲気味に笑って机にうつ伏せになった。

なんか、怠い。頭も痛いし、なにもしたくない。風邪ひいたかも。


うとうと微睡んでいると、肩を優しく叩かれた。何事かと振り替えれば、そこには黒髪のイケメン━━━宮翔也が立っていた。


え、なんでいるの?


「ごめん、寝てた? ……そんな嫌そうな顔をしなくても」

「部活は?」

「今日は休みだよ。図書館に行ったら本条さんがいるかなと思って」


ほんの少し口角を上げながら宮が微笑む。相変わらず憎らしいほど端正な顔には舌打ちをしたくなる。それでなくても今、私の虫の居所はすこぶる悪い。

私は構わずじろりと睨んだ。


「帰りなよ」


少しきつくそう言えば、宮は黒い輝く瞳を溢れんばかりに見開いた。


「珍しい。機嫌が悪いんだ。寝不足?」


うっすら笑いながら宮は無遠慮に私の隣に腰掛け、肘を付いて私を覗き込んできた。ぐっと体を仰け反らせるが、それでも尚距離を詰めてくる。


全く、なんなんだ。

先日といい、今日といい、暫く会わないと思った矢先にこれだ。私はもうお前との出会いの日を一瞬たりとも思い出したくないというのに。


親しい友人風に喋っているが、私が彼と話したのはこれで2度目である。信じられない話だが、当の本人である私の方が信じられない気持ちだ。


彼と初めて話したのもここ(図書館)だった。確か、前回の学力テストの結果が返却された数日後だった気がする。違ったかな。忘れたが、もはやどうでもいい。


驚くべきことは、私が何故か()()宮翔也に膝枕をしてもらっていたことだ。嘘じゃない。本当なんだ。寝惚けていたわけではない。ふと起きたら薄暗くなった空と、図書館の照明と、宮が真剣に本を読んでいる光景が目に入った。

泡を吹いて倒れるかと思った。本気で。


その日の授業が眠くて堪らなかったことは覚えている。うっつらうっつらと舟を漕いでいた記憶もなんとかあるが、膝枕をされるという経緯に至るまではどうしても思い出せなかった。

畏れ慄いた私の優秀な脳内が記憶を抹消したのだと思う。断じて眠たくて正気を失っていたわけではないはずだ。……多分。


断言出来ないことに内心歯軋りをしながら私は光の速さで宮の膝から飛び退いた。当たり前だ。こんなところを宮のファンクラブ会員たちに見られてしまっては私の人生はお陀仏になりかねない。


飛び起きた私に驚くことなく宮は(無表情にしては珍しく)優し気ににっこり微笑んだ。爆睡していた自分にも、普段無口無表情で冷酷な印象を持つ宮が私に膝を貸していたことにも、私は驚きと恐ろしさを感じてその日は逃げるように図書館を後にした。


その日から私と彼は一言たりとも喋っていない。一応同じクラスだがあんな人目の多い場所で話そうとも思わないし、宮も話し掛けようとはしなかった。


あれは一時の悪い夢だったと忘れかけていたのに油断していたかもしれない。


「でもびっくりしたよ。まさか図書館にいたなんて。本条さんはあの日のこと怒ってるかと思った」

「怒ってるよ」


私は宮の言葉に瞬時にぴくりと方眉を上げ、間髪いれず答えた。

しかし、宮はそんな私の態度には目もくれず、うっすら微笑んだままだった。


「そうなの? あの日と同じ場所に座ってたからてっきり気に入ったのかと」


気に入った? わたしが? 貴方の膝枕を?


「寝不足ならまたしてあげようか?」


虫の居所が悪い私はすぐにカチンッときてカダリと席を立った。


「遠慮します」

「ごめん、待って」


さっさと帰ろうとした私の鞄を宮が思い切り引っ張るものだからぐらりと体が傾く。なんとか後ろ足で留まってギロリと睨んだ。


「なに?」

「もう少し話そう?」

「いやです。体調が悪いから帰る」


さっきから頭がガンガンとして重たい。さっきよりひどくなってるし、宮からの精神攻撃も受けて私は瀕死寸前だ。今日はゆっくり休もう。色々疲れているんだ。


ため息をつきながら頭を押さえると宮は焦ったように私の背中を擦った。


「大丈夫? 気持ち悪い?」

「うん、大丈夫だから」


あまり背中を擦られると吐きそうな気がしたのでやんわりと払い除ける。宮は苦しそうに顔を歪めた。

拒絶したと勘違いされた……?いや、そんなことを配慮できるほど私には余裕がない。早く帰って寝なければ明日の授業に支障が出る。


「ごめん、もう帰るね」


覚束ない足で出口へ向かうが頭が痛い。気持ち悪い。

後ろから慌てたような足音が聞こえる。


「大丈夫? 送っていこうか?」

「うん、大丈夫」

「鞄持った方がいい?」

「自分で持てるよ」


なんとか靴箱までたどり着き、今日は車を呼ぼうかと携帯を取り出すが、家に電話をするのは癪でまたしまい込んだ。

まぁ、電話をしても迎えにくるのはお手伝いさんだが。


家の力に頼るのは好きじゃない。妹はそんなことも構わず車通学だけど。

電車は臭くて嫌いらしい。私にはよく分からないけど妹は犬並みに鼻がいいんだと思う。そんなに臭いなら香水を染み込ませたハンカチでも口に当てていればいいんだ……。


変な方向に働きだした頭をそのままに駅に向かって歩き出す。


「送るよ」


着いてこようとした宮を掌で静止した。

鞄を肩にかけ直して、安心させるようににっこりと微笑んだ。


「大丈夫。自分で出来るから」


こんなところをファンクラブに見られたら大変だという危機感と、彼にそこまでしてもらうのは申し訳ないという罪悪感がぼんやりした頭の片隅に残っていた。


宮はひどく悲しそうな顔をして私の肩に掛けようとしていた手を下ろした━━気がしたがよく覚えていない。

家に帰りたい一心で足を動かした。駅までの道のりも電車の中のことでさえ今はもう思い出せない。


薬を飲み、冷たいベッドに一人で眠る。一階からは妹の楽しそうな声が聞こえてきた。どうかこの声が、母や父と談笑しているものではないことを切実に祈る。


一人の布団の中でも、最後に宮が呟いた言葉だけがやけに脳内で反響する。いや、それすらも気のせいだったのかもしれない。



『なんで、頼ってくれないの━━……』



深い微睡みに堕ちていった。







次の日の朝は比較的頭がすっきりしていたので学校に行くことができた。恐らく、薬が効いたのだろう。滅多に風邪を引かないので少しの薬でもすぐに効く。有難い。


ただ、私は昨日の自分を思い出し、頭を抱えたくなった。気分が悪くて正常に判断が出来なかったとしてもあれは流石に宮に失礼だった。

人の好意を踏みにじるようなことをしてしまったのだ。


そう思えば思うほど罪悪感が膨らんだ。

宮に謝りたいと思うのだが、昨日話したのが2度目である。次はいつ二人きりになれるか分からない。

人前であの宮翔也に話しかける勇気もない。


はぁ、とため息をついて宮と二人きりになれる状況を登校中の電車の中で考えるが、良い案は全く浮かばなかった。


もやもやしながら授業を受けているとまただんだんと気分が悪くなってきた。

薬が切れたのか、体調が悪いのに電車に揺られたのが悪かったのか、分からないが明らかに悪化していた。


あ、やばい。手が震える。

苦しくて目の前が涙で霞んだ。


今日は学校のなんたらで午前の授業で終わりだ。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら息を整える。

あぁ、熱が上がった気がする。





「気をつけて帰れよ」


先生の言葉を合図にざわざわと教室が騒がしくなる。

体の力を抜けばどっと疲れが押し寄せてきた。

やっと帰れる……。


今までこれほど家を恋しく思ったことはない。正確に言えば家にある自分のベッドが恋しいのだが。まぁ、いいだろう。家に帰りたいのは良い傾向だ。


部活やら委員会やらで教室は人が居なくなっていく。気分の悪さから、宮に謝ろうとしていたことも忘れ、図書館に行く気力も無かった。

自分の机に伏して頭の痛さを軽減させる。


これなら、ちょっとはマシだ。


電車に揺られるのが億劫でちょっとだけ休もうと目を閉じた瞬間、誰かの手が私の頭をさらりと撫でた。目を開けるのも面倒くさくて眉だけぐっと寄せた。


「こんなところで寝たら風邪引くよ」


声に聞き覚えがあってゆっくり重たい瞼を持ち上げる。


「……みや………しょうや」

「うん? フルネーム? あ、寝ちゃ駄目だよ。昨日は送らなかったけど、今日は流石に送るよ」

「……いぃ……」

「え?」


口が乾いて上手く声が出なかった。『いい』と言うつもりだったが、宮には届かず、彼は聞き返して首を傾げた。


もう一度言おうとしたが、止めた。

私は今朝、宮の好意を無駄にしたことを謝ろうと思ってたんだ。あんなに気遣ってくれたのに感じ悪かったと後悔したのだ。

なら、今回は好意に甘えるのが筋と言うものか……。ファンクラブに聞かれたら首を絞められそうな話だ。うぅ、想像したら寒気が。


宮が未だに不思議そうにこちらを見ている。

怠い体を無理やり起こして、ふらりと頭を上げた。キツくて凄い顔をしてるから顔は見てほしくないんだけどお願いはちゃんとしなきゃ。


「じゃあ、よろしくお願いします」

「うん、任せて。車呼ぼうか?」


私は緩く首を振った。

車も電車も今の私にしたら変わらない。


「駅まででいい」

「いや、家まで送る」


正直、妹のいる家には来て欲しくない。一緒にいるところを見られたらなんと言われるか。

ふとそんなことを思ったが、私の今の思考回路は幼稚園児である。一人で帰る寂しさと妹に何か言われることを天秤にかければ傾くのは明らかに寂しいという感情の方だった。


宮が私の鞄を持って隣を歩く。

不思議で有り得ない光景なのに、どことなく心地良かった。私も彼もなにも話さない。私の気分が悪いから当たり前なんだけど、嫌な沈黙では無かった。


電車に乗ってからも無言だったが、途中からは宮が居たとか関係なくなるほど酔った。

最悪だ……。気持ち悪い。


「本条さん? 大丈夫? 顔色悪いよ」


ここで初めて宮は口を開いた。

私は顔をしかめて唸る。


「気持ち悪い……」

「横になる?」

「……ん」


うんとも言えず、頷くこともせず、宮に肩を抱かれて素直に体を傾けた。

やっぱり硬い彼の太腿はお世辞にも寝心地がいいとは言えない。ふかふかの柔らかい女の子の方がいいに決まっている。


なんか違うなぁ……と思いながらも今さら起き上がる気力もない。大人しく横になって目を瞑れば幾分かマシになった気がした。


宮の手が私の髪を撫でるように梳く。どこか懐かしくて、泣きそうになった。

前にもこんなことをされただろうか。


「……宮」

「なに?」

「なんで、私に良くしてくれるの」


頭を撫でていた手がピタリと止まった。

ぼーっとした頭ではよく考えられない。ただ、あの冷たくて、端麗で、色んな意味で雲の上の人が自分と関わっていることが純粋に疑問だった。


再び手が髪を梳く。


「なんでだと思う?」

「なんだろうね……。私の夢かもね」


うん、そっちの方が信憑性がある。


「そんなわけないよ。失礼だな」

「そうなの? 私はまだ不思議でたまらないんだけど」


ふふっと笑えば頭が揺れてまた気持ち悪くなる。思わず顔をしかめていると、肩を引っ張られて仰向けにされる。腰が捻れて痛いし、頭がぐわんってした。

不機嫌さと気持ち悪さから涙目で睨むと綺麗な瞳と目があった。


「不思議じゃない。必然だ」

「……頭、痛い」

「よく聞いて。俺はどうでもいい奴にこんなことしない」


宮の見たことない気迫に開きかけた口を閉じる。


「咲良、俺は君が好きなんだ」


よく、分からない。


咲良と呼ばれたのは何年かぶりで、反応が数秒遅れる。咲良ってわたし? それとも違う誰か?


黙って顔をしかめた私に宮は焦れたように私の頬を両手で掴む。


「君、君が好きなの」


ああ、咲良ってやっぱり私だったのか。

いやいや、やっぱりもクソもあるか。なんの冗談だ。

学校一のイケメン男子が私みたいな冴えない女子に告白しているシチュエーションを考えるだけで笑える。

宮は、優しくて格好いい奴だと思っていたが案外性格の悪いところもあるようだ。それともこれすら夢だとか? 参ったな、どれだけ疲れているんだ私は。


「冗談、きついよ」


自嘲をすれば、宮は大きなため息をつく。


「冗談じゃ……。いや、うん。まぁいいや。あ、着いたよ。この駅でしょ?」


重たい体を起こして駅の名前を見る。ここだ。


「ありがとう。あとは帰れるよ。家近いし」

「送るって言ったでしょ」


鞄を取ろうと宮の方へ手を伸ばしたのだが、腕は空を切り、結局フラついて宮に支えてもらう体勢になってしまった。


「……ごめん、ありがと」


何から何まで申し訳なく、謝罪と共にお礼を言えば宮は幸せそうに微笑んだ__気がするけどガンガンとする頭ではよく分からない。


「いつもそのくらい素直だったら楽なのに」

「何か言った?」

「なんでも」


ぼそりと何か失礼なことを呟かれた気がして強く問うが宮はさらりと流して大きめの家を指差した。


「あれでしょ? 本条さんの家。やっぱ大きいな」

「普通だよ……。あれ、私、家の案内したっけ?」


ここから駅まで宮は迷わず家までたどり着いた。いくら近いと言っても10分はかかるから案内しないと分からないはずなのだが……。

無意識のうちにしていたのだろうか。


宮は質問に答えず、私の肩を抱き直した。


「もう、家目の前だからいいよ」

「遠慮しないで」

「いや、遠慮なんて……。あ、うん。感謝はしてるよ。じゃなくて、家族に見られたらさすがに……」


家族に見られたらやばい。特に妹。


妹の空良は宮のことが大好きだ。この前ついにファンクラブに入ったとか。あの制裁が残酷で有名なファンクラブ会長も絆して相当気に入られているらしい。

……さすがだなと思う。世渡りの上手い妹のことだ。色々して会長の懐に潜り込んだんだろう。

学校内であの会長がバックにいるのは強い。


「宮__」

「あれ? お姉ちゃん?」


宮を引き剥がそうともがいていると、()()()()声が聞こえた。体が急激に冷えていく感覚がした。

抵抗する力が抜けたと同時に再び宮が強く肩を抱き込む。今、この状況で誤解を招くことをした宮の腹に一発めり込ませてやりたかったがそんな元気はない。


恐る恐る声のするほうを見れば、シンプルにポニーテールをし、可愛らしく首を傾げる妹がいた。まだ制服姿ということから、今家に帰って来たのだと分かる。空良の後ろには黒い高級車が止まっていた。

今日も変わらず車で下校だったらしい。


今までで1番気分が悪くなった。


さらに顔色を悪くする私を見て、妹ははっと顔を強ばらせる。そして焦りを多分に含んだ表情を浮かべ、真っ直ぐ私の方へ駆け寄ってきた。

あぁ、やっぱり彼女は凄い。


「お姉ちゃん!? どうしたの!? ちょ、顔色悪いよ? 気分が悪いの? お姉ちゃん?」


畳み掛けるように空良の口から私を心配するまやかしの言葉が飛び出る。

私が呆然としている間に空良の瞳が私の隣にいた宮に向けられる。妹の目が見開かれた。

まるで、今、彼の存在を知ったという風に。


「え、あ、翔也、さん?」

「翔也?」


いきなり名前で呼ばれた宮は無表情ながらも少し不機嫌さを滲み出し、聞き返すと、利口な妹は慌てて胸の前で手を振った。


「ご、ごめんなさい。友達がそう呼んでいたからつい……。ダメでした?」


空良が可愛らしく上目遣いをして宮のご機嫌を窺う。宮は特に反応を示さず、淡々と口を開いた。


「好きにしたらいいよ」

「あ、ありがとございます!」


ぱぁっと妹の顔が明るくなる。

チクリと胸の奥が痛んだ気がした。


「お姉ちゃんは……」

「風邪らしくて気分が悪いみたい」


宮と会話でき、浮かれたように空良がはしゃぐ。


「そうなんですか……お姉ちゃん大丈夫?」

「……うん」

「顔色が悪い……。後で部屋に薬運ぶから。歩ける?」


私は黙って頷いた。

空良がほっとしたように胸を撫で下ろす。その動作一つ一つが嘘っぽく感じてしまうのは私の心が荒んでいるからだろうか。


「ここまで姉を送って下さりありがとうございます。お礼をしたいのですが……。今とかお時間あります?」

「大丈夫だよ」

「良かった! あ、どうぞ入ってください」


空良が上機嫌で玄関を開ける。

私が一人で部屋へ戻ろうとすれば腕を引かれた。


「階段とか、危ないでしょ。部屋は二階?」


私は思わず瞠目してしまった。

部屋まで来るの? 待って、掃除してない。


「え、部屋まで……ですか。さすがにそれは……」


空良が焦ったように声を上げた。


「別に俺なら構わないよね?」


なんだ、その誤解を招くような言い方は。

私は人生で自分の部屋に一度たりとも男を入れたことはないし、彼氏でも入れる予定はない。


宮の言葉に大きく反応したのは私ではなく空良だった。

一瞬表情が無くなり、忌々しげに私を睨んだ。本当に一瞬で、長年付き合ってきた姉である私だからこそ気付けたことである。

瞬きをすれば優しげな顔に戻っているが、明らかにさっきよりも機嫌が悪い。


「翔也さんはお姉ちゃんと付き合っているんですか?」

「いや?」

「そうですか。なら女子の部屋に入るのは止めた方がいいですよ。ね? お姉ちゃんも一人で戻れるでしょう?」


宮から私を引き剥がして、くるりと私の方を向いた。妹に向けられた視線にゾワリとする。

空良は全く笑ってなく、憎悪を滲ませた瞳で私を睨め付けていた。


これは後で何か言われるな……。


直感でそう感じて二人から逃げるように部屋へ戻った。宮の声が聞こえた気がしたけどついてきたりはしなかった。恐らく空良が上手く丸め込んだのだろう。

妹はそういうのに長けているから。


「お姉ちゃん本当に気分が悪そうで……。ありがとうございます。翔也さんがいてくれて助かりました」

「君はえっと、そら、だったかな?」

「私のこと知ってるんですか! ふふ、嬉しいです。空良って呼んでください。名字呼びは慣れてないんです」


妹の可愛らしい声が聞こえて胸をぎゅっと握る。苦しい。熱が上がったのかも。


早く部屋に戻らなくてはと思う一方で、二人の会話が気になって仕方なかった。

縫い付けられたように階段で踞る。気分が悪い。そう。気分が悪いからちょっと廊下で休んでるだけだ。……盗み聞きなんて、趣味が悪い。


自分に必死に言い聞かせながらも、少し遠くから聞こえるくぐもった声に耳を澄ませた。


「学校でお姉ちゃんはどうですか? 中等部だと分かんなくて……」

「頑張っているよ」

「……良かった。お姉ちゃん、昔から人と喋るのが苦手でよく誤解されちゃうんです。未だに遊びに行くのを見たことないし……。多分友達いないんだと思います」


何故か、ひどく惨めな気分になった。

なぜわざわざそれを宮に言うのだ。


熱のせいか、感情を上手くコントロール出来ない。悔しさから泣きたいのを堪えて重たい腰を上げた。妹の言葉に宮は特別反応した様子はない。私の話はそこで終わった。


あとは妹が宮を垂らし込むだけである。


姉思いの妹を演じて、落とす。

宮は媚びる女が嫌いなんだと空良が笑いながら言っていたのを思い出した。

相当調べているはずだ。彼女は自分が手に入れたいものに関しては一切手を抜かない。ここが恐ろしいところでもある。


よろよろと部屋に戻って冷たい布団に入れば、階段を上ってくる音が聞こえた。

言わずもがな、空良である。薬を持っていくとか何とか言ったのだろう。そこも全て計算の内だ。


妹は私の部屋に入ってきても何も喋らなかった。一言も、話さない。それが一層不気味だった。


「ありがとう」


ベッドサイドに薬と水が置かれたので大人しくお礼を言えばギロリと睨まれた。

が、すぐに嘲るように口を歪める。


「お姉ちゃんも存外役に立つのね」


役に立つ。

彼女は何を思って私にそう言ったのだろう。


私は貴女の姉では無かったのか。

貴女は私の妹では無かったのか。


「大人しくしていてね」


冷ややかに微笑む妹は中学生には見えないほど妖麗だった。

分からない。私の妹が分からない。


冷たかった布団は自分の体温で暖まっていた。それなのに、まだ、寒い。


空良の中に、"姉"はまだ居るのだろうか。







私は相変わらずいつもの場所(図書館)に来ていた。空は青くて、クーラーの人工的な風が静まり返った本たちを優しく撫でる。


熱が出て、三日もすれば完全に回復した。

学校に来てみれば図書館にもクーラーが付き、学校全体は廊下以外涼しく保たれている。


夏が来たのだ、と思う。

うるさい蝉の声はまだしないが、梅雨が開け急激に気温が上がり、蒸すような暑さとアスファルトに揺らめく陽炎が夏の訪れを語っている。


私はテストが近いにも関わらずまた机の上に伏していた。なんというか、やる気が出ない。

やる気は出るものじゃない、出すものだ!と口酸っぱく言う奴もいるが私は今そんな気分ではない。というか、私に熱血という言葉はほど遠い。


「はぁ……」


私は今日何度目か分からないため息をついた。

今日、三日ぶりに学校に来たが、不穏な視線を感じる。気のせいではない。

実際、凄い憎悪を滲ませた女子と目があった。


多分、いや絶対ファンクラブに目を付けられている。

三日前宮と一緒にいるところを偶然見られたのだろう。妹が告げ口したとは思いたくない。


宮、というと嫌でもあの美形が脳裏に浮かぶ。

そして思い出すのは空良、と呼ぶ声である。電車の中で告白紛いなことをされた気がするがあれこそ幻聴だったのだと今なら思う。

告白云々よりもずっと妹の名前を呼んだ……というか知っていたことに衝撃を受けた。


「はぁぁぁぁ」


盛大なため息をつき、自分の頭がキャパオーバー寸前だと感じる。考えても埒が明かないと覚悟を決めて思考を切り替えようとした時、がらりと図書館の扉が開いた。


反射的にそちらを向けば不気味に笑った妹が立っていた。


「あぁ、お姉ちゃん、こんなところにいたのね。探したんだよ?」


空良がどうしてこんなところに?


まず疑問が浮かぶが、ゆらりと近付いてくる妹になにか嫌な予感がして席を立って後ずさる。

椅子がガタリと音をたてた。

空良は埃臭い図書館に顔をしかめながらも口を開いた。


「お姉ちゃん知ってる? 今、ファンクラブの先輩たちが制裁を下そうとお姉ちゃんを探し回ってるの」


一瞬心臓が止まった。

体の温度が急激に下がる。


「私も一応そのお手伝いしたんだけどさ……。

まぁ、姉妹だし見逃そうかなって」


無邪気に笑った妹に酷い嫌悪を覚えた。


「私お姉ちゃんに聞きたいことあるんだよね」


何も喋らない私を見て空良がふわりと笑う。その顔だけ見れば聖母のように優しい笑顔を浮かべていた。


「お姉ちゃんはさ、翔也さんのこと、どう思ってるの?」


空良が静かに、しかしはっきりと怒気を宿した声で私に聞く。

背筋が凍った気がした。何か、誤解されてるかもしれない。凍る喉から声を絞り出す。


「宮くんとはただのクラスメイトで……」

「そう言うこと聞いてるんじゃないよ。一般的な関係じゃなくて、お姉ちゃん個人の感情を聞いてんの」


空良はゆっくり腕を組んで私を睨み付けた。不思議な威圧感が私に纏わりつく。

私が姉なのに、何故こんなに妹に怯えなきゃいけないのか。情けない自分に腹が立って泣きそうになった。


「ただの、ライバルよ」


声が震えないように、まっすぐ前を向いた。

私の目を見た瞬間、妹が可愛らしくクスクスと笑い出す。


「ライバル、ライバルねぇ……。ふふ、お姉ちゃんらしいや」


空良は手を腰に当てて下を向いた。

まだ笑っているのか肩がしきりに揺れている。妹はふぅと息を吐いておもむろに顔を上げた。


「うっざ」


空良は可愛らしい顔を憎悪に歪めて吐き捨てる。


「なんなの? 翔也さんと対等にでもなったつもりなの? 図々しくない? だいだいさぁ、翔也さんに送ってもらってさ。お姉ちゃんごときが。翔也さんの優しさには目を見張るけどお姉ちゃんはいらなかったな~」


やれやれと首を振って苦笑する空良。

ひどい言われようだが、ここで反論はしない。したらもっと、状況が悪化することを知っているからだ。


「はぁ、黙りっていうのも腹立つ。前から思ってたけどお姉ちゃんって相当身の程知らずだよね。翔也さんに近づくのも、は?って感じだけど家で部屋に籠ってるのもウケる。友達いないし、暗いし、モテないし、学力も中途半端」


大丈夫。これくらい、慣れてる。

友達がいないのも、暗いのも、モテないのも知ってる。地頭だって良くないことすら……自覚してる。

だから、大丈夫。


「頑張っても無駄なのに。カッコ悪いと思わない? 結果を残せない自分。お母さんたちに認めてもらえてない自分。知ってる? お母さん、お姉ちゃんに病院継がせる気ないらしいよ? 当たり前だよね。そんな出来損ないじゃ」


耐えろ、たえろ。

目頭が熱くなる。苦しい。聞きたくない。知らない。お母さんが、私に継がせる気がないなんて知らない。

いやだ、待って。私の努力が、頑張りが消えちゃう。

認めて貰いたくて、頑張ってきたのに。

頭を撫でて欲しくて、よくやったって笑って欲しくて、空良の時みたいにさすがねって言って欲しくて………。


「惨めだよねぇ。あぁ、可哀想なお姉ちゃん。やっぱり、知らなかったんだ? 残念。青春を無駄にしちゃったね。ほんと、馬鹿だなあ。努力なんて無駄なのに」

「うるさい!!」


気がつけば叫んでいた。


「うるさい、うるさいうるさいうるさい!!

分かってるよ! 私が1番自覚してる。努力は結果じゃない。結果が全ての世の中で、その過程は重視されない。知ってる、知ってるよ!

でも、それをあなただけには言われたくない!!」


息を荒げて叫んだ声は冷たい図書館に反響した。肩で息をして、顔を上げれば空良の歪んだ笑顔が目に入った。


「……ぁ……み、や……」


私の視線は空良を通り抜けて、図書館の入り口付近で呆然と佇んでいる人物に注がれていた。

……いつから? 宮はいつからそこにいた?


私の絶望に染まった顔を見て、妹が泣き真似をし出す。


「お姉ちゃん、ひどい……」


嘘だ。あぁ、いやだ。嵌められた。

バラバラと何かを壊された気がした。


その後は、何をしたったけ?

ひたすら走って、空き教室に飛び込んだ。とにかく、二人の居ないところに行きたかった。


失望されたかもしれない。

あんな、妹を怒鳴り散らした私を醜く思ったかもしれない。


ポタポタと水滴が床に染みを作っては消えていく。纏わりつく暑さが、私を溶かしてほしいと思った。


「うぁ……ぁぁぁあ!!」


唯一だった。

彼は、私の、確かな友人(ライバル)だった。







泣いていた。咲良が、泣いていた。

咲良の涙を見るのはこれで二回目だ。


あぁ、また泣かせてしまった。


言い様のない虚無感が俺を支配する。

あのくだらないファンクラブとやらが咲良を狙っていたので潰してやろうと手を回していたせいでここに来るのが遅れた。

三日ぶりに咲良に会おうと図書館に来た瞬間、これだ。大きな声が聞こえて入ってみると咲良の妹に何か叫んでいた。


俺と目が合った瞬間、その顔が絶望に染まった。

絶望、というか、失望。

俺に見られたのが相当ショックだったらしい。


今こんな感情を抱くのは不謹慎かもしれないが、純粋に嬉しかった。咲良の中に俺はちゃんと存在していると証明されたようなものだったから。


急いで咲良を追おうと足を踏み出すと、くんっと制服の裾を引かれた。憮然と下を向けば、咲良の妹がもじもじとこちらを見ていた。


「あ、あの、翔也さん。私お姉ちゃんと喧嘩しちゃって、その……」


あぁ、お前か。お前が咲良を泣かせたのか。


すっと怒りに目を眇めるが、俺の殺気に彼女が気付く様子はない。目に涙を浮かべ、よく分からない戯れ言を吐いている。


「お姉ちゃんを一人にさせてあげて下さい。私、こんなに怒ったお姉ちゃん見たことなくて……怖くて……」


俺はそんな風に泣けるこの女が怖い。

咲良を泣かせたのはお前だろう。よくもまぁ、平然とそんな嘘が吐けるものだ。


「だから……少しの間でいいですから、私の側にいてくれませんか?」


俺は今までにないほど冷めきった視線を咲良の妹に送った。

ようやく視線に気付いた彼女の顔が強張る。


「ねぇ、俺のことナメてんの?」


女がひっと喉から微かな悲鳴を漏らした。


「俺が気付いてないとでも思ったの? お前みたいな女、1番嫌い。ねぇ、咲良を虐めて楽しかった?」


軽蔑してやっても、女は違う違うと首を振る。

俺が知らないはずない。家の権力を使えば誰が何したかなんてすぐわかる。


「そ、そんなわけ、ないです。私じゃないです。お姉ちゃんが勝手に……」

「だからさ、そういうのがクソだって言ってるの分かってる? 嘘に嘘を重ねても真実にはならない」


俺、嘘つき嫌いなんだ。

そう言って微笑めば、咲良の妹の顔は絶望に染まった。あり得ないとしきりに呟いている。


手を振り払えば今度はあっさりと退いた。


「でも……私の名前、覚えてくれてたじゃないですか。私に興味があったんでしょ!? ねぇ、そうですよね? そうですよね!?」


図書館を出ようとすると出口の前に立ち塞がられる。怒りの沸点はとうに越えていて、手を出しそうになるがそれはさすがに良くないと自分を戒める。


こいつに手を出したら咲良に俺がやったとバレる。


「覚えてたのは咲良の妹だから。お前単体には興味ない。咲良に関係なかったら視界にすらいれてない」


俺の言葉を聞いて、彼女はもう何も言えない。

ただ、首を振りながらボロボロと涙を流していた。


「んで……なんで私じゃないの? 貴方が好きになるのは私よ!」

「は? 自意識過剰女を誰が好きになるの? 自惚れも大概にしたら?」

「なんであの女なのよ!! 冴えなくて、馬鹿で、私の方が可愛いのに!!」


あまりにも醜くて鼻で嗤った。

そういう所だと言ってやりたかったが、もう喋るのも面倒だった。


「俺にとって、咲良の幸せが1番だから、次、咲良を泣かしたらただじゃおかない」


それだけ言い残して咲良の向かった方向に走り出す。


「しょ、翔也さ……」

「あ、いい忘れてたけど俺のこと名前で呼ばないで? 咲良が嫌そうだから」


振り替えってそう言えば、彼女は鼻水と涙でぐしゃぐしゃになりながら嗚咽を溢していた。


早く咲良の所に行かないと。








冷静じゃ無かったなと反省した。


なんであの時逃げたのか。

なんであの時もっと上手く反論出来なかったのか。


今冷静になって考えればもっと良い言い方がポンポン頭に浮かぶ。あの事も言えば良かったなーとか色々。

逃げた分、なんか後ろめたくなっちゃったし。

まぁ、宮に会うことなんて滅多にないし別に良いんだけど……。


空き教室で一人反省会をする。

ひとしきり泣いたらすっと頭が冷えた。空良に何かを言われるなんてよくあることじゃないか。

というか、ここ学校。誰かに見られたら確実に恥ずか死ぬ。


「これからすぐに冷静になれるように頑張ろ」

「咲良!」


バンッと凄まじい音がして空き教室の扉が開かれる。思わず体を竦ませるとふわっと抱き締められた。


「ごめん、ごめんね、咲良。俺が居たのに」

「え……? なんで宮くんがいるの?」

「あれ? 泣いてない」


いきなりのことに脳がついていかない。

なぜ抱き締められる。


「なんで泣いてないの?」

「なんでって……」

「図書館を出る時は泣いてたよね?」

「うっ……。そうだけど……さすがにもう泣き止んだよ」


思い出したくないことを蒸し返されてぐっと詰まる。宮は私が泣き止んだと聞いて衝撃を受けたようだった。


「せっかく俺が慰めようと思ったのに……。あの女……!」


暗い表情で宮がなにやら呟いている。

あの女って空良じゃないよね?


「にしても立ち直りが早すぎない……? 俺の付け入る隙がない」

「え? よく分かんないけどなんか泣いたらスッキリしたよ」


何年かぶりに泣いた。

不思議な話だが、泣くと以外とスッキリする。モヤモヤが一時的にスーっと無くなるのだ。


「それに……悩んでもしょうがないし。空良と私では考え方が違ったんだなーって。私は私だから。それはもう変えられない。惨めでも、頑張るしかないんだよ」


へらりと笑って見せれば髪をぐしゃぐしゃに撫でられた。


「ちょっと……」

「間違ってないよ。咲良は、間違ってない」


あまりに宮が真剣に言うものだからこっちまで息を飲む。


「間違ってない。少なくとも、俺はそう思う」


ありがとう。

その言葉は声にならなかった。言ったら、泣いてしまいそうだった。

初めて人に認めてもらえた気がした。


「でも、本当に惜しいな。せっかく手に入れられそうだったのに」

「なんの話?」

「咲良が好きだなって話」

「……は?」


思わず真顔で聞き返すと苦笑いをされた。


「咲良、俺も頑張るから、一緒に頑張ろう?」


ドキッと胸が高鳴った。

独りじゃないと言われた気がした。


やっぱり、彼は最高の友人(ライバル)だ。

私は高揚した気持ちのまま、力強く頷く。


「うん。頑張る」


ちゃんと宮の目を見て言ったはずだったが、宮は顔を赤くして片手で顔を覆った。


「……やっぱ好き」

「はぁ?」

「いや、ごめん。もっと頼られる男になってから改めて告白する」

「……何それ」


宮の様子が可笑しくて思わず笑ってしまった。


今はもう、家の病院を継がなくてもいいかなって思う。医者になる気持ちは変わってないが、むしろ重荷が降りた気がした。

私は苦しかったんだな、と始めて気が付いた。


才能のない自分が嫌いだった。

妹に負ける自分が情けなかった。

誰かに自分を受け入れて欲しかった。


それを、彼が全てしてくれた。


良き友、良き好敵手。


彼が私の隣に居てくれるだけで誇らしい。

彼の(ライバル)が相応しいように頑張りたいと思う。


この悩みも、苦しみも、寂しさも全てが私になる。

私の青春には甘酸っぱさなんて微塵も無かったが、それでもいいと思える。私らしいといつか笑える。


『完璧でいなさい』


この言葉も私を束縛する呪いではなく、思い出の一ページとして刻まれるのだろう。

とても、愉快だ。


「あー、スッキリしたらお腹すいてきた」


そこでふと鞄を図書館に置き忘れていたことに気付く。


「ラーメン食べて帰る?」

「え、宮くんラーメン食べるの? 意外すぎる」

「俺だってラーメンくらい食べるよ。特にとんこつが好き」

「こってりしてるねー。私は塩」

「わー、ぽい」


静まり返った校舎には私たちの声しか響かない。それが、また心地良い。


今年も暑い夏がやってくる。

きっと去年よりもずっと楽しい季節になるだろう。

二人で並んだ帰り道を赤い夕日が照らしていた。



ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] この話の続きとかありますか? 個人的に宮くんが不憫だしさらちゃんのハッピーエンドを見てみたいです! ←図々しくてすいません とりあえずとても素敵な作品でした 作ってくださりありがとうございま…
[一言] ちょっと出てくるヤンデレ感、サイコーです!!
[良い点] 頑張ってる2人が好きです。 連載して欲しい!!
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