08.一石二鳥の健康診断
「先日提案いただいた健康状態の検査。申請させていただきたいのですけれども、よろしいですか?」
「受けてもらえるんですか!?」
受付がこちらの手をがっしりと掴んできた。決して逃がさないとでも言いたげである。何故ここまで食いつきが良いのだろうか。管理局の体質から判断して罠とも考えづらい。
「やけに歓迎いただいている様子ですが、何か理由でも?」
「補助も出るのに中々受けてくれる人が少ないんですよ……」
不思議な話だ。かなり安い金額で健康状態を調べてくれるというのは、自由武官という安全でない職業に就く者ならば願ってもないことではないだろうか。
「自分の体のことは自分が一番よくわかっているとか、調子が悪くなってからで良いとか、あげく病院が嫌いとか……」
医学知識の無い人間がどうやって自分の体をよく知るのだろうか。もしかすると、生来医者にかかったことのない人間はそういった感覚が研ぎ澄まされているのかも知れない。ヴィスキュームの肉体はいかなる不調にも素早く対処するよう医師団が付いていたほどだ。自己の肉体をチェックする能力が衰えていてもおかしくはない。
病院が嫌いというのも危険な生活を送っていた弊害なのだろう。他者に己の肉体をゆだねることに不安があるというわけだ。精霊である私が人間を有効活用しうるのに対して、人間の中には不信感からそれが出来ない個体も居るというのは皮肉な話だ。
「きっと明日をも知れぬ生活で荒んでいるのでしょう。彼らには心のケアが必要なのではありませんか?」
「いえ、そんな大層な話じゃ無いと思いますよ……」
そうなのだろうか。私もだいぶ人間の心を理解してきたつもりで居たのだが、まだまだ未熟であるらしい。
「ところで健康診断はいつ頃が良いですか?」
「都合が付けばいつでもかまいませんよ」
今のところ私に予定は入っていない。せいぜいエレンから買い物に誘われるくらいだ。ヴィスキュームの常識には共和国、しかも一般人の服飾についての知識に欠けているためこれは非常に役立った。
この手の干渉が無い限り完全な自由である。
「それなら最短で今日の午後があいています。急ですけど設備も良いところです」
情報処理用の魔装具を操作しながら受付が提案してきた。確かに急ではあるが、先の通り私は特に予定が無い。
「それならば今日の午後にいたしましょう。申請をよろしくお願いします」
「わかりました。それじゃあ申請しますから、こちらの用紙に必要事項を記入して持って行ってください」
筆記具を借りて書面に書き込む。
それにしてもずいぶんと早く進むものだ。たまたま空きがあったのか、それとも。私の肉体がヴィスキュームであることを知る誰かが手を回しているのか。
とは言え、私に対比すべき手続きの手間暇に関する知識は無い。私自身はもちろんヴィスキュームにもだ。何となく素早いと根拠無く思っただけで、実際は空きがあればすぐ済むものなのかも知れない。
記入を終えて受付に病院の場所を確認する。午後に間に合うように向かうとしよう。
*
検査に向かった病院はかなり大きな建物で、外観から察する程度ではあるがかなり堅牢な作りをしている様子だった。こういった公的な建物は緊急時の避難所としても扱われるらしい。怪我や病気の治療にも対応できて一挙両得というわけだ。
中に入るとあまり市民らしき人間は見かけなかった。どちらかというと体を鍛えているような人間ばかりを見かける。あとは病院の職員らしき作業着を着ているものたちばかりだ。
私は病院の受付から手順を確認し様々な検査を受けた。採血や身長体重の測定、魔装具による体内の撮影などだ。それらが済んだところで判明している部分の結果説明を受けている。
「これまでのところ君は全くの健康体と言えるようだ」
説明する医師は壮年から老年にさしかかるところだろうか。データの確認に余念が無い。
「体に不安を抱えているわけでもないようだ。推奨している側が言うのも何だが、何か検査を受けるきっかけでもあったのかな」
不安は実のところ抱えている。
「私は独学で治療魔法を扱えるのですが、きちんと正常に効いているのか気になっていたのです」
これは本音の部分である。私自身は正常に治療していたつもりでも現にヴィスキュームの意識は沈黙したままだ。私見では意識だけが覚醒していない状態だと判断しているが、そもそも欠損のある状態である可能性は否定できない。
しかし、結果のすべてが判明していないとは言え大凡この肉体が正常に動作していることは判明した。主眼とすべきは意識の回復だろう。
「なるほど、その年齢で人外領域まで行けるだけあって並外れているな。個人的な興味なのだが、どの程度の怪我まで治療できるか聞いても良いかな?」
しばし考え込む。
専門家からの意見を聞けそうなのは非常に魅力的だが、どの程度の情報なら開示しても不自然でないのだろうか。過去の聖人の記録では首を刎ねられたあとに異教徒を殲滅して首を抱えて帰ってくる、数日後に生き返るなどのものがあるがあまり一般的ではないだろう。
「骨折や創傷なら問題なく治療できます。軽度なら内臓の損傷も」
取りあえず成功していると断言できる部分を挙げる。意識が覚醒しない以上脳の再生は成功しているとは言いがたいだろう。
「驚いたな。そこまで出来るような術者は貴重だよ」
「そうなのですか?」
医師からは本気の驚きが感じられる。
彼が言うには、自然治癒を促進する程度のものはともかく、骨折や大出血を伴う重症の治療は難しいそうだ。ましてや内臓の治療については人体に関する詳しい知識が必要で、相当の熟練者でなければ実践できないのだとか。
「聖女や聖人としての登録はないようだが、古典魔法を行使できるのかな?」
「いいえ。少々古いやり方のようですが、私の魔法は近代式です」
私の答えに医師が考え込む。何かおかしな点があるのだろうか。
「私の研究室に顔を出してはくれないだろうか? 高度な魔法を実践するものとして意見を聞いてみたい」
願ってもない話だ。研究者でもある医師ならば、まだ本にまとめられていないような知識を持っているだろう。
「私の方にもいろいろと教えていただけるのでしたら、是非」
「もちろんだ」
これは予想外の幸運と言って良いだろう。検査を受けに来て知識が大量に転がり込んでくるとは。私は医師と訪問の約束を取り付けると病院をあとにするのだった。