02.死せる皇女の人形遊戯
出所不明の信号あり。解析の要あり。
何が起こっているの? 状況が判らない。
未確認の思考の混線あり。霊体による精神侵食の可能性あり。
この思考は誰? 蘇生の進行はどうなっているの?
自律魔法式との区別不能。防壁起動不能。
これは私の思考? 分裂している?
私? 自分? 同調を要請。
ええ。同調して状況を確認します。
*
私。私だ。
私が私という認識をしていることがそもそも異常だ。異常であることをようやく認識できたほどに混乱している。
現在私はこの人間の脳を起点として思考している。先ほどまでは同時に精霊としての思考が混在していたため、状況の把握さえままならなかった。肉体の修復状況を確認するためにも、人間の脳を利用した思考を続けた方が適切だろう。人間の脳を使用して初めて比較できたことだが、精霊は思索に向いていないようだ。
何より人間の機能について理解を深める必要がある。
まずいくつかある不明な信号を読み解く必要があった。どうやら外部からの刺激を処理して認識しているようだが、私が精霊として用いていたか感覚と答え合わせをしなければならない。
頭部を動かして信号の変化を確認する。
最初に判明したのは色彩の溢れる映像が目から取り入れた光を処理したものだということだ。波長によっては認識できないようだが、人間にはあまり必要のない波長なのだろうと結論する。二方向から採光することにより距離を把握することに長けているようだ。
これは空気の振動を音として処理する耳にも同様の機能が備えられているようだ。獲物、あるいは敵との距離感を重要視する生き物なのだろう。
体表面に接触を伝える感覚があることは幸いだった。精霊にも同様の機能があるため理解がしやすい。
あまり存在する意味がわからないのは鼻だ。どうやら浮遊する微粒子を感知する器官のようだが、人間特有の機能なのだろうか。
地べたに落下した姿勢のままだったからか、皮膚が圧迫を受けているようだ。
私自身には人間の自然な体勢に関する知識がない。そのため私は自然な体勢をとる、という行動パターンを実行させてみた。
するとこの肉体は地面に手をついて上半身を起こすと、膝を出来た隙間に入れそこから立ち上がった。どうやらこの立っているという状態が、人間の自然な姿勢のようだ。二本足で立つという一見不安定な姿勢でありながら、特に倒れる様子もない。
この体勢をとるとかなり視界が開けるようだ。人間の光情報処理はいささか過剰ではないかと感じていたが、なるほど、こうしてみれば有効活用であるといわざるを得ない。
それにしても先ほどから人間の機能の確認を続けているが、この肉体は一向に自発的な行動を開始しない。脳の構造に破損は残っていないのだから最早正常なはずなのだが。記憶を呼び出せばこの人間の個体名、いや、名前や出自を示す家名も把握することが出来た。自己同一性にも問題がないはずである。
私がこうなるに至った、魔力が生成されないという懸念も解決されている。呼吸とともに魔力が満ち心臓の鼓動が全身に魔力の流れを生み出している。生命として正常な活動をしているのに、私が代わりに体を動かしている。
おそらく何らかの要素が足りていないのだろう。そのためにももっとこの人間を理解する必要がある。
ふと、風を切り、上方から何者かが接近してきていた。数は二つで高速で移動している。
それらは私の手前、人間の歩幅で十歩程度間をおいて停止した。
「まだ生きておられたか」
「あの高さから落ちて無事とは驚きです」
二人は四つ足の乗り物の上から音声を発した。これは話しかけてきたというのだろう。
四つ足の乗り物もこの人間の知識にある。空を走る天馬という魔物をかたどった乗り物だが、首がない。そのため俗に首無と呼ばれているようだ。
これは好機かも知れない。
私はこの人間の最後の叫びに惹かれて現れた。そしてこの人間の記憶に依れば彼らは敵にあたる。であるならば彼らと相対することで強い反応が期待できるかも知れない。うまくいけばそのまま自律行動を再開することも期待できるだろう。
「この裏切り者ども! 反逆者の口車に乗り王を害するなど恥を知らぬのか!」
彼女の知識にある行動パターンを選出し対応させる。自発的ではなくとも、指示があればある程度の行動はとってくれる。動作するうちに肉体が興奮を示しているようだ。このままうまくいくかも知れない。
「時代が変わったのです」
その言葉に内部から怒りがふくれあがるのを感じた。これは良い兆候だ。このまま感情にまかせて行動を開始してくれれば蘇生の成功が見込めるだろう。
……。
しかし何も起こらない。行動が続かない。
いったい何が足りないのか。せめてこの怒りにふさわしい行動は何かないのか。記憶から彼女の中で最大限の怒りを表現する方法を検索する。思い当たるものがあったが手元になかったため、魔法によってその代用を片方の人間に放った。
「何だ! 水!?」
「魔法!? 殿下にそんな技能があったのか!?」
彼女の中では手に持っている飲み物を引っかけるというのが、この場で思いつく最も怒りを表す表現らしい。飲み物はなかったので魔法で集めた水を引っかけたのだが、あまり彼らに怒りが伝わっている様子はなかった。
何より彼女が動き出す様子もなかった。
「あまり無駄な抵抗をなさらないでください」
「手元が狂えば苦しむことになります」
彼らは槍を構える。彼女の記憶から察しては居たが、死体を確認するかとどめを刺しに来たということなのだろう。彼女の蘇生が成功した後であれば何をしようとかまわなかったのだが、未だ彼女は蘇りきっていない。ならば、
「!? ガボゴボ……」
彼らは始末しておくべきだろう。水をかぶった方の人間がのどをかきむしって苦しみ始める。今し方かけた水を操作して肺を直接おぼれさせているのだ。元々水を依り代にしていたため、私にとっては至極容易なことである。
「おい、どうした!? ごはっ」
もう一人が気をとられてよそ見をしたので、私はねじれを加えながら跳躍し両足の裏を顔面にたたきつけた。対象は馬上からたたき落とされ倒れ込む。
水を依り代にしていたときも高速回転しながらの体当たりは有効な攻撃だった。足をたたきつけた理由は、頭部をぶつけては思考が途切れる恐れがあったからである。
問題なく着地するはずだったが、足に力が入らず転倒する。足や腰など、主に下半身の部位から強い信号が送られてきている。
「壊れた? ……違う。痛い。これが痛い」
図らずも痛覚というものが確認できた。なるほど、これで損害を速やかに伝えることが出来るわけだ。破損箇所の修復を開始する。
それにしても人間の肉体はなんと脆いのだろう。比較的に耐久力の高いと思われる部位をぶつけても破損し、さらには衝撃の伝わった別の部位までもが被害を受ける。設計そのものに問題があるのではないだろうか。
この人間が特に脆弱であるという可能性も捨てきれない。敵対の意思を伝えながらもよそ見をしたというのは、この人間を知っている彼らからは脅威でないと判断されていたからとも推察できる。
あるいは同族広汎に対して威嚇的な効果を持たない外見である可能性も捨てきれない。油断を誘える外見であるということは、私がこの肉体を護衛しやすいという面ではメリットがある。しかし、同時に襲撃を受けやすいというデメリットも存在するということを考慮しなければいけない。
いずれにせよ、この肉体の機能を確認し、必要であれば強化や最適化を行うべきだろう。彼女が有効な戦闘パターンを有していればそれを活用することも出来たのだが、残念ながらほぼ全く戦闘用の動作が登録されていなかった。弱い個体でありながら支配層であるという点には矛盾があるが、後ほど人間の習性と併せて理解を深める必要があるだろう。
修復を終えて立ち上がると、向こうはバランスを崩しながら立ち上がろうとしていた。直立し切れていないため頭部の位置が低い。
頭部に向けて右腕を振り抜く。
「また痛い」
腕も脆い。特に関節部が脆弱で、一度使用しただけで動作不能に陥っている。掌の付け根の強度が比較的高いようなので、そこをぶつけるように左腕を振り抜く。
「痛み減った」
それでも攻撃するたびに破損が生じる。壊れた部位はより強化する必要があるだろう。
修復の終わった右手を上から叩きつける。
「堅い。痛い」
頭蓋骨はかなり頑強なようだ。肉体を使う場合は相手の強度を考慮する必要があるだろう。
それにしても指の関節があまりに脆弱だ。握り込んで保護するべきだろうか。改善すべき点は多い。
「少し痛い。堅い。あまり痛くない。背中痛い。腰が痛い。なぜ膝が痛い? ふくらはぎが痛い。なぜ足の指も痛む?」
つい動作の最適化に没頭してしまった。しかし、何度も動作を繰り返すことで人間への理解も深まったのではないだろうか。いずれこの人間の蘇生に役立つかも知れない。
ともあれ、今はこの程度で十分だろう。拳を握り、肘を軽く引き、腰を落とす。
「ふっ」
呼気とともに放たれた一撃が、抵抗なく対象を粉砕した。反動による痛みもなく威力も十分だった。
しかし、ここまで気を遣わなくてはならないとなると、あまり人間の体は戦闘に向いていないのかも知れない。人間が武器を持っているのは工夫の結果なのだろう。
活動を停止した方の人間から、先ほど溺れさせた方に視線を移す。こちらも既に生命活動を停止しているようだ。こちらで新たな実験を開始してみよう。
私自身が精霊を召喚し、この人間と同様の修復が出来るかだ。
私自身が精霊ではあるが、その召還を行ったことは記憶になる限りない。ただし、成功すれば外部から人間が修復する過程を観察でき、より治療に対する理解を深めることが可能だろう。最小限の魔力量で召喚すれば暴走時の鎮圧も容易だろう。
早速治癒に必要な魔法式と自己の維持に必要な魔法式を定義し、魔力の満ちる並列世界・精霊界に接続する。私自身が元々置かれていた状況を再現するだけなので、さほど難しいことではない。
果たして精霊の召喚は成功した。精霊が精霊を召喚することはどうやら問題なかったようである。依り代は溺れさせた人間の血液だ。今回は始めから体内に魔力の流れを作りながら修復を行う。
破損しているのは主に内蔵のようだ。呼吸を絶ったため多くの臓器が壊死を起こしている。破損した部位の置換が進むにつれて肉体が不随意に動き出す。そして幾度かの痙攣を繰り返した後起き上がった。
「……」
予想はしていたが失望を禁じ得ない。何も主張しなければ襲いかかっても来なかった。やはり蘇生にはまだ足りない部分があるようだ。こちらが指示をすれば動くようだが、それは特に求めていない。
しかし、この肉体の事情について情報を確認しておくべきかも知れない。残念ながら蘇生の成功は未だ遠く、目的の達成までこの肉体を護衛する必要がある。彼女自身の記憶にも情報はあるが、異なる認識をしている可能性もある。
この人間の会話パターンを利用して質問を始める。
「あなたの名前を答えなさい」
「アーヴィン・ワンダラー」
「あなたの目的を答えなさい」
「帝国のために尽くすこと」
「……。あなたが一番直近に受けた命令を答えなさい」
「皇女殿下の御遺体の確認」
いくつか質問を繰り返して確認する。どうやら記憶との齟齬はあまりないようだ。
改めて確認できたのは、この肉体は帝国と呼ばれる人間共同体の旧支配者層で、新支配者層に命を狙われているということだ。崖の上は主要な街道ではなく、この森は人間にとって危険地帯として認識されているらしい。そのため襲撃は精鋭によって行われたということだった。
精鋭というのならば狙われ続けるのは危険だろう。今のうちに対処しておくべきか。
「襲撃地点に戻って帝国兵を攻撃しなさい。一撃では殺さないように注意して、回復魔法の使い手を残しなさい」
アーヴィンが首無に乗って空を駆けていく。もしかすると私よりも強力な回復魔法を使える人間が居るかも知れない。可能性は低いが留意はすべきだろう。
私も追いかけるために首無を調べる。魔力で操作して走る機能と、天馬術式という空を走るための魔法式が組み込まれているようだ。先に魔法式だけを用意して後から魔力を通すことで魔法を発動させる方式は精霊と似ているのかも知れない。
首無に固定されていた武器も同様で、弾丸を生成する魔法式と爆発の衝撃によって弾丸を飛ばす魔法式が組み込まれているようだ。もしかすると回復魔法についても同様の器具・魔装具が存在するのかも知れない。
鐙に足をかけて首無に搭乗し前面の取っ手を掴んで鞍に腰掛ける。天馬術式を起動して空を駆け始めた。最初は良かったが、スピードが増してくると上半身がのけぞってしまう。前傾姿勢をとってバランスをとると、自然と鐙に足をかけて立ったまま乗る方が自然になった。
目的地の上空にたどり着くと既に戦闘が始まっていた。
「アーヴィン止めろ! いったいどうしたんだ!?」
「ダメだ……。あいつはもう」
「死霊にでもとりつかれたのか?」
死霊ではなく精霊なのだから間違えないで欲しいものだ。
アーヴィンは何度か傷を負ったようだが、回復魔法の能力を超えた傷は受けていないようだ。敵がたくさん居る状態だ。この人間への感情的な揺さぶりを期待して私も攻撃を開始する。
まず弾丸を補充し、適当な一人に狙いをつける。魔法式の起動とともに爆発音。明後日の方向に飛んでいく。弾道のずれを計算に入れて再起動。命中した。そのまま急所を避けて全弾を撃ち尽くす。蹲って活動を停止するがまだ生きている。これでまず一人。
何か粘り着くような感情の揺らめきを感じるが、やはり彼女が活動を再開するほどではない。回復魔法の使い手が居るかどうか確かめることに専念した方がいいだろう。
弾丸を生成。照準。撃ち尽くす。
繰り返して次々に無力化していく。向こうも撃ち返してくるのだが、私の展開する防壁を破るほどではない。一方的に打たれるのは嫌なのだろう、天馬術式を起動して二人ほどが向かってくる。
「殿下にこんな事が出来るとは聞いていないぞ……」
「もしや影武者だったか!?」
どうやら偽物であることを疑っているようだ。確かにあながち間違っても居ない。
槍を構えて同時に突進してくるのを防壁で迎え撃つ。しかし片方の槍と速度を止めた瞬間に防壁が消失、もう片方が素通りして突進してくる。
私は首無を足場に、逆に飛びかかる。予想していなかったらしく混乱する乗り手から槍を奪い取り、馬上から蹴り落とす。自力では飛行できないようで、そのまま地面に赤く飛び散った。
この槍は防壁を破壊する魔法式と、衝突時に重量を増す魔法式が込められているようだ。動きを止めたもう一人に向けて無造作に振り回すと、真っ二つになって落下していった。
「手加減失敗した。難しい」