ゴブリンの最期
「僕ももう死ぬのか・・・・」
小人族の英雄は、自らの腹を押さえながら巨木にもたれかかると、足の力が抜けていき、地面に尻をつく。この世界での世界大戦が始まってはや15年。既に終戦交渉を始めている国も多い中、国力の弱かった小人族は出来る限り終戦交渉を有利に運ぶように、水面下で動いていた。しかし、一部の工作班が魔人族に見つかり、その処理のために勇者が駆り出された。魔人族の圧倒的な力には勝てず、相打ちに持ち込むしかなかった。
「ここまでの人生かぁ・・・・、戦争の終わりまで頑張りたかったんだけどなぁ。せめて猿人族の勇者が言ってた軍儀ってのをやりたかったなぁ。ハルは大丈夫かなぁ・・・。」
猿人族と小人族は、身体能力・魔法適正の低さから、協力しなければ他国と対等に交渉すらできなかった為、非常に親密な関係を築いていた。その中でも、前世の記憶を持つという猿人、ハルとは非常に仲がよかった。お互い英雄という義務を背負った者として、時には激論し、時には支え合い、非常に良好な関係を築いていた。
「ミヤさんに遺書を渡してきて良かったなぁ、ハルに届けてくれるだろうし。」
そう呟くと、頭を軽く振る。小人族の英雄の表情には苦しさなど微塵も無く、それどころか、目に強い光を灯していた。彼は血の滴る自らの腹部に触れ、血を指で取ると、体に文様を描く。
「小人・猿人両者に幸あれ・・・・・・」
その言葉と共に彼の体が輝きだす。体の末端から徐々に霧散していき、とうとう顔以外の体が消えてしまった。
「一か八かの魔法だったけど、何とか成功してよかった。・・・みんな幸せにね。今度はきちんとみんなを守れる人生を送りたいなぁ。」
その言葉と共に、小人の英雄という存在はこの世から消え去っていった。
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いつの間にか目の前には白い空間が広がっている。そもそも僕はいつからここにいるのだろうか。そして今とはいつなのだろうか。怖い、何なのだこの世界は。何も見えない、何も聞こえない、何も感じない。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
「大丈夫ですよ、私がいますから。」
突如聞こえた声に縋るかのように、目を、耳を、鼻を、全神経を声の元へと向ける。おそらく右手側であろうことが分かり、走りだす。走り、走り、走り続ける。何も見えず何も聞こえず何も感じず、只ひたすらに声の元へと走る。
何ヶ月だろうか、何年だろうか。走っても走っても何もない、存在に近づけない。
もはや感覚すらなくしたその瞬間、
「良くぞいらっしゃいましたね。」
あわてて顔を上げると、体が透けた女性が宙に浮いていた。
待ち焦がれていた者とはいえ、いったい誰なんだろうと疑問を持つ。
「あなたの定義するところの・・・なんでしょうか、私は私、あるいは世界でしょうか。」
そういって微笑む彼女は、今まで必死に走っていた事も忘れてしまうほど美しかった。
なんだか表情も人っぽさが無い、神か何かなのだろうか。
「そうですね・・・・それに近いですね。ただ、全知全能でもなければ、私が世界を支配しているわけでもありませんよ。」
不気味にも会話を先回りされているのだが、それ以上に会話というものへの渇望から、そんなことを気にせずに見つめ続ける。
「私はあなたの思考を読めますし、あなたの思考は特に分かりやすいですから。」
魔法でも出来ないことをあっさりとやってしまうということは、本当に神なのだろう。ここに来てようやく人に出会えた興奮が収まり始める。
なぜこのような場所に神様がおられるのだろうか。
「正確にはあなたが来た、ですよ。私は本来、ここを含めてどこにでもいますし。」
その言葉を聞き、興奮が収まる。そして自らが忘れていた事に気付く。自分が長い時を走り続けていたこと、そしてそもそも死んだ事を。そう、僕は死んだはずなのだ。
「あなたは確かにあなた達の定義するところの死に該当していますね。ですがこんなところに来る事ができたのは、あなたが何かを行ったためでしょう。」
その言葉を聞き、感情が落ち着いたところを見計らって、思考を始める。
「存魔の術っていう爺ちゃんから聞いた魔法を使ったんだ。自分の命と引き換えに願いを叶える魔法って言ってたんだけど・・。」
「存魔命法ですか、ではあなたの存在が消えたのでしょう。あの世界では、あなたの存在は誰にも知覚されませんし、全ての記憶を忘却されます。その代償を持って、世界を改変する魔法です。とは言っても魔法適正が非常に高くなければならないのですが・・・・・あぁ、あなたはミカドの一族ですか、あの一族はそれに特化していますし、当然可能ですね。」
少年はきょとんとしながら、まるで彼女の言い分が理解できないような顔をする。
それに気がついたかのように、彼女は自らの子供に話すような穏やかな顔で語りかける。
「小人の初代族長の名前ですよ。ミカド一族はその能力を持っているからこそ、ずっと族長を担っていますしね。代々長男にそれを伝え、族長としての教育を施してきたのでしょう。」
少年は自らに問いかけるように答える。
「じいちゃんは交渉術や利害調整が上手かったから族長に選ばれた人だと思ってた。兄ちゃんも兄ちゃんでそういう事が得意だったから、そんな事を気にしたこともなかったよ。でも何で僕にも教えてくれたんだろう。」
「それは私には分かりませんね・・・・、ああ、あなたが死ぬ未来が見えたのではないでしょうか。おばあさんは有名な占い師でしょう?」
「そっか、ばあちゃんが小さいころに占ってくれたと言ってたなぁ。じいちゃんもばあちゃんも僕が最後に願いを叶えられるように教えてくれたのかなぁ。二人とも優しかったからなぁ。あれ、でも長男しか知らないって、制約とかがあるのではないのですか?失敗しちゃったりしてませんか?」
「大丈夫ですよ、あなたの願いの本質、猿人族の小人族の幸せに沿うように、世界が改変されました。猿人族の身体能力と小人族の魔法力を強化することで、他国に対抗できる体制を構築できるようになりました。さらに、両者が婚姻した場合、両者の能力を受け継ぐ事ができるようになります。あなたの言う幸せに近づくでしょう。」
「それはすごいね、なんだか死にかけの僕の命なんかで、こんなにも良くなってくれてよかったよ。だけど、戦争はどうなったの?戦争で負けてたら結局駄目だったと思うんだけど・・・。」
「それも大丈夫です。猿人の英雄がかなり奮闘しましたので。彼も自身の記憶と引き換えに力を得て、なんとか追い返しましたね。結局全ての国が疲弊した為、ある小国一つに責任を押し付け、各国が戦勝国として終戦になりましたね。国際機関も出来たようです。」
なんかすごいことになってるなぁ。小国には申し訳ないけど、僕には家族や知り合いを守る以上の力は無かったから。でも助けてあげたかったなぁ。
「それなら良いとは言えませんけど、国だけでも守ることが出来てよかったです。」
「その言葉を言うほど納得はしていないでしょう。まあいいでしょう、それよりもあなたは今後を考えてくださいね。」
「今後ですか?もう死んでしまったようですし、どうすれば良いんでしょうか?」
少年は彼女の言っている事が全く理解できない。
「僕はもう死んでしまったし、何より世界から存在を消してしまいました。後悔していませんが、これからというものが存在しているかどうかもわかりません。死ぬとその場で生まれ変わるのではないのですか?」
「そうですね、小人族の信仰では死ぬ瞬間に記憶をなくし、他の場所で生まれるという転生信仰でしたか。実際はそんなことはありませんし、あなたはそもそも肉体そのものを代価にしていますので、この世界には戻れませんね。・・・では2つの選択肢を出しましょうか。」
「選択肢があるのですか?」
「一つ目はこのまま私と共に世界と一つになる事。しかし私の方が上位ですので、あなたの自我、存在は完全に消去されます。もう一つは魔法の無い世界へ行く事。この世界は1000年に一回、魔法の無い世界から魔力を吸い上げています。魔力の無い世界の魔力生産量は魔力を使う世界にとって重要な物なのです。しかしながら魔力を移動させるには、魂を最低一つ送る、もしくは受け取ることをしなければなりません。その魂としてあなたを送る事ですね。」
「まだ生きたいかってことなのですね。まだ後悔はあるけど、でも魔法の無い国でも生きていけるのかな。また大切な人が死ぬのは嫌だよ。」
「魔力が少ないだけで、使えない事はないです。しかしあなたが魔法を使えることが知られてしまえば、良くて戦争の道具、悪くて暗殺もしくは解剖ですよ?それに魔法と違って科学というものが発達していますので、そこまでの不自由はないかと。」
少年はギョッとして、俯いてしまう。自らが少し高い能力を発現しただけで、他国から狙われた記憶を思い出し、浅はかであったことを自覚した。
「分かりました、使いません。」
右手の拳を左胸に当て、そのまま頭を下げる。これは小人族の約束をする時の作法だ。
「そのほうが賢明です。では送る選択肢でよろしいですか?」
生きられるのなら生きたい。今度はちゃんと平和に、幸せに過ごすんだと、心の中で誓約を交わす。
「よろしくお願いします・・・、と記憶は残るのですか?」
「そうね、残る可能性が高いけど、現世にある肉体を使うから、他人の記憶を引き継ぐかもしれないわね。」
それを聞くと、あわてた様子になる。
「そんな、人の肉体を奪ってしまうんですか?それならば遠慮したいの「違います。」で・・え?」
「彼には了承を得ていますし、それは安心してください。」
その言葉を聞き、大きく息を吐く。あわててやめようと思ったが、杞憂だったようだ。
「それでは送りますね。」
女神様が手をかざすと紫がかった黒い扉が現れる。
そのまま半身になり、手を扉に向け、越えるように誘導する。
「お世話になりました。今度はもっと頑張って、平和な世界を生きていきます。」
今までとは違う、しっかりとした笑顔で挨拶をして、歩く。
彼の目には、次こそはやり通すという、希望の光が灯っていた。
扉をくぐり、振り向くと、神様が微笑みながら手を振っている。
「最後にあなたには贈り物を授けましょう。また会える事をお待ちしていますよ。」
そう言うと扉が閉まり、僕は意識を失った。
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真っ白な空間に青年がぽつんと立っている。
何もわからず青年はここにいる理由を自分に問う。
まるで高速再生した映画を見ているかのように、映像が頭の中に叩き込まれる。
「君にはお願いがあるんだ。」
突然響いた声を聞き、振り返ると、何もいなかった空間に、突然オールバックのサラリーマン風の格好をした人物が現れる。
「あなたは誰なんですか。」
「私はね、そうだな、一応神様なのかな。」
自信の無いその言葉を聞き、怪訝な顔で見る。どう見ても怪しい人にしか見えない。しかし、なぜだか彼は神様なのだという実感がわいている。いや、実感ではなく、心が真実であるのだと叫んでいる。
「君には契約をしてもらいたいんだ。」
「何の契約でしょうか。」
「君の体をもらいたいんだ。この世界を維持するにもコストがかかってね。一人異世界から呼び寄せることを条件に支援してもらっているんだ。死んだ君の体をその子の為に使わせてもらいたい。」
全く嘘だと感じない。それどころかものすごく信頼出来る言葉にしか聞こえない。今まで感じたことの無いような感情に戸惑いながらも、交渉を開始する。
「それは私にどんなメリットデメリットがあるのでしょうか」
「そうだね、君は本来このまま世界と一つになる予定なんだけど、もう一度人生を送ってみないかい。君にもあの後悔があるのではないかな。」
その言葉を聞き、唇をかみ締める。どうしようもない悔しさが心の奥底からこみ上げ、それを目に滲ませながらサラリーマンを見る。誰にも負けたくはなかった、いや、負けなかったことで、私は殺された。どうしようもない、しかしどうにも認められない、認めたくない。そんなものが人生だとは思いたくなかった。人生、そして人間というものがその程度の物だと信じたくない。桃源郷などではない、ユートピアはあると、そう信じたかった。
「やり直せるんですか?」
「やり直しなんて出来るはずないだろ。君は元の人間とは異なる人間としてのみ、転生できる。どんな形でも、記憶を残す事が出来るから、君の後悔はやり直せると思うよ。」
その言葉に、青年の目に光が差し込む。その表情は既に異なる人物を思わせるものであった。
その表情にサラリーマンは笑顔になる。
「では契約を詰めようか。」