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茅ヶ崎鉄子は振り向かない  作者: みずき
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第七話「茅ヶ崎 鉄子の被害」




「鉄子、おはよう」


「あ、萩原くん。おはよ」


「今日は何読んでるの?」


「えっとね、今日のは結構マイナーな人の。売れてからは短編集とかが多いんだけど、これは初期の方に書いた唯一の長編なの。あ、そうだ」


「?」


「はい、これ。前言ってたオススメのやつ。私の趣味全開だけどね。よかったら読んで感想を聞かせて?」


「うん、わかった。ありがと」


「いいえ、どういたしまして」


 二人のやり取りを遠巻きながらに眺めていた一年A組の生徒たちは、そのあまりにも絢爛とした雰囲気に気圧されて、無意識にも溜息を吐いた。しかし、そこは良い意味でも悪い意味でも有名な二人である。純粋に見惚れる者もいれば、中には嫉妬をする者も少なからずいた。それでも彼と彼女が直接的に嫌悪の対象にならない理由があるとするならば、それは二人の容姿以外には介在しない。

 容姿の優れた同性と親しくあるというのは、それだけで重要なステータスになりうる。そうして上位カーストの仲間入りを果たせば、高校生活なんて簡単に豪華にできるというものだ。いくらだって、きらめく青春を謳歌することができる。だからこそ嫌悪しているからといって迫害したりはしない。むしろ取り入ることが賢明だと、彼女らは根本的なところで理解していた。

 否、「いた」と言うべきか。

 鉄子の周囲の人間関係は、萩原 楓との邂逅によって大きく変わり始めていた。鉄子の愛してやまない平凡な日常は悪意によって浸食されていく。今はまだ、渦巻くに止められているけれど。


「じゃあ、また来るね。ばいばい」


「ああ、うん」


 猫被りモードである鉄子は、嬉しそうに手を振りながら自身のクラスへと戻って行く楓に向けて小さく微笑み掛けながら、内心であらん限りの罵声を浴びせた。その内容は割愛するが、およそ公共の場で口にできるような生ぬるい台詞ではなかった。

 余談ではあるが、茅ヶ崎 鉄子の罵倒や中傷に関する語彙力は、哀しいかな過去の経験によって培われている。だから彼女の言葉はいつだって本物で、現代では多用されがちな「死ね」という台詞も、それら冗談とは一線を画す。口が悪いと思われがち、というか実際悪い鉄子ではあるが、しかし、それにそぐうだけの嫌悪が、憎悪が、そして殺意が、彼女の中には確かにあるのだった。

 これだけ殺したいと憎んでいるのに、それでも殺せないでいるのは、果たして道徳的観念だけが理由なのだろうか。法律や憲法がなければ、自分は片っ端から男を殺していたのだろうか。

 鉄子の胸中には、いつだってそんな歪な疑問が燻っている。それを異常だと思えば、鉄子は無理矢理に思考を排した。


(ん?)


 ふと周囲の違和感に気付き、鉄子は視線だけで教室内を見渡した。楓の去った後の教室は、まるで時が止まったように停滞していて、そこかしこから突き刺すような視線を感じる。


(ああ、そういうことか)


 鉄子はそれを払いのけるように机へ向かうと、中断していた読書を再開させた。文字列を目で追いながら、萩原 楓との接触によって変化しつつある周囲からの、自分に向けられているであろう視線の含むところを類い寄せるように模索した。


(ああ、あの男の所為でどんどん悪い方向に転がってる気がする。まぁ、半分は分かっててやってんだろうけど)


 茅ヶ崎 鉄子は人の悪意に敏感だ。だから、なんとなく予期している。男よりも女の方がよっぽど怖いという、その言葉の持つ意味が自分にバックブリーカーをかまそうと、ひっそりと息を潜めていることを。


(まったくもって心外だ。ただでさえ、男が嫌いだというのに)


 いよいよ人間が嫌いになるな、と鉄子は半ば呆れつつ肩を落とした。








ーーーーーーーーーー








(うわ、えげつねぇな)


 下駄箱の中を覗き込みながら、鉄子はそのテンプレすぎる事態に閉口していた。

 鉄子の下駄箱の中には、自身のローファーの他に、いくつかの画鋲と「萩原 楓に関わるな」と書かれた紙が入っていた。画鋲はともかく、そのまるっこい筆跡から差出人が女だということは明白だ。

 鉄子はむむむと唸った。

 自分に恋慕を抱いている男が萩原 楓のファンを偽って、どうにか引き離そうとしている可能性も否定できないと広く考えを巡らせるも、結局は萩原 楓のファンの仕業ということで落ち着いた。

 こちらとしても望むところなんだけどなぁ、と鉄子は苦笑するのを抑えられない。まったく、甚だ心外である。


(とりあえず、だ)


 こういう事態に見舞われることが初めてではない鉄子は、取るべき処置をきちんと取ることにする。その切り替えの早さは、彼女がただ可愛いだけの高校生でないことを暗に示していた。

 鉄子は携帯電話を取り出してカメラ機能を起動し下駄箱内の写真を取ると、その二つの証拠品を鞄にしまった。それから何事もなかったようにローファーへと履き替えて、そそくさと帰路に着く。


(つーか、これ被害受けてんの私だけじゃん。萩原 楓からも萩原 楓のファンからも被害を受けるとか、どういうことだよ。なんなら、男からも被害受けてるようなもんだし、二次被害とかのレベルじゃねぇぞ)


 内心ではそうぼやきつつも、その反面、鉄子は笑い出したくなるのを我慢するのに必死だった。別に、虐められて喜んでいるとか、そういうわけではない。

 これを利用すれば、萩原 楓ごと周囲の騒がしい奴らを一掃できるのではないかと策略を巡らせているのだ。


(ああ、不本意だけど楽しみだ)


 どう泣かせてやろう。

 どう痛めつけてやろう。

 どう報復してやろう。

 それを思えば思うほど、鉄子の心は躍っていく。それは渇きを潤すような感覚を伴って、鉄子を突き動かす。


(そのために、まずは様子見だ)


 ともすればステップを踏みそうな勢いで鉄子は帰路を辿って行った。

 その不敵な笑みがかつての自分の父親に似通っていたことに、今の彼女はまだ気付いていない。




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