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茅ヶ崎鉄子は振り向かない  作者: みずき
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第四話「茅ヶ崎 鉄子の動揺」




 何の変哲もない普通の日。

 いつも通りの、代わり映えしない朝。

 昨日とは打って変わり、雲ひとつない快晴の空を頭上に控えながら、鉄子は登校をつつがなく済ませた。教室に入ると、そこかしこから「おはよう」と声が上がり、クラスメイト達が鉄子の周りへと集まってくる。もはや大名行列のようなそれはいつもの風景だ。

 鉄子は愛想良く挨拶を返しながら、唐突に始まるクラスメイトの世間話に適当に相槌を打つ。要所要所に感想を言うのも忘れない。傍から見れば仲の良い友達同士に見えるその和気藹々とした雰囲気の集団の、中心人物である彼女、茅ヶ崎 鉄子だけは内心では笑っていない。学校における鉄子の笑顔は、少しの例外もなく偽物だった。

 そうして暫く話し込んでいれば、クラスメイトたちは漸く満足したのか、自身の席へと戻っていく。彼らは彼らで、彼女らは彼女らで、クラス内での定位置を保つのに必死なのだ。空間的な位置ではなく、そのコミュニティーにおける立ち位置というものである。現代社会がそうであるように、学校という封鎖された空間でもまた、そういったヒエラルキーが重視される時代になってきている。誰だって、ルサンチマンを抱えながら生きるのは避けたいものだ。

 とは思いつつも、クラスメイトが自分に接触したがるのは単純な好意からであると、鉄子は自信を持って言い切れる。

 だって、私は顔だけは可愛いから。

 自分の価値を一ミリの誤差もなく正確に把握している鉄子は、そんな風に毛ほどの驕りもなく言ってのける。しかし「可愛いから」に続く言葉はない。

 可愛いから何なのだろう。

 可愛いからどうなのだろう。

 その疑問を解消しようとすることが徒労である分かっている彼女は、そこで思考を打ち切った。机に鞄を置き、スカートに皺が寄らないよう気に掛けながら着席する。


(さて、と)


 ようやく一息だ。

 鉄子は普段、学校に登校してから授業が始まるまでの空いた時間を、自身の唯一の趣味である読書に費やしている。特にこれと言って好きな作家がいるとか、そういうことではなく、ただ単に文章を目で追っていくのが好きだった。そうして本を読んでいる間だけは、余計なことを考えなくて済んだ。周囲の雑音を遮断して没頭する一人の世界は鉄子にとって至福の時間であった。

 今日だって勿論例外ではなく、通学鞄から取り出したその小説を読もうと栞の挟んだページを開いた時だった。

 突如として、クラスメイトが湧いた。女子からは甲高い黄色い声が、男子からは複数の舌打ちが鳴らされる。


(なんだ?)


 すでに活字の世界へと意識を落とし込みつつあった鉄子は、初め何が起きたのか理解できなかった。億劫ながらも顔を上げ、教室を見渡したところで合点がいった。

 ああ、今日はどうやら厄日らしい。


「おはよう、鉄子ちゃん」


 鉄子の椅子に沿うように立ち、爽やかな挨拶を寄越したのは誰であろう、二回目の邂逅を果たした楓だった。彼がこの教室を訪問したことにより、女子は歓喜し、男子は嫉妬の権化と化したのである。


(何このアイドルみたいな扱い)


 ざわざわと騒ぎ立てるクラスメイトに囲まれながら鉄子は突然の事態にしばらく放心していたが、昨夜の「明日からは仲良くしてね」という発言を思い出し、こういうことかと内心で舌打ちをした。

 愛想の良い優等生を演じている鉄子はまさか無視するわけにもいかず、笑顔の裏にありったけの嫌悪を込めて挨拶を返した。


「うん、おはよう」


 並みの男子ならうっかり惚れかねない鉄子の猫被り百パーセントの極上の笑顔に、しかし楓はさして反応を示さない。視線を辿れば、どうやら手元に開いている本が気になっているようだ。


「本、好きなんだ?」


「うん。まぁ、それなりに好きかな」


「へぇ、どういうのが好きなの? やっぱり太宰とか、芥川とか?」


「そうだね。結構有名なやつが多いよ」


「そっか。じゃあ今度おすすめのやつ貸してよ。鉄子ちゃんが読んでるなら、俺も読んでみたいから」


「分かった。今度持ってくるね」


 というのが傍から見た二人の会話なのだが、しかし鉄子の内心はその態度ほどに穏やかではなかった。


(んだよコイツしつけーな! どっか行けよ! クソ目立ってんじゃねぇか殺すぞ! つーか、鉄子ちゃんとか呼んでんじゃねぇよ! キモイんだよ!)


 天使のような笑顔を振りまきながらも、鉄子の内心は罵声の嵐である。彼女がそろそろ口に出しかねないと危惧すれば、楓はその綺麗な顔に甘い微笑を浮かべ言った。


「じゃあ、また来るよ。ばいばい、鉄子ちゃん」


 その台詞に、鉄子が内心で唾を吐き捨てたのは言うまでもない。









ーーーーーーーーーー









「茅ヶ崎さん! 萩原はぎわらくんと知り合いだったの!? もしかして、付き合ってるの!?」


 楓が去った後の一年A組の騒ぎっぷりと言えば、鉄子が自身の猫被りを忘れ、「黙れ」と怒鳴り散らしてしまいそうな程だった。

 萩原、と鉄子は開示された情報を心の内で反芻する。もちろん、敵としての認識を改めるためである。


(そうか、アイツは萩原というのか。達海さんが楓って呼んでたから、萩原はぎわら かえでか。いかにも爽やか系って感じだなぁ反吐が出るぜ)


「えっと、昨日の帰りにたまたま会ったの。それで少し話をしただけだよ」


 鉄子が拒否の意思表示として軽く手を振りながら答えると、今度は男女の両方から安堵の溜息が上がった。学年一の美少女と美男子がくっつくのは、やはり赦せないものがあるのだろう。少なくとも鉄子の方は、そんな気は微塵もないのだが。


「あのね! 茅ヶ崎さん!」


 鉄子の持つ楓の情報が少なすぎることに痺れを切らした女子の内の一人が、ずいと詰め寄りながら、身振り手振りを加えて熱弁し始める。鉄子は呆気に取られながらも、何か弱みを握れるのではないかと素直に耳を傾けることにした。


「萩原くんはね、あの容姿でしょ? だからやっぱり遊んでるらしいんだけど。でもね、自分から女の子に興味を持ったことはないんだって。だから鉄子ちゃんが初めてみたいだよ。こういうの!」


(それは多分、裸を見られたからだよ)


 ラブコメにはありがちな王道シチュエーションではあるものの、初対面の同級生に、しかも校内のアイドルのような人間に裸を見られるというのは、鉄子としても由々しき事態であった。

 一人目の発言に便乗するように、女子たちが声を荒げ始める。中には楓のことを「様」付けで呼ぶ人間もおり、鉄子は楓のそのアイドル振りを再認識した。

 男子達はと言えば、悔しがっていたり、泣いていたり、叫んでいたりと忙しない。学年一の美少女が学年一の美男子に籠絡されてしまうと嘆いているらしい。

 収拾が付かなくなりそうだと懸念した鉄子は声を強めて言った。


「と、とにかく、もうすぐ授業が始まるんだから、みんな自分の席に戻ろう?」


 異性をゴキブリ程度にしか思っていなく、また恥ずかしげもなく自身を可愛いと言ってのける鉄子であるが、しかしそこはさすが美少女である。彼女の言葉に逆らうクラスメイトは一人としていなかった。









ーーーーーーーーーー









 本日二度目の騒動は、和やかな昼休みに舞い込んできた。


「鉄子ちゃん、弁当一緒に食べよ」


 萩原 楓の再来である。


「あの、いや、私はその」


 突然の訪問に対して対処に困る鉄子であったが、やはり立場上そうはっきりと拒絶するわけにもいかず、結局は自分の椅子を横へずらし、空いた空間へと椅子を用意した。

 そうして鉄子が「はい」と着席を促すも、楓は「ああ、ごめん。そういうことじゃなくて」と首を振り、歯の浮くような台詞を口にした。


「二人きりで食べたいな」


「……」


 その発言に鉄子は笑顔のまま停止する。一年A組のクラスメイトも、息を飲みながら聞き耳を立てていた。


(コイツは何をトチ狂ったことを言ってるんだ。頭に何か湧いたのか)


「ごめんね。私、みんなで食べるから」


 そういう体面でもって楓の申し出をやんわりと断ろうとするも、鉄子と机を囲んでいた数人の女子が「いやいや!」と声を上げた。その内の一人が鉄子にひそひそと耳打ちする。


「ここで断っちゃうと、萩原くんのファンから調子乗ってる!とか言われちゃうから、今回は受けといた方がいいんじゃないかな。二回目ならどうにかなると思うし」


 なかなかどうして、鉄子のクラスメイトである真鍋まなべ 陽毬ひまりの見解は鋭いものだった。

 鉄子は彼女の意見に納得すれば、不本意ではあるものの、先ほどの返事を撤回し、楓に申し出を受ける旨を伝える。鉄子の返事を聞き、甘ったるく微笑んだ楓にクラスの女子は一様に見惚れていたが、鉄子だけは貼り付けた笑顔の裏で射殺すような眼光を彼に向けていた。


「裏庭のベンチでいい?」


「え、ああ、うん」


 そう答えるや否や、楓は鉄子の手を握り教室を出ようと歩き出す。鉄子は躓きそうになるも、弁当を引っ掴んで歩き出した。引っ張られるような体勢になりながらも、鉄子は楓の後を付いていく。裏庭に出たところで男に手を握られていると自覚すれば、優しく繋がれたそれを勢い良く振り解いた。

 人気のない裏庭は閑散としていて、風の音だけが僅かに聞こえてくる。鉄子は敵意を剥き出しにしながら、憤りの宿った眼差しで楓を見据えた。


「なんのつもりだよ」


 教室での彼女からは想像も付かないような、酷く攻撃的な声。それを聞いた楓は待ってましたと言わんばかりに口元を歪めた。


「うん、やっぱりそっちの方が好きだなぁ。もういっそ、猫被るのなんてやめちゃえばいいのに」


「勝手に言ってろ」


 鉄子が吐き捨てるようにそう言えば、楓は「ごめんごめん」と安っぽい謝辞を口にする。そうしてベンチまで歩いて行くと、手招きをして鉄子を呼んだ。


「おいで? 別にとって食おうってわけじゃないんだよ。今は昼休みだからね。本当に一緒に弁当を食べようと思ったんだ」


 そう言って、優しく微笑み掛けてくる楓。ともすれば、どこまでも落ちていってしまいそうな程に甘い笑みだった。

 鉄子は客観的事実として、目の前の男の女性から見た価値を見定める。


(ああ、まるで甘露だ。その甘い微笑みに溺れられたなら、酔うことができたなら、どれだけ幸せだろう。クラスの奴らが崇拝するのも頷ける)


 けれど、だからだろうか。

 鉄子は自身の心が冷め切っていくのを感じた。冷めて、冴えて、受け入れがたい現実を直視したような、そんな漠然とした実感に襲われる。夢想するたびに現実を自覚させられるように、異性に対する嫌悪の大きさを確認させられる。

 鉄子の纏う空気が変わったことに目敏く気付いた楓は、優しい声色とは裏腹に、その真っ黒な瞳を鉄子に向けた。その吸い込まれそうなほどに綺麗な瞳を鉄子へと向けながら、楓は宥めすかすように問い掛けた。


「どうしたの? 鉄子ちゃん」


「……」


「ねぇ、俺が怖い?」


「……」


「違うよね。鉄子ちゃんが怖いのは」


「その」


 鉄子は叫んだ。


「その呼び方やめろ! 吐き気がする! 気持ち悪いんだよ!」


「どうして?」


「……っいい加減にしろ!」


「冷静になりなよ。何熱くなってるの」


 その貼り付けたような薄い笑みが、澄ました表情が鉄子の苛々を促進させた。

 今や鉄子の胸中には学校における自身のイメージを保とうという気概はない。ただ目の前の気に食わない、癇に触る男をどう排除するかにのみ思考が注がれていた。

 楓は鉄子の反応を伺うようにゆっくりと近付いてくる。鉄子は鉄子で、後退するという発想自体が頭から飛んでいるため、狼狽するばかりだ。

 楓はそっと、鉄子の手に触れた。


「触んなっ」


 鉄子は先ほどと同じように強引にそれを振り解くも、自身よりも頭ひとつ半ほど高い男に詰め寄られれば、逃げ場を失ったも同然だった。気が付けば、包み込まれるように抱き着かれている。

 自分よりも高い背。

 自分よりも低い声。

 自分よりも固い身体。

 自分よりも強い力。


(ああ、男の、匂いがする)


 茫然自失する鉄子の頭を、楓は愛しくて堪らないという風に優しく撫でた。


「ほんと可愛いね。鉄子ちゃん?」


「……っ」


「怖いんでしょ。強がってるでしょ。そういうところが可愛いよ」


 全部欲しくなっちゃった。

 耳許でそう囁かれた時、鉄子の中の何かが音を立てて弾けた。

 そうして、熱く込み上げる「それ」を。


「おぇ」


 鉄子は吐き出した。

 「言葉を」では、しかしない。何かの比喩表現でもない。

 その言葉通り、嘔吐した。




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