第一話「茅ヶ崎 鉄子の憤慨」
「ああ、もう、ムカつく! なんなんだよ! 私はただ静かに高校生活を送りたいだけなのに!」
駅前の裏路地にひっそりと佇む完全会員制のカラオケ店「モンブラン」にて、茅ヶ崎鉄子は憤慨していた。
「大抵のことは時間が解決してくれる」というハートフルな言葉を信じて現状に甘んじてきた彼女であるが、しかし一向に解決の兆しを見せないどころか、このままでは高校生活そのものが撃滅の一歩を辿りかねないと、遅ればせながら危惧し始めたのはつい最近のことだった。
というのも、高校入学当初から既に一ヶ月余りが経過しているにも関わらず、「一目惚れをした」と告白してくる男子生徒が後を絶たない件である。
中には「外見じゃなくて内面が好きだ」と言ってくれる男もいるのだが、鉄子からしてみれば、そっちの方が余程信用ならないと猜疑するばかりで、実際、自分の内面を好きになる人間なんていやしないだろうと、自身の人間性を否定してやまない。
それならば、いっそ正直に「見た目が好きだ」と言ってくれた方が拒絶のしがいもあるというものだし、振ることの罪悪感も軽減されるのだから、どうせならそうしてほしいと、当人はそんな風にすら思っている。
そもそも他人に対して内面を晒したことなど一度としてないと、鉄子は憤りを隠しえない。
やり場のないイライラを糖分で相殺しようと、鉄子は注文したモンブランを豪快に頬張りながら、自身に告白をしてきた男たちに向け内心で悪態を吐いた。
(思い上がるな。誰がお前らなんかに私の柔らかい部分を晒してやるものか。可愛いという、ただその一点のみで言い寄ってきやがって)
「私が! 可愛いからって!」
叩きつけたフォークが、皿にぶつかってガチャンと悲鳴を上げる。おっと、と鉄子は急いで食器の破砕の有無を確認した。幸い傷は付いておらず、ほっと胸を撫で下ろす。
ここ、カラオケ店「モンブラン」を経営しているのは彼女の叔父であるため、あまり問題を起こすわけにもいかない。付け加えれば、叔父は鉄子の一人暮らしの援助を慈善的にしてくれているから、これ以上は金銭的な迷惑を掛けるわけにはいかないのである。
(達海さんには迷惑を掛けてばかりだなぁ。今度、何かお礼をしなくては)
鉄子は深い溜息を吐くと、靴を脱ぎ、長椅子の上で横になる。
カラオケ機器から流れてくる曲紹介を聞きながら、自分をこんな外見に産んだ母親を強く憎んだ。
もっと地味な外見だったなら、色々違ってきていただろうに。
その妄想は幾度となく繰り返してきた「もしも」の話だった。そんな人生を夢想しても虚しいだけだと分かっているし、自分の顔面に自信を持てない人間からしてみれば、自身のその態度が忌むべきものだということも理解している。しかし鉄子からしてみれば、ない物ねだりもいいとこだった。
自分は何故こんなに可愛い女の子に生まれてきてしまったのだろう。何故こんなにも綺麗な、整った顔をしているのだろう。
鉄子のその自覚は、しかし自惚れでも慢心でもなかった。クラスメイトにそんなことを言おうものなら間違いなく反感を買っていただろうが、だからと言って反論のできる人間も一人としていなかっただろう。
都立針野山高等学校一年A組に在籍する彼女、茅ヶ崎 鉄子は自他共に認める美少女だ。
けれど、だからといって驕ったりは決してしない。鉄子が自身を可愛いと言うのは、あくまで自分を客観的に見つめた結果なのである。実際は性格に難ありの残念系美少女ではあるのだが、しかし学校での鉄子は、それはもう完璧なまでに猫を被っているため、その本性に気付いている人間は一人としていない。
「みんな童貞のまま死ね! ばーか!」
鉄子はありったけの怒気を込めて、腹の内から声を絞り出す。マイクがハウリングを起こして、キンキンと耳障りな音を立てた。
茅ヶ崎 鉄子の体質。というか気質。
それは小さい頃から、彼女の揺るぎないアイデンティティーとしてそこにあった。
異常なまでの、異性に対する嫌悪。
それを隠すように被った猫の毛皮。
「男なんて、死んじまえ」
茅ヶ崎 鉄子は男が嫌いだ。
ともすれば、自身に言い寄ってくる男全員をその手で殺してしまいたいと思うほどに、「男」というファクターが心底嫌いなのだ。