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透陽の解答

 遥かに白い彼女の姿を認め、周りも見ないで走り出した透陽。


――ヴィロサ、ヴィロサ! 


 胸中に響かせるのは、ただひたすら、その名のみであった。


 木々の狭い隙間を抜け、地面に空いた穴を飛び越え、段差を跳ね上がり、ようやく辿り着いた先に彼女は居た。

 だが、その人物の姿をはっきりと確認するなり、しまったという後悔の念が押し寄せる。


 目の前にちょこんと立っている少女は、確かにどことなくヴィロサに似ていた。 遠近もあやふやな距離で一瞬見ただけでは、間違えても仕方がない。髪型も目の色も服の色合いも同じだし、顔立ちも似ているのだから。


 だが、透陽が追い求めていた本命のその姿よりも、目の前で足を止める少女はかなり小柄なのである。ヴィロサが女子大生程の外見だとすれば、この子は小中学生の姉妹だと言って頷けるほどに。

 ところが近くで見れば全く違うのはその衣装。清楚なワンピース姿でもなく、ロングコートで体全体を覆い隠し、口元までがファーで隠れてしまっている。おかげで表情が読み取りづらい。


 そんな彼女は、きらきらとした赤い目で、しどろもどろする青年をじっと見据えていた。無表情な少女に対し透陽はと言えば、罪悪感と困惑の色を隠さないでいる。

 彼を何より慄かせるのは、少女の被る異様な帽子だった。いや、果たして本当に帽子なのだろうか。頭にかぶった丸い球状のそれには、鋭い牙が何本も生えた大きな口が裂けるように存在しているのだ。

 怪物、そう言うのにふさわしい見かけのその物体は、透陽を威嚇するかのように唾液の糸を引きつつ大きく開口する。肉質でグロテスクな内部を見せつけながら、白い煙を噴煙の様に吐き出した。



「あ、あの……俺、人違いしたみたいで」


 引きつった笑みを作りだしながら、一歩二歩と後ずさりした。彼女の佇まいに怯えてのことだ。

 それを耳にした少女は、表情一つ変えないまま、コートのファスナーの途中から出した左手の指で透陽を指し示し、何かぼそぼそと喋っている。

 ただでさえ虫の鳴くような音量の声は、襟元に遮られてくぐもっており、とても聞き取れない。

 透陽はうろたえながら立ち尽くしているが、白コートの娘はそれを静かに見据えたまま、延々と何かを伝えるべく言葉を発している。


 仕方がない、と透陽はなけなしの勇気を奮い立たせて奇怪な少女に歩み寄った。

 にじりよって距離が近づいたところで、音に意識を集中させれば、どうにか聞き取れる。


「……どうしてヴィロサ姉さんのことを探しているの?」

「姉さん……!? 君、やっぱり妹なのか?」

「似た様なもの。私はアマニタ・ヴェルナ。……あれ」


 突き出した手首を右手方向に捻り、人差し指で一点を示していた。その先には、白いキノコが見える。おそらく、あれが本体だと言いたいのだろう。

 なるほど確かに、透陽がこの公園で始めに目にした白いキノコとそっくりだ。むしろ、小型なこと以外の違いがわからない。

 兄弟姉妹の概念は人間と違うとしても、このヴェルナとヴィロサはかなり近しい親族なのだろうと裏付けるには十分な証拠だった。

 ならば、と、透陽は期待に満ちた声で問いかける。


「なあ、ヴィロサがどこにいるか知らないか?」

「……さあ」

「だったら、何で俺に君たちの姿が見えるのか、わからないか?」

「……知らない」


 淡々と答えるヴェルナ。期待は見事に空振りに終わり、透陽は肩を落とした。

 おまけに会話を重ねても相変わらず表情が変わらないし、反応も薄いしで、どうにもやりずらい。透陽は頭を掻いた。


「申し訳ないけど、俺は早くヴィロサに会わなきゃいけないんだ」

「……どうして?」

「ヴィロサなら、俺に答えを教えてくれるから。だから、悪いけど、もう行くよ。さよなら」


 とにもかくにも、一刻も早くこの場を離れよう。そう思って、右廻れした。

 その時、自分の物でも少女の物でもない、野太く明朗な声が響いた。


「全く。ヴェルナとヴィロサの見分けもつかないのに、ヴィロサを探しだすとか、舐めたことをしてくれるじゃないかよ」


 透陽は愕然として辺りを見渡す。だが周り360度全てを見渡せど、口のある生き物は己とヴェルナのみだ。

 つっけんどんな空気を醸しつつ、口をつぐんで立っている少女を見る。だが、彼女の持つ口は一つではない。それに、透陽はようやく気付いた。

 けっ、と吐き捨てるかのように声を上げているのは、彼女の頭の上にある帽子の口だ。

 透陽が狼狽している間にも、それはぺらぺらと喋り続ける。


「お前のことは耳に入っているぞ、奥羽透陽。全く、ヴィロサなら解答をくれるー、とか、甘ったれた野郎だな。ちっとは自分で考えろよ」


 げははと品のない笑い声を上げるその口は、汚い音と共に白い煙を大量に吐き出す。そのもやは凝集して巨大な人の手のような形を造ると、がばりと透陽に襲い掛かってきた。

 腰を抜かして尻餅をつく脆弱な人間の額を、からかうように人差し指でつついていた。とは言え、所詮は質量のない幻影のようなもの。どのように触れられようと、痛くもかゆくもない。

 しかし、ヴェルナにとっては戯れに過ぎない動作でも、透陽を恐慌状態に落とすのには十分な衝撃だった。


 考えろなどと言われても、この状況で冷静に思考などしていられるものか! 彼は冷や汗をかきながらそう思いこそすれ、やはり口に出して反論する心の余裕は持てない。尻餅をついたまま、白い魔の手から逃れようと、必死で後ずさる。

 ゆるりと遠ざかる透陽に、付かず離れずの距離を保つヴェルナ。相変わらずポーカーフェイスを保っていた。だが、そんな彼女の心を代弁するかのように、禍々しい帽子が流暢に言葉を重ねる。


「おいおい、聞いた話とずいぶん違うじゃねぇか。我々を恐れない人間だって言ってたのによ、随分ヴェルナにはびびってるみたいじゃねえか。なあ?」

「いや、だって……! お前、何なんだよ!?」


 唾を吐き散らかしながら叫ぶ声は裏返る。驚き慌てふためく彼の目には、明らかな恐怖の色が浮いていた。

 そんなことにはまるでお構いなく、鉄仮面のヴェルナは、静かに透陽に歩み寄った。顔の傍で屈みこみ、怯える人間を見下すようにしながら、今度は彼女自身の口を開く。


「便利なのよ、これ。私が喋らなくても、思ってること全部喋ってくれるから……」

「い、いやそうじゃなくて。うわ!? こっち来るな!」


 頭上から降りて来た白い煙の帯が、透陽に巻き付くような動きを見せる。それを彼は躍起になって振り払おうとしていた。一人、地面の上でもんどりうつ。

 その様を嘲るように、帽子の口が笑い声を上げていた。


「おうおう、ほんっとに臆病なことで! こんなんじゃ、ヴィロサが何もしなくても、お前死ななかったんじゃねーの!? そんだけビビりでヘタレで弱虫なら、死ぬことからだって逃げ出すだろうよ」

「そ、そんなこと……。俺は、本気で死にたかったんだよ!」

「へえ、そうかい。だけど、お前生きてるな?」


 ぐっと透陽は歯を食いしばる。その通り、彼は今を生きていた。

 にや付く化け物は、煙草を吹かすように白い煙を吐くと、やれやれとばかりの口調で言う。


「ほら見ろ、結局お前の『本気』なんて、見知らぬ奴の一言で止められちまう程度のしょぼいもんなんだよ。……それにしても全く、ヴィロサも優しいもんだ。こんな奴、ヴェルナなら見殺しにして終わりだったのによ」

「ちょっと待てよ……何でそれを……」

「何で? まあ、そんなことどうだっていいじゃないか、奥羽透陽よ。それで、だ。お前死にたいんだろう? だったら、ヴェルナが楽にしてやるよ」


 狂気じみた笑い声を上げる帽子と共に、凍ったように顔を動かさないヴェルナが、透陽に迫る。

 可愛らしい少女の外見と裏腹に、恐ろしい空気を纏い、黒い手袋に覆われた左手を伸ばして来た。

 小さな手が、透陽の喉元に迫る。考える間もなく、咄嗟に彼は心の叫びを上げた。


「い、いやだ! 俺は死にたくない! 生きたい!」


 ぴたとヴェルナの動きが止まり、静寂が訪れる。

 荒い息遣いのまま、透陽は流れるがままの心情を吐露した。その目には涙が溜まっている。


「俺は……生きたい。確かに臆病だし、死ぬのも怖いって気持ちもある。けど、みんなに会って、生きてるってこんなに楽しいんだなって、思えたから……。そうだよ、君たちのおかげだ……!」


 透陽は涙目で、しかし睨むようにヴェルナを見た。

 黙して彼の言葉の続きを待っている白い少女の後ろには、今まで出会った友茸ゆうじんたちの姿が、幻影のように浮かんでくる。


「こんな俺にも優しくしてくれて、いろんな奴が居て、見た目は怖くてもいい奴だったり……。今までの人生で一番楽しくて、本当に俺の人生なんだったんだろうって。そう考えるきっかけをくれたのは、君たちキノコじゃないか」


 透陽は泣きながら笑った。

 本音を吐露し始めたら止まらない。今まで隠れたところに溜まっていた鬱屈した思いを、全て洗い流すかの如く勢いで喋り続ける。


「みんな個性がある。みんな幸せだって言えることがある。でも、俺には何もなかった。勉強だけは誰にも負けない強みだったのに、受験に失敗してそれも折れて。……俺は、あの時にもう死んだようなものだったんだろうな」

「……でも、医者になるんじゃなかったの? 立派な個性だと思うけど……」

「えっ、その話も知ってるのか……。まあ、いいや。そうだよ、俺は医者になるために生きて来た」


 透陽の悟ったような笑顔に影が差す。


「でも、どうして俺は医者になりたかったんだろうなって考えるようになって。そしたら、俺、医者になってやりたいことがそもそもなかったんだよ。ただ、親父の後を継がなければいけないから、医者にならなきゃって思ってたから」


 奥羽透陽は、ついに、最後の殻を脱ぎ始めた。自らの手で、自ら掴んだ答えを持ってして。


「でも、それすら俺は自分で考えたわけじゃないんだ。父さんも母さんも、俺にずっとそう言う風に言い聞かせてくれて、俺はそういうものだと思い込んでいた。だから、言われた通りに勉強して、みんなが持ってるような漫画もアニメもゲームも、全部父さんに禁止されていたから触ろうとも思わなかった。大体、俺は選ばれた人間だって周りのみんなを見下してたところもあるのかもしれない。俺は、そういう風に育てられたからさ」

「おいおい! そうやって自分の失敗を親のせいにするのか? ひっでえ話だ、不孝者のクズ野郎め」


 ヴェルナの上の口が嘲笑する。だが、侮蔑されても怒りもせず、透陽は穏やかな面持で首を横に振った。


「いや、俺も悪いよ。父さんや母さんのいう事を少しだって疑おうとしなかったし、どうして俺は遊んじゃいけないんだって思っても、それを言わなかったのは俺だから。だって……その方が楽だったから。言われた通りにしていれば、反感を買うことも無い。医者になるって言っていれば、みんな一目置いてくれる。成績がよければ、褒めてくれる。規則正しく生きていれば、責められやしない。ああ、そうさ! ただ『楽』だからって、俺は自分で考えることも、変化を求めることもしなかった。ムスカリアの言った通りだよ。俺は結局、逃げてばかりだったんだな」


 奥羽透陽は初めて人間らしく感情を吐露し、そしてさらに思考した。己の生き方を振り返り、そしてこれからどうするのか。

 そして初めて、己の人生に敷かれたレールを、自ら飛び出した。


「そう、だから決めたんだ。医者になるのなんて、辞めるよ」


 一陣の風が吹く。それはすがすがしい空気を孕んでいた。将来の夢を潰したばかりだというに、青年の心は晴れやかな心地で満たされる。

 これこそが、自分なりの結論。考え抜いた末に導き出した、己の生き様という問題に対する、奥羽透陽なりの解答であった。


 清々した顔を見せる青年に対して、ヴェルナが小首を傾げてぽそりと呟いた。


「……辞めて、どうするの?」

「いや、それはまだ考えてない。でもとにかく、俺は、昔の俺には戻らない。未来に絶望して自殺しようとした奥羽透陽は、もう死んだんだ。俺は、楽しく自分らしく生きていくよ」


 とんと憑きものが落ちたかのような笑みを浮かべる。

 新しく生まれ変わった、純粋無垢な青年。その顔は、心なしか年齢よりも幼く見えた。


 ヴェルナはそんな透陽をじっと見つめている。だが、彼女は何も言わない。いくら待っても、黙って見ているだけだ。


「な、何か……?」


 その様子に戸惑った様子を見せる。するとヴェルナは一瞬目を赤く閃かせて、少し俯いた。

 そして帽子の方がくたびれたような声を出す。


「全く……。これで満足かよ、ヴィロサ」

「そうねえ、八十点ってところかしら」


 突然響いた美しい声。それは、透陽が追い求めていた甘やかな響きだった。

 びくりと肩を震わせる。しかもあろうことか、発信源は己の背後にあるように聞こえたのだから。


 波打つ鼓動を抑えながら、ゆっくりと首だけを後ろに向けた。

 あれだけ追い求めた透陽の天使は、彼の背後、わずか三メートル程度の所に輝くように立っていた。

 純白のスカート、柔らかく滑らかな肌、気品のある帽子、胸に輝く銀のドクロ、そして背中に生えた純白の翼。見間違いようもない、彼の渇望していた死の天使、アマニタ・ヴィロサその人である。


「ヴィロサ! 俺は、俺はずっとあんたを探して……」


 弾む息を抑えながら、たどたどしく言葉を紡ぐ透陽。

 その一方、ヴィロサはすまし顔で、透陽に宣告する。


「ええ、当然知っていたわ、そんなこと。……ついでに言うと、あなたのことをヴェルナに話したのも、私」

「え!? でも、さっきヴィロサがどこにいるか知らないって言った……」


 問い詰めるようにヴェルナの方に視線を戻す。彼女は、表情こそ変えなかったものの、ぷいと目を背けた。

 代わりに例の帽子が、ばつの悪そうな呻きと共に、言葉を出す。


「ヴィロサも回りくどいやりかたするからだ。全く、めんどくせえ。責めるならヴェルナじゃなくて向こうだぜ、向こう」

「……どういうことなんですか?」

 

 今度はヴィロサに向き直る透陽。一方の彼女は涼しげな顔で一言、悪かったわねと、そっけない謝り方をした。

 そして、小悪魔のような笑みを浮かべて言葉を繋ぐ。


「でも、こうでもしなければ、あなたは自分で考えようとはしなかったでしょう? 私に頼って、言いなりになって、自力で解答を見つけようとしなかった。そうじゃないかしら?」


 透陽が言葉に詰まる。図星過ぎて、反論できない。

 視野の外でヴェルナの帽子がけたけたと笑っているのがわかった。


 ヴィロサが静かに歩み寄る。透陽の眼前でしゃがみこむと、そのしなやかな腕を伸ばし、まるで子どもを褒めるかのように頭を撫でた。


「だけどね、よく頑張ったわ、透陽。あなたは自力で答えを導き出したのよ。ただし、八十点だけどね」

「……満点じゃないのか」

「ええ。でもね、そもそも正解のない問題よ? あなたは嫌いでしょうけど、生きていれば、そういう問題の方が多いわ」


 確かに、透陽ははっきりとした答えのない問題――学校で言うなら、主に国語の試験だ――が嫌いである。そこまで見透かされているのかと、透陽は舌を巻いた。


 そして謎の八十点。それは、ヴィロサの中での点数だと言う。

 ならば何故満点をくれないのか。それを透陽は再度問うた。

 

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