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回り道は無駄じゃない

 透陽の行く手に立ちふさがった少女は、遥か高みにて足を組み、頬杖をついた気だるい表情で青年を見下ろしている。

 一方の男は、もはやその少女を見つめてなどいられなかった。口を堅く結び、額に手をついて俯く。心なしか、顔が赤い。

 そんな弱々しい姿を見た少女は、不思議そうに首を傾げた。それに合わせて頭の上に乗った帽子のような塊から星屑がこぼれ落ち、空気中に散っていく。幻想的な情景だ。だが、それも透陽の眼には入らない。

 

 挙動不審な人間の男を訝しんだ彼女は、淡々とした口調で尋ねた。


「どうしたの?」

「その……君の足が……」

「透けているのが珍しい?」


 そう言いながら、流れるような所作で足を組み替える。彼女が歌うように言う通り、椅子に腰かけるその足は透き通っていて、向こうの風景が見えているのだ。

 そうすると白いブーツのみが空中に浮いている様に見える。さながら幽霊のようだ。


 だが、透明なこと自体に文句はない。そもそもキノコが人間の娘の姿をして自分に話しかけて来る事態の最中なのだ、この上お化けが出ようと透明人間が出ようと、もはや誤差レベルでしかない。

 それでも彼が一言申したいのは、透けていることによって二次的に起こっているある現実に対してだ。

 透陽は視線を外したまま、言いづらそうに震える声を出す。


「その……見えてるんですけども」

「何が?」

「あの……下着が……」


 そこまで口にした途端、かっと頭に血が上る。

 もちろん積極的に見るつもりは微塵も無かった。だが話し相手は短いスカートを履いて、しかも頭上で足を組まれている体勢なのだ。会話をするために彼女を見上げれば、不可抗力でちらりちらりと視界に入ってくる。ちなみに、色が黒だったことも鮮明に記憶していた。


 今まで女性経験も無ければ、不埒なことに興味も無かった初心な彼も、一人前の人の子だ。

 男の本能が訴えかける喜びと、理性溢れる彼のいたたまれない思いが、二極化した色彩の渦を巻きながら悶々と湧き起っている。

 ところが、悩ましい表情の透陽とうってかわって、羞恥を晒した当の本人は、至って涼しい顔をしていた。


「見えたからって何?」

「何って……恥ずかしいとか、嫌だとか、無いんですか」

「無い。だって、肌が見えてるわけじゃないもの。そうでしょう?」

「いやいや! 普通に考えてそこは恥ずかしがるところでしょ! お願いしますって!」


 そう勢いづいて、彼は落ち着きはらっている少女をつい見上げてしまった。

 変な人ね、と言いながら首を傾げる。また星がこぼれた。そんな情景を吹き飛ばさんかのように目に飛び込んでくるセクシーな黒いパンツ。

 悩ましい声を上げながら、真っ赤な顔を伏せた。

 ボイルされたかのような脳を回転させ、そもそもなぜこんなことになったのかを振り返る。


――そうか、わかったぞ!


 透陽はある種の悟りを開く。

 今日この森で起こっていることは夢に違いない。夢だから、自分の深層心理が反映されている。だから、女性にばかり出会うし、挙句の果てには足が透けてる上、下着を見せつけて来る女の子まで登場するんだ。

 己を納得させるために、自分で勝手に結論付けた原理。それは、心の奥で異性を求める男としての本能が、こうした幻想を産み出しているのだと言うことであった。


 空想じみた理論だが、透陽はそこに縋る。

 これが夢ならば覚めなくていい。現実の己は、受験に失敗し、順風満帆な人生の道から転落した負け犬の浪人生なのだ。それに比べれば、森の中で何も考えず、少女たちと戯れている方がずっと幸せだ。

 こちらがマシというレベルを遥かに超越し、今までで一番楽しい時間を過ごしているのだから。


 理由を提示すれば、例えそれに無理があろうとも、混乱を落ち着けるには多少であれ効果的だ。

 透陽は少し落ち着いて、目の前で不動の構えを見せる少女を直視できるようになった。

 空想の世界で下着をあらわにする女性を見つめても、変態呼ばわりされることはないだろう。おまけに、本人も構わないと言っているのだ。そんなある種の開き直りである。


 何はともあれ己を鎮静化させると、大きな目の少女に、透陽は再度問いかけた。


「どうして退いてくれないんだ?」

「だってやっと見つけたもの。わたしの足蹴になってくれるヒト

「……は?」

「元の姿もわからないくらい真っ黒になって……もう待ちきれないはずよ? 全て吸い尽くしてあげなきゃ」


 口端を吊り上げニタリと笑う娘の姿に、寒いものを覚えた。

 これは夢だと言い聞かせても、さすがに何を言っているのか訳が分からない。それどころか、危険な人物だという香りがそこはかとなく漂ってくる。


 うふふと笑みを浮かべ、少女は妄想に浸っているようだ。目線は虚空を見据え、両手を組んで惚けた顔をしている。

 さて困った。すっかり眼中から外された透陽は、自分の存在を主張するべくおずおずと話しかけた。なお、いつでも逃げられるような体勢を取っている。


「あの……君は一体……」


 ふっと星の娘の顔が元に戻る。先ほどまでの熱っぽい顔はどこへやら、落ち着いた大人の女性の顔だ。

 そんな彼女は、穏やかな吐息と共に透陽を嗜める。


「君って呼ばないで。わたしには名前があるのだから。櫓屋ヤグラヤ望星ミホシ。わたしは望む星と漢字で書いて、ミホシよ。あなたは何てお名前?」

「奥羽透陽。透ける、太陽のと書いて、トウヒだ」

「ああそう。素敵な名前ね」


 言葉とは裏腹に、そっけない感じがした。やはり、先ほど一瞬見せた、邪悪とも取れる含みを持たせた言動仕草は、己に向けられたものではないようだ。透陽は安堵の息を漏らす。


 そして思い至る事は一つ。彼女もキノコなのではないか、と。

 それならば今までの娘たちのように、本体が近くにある可能性が高い。そう思って辺りを見渡した。

 しかし周囲に生えているのは、望星の椅子のすぐ隣、小路の脇に生えている真っ黒でお椀型の傘をしたキノコぐらいだ。グランディやカエンのことを考えると、彼女たちは本体と似た姿をしているようだ。

 だがの黒いキノコと白い望星とは、到底結びつかなかった。一目瞭然、色が違う。


 疑問符を浮かべている透陽に、ささやくような望星の声が降ってくる。


「何を探しているの?」

「あ、いや……君は一体どんなキノコなのかなって思って」

「ふーん」


 尋ねた割には興味が無さそうな適当な返事だ。透陽は苛立ちを感じる。


「この辺にあるんだろ? どれなんだ?」

「私はそこよ」


 望星は左の手のひらを使って、例の黒キノコを示す。

 嘘だ。透陽は眉を顰めた。


「おいおい、冗談止めろよ。この黒いヤツのどこが君なんだ!」

「嘘は嫌いなの。あなたは考えが足りない、視野が狭い。どうしてこれから大きくなる処だっていう発想がないの?」


 小ばかにするように望星は小さく笑っている。

 だが未だ納得できない透陽。それもそのはず、その黒キノコは生長前というよりは、むしろ年老いた気配を醸しているのだから。


 ああもう、わけがわからない。

 望星の宇宙のようにつかみどころのない言動を解するには、透陽の固い脳味噌では不十分であった。

 脳が鳴らす「理解できない」という悲鳴は、確実なストレスとして蓄積する。


――こんなヤツと話している場合じゃないんだ!


 神経が切れる音が聞こえた気がした。

 透陽は苛立ちを隠そうともせず、望星に食って掛かる。


「もう何でもいい。とにかくどいてくれ、急いでいるんだ!」

「そうなの。でも、透陽はそんなに急いでどこへいくの? この先の遊歩道からおうちに帰るつもり?」

「違う。ヴィロサに会いにいくんだ」

「ヴィロサ……?」


 宙を見上げて、大きな目を伏せ、首を傾けている。

 その対応が意外だった。今までヴィロサの名前を出して、通じなかったことはなかったのに。勝手に有名人なのだと思い込んでいたのだが。


 長考の後、望星は蚊の鳴くような声で「あいつか」と声を漏らした。


「知ってはいたんだ」

「前から名前はね。でも、アマニタ連中にはそんなに興味が無いから、よく知らないし、どうでもいい」

「どうでもいいのはわかったから、通してくれ。この道の先にヴィロサが待っているんだ」


 望星は眉を上げる。声は相変わらず一本調子だ。


「そんなこと私には関係ないもの。ここは私の場所。森に一回入って回り道すればいいじゃない」

「だから、急いでるんだって!」


 ついに耐え切れず、怒りを含めて叫んでしまった。

 激情を露わにしたこと。少しながら自己嫌悪が襲ってくるが、対する望星は全く気にしていないようだ。

 変わらずマイペースを貫き、また足を組み替えて、身を乗り出すように透陽に問いかける。


「ねえ、透陽。人間のあなたがキノコに恋い焦がれたところで、その想いは叶わない。キスでもすれば殺されるわよ。あれは怖い怖いアマニタの筆頭なのだから。あなたたちの間に何があったか知らないけれど、大人しく帰って、ついでに忘れた方がいいわ」

「恋とか、愛とかじゃないんだ。俺は……ヴィロサなら、きっと俺に答えをくれるから」


 透陽は望星の目を睨みつける。彼女の星形の瞳は、目を通して青年の内面を見通すようであった。


「真っ直ぐなのね、あなた。そんな透陽には『急がば回れ』の言葉をあげる。人生回り道も無駄じゃないの。時には立ち止って、後ろを振り返ってみることも大切よ」


 そんな上からの教えに、ぐっと透陽が拳を握りしめる。

 急がば回れ? この広い森の中で、この機会を逃したら、もう二度と出会えないかもしれないじゃないか。こうしている間にも、彼女はどこかへ去ってしまうだろうに。

 いや、もはや時間がたち過ぎている。

 そろそろ限界だ。


「そんな時間ない! 俺は行くから。じゃあな、望星。そこでずっと座ってればいいさ」

「言われなくてもそうするつもり。ここでアイツのことを考えて、星を見て――ゴールしか見てないあなたには決して理解できない、豊かな時間を過ごすのよ」

 

 望星の返答の終わりの部分は、捨て台詞を残して急ぎ足で去って行った透陽の耳には、届いていなかった。

 あれほど躊躇っていたのに、透陽は勢いがまま藪に飛び込むと、さらに奥の木立に入り込み、望星の居る部分を追い越す。そしてすぐに細い道に戻って、足の向くまま道なりに走り去っていった。

 望星は脚で器用に椅子を回転させると、人間の後姿をだるそうに見やっていた。



 ――ヴィロサ。どこだ? どこにいる?


 透陽は森を駆け抜けた。足元に気を配り、木々の合間を見渡すも、殺しの天使の姿は見当たらない。

 やはり望星に足止めされた時間が無駄だったのだろう。彼女はどこかにいってしまったに違いない。そう思い、透陽は肩を落とした。同時に怒りも湧いてくるが、今更どうしようもない。


 もやもやした心地のまま道を駆け抜ける。すると、突然視界が開けたので、そこで足を止めた。

 急に開けた道に出た。人工的に踏み固められたような固い地面と、木を用いて作られたなだらかな階段が居ている。まるで、森林の中の遊歩道だ。


 視界が急変したことで透陽は我に返る。果たして俺は、今どこにいるのだろう、と。

 死を渇望し、我を忘れて、ただ木の生い茂る森を求めて無心でやってきた。自転車を止めたところから、あのロープをかけた木のところまで、どこをどう進んできたのかも全く覚えていない。

 ここは夢の中だと自分に言い聞かせたものの、やはり不安が襲ってくる。よく考えれば、夢と現実の境界をどこでまたいだのかすらわからないのだ。


 そこで先ほど望星が言っていた言葉を思い出した。「この先の遊歩道から、家に帰るつもり」だと、彼女は透陽に投げかけた。すなわち、ここで交わった道を上るか下るかすれば、町に戻ることは出来るはずだ。


 だが、彼にはまだ帰宅の意志はない。むしろ、このまま森から出たくないと願っている。

 家に帰り夢から覚め、現実と向き合うことを過剰なまでに恐れていた。


 俺はヴィロサに再会するんだ。絶対に。

 そんな妄信ともいえる決意と共に、彼は遊歩道を横断し、反対側の道なき深い森へと入り込んでいったのだった。





「馬鹿みたいに真っ直ぐな人間ね。まるでトウヒの木みたい。のんびりすることだって無駄じゃないのに」


 透陽が消えた先の空間を見つめて、望星が一人ごちた。疲れたようにふうと溜息を吐き出して目を伏せると、また椅子を180度回転させる。


 大きな目をゆるりと開く。星の輝く瞳で見つめた先には、白い帽子の婦人が立っていた。

 背中から柔らかい翼を生やしたその人は、静かな足取りで、先ほど透陽が立っていた場所まで歩いてくる。

 森に煌めく天使の姿。彼女こそ、奥羽透陽が一心に追い求める、アマニタ・ヴィロサその人だ。


 悠然たるヴィロサに、ごきげんよう、と眉を上げて言う望星。

 実は、尋ね人の姿は捲し立てる青年の背後にずっとあったことを知っていた。

 知っていても、透陽には告げなかった。まさにどうでもよいことだったから。


 だが教えなかったことを罪とするのなら、それは背後に居たヴィロサとて同じことになる。透陽と望星との会話も聞いていたのだが、存在は決して主張しなかった。

 なぜそんなことをしたのか。興味はないが、不思議ではある。櫓屋望星は謎を解き明かす探偵のような心で尋ねた。


「ヴィロサも大概ね。ここにいると声をかけてあげれば、それで全部終わり。透陽もやっと未練なくおうちに帰れるのに」


 小首を傾げる望星に、ヴィロサが困ったような笑顔を見せる。


「……そんなに簡単なことじゃないわ。そう、あなたいいこと言ったのよ。『急がば回れ』。最短で目標に辿り着くことしか彼の頭の中にはない。困ったことに、昔からね」

「あら、わけありの関係なの?」

「そうでもないわ。一方的に思うところがあるだけ。あなたが生まれてこの方、一方的にルッスラ・S・ニグリカに付きまとうようにね」


 一人の麗人の名前を出すと、望星の表情は急変する。


「あらやだ、何を言ってるの? アイツはわたしの踏み台になるべきヤツなのよ。わたしに絞りつくされて、でもそれがアイツの喜びになるはずよ。ああ、あのツンとした顔が苦痛と快楽に歪むのを見てみたい……」

「前言撤回。あなたみたいに悪趣味な趣向は私には無いわ、だから一緒にしないでね」


 夢想して顔を綻ばせる望星に、ヴィロサ眉を顰めて釘を差した。


 それにしても、と、彼女はひっそりと微笑む。その慈愛に満ちた表情は、女神あるいは母親の持つそれであった。


 ――少し、成長したわね。


 ヴィロサは心の中で賛辞を送る。

 彼女は、透陽の中でどんな変化が起こったのかは知らなかった。だが、確実に彼が変わったことは感じていた。それが心から嬉しい。


 表情を緩めるヴィロサに、空想の世界から戻った望星が追究する。


「なら、どうして透陽に会ってあげないの?」

「簡単なこと、答えは自力で見つけるものだから」

「へ?」

「あの子は少し変わった。やっと自分の殻を破り始めた。でも、まだまだ。十九年間、がんじがらめに固められて来た分厚い殻は、そう簡単に抜け出すことは出来ないでしょうね。でも、自力で抜け出せなければ、彼はそのまま死ぬだけよ。卵から産まれられなかったヒナみたいに、哀れな姿でね」

「うん? ああ……ヴィロサが姿を見せれば、透陽は殻を破ってもらえると期待するから、ってこと」


 理解を得られたことに、天使はとっておきのスマイルを見せる。


「そう。彼は答えだけを求めている。医者になる、だからこうあるべき。他者によって植え付けられて来た、そんな人生の理想だけしか眼中にない。そのせいでありとあらゆるものを見落として来たわけよ。その上、彼は逃げている。理想像でなくなった己と向き合うのが怖いから。ああ可哀想! でも、透陽にはそれ以外の物がなにもなかったのよ」

「……不思議。透陽のことを何でも良く知ってる風な口を聞くのね」

「ええ。知っているもの」


 不敵な笑みを浮かべたヴィロサ。


 そう、私はあなたを知っている。この森で遭うよりずっと前から。

 だから知っていた。あなたが、まるで子どものまま大人になってしまったと。


 そんな独白は心の中に留め、ヴィロサは星を振りまく望星に別れを告げると、木々に分け入っていった。

 愛しき緑の香りを胸に吸いながら、彼女は宙に呟いた。


「たくさん回り道をして、たくさん出会いをすればいい。今まで目を向けなかったものを見て、今まで経験しなかった思いをして、少しでも育ちなさい。でも、透陽。いつまでも現実から逃げ続けるわけにはいかないと、流石にわかっているわよね?」


 強い風が吹き、木々がざわめく。ヴィロサは思わず純白の帽子を押さえた。

 彼女の思いが風に乗り、暗がりを彷徨う奥羽透陽の心に運ばれること。今はそれを、願っていた。



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