孤独な青年に無二の親友
駄目だ。このままではいけない。そんな気がする。
ぎゅっと拳を握って、彼は勇気を奮い立たせた。
せせらぎを挟んで対岸の彼女たちは、二人の親密さに加えて、そのファッションが放つオーラも相まり、とにかく近寄りがたい空気を醸している。
透陽は己に言い聞かせた。
大丈夫だ、見た目ほど怖くない。さっきだって気さくな感じだったじゃないか、拒絶されやしないさ。
大丈夫だ、大丈夫。
同じ言葉を言い聞かせるように、何度も何度も心の中で唱えて、呼吸を整える。
そして若き青年は己の殻を破るべく、勇気を込めて地面を蹴った。体が軽やかに宙に浮き、水の流れを悠々と飛び越えて、対岸へと着地する。
勢い余って枯れ枝を踏み鳴らせば、話し込んでいた少女たちが同時に振り向いた。
自然と目が合う。
静けさが訪れる。
さあ、何か言わなくては。でも、友人を作る時は何て言うんだっけ? そんな風に脳をぐるぐると回しながら、水を求める魚のように口をぱくぱくさせている。心臓の拍動も最高潮だ。
「あ、その、こんにちは……俺は奥羽透陽って言います。お二人は?」
考えた末の結論が名乗りだった。口にしてから彼は後悔する、もっと気の利いたことが言えやしないのかと。
男勝りな女の二人組は不審そうな目を向けていたが、どうにかその意図を察してくれたらしい。お互いでアイコンタクトを取ってから、透陽に向き直った。
先に口を開いたのは、赤い髪の方だ。親指で自分の胸を叩いて見せる。
「あたしは火群カエンっていうの。で、こっちは……」
「ファルって呼んでくれればいいさ」
オリーブ色の方が八重歯を光らせにんまりと答えた。それにカエンが吹き出す。
何が面白いのか訳の分からない透陽は、ひたすら疑問符を浮かべていた。
すると、笑い声をかみ殺しながら、カエンが隣のファルの肩を揺らしながら教えてくれる。
「あのね、こいつ、自分の名前嫌ってるの」
「へぇ、そうなんだ。どうしてなんですか」
「だって、長くて呼びづらいし……」
ごにょごにょとファルが口ごもる。若干目線も下げぎみだ。
そんな彼女の顔をニヤつきながらカエンは覗き込む。
「あれー? 名前がかわいくなくて恥ずかしいからじゃなかったっけ? 素直に言っちゃいなよ」
「う、うるさい」
ファルが顔を赤らめて腕を引いている。
――あ、かわいい。
透陽は密かに思う。
だが、ふと思い出すことがあった。さっき自分は彼女に無礼を働いたような、と。
「あの……さっきは無視してすいませんでした」
「あー? あー、それか……。別にいいよ。カエンのこと触っちゃったんなら、あんだけびびっててもしょうがないもんな」
にゃははとファルは無邪気に笑って、透陽の肩を叩いた。ここに来て、実は単に君の見た目が怖かったんだ、とは言えなかった。慣れない愛想笑いをしてごまかす。
そんな所にカエンから横やりが入った。
「びびったのはファルの見た目のせいじゃない?」
「なっ、お前にだけはそれ言われたくないぞ。キノコ界の最恐女じゃないか! それに比べりゃ、あたいなんかかわいいほうだ」
「どうかなー? て言うか、実際どうなのさ、透陽君」
二人が一斉に透陽の方を向く。
片や赤いレンズのサングラスが刺々しいし、片や唇から八重歯がぎらりと顔をだしている。正直、どっちも怖い。
間延びした声を出しながら、目を泳がせて、うまい言い回しを考えた。
「えーっと、ファルさんも、カエンさんも、かっこいいなあ。って思いました」
「おいおい、何だその感想!」
「ヤダー、子供みたい!」
大きな笑い声が上がる。だが悪い気はしていないらしい。
だだ、ファルは腕を組んでとしみじみ呟く。
「かっこいい、も悪くはないけど。やっぱりかわいいって言われたい。そんな女心があるのさね」
「それそれ。まあでもねえ、ニグリカに比べればあたしらなんて、まだまだ乙女だって」
誰だ、と透陽は心の中で突っ込んだつもりだった。が口に出ていたらしく、カエンが軽く紹介する。
曰く、キノコの仲間だという。残念ながらこの森には居ないそうだが、それはもう怖いくらいに男前な女性なのだとか。
その話はファルも関心して聞いていた。彼女も、そのニグリカには会ったことが無いそうだ。腕を組んでうなっている。
「いろんな奴から噂はちらほら聞くんだけどねえ……」
「あの娘は外も中も完全に男だから。透陽君も一回会ってみなよ、あたしがかわいく見えるって」
「ああ、はい。わかりました」
ふつとここで会話が途切れた。
だが透陽は喜びを噛みしめていた。普通に受け入れてもらえて、話をしてもらえる。おまけにこの二人は笑顔まで見せてくれるのだ。
本当は最大級の賛辞を、感謝を送りたい。君たちも十分かわいいよ。そう言いたい。
ところが思っていることを卒なく口にできるほど、彼は人付き合いに慣れていない。その代わりにはにかんだ顔を見せる。これが、現在の透陽の精一杯だ。
流石にそんな彼の様子に思うところがあるらしく、ファルもカエンも、難しい顔をしていた。
透陽自身も彼女たちの表情の変化に気づく。
ああ、俺は何か不味いことをしただろうか、と考えた透陽の顔から笑みが消えた。
先に沈黙を破り、言いづらそうに口を開いたのは、カエンだった。
「なんか、透陽君ってさ……真面目だよね」
「うん、あたいもそう思う。なんでそんなに畏まった感じなのさ。やっぱりあれか? 怖がってるのか?」
「いや、そんなことは……」
しどろもどろになる透陽。両の掌を前につきだして振って見せる。
なぜと聞かれても、それが自分の性格だから仕方ないとしか言えなかった。それはそのまま、怪訝な表情を見せる二者に伝えた。
しかし相変わらず眉間に皺を寄せるファルと、呆れたように溜息を吐くカエン。
本人たちにしてみれば、それは何でもない仕草である。だが疑心暗鬼にかられる透陽には、前者の八重歯は自分に噛みつくための牙のように鋭く見え、後者の腰に当てられた拳は自分を突き放すための武器のように暴力的に見えた。
勝手にあれこれ妄想して、勝手に怯える青年。
透陽はおおよそ知っていた。自分の発言の後、あんな不快そうなリアクションを取る者たちが、次に何を言うか。
『お前はつまらない奴だな』
間違いなくそう言う。そう言われてきたのだから。そして浴びせられる嘲笑。
いたたまれなくなって、俯く透陽。
だが無意識に耳を抑えようとした彼の手は、予想しなかった結末に遮られた。
ファルが、暗い闇を滲ませる透陽に歩み寄って、その肩を抱く。そのまま顔を覗きこむと、にっと健康的な笑顔を見せた。
「ほんと真面目だなー、あんたは。もっと肩の力抜いて気楽にやれよな? 素直に自分の言いたいことは言えばいいし、聞きたいことは聞いてくれていいしさ。じゃないと、疲れるだけだぞ。な? 気楽に仲良くやろうな!」
「ファルさん……」
目を点にしていると、カエンも声をかけて来た。
「ほらほら、それだよ。そんな堅苦しく丁寧な感じじゃなくていいんだって。初対面でもあるまいし、だいたい、あたしらもう友だちでしょ? 呼び捨てにしてくれて構わないから。もっとフランクにやろーよ」
「あ……」
友だち。
その言葉が、透陽の胸に突き刺さった。
奥羽透陽の中で、「友」というものは、もっと長い時間を共に過ごして打ち解けた相手を呼ぶ言葉だと定義されていた。
だが目の前の少女たちは、たった数分会話しただけの自分のことを、「友」だと言ってくれた。自分はと言えば、外見だけを見て、己と相いれない性質だと偏見的なものの見方をして、どこかで一歩引いた接し方をしていたというのに。
青年は大人になりかけた今、ようやく気づいた。
友とは、難しく考えて作る物じゃない。気楽に構えて人と関わっていれば、自然と隣に居てくれているものだと。
――二人は俺の友だちだ。例え人間じゃなくても。見た目が怖くても。
色眼鏡を捨て去った今、目の前で楽しそうに肩を揺らしているファルの黄色味がかった髪が、自分に気を使って体に触れないでいてくれるカエンの赤い髪が、一層鮮やかに美しく見えた。
この日、彼には初めて世界が色づいて見えた。
透陽は知らない内に涙をこぼしていた。一つ二つと頬を伝って流れる雫に、愛らしき友たちが揃って慌てふためく。
「ど、どうしたんだよ!? あたいなにかしたか!?」
「ごめん! よくわからないけど、ごめんね! そんな泣かせるつもりじゃ……」
「違う……嬉しいんだ……。それに、悲しいし……」
むせび泣く背中をファルに優しく擦られながら、透陽はこれまでの自分のことを話した。どことなく孤立していた学生時代から、これまで全てを懸けて来た人生のレールを外れたことへ。
そして今日、本当は死ぬつもりだったことも、ヴィロサに罵られるように思いとどまらさせられたことも、そんな彼女を必死で探していることも。そして、自分のことを友と呼んでくれたことが、たまらなく嬉しいと言うことも、全て、全てを語りつくす。
そんな彼の全てを、親友相手に安心してさらけ出した。ああ、何でも話せるってこんなに気分が良いんだなと噛みしめながら。
ファルもカエンも、穏やかな面持を保ったまま、彷徨う青年の全ての告白を聞いてくれた。それがまた、彼に満たされた心地を与える。
「もっと、もっと早くに気づけてたら……ヴィロサの言う通りだよ……気楽に何でも話せる友だちが、もっと早くに居たら、こんなことにならなかったかもしれないのに……」
むせび泣きながら、透陽は自嘲した。
ファルの肩を抱く力が強くなった。心なしか彼女の大きな目も潤んでいる気がする。
目のすぐ前には、カエンが歩み寄ってくる。
「ほんとはあたしもハグしてやりたいけどさ……危ないからね。まあ、今気づけただけで、まだましじゃない? 全然遅くないでしょ、まだまだ人生長いんだし」
「そうだそうだ、そんな悲しい顔するなって! だいたい、そうでもなければ、あたいらと出会うことも無かったってことだろ?」
「ああ……そうかも。うん、そうだよな。俺は君たちに会えて幸せなんだよな」
次に言う言葉は心に決まっていた。
だが、いざそれを口にする瞬間まで、透陽の心臓は緊張に鳴っていた。
「ありがとう。カエン、ファル。大好きな、俺の、友だち」
待っていましたとばかりに、二人の娘から歓声が上がる。それはまるで、新しく生まれた者への祝福の音色のように、透陽の心には響いていた。
少し透陽が落ち着く頃合いを見計らって、ファルが声を上げる。
「そうそう、お前ヴィロサ探してるんだよな? あいつ、さっき向こうの方に居たぜ? ここ上がると細い道があって、その道沿いに」
「ほんとか!?」
それを聞くなり、斜面を這いずるように駆け上がろうとする透陽。
だが、それを引き留めるように、カエンから声がかかった。ちょっと待ちな、と厳しい響きを孕んでいて、身をこわばらせた透陽。だが、振り返ってみたカエンの表情は、情愛に溢れていた。
「そんな泣き顔で、愛しのヴィロサちゃんに会いにいく気? 振られちゃうよ? あの娘は結構、厳しいこというからねぇ。だから一つ面白い話聞いて、笑ってから行きなよ」
むうと透陽がうなる。確かにヴィロサは美人だと思うし、追っかけてるのも事実だ。だが、別に告白するつもりはない。
だいたい、彼女はキノコだ。人間じゃない。思わず口に出そうになった野暮な突っ込みだったが、目の前の二人を親友と呼んでおいて今更何をという感じがして、それは胸の奥にしまった。
「じゃあ、その面白い話って?」
「よし来た。それはね、何でこいつが自分の名前を嫌いかってことなんだけど――」
「おい、馬鹿。やめろ……!」
ファルは青ざめ、次いで頬を赤くする。
その様をカエンは口角を上げて愉快そうに見守りながら、本題を切り出した。
「こいつね、アマニタ・ファロイデスって言うんだ、ほんとは」
「アマニタって……また、ヴィロサの親戚か!」
「あ、うん。まあね。でも、そこは今は置いといてよ! んで、ファロイデスって名前の意味がね……」
カエンはファルに掴みかかられて揺さぶられていた。めくるめく湧き上がっている笑いの気配を殺しながら、彼女の指は一切ぶれずにある点をさしている。
透陽は彼女の示す方向に視線をずらした。それは自分の身体の下方。どんどん目線をずらして、ようやくある一点で二本のラインがかち合った。
そこに在るのは、彼女たち、いや女性には無くて男性にはついている、あるモノ。全ての男にとって、大事な大事なアレだ。
ああ、確かにキノコと婉曲して呼ばれることはあるが――。
「だから……恥ずかしいんだって……」
火がついたように赤くなった顔を隠すように、カエンの胸元に縋り付いて肩を震わせているファロイデス嬢。
透陽は色々おかしくなって、腹の底から笑った。人生十九年目にして初めて、今まで下品だと蔑んできたようなネタで、これまでの鬱憤を晴らすかのような明るい声を、森の中に響かせた。
「じゃあ……笑わせてもらったし、そろそろ行くよ」
「うん。長い間引き留めて悪かったね。……そうだ。あたしのやった手は痛くない?」
「ああ、平気」
多少赤くなっているが、痛みは残っていない。良かったと、カエンは安らかな顔を見せる。
火群カエンの正体はカエンタケというキノコだ。猛毒性で、とりわけ他に類を見ないのが「触れただけで危険」ということ。それを知らない透陽を傷つけてしまったと、心の中で憂いていたのだった。
「じゃあね、透陽。また会ったら、怖がらずに声かけてよね。いきなり触ったりするのは勘弁だけど」
「ああ。今度は軽い気持ちでいじくったりしないから」
透陽はウインクする。一度痛い目に遭った以上、次は大丈夫だろう。カエンも一安心した。
続いてファルが別れの言葉を述べる。
「あー……うん。あたいはあんまりここらには居なくて、いつもはもっと北の方に居るんだ。それか、海の向こうの別の国とかな」
「えっ。じゃあ、もうこれっきりなのか……えーと、ファロイデス」
「ファルって呼べ! 頼むから。……まあ、いいや。そんなことだから、あたいが住んでる土地に来たら、絶対顔出しにこいよ? 待ってるからな、約束だぞ」
「ああ、もちろんだよ。よろしくな、ファル」
そして透陽は仲良く並んで見送る人外の友たちに、満面の笑顔で手を振りながら斜面をよじ登った。
頂上に立ち彼女たちの姿が見えなくなると、少し寂しい気分が襲って来た。
だが、別れは次の出会いのきっかけ。この先にヴィロサが待っているのだ。
そう気を引き締めて、透陽は森の中の小径を進む。
高揚した気分でしばらく歩いた時だった。
道の脇の茂みから、人影が現れた。白いヤツだ。そんな印象が勝った。
――ヴィロサ?
希望に目を光らせるも、瞬きと共に別人だと気づく。
まずヴィロサよりずっと小柄だし、白い髪なのは似ているが、帽子は被っていない。その代わりにこんもりとした何かが頭に乗っている。
よく見れば服装も全体的にモコモコした部分が多く、スレンダーなヴィロサとはだいぶ違う趣向だ。
そんな彼女の頭上の塊からは、不思議なことに星がはらりとこぼれている。
その謎の人物は、透陽の進行方向に立つと、その場で宙に浮いた。
透陽は愕然とした。――何だ、魔法か!?
だがよく観察することで、己の短絡的な思考は否定された。ただ単に黒い椅子に座って、その高さを一杯に上げているだけだ。なぜ椅子を持ち歩いていたかは知らないが。
そんな不思議オーラを纏う少女の姿を好奇と共に見上げながらも、とにかく今は急を伴う状況だ。
透陽は柄にもなく、少しきつい口調で言った。
「そこをどいてくれよ。急いでるんだ」
彼女は気だるそうな顔を向けて、白い星形に切り抜いたような特徴的な黄土色の瞳で透陽をじろりと見下ろすと、心底嫌そうにいった
「絶対にどかない。やっといい場所を見つけたんだもの」
膝を組んで立ちはだかる少女。無表情に透陽のことを睨んで、不動の構えを見せる。
別に脇をすり抜けていけばいいと感じられるが、ここは人一人通れるかどうかしかない幅の狭い道。敵意を向ける正体不明の女の脇を通るには、少々勇気と覚悟が居る。
また道を外れると両サイドには藪が生い茂る。そこに飛び込むのには少し抵抗があった。
通せんぼする彼女と、退け退かないのにらめっこは続く。
だが、あることに気づいてしまったせいで、透陽の方が先に目を逸らさざるをえなかったのだった