巨大な彼女と小心な彼
「おーい、ヴィロサさーん?」
かつてない程に声を張り上げ、美しい天使の名前を呼ばわりながら、透陽は一人薄暗い森の中を彷徨う。
返事は一切無い。聞こえるのは、時折頭上で鳥がはばたく音だけだ。
不毛にも感じられる散策活動に、くたびれた青年は肩を落とした。
改めて己の状況を振り返る。
自殺しようとして、天使に止められ、実はそれがキノコで、だけど人間の女性に見えて、今の自分は彼女を探している。ああ、奇妙奇天烈な状況だ!
これは夢か現か幻か、それともキノコの毒が見せる幻覚なのか。頭でっかちな青年は、未だに現状に納得することができなかったが、とにかくあのキノコの天使、アマニタ・ヴィロサに再会せねばならないという焦燥感を感じていた。
一人になってクールダウンすると、己を客観視する余裕が生まれた。
それにしても、だ。そう彼は自嘲した。
今の今まで清純な色恋にすら関心が無かったと言うのに、この現状。まさか美女の背中を追って駆け回るような事態が自分に降りかかるとは。
それも一方的に追いかけるだけのストーカーと何ら変わりがない。
己を見つめ直しふと真顔に戻る。いや、あるいは本当にそうなのかもしれない、と。
他人が今の自分を見たら何て言うだろうか。容易に想像がつく。
それはお前、一目惚れという奴だ。誰とも知らない脳内の人物から笑われた気がした。
「いやいや、無い無い無い!」
まじめで初心な透陽はかっと顔を赤くすると、自分で自分を否定するように叫ぶ。
まさか誰かにずっと見られていたとは思いもよらなかった。
珍妙なものを見る好奇の目を向けていたそのモノは、これまた独り言のように呟く。
「……人間さん?」
ささやくような可憐な声だが、しかし静かな森ではよく聞こえる。まずはどきりと心臓が跳ねた。
だが、ヴィロサのことしか頭にない透陽は、期待に満ちた表情で声の主をさっと振りかえる。
残念ながら視線の先には彼の望む白妙の女性の姿は無かった。青年の表情がみるみるうちに落胆のそれへと移り変わる。
だが代わりに見えたモノの異様な姿をしかと確かめると、唖然とする。
透陽との距離は十メートルも無い。そんな場所の太い木の幹から一人の女性の顔が覗いている。向こうもやや緊張した面持ちで、茶色の目を輝かせている。
おそらく本人は隠れて覗いていたつもりなのだろう。しかし逆側に露わな肌色の肩と、絞った裾に半分隠れた巨大なブーツの端が飛び出て見えた。完全にはみ出している。
そう、彼女は異様に大きい。
巨大なのは横幅だけではなく、縦にも同様だった。透陽自身も180センチ弱と高身長な方ではあるが、目を合わせようと思えば見上げる格好になる。
離れているため確実なことは言えないが、二メートル強はゆうにありそうだ。一見すると巨人だとしか言えない。
見張った目は自然と女の頭の方へとスライドする。
彼女のくすんだような白色の髪は、真ん丸に形作られており、前髪で左目を隠すように分けてある。その髪からは大小さまざまな茶色い棘状の塊が無数に飛び出していた。
それだけでも異様なのだが、さらに目立った存在があった。それは額にそそり立つ二本の長い角。
透陽の視線はその場所に注がれていた。
巨女のきらきらと光る右目が、興味津々と言った風に透陽を見つめている。
一方の男はと言えば、その姿かたちからあるものを想起していた。伝聞や知識から浮き上がるその偶像は、小心な彼を委縮させ、恐怖させ、絶叫させた。
「お、鬼だああーっ!」
平素の彼なら空想だ、居るわけがないと笑い飛ばすような存在、鬼。
ところが今の彼は平常ではない。何と言ってもキノコが人間の女性として姿を見せたという不可思議な状況に居る。そんなカオス的時空間に鬼の一つが混ざって来たとしても、否定できまい。
――やばい、喰われる!
透陽が抱くのは人を襲い喰らう月並みの鬼のイメージ。脳内に鳴り響く警鐘に、回れ右して逃げ出していた。
鬼娘は脱兎のごとく遠ざかろうとする人間に向かって手を突き出し、後を追いかけ始めた。
「待って……! きゃあっ!」
そんな短く愛らしい悲鳴の後、どしんと地面を揺らす重い響きが湧き起る。
恐れ慄き心臓が大きく跳ねるのを感じつつも、怖いものみたさが勝る。透陽は少しだけ振り返って、背後の様子を確認した。
例の鬼女は追ってきて居ない。それどころか、尻餅をついている有様だ。
――え、何あいつ!?
随分ドジな鬼だ、と、やや呆れ顔で脚を止める。
巨大な女は照れくさそうに微笑み、片手でお尻をさすりながらゆっくり立ち上がった。そして、また透陽に向かって歩いてくる。
しまった油断した、と再び逃げの構えを取る透陽。
だがそのまま駆け出す必要はなくなる。
追手は二、三歩進んだところで、なぜか自分のドレスの裾で足をもつれさせると、再び盛大に転倒したのだ。
今度は頭から地面に突っ込んだのを目撃する。
衝撃で枯葉が舞い、枝葉がざわざわと音を鳴らした。
あれは痛い。散々な様子を見せつけられ、逆に冷静になった透陽は同情の眼差しを謎の女に向けた。
小鳥ののどかなさえずりが響いている。
まだ鬼に対する若干の怯えは残っている透陽であった。
しかし考えている程危険な存在ではないように見える。
なにより倒れ伏したまま肩を震わせている娘が可哀想に思えてきた。
そこで小心な青年は、恐る恐るながらも未知の生命体に歩み寄っていく。
だが女の手前、五歩ほどのところで、あるものを発見してしゃがみこんだ。
「あちゃー……」
ドングリの散らばる地面の上に転がっていたのは、彼女の角の一本だった。神妙な顔をして透陽はそれを拾い上げる。
大きさも形も手に納めてくれと言わんばかりの雰囲気で、思わず握りしめる。彼女の体から離れいても、まだ生命の温もりが残っているのが伝わってきた。
だがなにより驚いたのは、ずいぶん柔らかい物だということだ。肉付きがいい人間の腕を握ったような、そんな感触である。てっきり骨のようなものだと思っていたが、そうではないらしい。
この角、一体どういう構造なのか? そう断面をしげしげと観察していたところで、透陽は熱視線を感じる。
ゆっくり視線を動かして見れば、地面とハグしたまま、どうにか顔だけを起こした図体の大きな娘が、潤んだ目で透陽を見つめていた。
「あの……起きるの、手伝ってもらえませんか……」
「あっ、はい……なんか、すいません」
どうやら身体が大きすぎて自分で起きられないらしい。居心地の悪い間が流れる。
それにしても、女の子なのにこんなに体格が良いだなんて。透陽に湧き起るのは、そんな憐れみの感情だった。もはやそこには戦慄の念はない。
助けを求められた通り、ひとまず彼女の背後に回ると、腰のあたりを掴んで持ち上げてみる。見た目に違わず重量があった。透陽の筋力の程は月並みで、普通の人間一人なら持ち上げられそうだが、こうも大きな相手ではなかなか苦しい。
彼女自身も手と足に踏ん張りを利かせることで協力し、どうにかこうにか上体を起こした。
が、それも束の間。起き上がった勢いが余って、そのまま今度は横倒しになる。
運の悪いことに、鬼娘は焦った表情を見せながら、透陽の居る方向目がけて倒れ込んできた。
運動神経は並、そんな青年が瞬時の事故を上手くかわせるわけもない。
顔を引きつらせたまま、倒れてきた背中の下敷きになる。その途端、カエルが潰されたような、情けないうめき声が漏れた。
「あっ、やだ……ごめんなさい! ごめんなさい!」
「いいがら、早くどいてくれ……ほんどに、死ぬ……」
透陽は死にたくはないと悲痛な叫びを漏らす。
絶え絶えの息で、何でこんなことになっているんだろうと、嘆いた。
それからまだ少しだけ時間はかかったが、どうにかこうにか大女は地面に座りなおした。いわゆる体育座り、安定感は抜群だ。
透陽も枯れ葉や木くずや泥土やらで汚らしい格好にはなったものの、どうにか五体満足である。しかしすっかり疲れ切ってしまい、ぐったりと地面に座り込んだ。
ようやく二人してほっと一息だ。
見上げる程に大きな女は、ひたすら頭を下げて謝罪の言葉を繰り返す。どうにも腰は低いらしい。
「本当にごめんなさい! 私、ちょっとドジで、よく転んじゃうんです……」
溜息と共に浮かべる憂悶の表情。よく見ると美人だ。見かけによらず、声もかわいらしい。
そして、今ちょうど目線の高さにあるもの。それは、彼女の豊満な胸だ。グラマーな女性の張りのあるそれは、先ほどの七転八倒の間に隠していたポンチョのような衣装がずり落ちてしまい、かなり際どい露出の仕方をしている。
ついつい本能に正直になって、食い入るようにと見つめていたが。
しばらく堪能したところでようやく理性を取り戻す。色気にやられて頬を赤らめながら、その持ち主に指摘した。
「あの、その……胸が……」
乾いた口でようやく紡いだ言葉と共に、問題の丘を指し示す。
どうやら自分の胸の危機には気づいていなかったのだろう、彼女は短く悲鳴を上げたのち、慌ててドレスを直している。
駄目だ駄目だと生真面目な透陽は脳内で騒ぎながら、首を捻って一生懸命目を逸らしていた。
よしという小さな呟きが合図となり、ようやく安堵して顔を合わせられる。
なるほど、着衣の乱れは整った。
しかし、額にある目立つ角が一本折れてしまっている上、もう片方も先端がひしゃげている。そんな有様で、どうにもしまりがない。
透陽が角のことを躊躇いながらも指摘すれば、穏やかな気質の娘は、今度は花のような笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ、また生えてきますから!」
「あっ、そういうものなんだ」
透陽は高校の生物の授業を思い出した。傷ついた部分に未分化細胞が形成され、それがああしてこうして器官として再生していくのだろう、などと小難しいことを考えてしまうのは、勉強漬けだった男の性《《さが》》である。
そんな馬鹿みたいに頭の固い人間の考えなど読めないに決まっていて、女性は首を傾げていた。
そのうえで、自由に己の疑問を呈してくる。
「人間さんはヴィロサを探しているの? どうして?」
その名前を耳にして、透陽の思考は教科書の旅路から一気に連れ戻される。
ヴィロサ。そう、とにかく彼女に会わねばならない。
どうしてと尋ねられたことで、透陽は初めて今までの経緯を話した。
すると、彼女は大きな目と口で、輝くようなスマイルを浮かべる。
「素敵な話! それで、人間さんはヴィロサに惚れちゃったんですね!」
「いや、惚れたというか、なんというか……」
「いいなあ。私もあれくらいスタイルがよければなあ。どうにかして、小さくなれないものでしょうか……?」
「うーん……。まあ、大きくたって、お姉さんも十分美人だと思いますよ」
別に嘘は言っていない。胸の大きさも素敵だという本音は、さすがに口には出さなかったが。
そして一つ、透陽には気になっていることがあった。
「ヴィロサのことを知っているんですか?」
「知ってるも何も、親戚だもの」
「へ!?」
「同じアマニタの親戚よ。私は、アマニタ・グランディ」
目をぱちくりさせる。
ヴィロサは――今はまだ透陽の予感に過ぎないのだが――キノコだ。その親戚と言うことは、目の前の鬼娘も鬼ではなく、キノコだということになる。
何という事だ、一人のみならず、またもキノコの娘に出会うとは。
それにしてもヴィロサと彼女、見た目には随分違う。もしや、と思うことがあり、確かめるべくおずおずと質問する。
「ねえ、もしかして、キノコはキノコでも、みんな違う名前なのか?」
「何言ってるのですか、当たり前でしょ? 違う生き物ですもの。人間さんだって、『人間』じゃない自分の名前があるでしょ?」
「ああ、うん。俺の名前は奥羽透陽」
透陽が初めて名乗ると、グランディは柔らかい頬をさらに緩めた。
「あら、素敵な名前! オウウは山だし、トウヒは木。私たちとは仲良くできそうですね」
「はは……そうかな……」
キノコたちには個別の名前がある。当たり前のようだが、キノコはキノコでそれ以上でもそれ以下でもないと捉えて来た透陽には、寝耳に水のようだった。
一体どういう基準でわかれるのだろうか。それは、人間が「種」と言うものに依るようだ。
この世の生物を仲間分けしていくと、大まかに動物、植物、そしてキノコも含まれる菌類になる。その中大きなグループは似た者同士でさらに細かく分けていくことができ、最終的に行き着くのが、種というくくりだ。
あの白い種のキノコがヴィロサ。その推測は真実のように納得がいくものであった。キノコとヴィロサの特徴はあれほどに一致しているのだから。
だがヴィロサなどというキノコは聞いたことないし、日本語らしくもない。ではあの白いのは何というのだろう。透陽は疑問に思った。
そこに連なって、目の前に居るグランディの正体や名前にも興味が湧いてくる。
「なあ、グランディは、何て名前なんだ?」
「えっ。グランディはグランディよ?」
「……あ、いや、そうじゃなくて。グランディは、キノコだと何て言う名前なのかなって」
「何を言ってるの? グランディはキノコよ? だから、私は私」
居心地の悪い沈黙が訪れた。
明らかに困惑しているグランディに、自分の意図を正確に伝える言葉を模索する。
そして、ふと思いついた。
「よし。グランディの姿を見た人間は、君のことをなんて呼ぶんだ? 普通の人間はグランディっていう名前は知らないだろ? 君のことは見えないみたいだから」
普通の、と自分で言って彼は少し悲しくなる。自分が普通でないみたいではないか。
さて、問われたグランディは、目を伏せ首を傾げて考えているようだ。
うーん、とうなって、続けてもそもそとつぶやく。
「見つかった時は『ナニコレ』とか『オニ』とか、『デッカイ』とか……『テングタケ』とかっていうのも良く言われましたねえ」
「何だか、あんまりはっきりしないなあ」
「いいのよ、私はアマニタ・グランディ。何て呼ばれても私は私」
彼女はふわふわとした気質を漂わせながら、くつくつと笑っている。
大きな体に見合うようにしっかりと持っている、グランディの自己の認識。
それに対して、透陽だ。何といわれようと、彼女みたいに自分が自分だと言い切れるだろうかと考え、しかしそれは肯定できなかった。
ヴィロサに言われたことが頭に反芻される。「薄っぺらい人生を歩んできた」のだと。
――俺は医者になると真っ直ぐにひた走ってきた。だが、今その道を挫折して、俺に何が残っている? 奥羽透陽とは一体どんな人間なんだ?
透陽の思考は、そんな自問自答に沈んでいく。
それを闇に堕ちる前に掬い上げたのは、彼の身体を隠すようにさした影であった。
その主を見上げる。
いつの間にかグランディが立ち上がっていたのだ。仰ぎみるとやはり圧巻。堂々たる個性の塊とも言える姿に、圧倒されていた。
――ああ、そうか。俺に足りないものは、個性だ。
透陽は何となしにそれを悟る。
そんな彼の心は露知らず、何者にも囚われないグランディはにこやかな笑みを見せている。
「じゃあ、私そろそろ行きますね」
「あ、いや、待って……親戚なら、ヴィロサの居場所を知らないか?」
「ヴィロサは色々な所に居るもの。私は今日は見かけてないからわからないの。でも、さっきこの森であったなら、まだその辺にいると思いますよ、きっと」
「そっか……ありがとう」
透陽もおもむろに立ち上がる。そして、グランディの顔を見上げて、太陽に手を伸ばすかのような動作を見せた。
そんな小さな人間の手が求める物に彼女は笑顔で応じ、右手を差し出した。
そして透陽の掌がすっぽりと収まるサイズのそれと、固い握手が交わされたのだった。
グランディは幸福を振りまくように手を振りながら、ゆっくりと歩いて行った。
ただ、ずっと透陽の方を向いていたせいで、迫っていた枝に気づけずに頭をぶつけていたが。
またもやの失敗にばつの悪そうな顔を彼に向けてから、今度は前を見て歩き出す。ところがどうして、何もないところでよろめいているのは。
大丈夫だろうか。そんな不安が透陽の心をよぎる。
それを振り払うかのように首を動かした。彼女は大丈夫、自分をしっかり持っているのだから。そんなことより己の世話をしなければ。
透陽はぴしゃりと頬を叩くと、再び動きだした。
少し歩いたところで、屹然と存在する一つのキノコを目にした。そして透陽は反射的に声を漏らした。
「うわっ、でかっ!」
目の前に現れたのは広げた傘だけで四十センチはあるかと思える、巨大なキノコ。決して派手な色ではないが、存在感が大きすぎて、自然と視線を吸い込まれる。
大きすぎて自重に耐えられないのか、少し傾いているのが妙に愛らしい。
ああ、間違いなくグランディだ。思わず笑みがこぼれる。
そして透陽は注目を一身に集める彼女に別れを告げ、死天使の姿を追い求めてさらに落葉の道を行く。
純白の彼女に再会するまでに、まだまだたくさんの娘たちに会いそうだ。そんな気配を感じながら。