第八話 副官の誤算
「邪魔するぜ」
赤茶色の三白眼を光らせ乱暴に扉を開けて入って来たのは木賊ライカ・シュテルンベルク子爵。硬い質感の緑の黒髪と左頬に走る傷痕が目つきの悪さも相まって酷く印象を悪くする。
素っ気無い喋り方と荒っぽい動作が更に輪をかけてライカの評価を低くしていく。
それは狙ってやっているというよりも、自覚の無い頑なさと常に付き纏う緊張感の所為であることはレットソムには痛いほど解る。
「大和屋の、久しぶりだなぁ」
「……できればあんたとは付き合いたくねぇ」
ライカは魔法学園に通う4年生で今年18歳のはずだが傷痕の走る頬には幼さなど微塵も残っておらず、鋭い視線と身のこなしに隙も無かった。
二年程前に初めて会った時はもう少し快活で笑顔もあったが、ここ一年くらいで状況が変わりライカの顔つきもすっかり様変わりしてしまっていた。
「そう言うなよー……。多分長い付き合いになることになるんだから」
「そうならねぇことを心の底から願ってんだよ。こっちは」
「……無理だろうなぁ。そいつは」
舌打ちしてから子爵は大股で机まで歩み寄り、鮮やかな黄赤色の上着の袷目から手紙を取り出しずいっと差し出してきた。
その上着は珍しい物で尻が隠れるくらいの長さをしていて、よく見ると前と後ろで分かれ横を縫っていない。前身ごろを胸の辺りで交差させて茶色の長い帯で締めている。ズボンはゆったりとした生成りの物で足首の部分を絞ってありここら辺では見かけない独特な服装だ。
ライカの祖父は東の小さな島からこのフィライト国へと流れてきた移民だ。彼らが作り出す武器は奇妙でその扱いも難しいが、切れ味のよさと威力の高さは折り紙つきで国王が惚れ込むほどだった。
ディアモントの職人街で看板も出さず“大和屋”という工房を構えている、知る人ぞ知る隠れた名店である。
勿論ライカも大和屋の武器に精通しており、それに付随して体術、剣術、暗具まで器用に使いこなす。
「依頼かぁ?」
「……それ以外になにがあるってんだ」
仏頂面のライカを眺めながら手紙を受け取り、中を確認すると数名の貴族と商人の名前が記されていた。
「結局……付き合いたくなくても、依頼しなきゃならない程手が回らないんだろぉ?」
「背に腹は代えられねぇ。こっちは時間がねえからな」
「だからこそよぉ。少しは仲良くしとこうぜぇ?」
「あんたは信用ならない」
はっきりと言い切られレットソムは頭を掻く。信用ならないと言われるようなことをした覚えはないが、ライカは他の誰にも心を許せないのだろう。
きっと。
これからもずっと。
「扱い辛い奴だなぁ。全く」
「あんたにどう思われようと俺はかまわねえからな。別に」
「間諜役がお前とセシルじゃ、ちぐはぐなのか最強なのか解らんなぁ」
彼らを使って探りを入れている人物に思いを馳せて苦笑い。
ライカは眉を跳ね上げて不用意な言葉を口にしたレットソムを睨み、周りで聞いている者がいないか神経を尖らせる。
「素人じゃないんだからよぉ……。誰かいるならそんな軽はずみなこと言わないって」
依頼人についてと内容は守秘義務が第一の仕事を15年もしているのだ。そんな初歩的なミスを今更するはずが無い。
それすらも疑われているようならば、仕事を依頼すること自体が間違っているのだが。
「……どうだか」
ぼそりと呟かれた言葉に怒りを通り越して呆れてしまう。手紙を突き返して依頼を断っても構わないのだが、協力した方がレットソムにも利があるので黙って受け流す。
「なるべく早く報告する。安心してくれ」
「他の仕事にうつつ抜かされちゃかなわねえからな。仕事は仕事としてきっちりやってくれねえと困る」
「他の仕事」が例の恋愛相談事だと気づき、レットソムはうんざりしながら頬杖をつく。
「気乗りしねえんだが、最近はそっちの方の依頼が多いんでな。お前の恋愛相談にも乗ってやってもいいぞぉ?」
「………………」
眉を顰め嫌そうな顔をするが、意外な事に断らなかった。余計な御世話だと激しく反発される物だと思っていただけに驚く。
誰にも心を許せないのだと思っていたが、ライカも年頃の少年だ。もしかしたら意中の相手がいるのかもしれない。
気になるがこれ以上追及すると命が危ないかもしれないのでおとなしく笑って誤魔化した。
子爵はむっつりとした表情のまま、くるりと背を向けると振り返りもせずに入口を潜って挨拶も無しに出て行った。
「子供が大人みたいな顔して生きてるのを見るのは忍びないねぇ……」
深いため息は他に誰もいない事務所に虚しく響く。コーヒーでも淹れてこようかと腰を上げたのと同時に扉が再び開いた。
そこに情けない顔のサルビア騎士団第二大隊副官が立っており、目があった途端眉を下げて泣きそうな顔で近づいて来る。普段は柔和で優しげな面立ちの好青年だが、今は顔色悪くよろよろとした足取りで具合でも悪いのかと心配になる程だ。
「大丈夫かぁ?副官殿」
「……大丈夫じゃありませんよ」
両手を机の上に付きがっくりと項垂れたリステルが弱々しく答える。
「まるで女にでも振られたかのような有様だなぁ」
王都で人気の騎士だけに振られると言うことはあり得ない話だが、仕事も手がつかない様子はまさにそう評するしかない。
前回来た時と同様に騎士の制服をきちんと着こなしているので仕事中なのは確かである。だが仕事そっちのけで厄介事万請負所まで足を運ぶのは、真面目なリステルでは有り得ないことだ。
「そうですよ……。まさにその通り」
「はぁ?副官殿を振るような女が、この王都にいると!?」
「いいえ……ディアモンドでは無く、デシ砦です」
「デシ砦?……まさか」
リステルは自分が兄馬鹿であると豪語していた。人事に口が出せるのなら妹を危険な国境から目の届く安全な王都に移動させたいぐらいだと告白した位だ。
モテる割に浮いた話の無い副官を夢中にさせているのはディアモンドの若く積極的な美しい女性では無く、デシ砦に派遣されている同じ騎士の妹だった。
その妹に振られたとしょ気返ると言う事は――。
「こんなことになるのなら、相談などしなければ良かった」
「ああ……申し訳ない。副官殿」
リステルがレットソムに相談したのは、くっつくはずの見込みの無い者同士を見事恋人へと結びつけたと評価される前のこと。
お互いが軽い気持ちで相談し、それに答えた。
まさかこんなことになるとは思っていなかったのだ。
「便利屋さんが悪いわけじゃないんだと解ってはいるんですが、どうにも心の整理がつかなくて……」
気がついたら巡回の途中で抜け出してここへ来ていたのだとリステルは、いつもは穏やかな茶色の瞳に少々危険な光を宿して正面からレットソムを見つめる。
「……解った。一発殴って気が済むのなら好きにしていい」
「……良いんですか?」
キラリと目を光らせて副官が優しげな面から表情を消してゆっくりと身を起こす。右手をブラブラと振ってから確かめるように何度か拳を握るのを見ながら、ノアール並みに顔が変形するのを覚悟する。
日頃鍛えている騎士の拳を受けるのだ。
もしかしたらノアールの顔より酷く腫れあがり、しばらくは飲食も喋ることも出来なくなるかもしれない。
「すみません」
謝りながらも左腕を伸ばしてレットソムの襟首を掴んで固定すると、リステルは遠慮なく右腕を肩ごと後ろへと引いて振りかぶった。
その口元に微かな笑みが刻まれているのを確認して、穏やかな青年の中の嗜虐的な部分を見た気がしてぞっとする。
覚悟して奥歯を噛み締めた時、再び扉が勢いよく開いて見たことの無い青年が飛び込んできた。
「ちょっと待てっ!こんな所で民間人を殴ったら、幾ら副官といえども牢に入れられるぞ!そんなことになったら妹も悲しむし、愛想尽かされるんだからなっ」
今にも殴りかかろうとしていたリステルに気付き、青ざめて後ろから飛びついて止める。その必死さにレットソムは驚き、副官は爆笑した。
「なっ。どうして笑うんだよ!」
黒髪の青年は青い瞳を吊り上げて腕の中で笑い転げるリステルを突き飛ばす。
「ご……ごめん、ごめん。あはは。おかしくて」
「なにが!そんなにおかしいんだよ!オレは真剣に止めようとして」
涙を浮かべて笑っている姿に青年は困惑している。それでも尚リステルの笑いは止まらず、その合間に「いや、だって。多分殴ったぐらいなら牢に入れられるより、厳重注意で絞られて自宅謹慎位ですむよ」と青年の発言の訂正をする。
「お前……ああ、もう。本当にむかつく奴」
くしゃりと前髪を掻き上げて青年は悔しそうに顔を歪めた。その肌の色が白すぎるぐらい白く、黒い髪だからこそ余計に目立つ。北の出身であるノアールの肌も白いが、その白さとは違い青年の肌の色は病的なまでに白かった。
まるで太陽の光を一度も浴びたことが無いような色をしている。
「……副官殿、その青年は?」
「え?ああ、ここへは連れてきたことが無かったかもしれませんね。ちょっと事情があって第二大隊で預かっているんです」
事情とやらを穿るほど迂闊では無い。
さらっと聞き流して青年を窺うと、ひょろりと背の高い腰を折ってぺこりと頭を下げると「ルークです」と名乗った。
「便利屋のレットソムだ。なんか困ったことがあったら気軽に相談してくれ」
「相談した結果妹に恋人ができたんですがねー……」
遠い目をしたリステルをルークが横から肘で脇を突くが、突かれた方は全く気にしていないようだ。
「あー……それは、本当に申し訳ない。これを機に副官殿は妹離れをしていただいて、新しい出会いを求めて幸せになってはいかがかな?」
「そうだよ。リステルなら幾らでも言い寄ってくる女はいるだろ」
「なにを考えているのか解らない女性より、可愛い妹の方が僕には愛おしいんだよ」
「重症だなぁ……」
思わず呟いたレットソムにリステルが「誰の所為だと思ってるんですか?」と胡乱な目を向けて来たので慌てて謝罪する。
色白の青年が気を利かせて「仕事に戻るぞ」と副官の腕を掴んで入口へと向かうので、拝むようにしてから二人が出て行くのを見送った。