第五話 職人の誇り
薄闇に包まれ始めた宿場街の露店を抜けて、小さな店が立ち並ぶ通りへと出るとレットソムは一軒のパン屋の前に立つ。
店の名は“ロメリア”。黒に近い茶一色の壁に、落ち着きのある深いワインレッドの硝子の嵌め込まれた扉。入口横の大きな窓から覗くと閉店準備を進めている男の背中が見えた。
パンを捏ねると言う作業はかなり肉体を酷使するのか、広い肩と逞しい腕がすらりと伸びチラリと見えた横顔が精悍で、成程これは若い女性客が多いのも頷けると苦笑する。
閉店の看板が出ている扉を叩くと男がこちらを振り返り怪訝そうな顔をしながらもやって来て鍵を開けた。
「……すみません、今日は」
「営業終了したのに悪いねー……。ちょっと話をしたいんだけなんだけどなぁ」
明らかに客では無いレットソムの言葉に眉間の皺が深くなる。そうすると切れ長の瞳が鋭くなり少し強面の顔になった。客商売だと言うのに愛想の無い様子は相手がレットソムだからではないようで、それが地なのだと解る程自然だ。
「話、なんの」
身構える男に盗作疑惑の件でと答えると、ほっと息を吐いて何故か態度を柔らかくした。扉を大きく開け「中にどうぞ」と招いてくれる。閉めた後できっちりと鍵を閉める用心深さを訝ると男は眉間を指で押して解しながら、閉店を待って押しかけてくる女性客が時折いるのだと苦り切った顔で弁明した。
仕事中の客とのやり取りでも言葉少なく笑顔も見せない男と個人的に仲良くなる為、店に通いつつ閉店後の自由になった時間をなんとか捥ぎ取ろうと女性たちは躍起になっているのだろう。
「……男前も大変だねぇ」
38年生きてきてレットソムはそういった苦労とは無縁の人生を送ってきた。仕事柄男性女性問わず知り合いは多いが、個人的に深い仲になった相手は片手で十分足りる。
それくらいの付き合いでも面倒なことが多いのに、外面につられて寄ってくる女が多いのは煩わしく商売柄邪険にも出来ず苦労が多いだろう。
「…………明日の仕込みもあるので、片づけながらでも構いませんか」
重い口を動かして男が要望を伝えてくるのでレットソムは「どうぞ」と了承して、それ以後黙々と片付け始めた手際の良さを感心しながら見学する。
売れ残ったパンをひとつの籠に纏めてから、堅く絞った布巾で沢山の籠をどんどん拭き上げて行く。綺麗になった籠を重ねてカウンター奥の厨房に持ち込んで棚へと仕舞うと、今度は籠を拭いていた布巾で籠を並べていた三段になった棚を丁寧に拭く。散らばっていたパン屑が無くなりまるで新品の棚のようになる。
その事に気付いて店内を見渡すと窓の桟も、扉の硝子も綺麗に磨かれており床の隅にも埃ひとつ落ちていなかった。
男やもめの自分の部屋と比べると雲泥の差。
まるで潔癖なまでの徹底した清潔さ。
口に入る物を扱っているだけにその完璧ぶりは称賛に値するが、もし住んでいる部屋も同様であるならば少し面倒臭い男だ。
「……………話、しないんですか」
その為に来たはずなのに黙って作業を見ているレットソムを、今度はモップ掛けをしながら不思議そうに問う。
「あー……そうだったなぁ」
つい男の慣れた手つきに見入っていた。
坊主頭を掻いてから名乗っていなかったことに気づき「便利屋のレットソムだ」と遅ればせながら短い自己紹介をする。男が手を止めて姿勢を正すと「オレはロメリアといいます」と店名と同じ名を口にした。
「自分の名前を店につけたのか」
「……色々考えたんですが、途中でどうでもよくなって」
失敗しましたと小さな嘆息をして再び床磨きに精を出す。人の注目を集めて喜ぶタイプの人間ならば店の名前と共に自分の名前が広まるのに抵抗はないだろう。だがロメリアのような表に出るよりも、自分の仕事に集中したいタイプの人間はそれが逆に首を絞める。
深く考えずに名前を使った所為で客に名を知られ、ロメリアの容姿の良さが相まって噂が広がって行く。
当然客は増えるが心労も増えて行く。
「不器用だなー。お前さんは」
「…………売り子を雇うにも、給金を払う余裕が無くて」
「繁盛してるのに?」
驚くレットソムにロメリアは渋い顔で頷く。
若くしてパン屋に弟子入りし腕を磨いてきたが、そこの娘さんから想いを寄せられそれを断ったことが原因で首にされた。次の職場でも上司の女性に言い寄られて辞め、また次では客に告白されて冷たくあしらったら店に嫌がらせをされるようになって居られなくなった。
「それなら、自分でやろうと」
思い立ったが店舗を借り、器具を揃える段階でかなりの借財をしなくてはならなくなった。なんとか工面して開店させ、お陰で客足は途絶えないが女に人生を悉く邪魔されてきているロメリアはいつまた転落するかと怯えている。
しかも借金を負っているので簡単に辞める事など出来ない。女性客を上手く躱せない不器用な男は、不必要な事を言わないように言葉を慎みじっと耐えている。
「そういや、依頼人はどうなんだろうなぁ」
同じく若い職人のパフィオは客層を増やそうと努力はしているようだが、金銭に困って焦っているようには思えない。
疑問を口にするとロメリアが口角を持ち上げて微かな笑みを浮かべた。
「“小麦の恵み”は彼女の祖父である先代から譲り受けた店舗なので」
「成程なぁ……借金無しのスタートって訳だ」
「先代のレシピも受け継いでいる所為か、あそこのパンは小麦の旨味を感じさせる素朴で毎日でも食べたいと思わせる」
「へえー……」
「多分パンによって使う小麦の産地を変えているんです。砂糖は控えめで卵は使わずに――」
モップを握っている手の動きが止まっていることも気づかずに饒舌に語り始めたロメリアは次第に熱の籠った目をしていく。
「捏ね方が絶妙なんです。パンは捏ねればいいってものじゃなく、その時の気温や湿度によって発酵の仕方も変わってきます。一番いい状態で発酵できるように促していくのが難しい」
ロメリアはカウンターに乗せていた売れ残りのパンを盛った籠からひとつ取りレットソムに差し出す。
「食べてみてください」
白い手のひらサイズの丸パンに思い切り齧り付くと、時間の経ち過ぎた生地は少しパサついていたが丁寧に作られ発酵したパンは十分美味い。
「“小麦の恵み”の物に比べ、次の日は格段に味が落ちる。焼き上げて半日経った状態でそれですから」
勿論卵やバターを使えば次の日でも美味しく柔らかさを保つことができる。でもそれでは駄目なのだ。それでは“小麦の恵み”のパンを超えることができない。
力説するロメリアは悔しそうにパフィオの店を見つめた。
「あんたは食べたことあるんだな」
「……王都のパン屋は全て食べました」
だがレットソムの依頼人であるパフィオはロメリアのパンを食べたことは無いだろう。そうでなければ顔だけで商売をしていると断言したりはしないはずだ。食べてみれば真剣にロメリアがパンを作っていることが解る。
彼がパフィオのパンを食べて解ったように。
職人なら。
「あのなぁ。盗作の件なんだがー……まず、志の高いあんたのことだ。そんなことしないだろうしなぁ。こっちの依頼人も」
「しないでしょう」
ふっと鼻で笑ってロメリアはパフィオの盗作疑惑も否定する。元々盗作したのではないかと声高に言い始めたのはロメリアの女性客で、そのことを吹聴して回り“小麦の恵み”の評判が落ちたらしい。
ロメリア自身はパフィオが無実だと理解している。
「つまり……有り得ないが、偶然かぁ?」
「有り得ませんか」
嘆息して力を落とすロメリアに偶然であって欲しいという願いを見た気がした。
「因みに……問題の商品どうやってできたのか聞いていいかぁ?」
「恥ずかしながら」
ロメリアの食事の殆どが売れ残った商品で済ませているらしい。パフィオの作るパンと違い、女性が好むような甘い菓子パンやデニッシュ系の商品を沢山作るせいで毎日となると飽きてしまう。
そこでなんとか味を変えようと工夫して食べていた時、知り合いに貰ったプリンをデニッシュの上に乗せて食べてみたら予想外に美味かったので実際新商品として開発したという経緯らしい。
「確かに……盗作の疑いなどどこにも無いなぁ」
パフィオも乙女の好きな物を詰め込んで作ったのだと言っていたので、彼女が嘘をついていなければ偶然という結果を信じざるを得ない。
「でも依頼人は食べたことが無い……」
商売敵であるロメリアの店に来店したことも、食べたことも無いのに同じような商品を作れるのか。
職人であれば食べたことのある人物から聞くだけで再現は出来るだろう。
だが。
自分の腕に自信のあるパフィオが盗作をするとは思えない。
ロメリアのように金に困っていて、形振り構っていられない状態ならばそれも有り得るが細々と祖父の店を護って行けば生活はできる。それなのに盗作したと不名誉を被ってまで他人の商品を真似るなど愚か者でもやりはしまい。
二人の為人を知れば知る程、盗作等有り得ないという事実に行きあたる。
結果。
「こりゃ、偶然だなー……」
そう判断するしかない。
さて依頼人にどう説明するか。
ざらつく顎を左手で一撫でしてからレットソムは右手にあるパンを見た。自分が感じたように、パフィオにも実際に感じてもらうしか解決策は無いように思える。
「あの、ちょっと隣まで一緒に来てもらえませんかねぇ?」
忙しいだろうにロメリアは真剣な顔で頷く。レットソムはパンを握ったまま店を出ると、“小麦の恵み”の扉を叩いた。店の灯りは消えていたが、奥の厨房からは灯りが漏れていたので明日の仕込みをしているのだろう。
ロメリアが店の戸締りをして、鍵をエプロンのポケットに入れながらレットソムの後ろに立つ。少し緊張した面持ちで唇を引き結んでいる。
さっきまで熱を入れてパンについて論じていた同じ男だとは思えない変貌ぶりだ。
「あ、便利屋さん……とロメリアの」
「夜分にごめんなさいよ。ちょっと話をいいか?」
パフィオはロメリアと口にしたが後に続いた“の”で店名と彼の名前が同じであることを知らないのだなと知れて薄く笑う。
本当に噂すら耳に入れない真っ直ぐな女なのだと解る。
「えっと、どうぞ」
ロメリアを連れて現れたレットソムの行動を訝しがりながらパフィオは迷ったが中へと入れてくれた。夜に男を招く事に抵抗を感じる真面目さがそのままパン作りにも活かされている。
「ご依頼の件で」
「ああ、はい。でも」
ちらりとロメリアを窺う仕草に気まずさが見える。当事者同士が同じ空間に居ることに居心地の悪さを隠しもしない。
「まずは、これを」
持っていた食べかけのパンを差し出すと目を丸くして見上げてくる。齧った分を大きく避けて三分の一にして再度目の前に出すとパフィオがおずおずと手を伸ばしてきた。
爪に着いた生地の塊と小麦の粉で白くなった腕。小柄だがその腕から作られる沢山の種類の素朴なパン。若くても矜持を持って職人として立つ女。
「…………ちょっとパサついてるけど、発酵臭も無いし、小麦の香りもちゃんとするし、ほのかに甘さもある」
「どうだ?」
尋ねれば「美味しいと思う」と素直に認める。ロメリアが背後で息を飲む音がした。
「ちょっと配合を変えればもっとよくなる」
「ほんとか!」
「あと水分量」
身を乗り出すロメリアにパフィオは助言をする。商売敵なのに発酵時間やそれを調整する方法まで次々と教えて行く。それを真剣に一言も漏らさないよう頷きながら聞いているロメリア。
「盛り上げがっているとこ悪いがなぁー……。盗作の件、ありゃ偶然だ」
「偶然?」
パフィオがきょとんとした顔で首を傾げる。
「食べたパン、適当に作られて顔だけで客を呼んでるようなもんじゃなかっただろ?」
「あ……はい」
ロメリアのパンを食べずにそう評していた自分の発言をレットソムに暴露されパフィオは小さくなって俯いた。
「ちゃんと一生懸命パンと向き合って作っている味がしました」
「だろぉ?そんな奴が盗作なんかすると思うか?」
「……しないと思います」
「ロメリアはどう思う?」
「彼女は盗作などしなくても客の舌を満足させられる腕があります」
レットソムは手の中の残りのパンを頬張って飲みこんでから「そういうことだ」と肩を竦めた。
「あんたら意外と気が合うんじゃないのか?これを機に隣同士仲良く励んだらいい」
そうやってお互い腕を競い合えば自ずと結果はついてくる。
客もいつまでも目新しい物にばかり目を奪われている訳じゃないはずだ。
最終的に残るのは定番の商品。
毎日食べても飽きない味。
「切磋琢磨して高めあえよ」
「はい。ありがとうございました」
パフィオがぺこりと頭を下げて、ロメリアも会釈をする。
職人の誇りを持って頑張って行けばきっと王都で一番のパン屋となるだろう。




