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最終話 厄介事万請け負います



「ライカが?」

「そうだよ」


 聞き返すとセシルは辟易していると言いたげに首肯する。ゆったりとしたシャツに黒い細身のズボンを履いた上に外套を羽織っている姿は飾りも無く、質素でごく一般的な服だった。

 役目を終えたセシルは男爵として振る舞うことを止め、夜会やパーティに出席することも断っている。姿を見せなくなった男爵に社交界のレディたちは嘆き悲しんでいるらしいが当の本人は未練が無く寧ろ清々したと言わんばかりだ。


「多分仕事のしすぎで頭がおかしくなっちゃったんじゃない?」


 半ばやけくそのように吐き捨ててセシルは懐から革袋を出すとレットソムの目の前に置いた。

 見覚えのある袋と聞き覚えのある音がした。


「縁切りの依頼は受け付けてないぞぉ?」

「リディのお見合いは破談にしてくれたくせに」

「あれはお互いの利害が一致したからなー……。今回はちっとばかし骨が折れそうだ」

「仕事を選ぶようじゃ看板下ろさないといけなくなるよ?」


 確かに厄介事を万請け負いますとうたっているが、今回の依頼はできればお断りしたい部類の物だった。


 レットソムも命は惜しい。


 しかも近々結婚するのに、王子の一番の護衛であり信頼されている腕利きを敵に回して恨みを買うのは得策ではないのだ。


「なんでか知らんがライカには嫌われてるからなー……。これ以上拗れると王都で仕事できなくなるし」


 ということで勘弁してくれと革袋を投げ返すとセシルは器用に片手で受け止め、忌々しそうにレットソムを眺めた。


「こっちも嫌われてると思って油断してたら、いつの間にかライカの目に嫌な熱が籠ってて迷惑してんだから」


 前髪を掻き上げて鬱陶しい存在となったライカを思いながら舌打ちする。


「観念したらどうだ?」

「冗談でしょ?」

「子爵は仕事もできるし、将来的には王子の側近になるぞ?旦那にして尻に敷いてやれ」

「勘弁してよ。尻に敷かれて黙ってるような男じゃない。地位も名誉も金も全部あたしには必要ないし欲しくも無いからね」


 ああもう本当に面倒臭い!と叫んで革袋を再び懐にしまうと、そのついでに自分の胸を撫でて密やかにため息を吐いた。


 そこには大きくも無く小さくも無い、ごく平均的なサイズの胸がある。

 見たことは無いがきっと形の良い胸をしているのだろうと想像は出来た。

 セシルの容姿は無駄が無く、美しいラインと均等的な配置が特徴だ。誰が見てもうっとりとしてしまう、まるで計算されたかのような身体をしていた。


 男でも女でも関係なく見惚れ、魅了してしまう。


 社交界で女たらしの浮名を流したセシルだが、男爵が女だったと知っている者は少ない。巧みな話術と蠱惑的な瞳で虜にし、絡み合っても一線を超えずに有益な情報を手に入れることが出来るのはレイン一族の技術があってこそ。

 例え夢中になっている相手が同性だと気づいたとしても、それでも構わないと貴婦人や令嬢たちはセシルを変わらずに求めるだろう。


「あのライカがあたしに求婚するなんて天地がひっくり返るくらいの大事件だっていうのにさ。ノアールはお気楽におめでとうなんて言うんだよ?」

「そりゃ結婚しちまえばお前は王都を離れられなくなるからなぁ。ノアールには願ったり叶ったりだ」

「相手を選ぶ権利はこっちにあるんだけど!」

「嫌なら断っちまえば良いじゃねぇか」

「断ったさ!勿論その場でね」

「で?どうなった?」

「信じられる?ヘレーネまで来て頼むからライカと結婚してくれって結婚証明書を渡されたよ!」


 まさかアシュラム王子を巻き込むとは。


 友人の恋の応援のつもりか、はたまた政治的な意味合いでセシルの能力を手放したくないからか――。

 多分両方だろう。


「目の前で破り捨ててやったけど」


 ふんっと鼻を鳴らしてセシルは腕を組んで、いつものように机の上に綺麗な形をした尻を乗せる。


「じゃあ聞くが、他に結婚してやってもいいと思った相手はいるか?」

「ないね。変わらず執着してるのはノアールとリディだけだから」


 目を伏せてさらりと答えるが、誰かに執着していると認めることが出来なかった頃を思えば今のセシルの態度は目を疑いたくなる物だ。

 レインの名前とその技術以外に執着することを由とせず、損か得かで物事を判断し、執着すれば負けで執着させれば勝ちだと教え込まれて育ったセシルは二人に会うまでそのことに疑問も抱かずに生きてきた。

 十五年間周りの人間を執着させるだけさせて嘲笑っていたセシルが、ノアールとリディアに惹きつけられ平常心を失い翻弄され迎えに来た父親の手を取らずに王都へ残る決心をしたのはレイン一族の中で起きた初めての変化。


「ノアールにその気は無いし、侯爵令嬢に至っては結婚できないしなぁ」

「言っとくけど執着しているからって結婚したいわけじゃないからね」

「理解しがたいねぇー……」


 どこまでも掴み所のないセシルの言動はそれでもかなり自制しているらしく、制約の多い窮屈な都会での暮らしを嘆き時折遠くを眺めるような瞳をする。


「ライカにレインを囲う能力は無いと思うけど」


 大陸全土を渡り歩いて旅をするレインは気紛れにその土地の権力者と婚姻を結んで名前を捨てる。その間はその地に住んで暮らすが彼らは金にも物にも執着しない。金を使い込み、好き放題遊びながら甘い言葉を囁いて結婚相手を籠絡する。堕落させて全てを浪費した頃に婚姻を解消して次の土地へとまた旅立っていく。


 レイン一族は他人の善意を貪って生きて行く害虫のような人間なのだ。

 そう権力者たちは口汚く罵って、蔑み、嫌悪する。

 それでも彼らの魅力に抗うことはできない。

 近づきその琥珀の瞳で見つめられれば堕ちてしまうのだから。


 レインを手に入れるには名前を奪い、飽くなき欲望を満足させることができる金を用意しろ。


 彼らの技術と能力は得難く、そうすることで手に入るのならば安いものだ。


 勿論リスクもある。


 溺れては冷静な判断は出来ず、レインに全ての権限を奪われてしまう。


「遠慮なく食い潰すよ」

「アシュラム王子がいくら補填してくれたとしてもあっという間だろうよ。その前に国庫が空になって財政破綻だなぁ」


 フィライト国存亡の危機である。


「本当の敵はプリムローズ公爵では無くレインだったかー……」

「ライカが妙なこと言いだすから」

「でも金の使い道が解らないって悩んでたお前がライカの稼ぎを食い潰せるかねぇ?」

「それは自分が稼いだ金だからであって、他人の金なら気兼ねなく使えるよ」

「だからその理屈が特殊すぎて理解できねぇんだが」


 頬杖をついて嘆息するとレットソムは目の前のセシルを説得できるような物が何かないか頭を働かせる。


「食い潰しても構わないなら子爵と結婚してやってもいいか?」

「うーん、どうだろう」


 首を捻って考えながらセシルは独特の判断力を用いて答えを出そうと唸る。


「……旨味も利点も無いけど、王都に残る言い訳にはなるかな」


 ライカと結婚することで得られる物はなにも無いと断言しながらも、王都から離れがたいと思っていることは素直に認めた。

 ひとつの土地に定住した事の無いセシルは理由や、やるべきことが無ければ王都で生活するだけの為にただ居続けるということができないのだろう。クインス家には好きなだけ住んでも良いと言われてはいるが、仕事も無く退屈な日々を送るのは本意では無い。

 仕事という錨が無ければセシルはふらふらと流されてしまう。


「王都に残りたいという気持ちはあるんだな?」


 確認すると「今は、まだね」と自嘲気味に笑う。

 それならば。


「フォルビア侯爵から説得してくれと頼まれていたんだが……。外交官として働く気はあるか?」

「は?何それ、あたしが外交官?冗談きついよ」

「それが、侯爵は冗談じゃなく本気らしい。その気があれば外交官として育てたいと申し出があった。どうする?」


 大陸にある数多くの言語を操る能力は通訳としても働くことが出来る。だがそれよりもレインの持っている人たらしの能力で外交を任せた方がいいとフォルビア侯爵は考えているらしい。


「なんでリディのお祖父さまがそんなことを――ああっ!お城で教育係してるって言ってたけど、それって王女や王子のじゃなくて」

「そうだ。優秀な人材の育成だ」

「やられたー……」


 頭を抱えて思ってもみなかった所からの話にセシルは珍しく動揺している。だがライカと結婚しなくても王都へと残る道が残されていることにどこかほっとしてもいるようだ。


「その話を引き受けたくても、ライカの猛烈な求婚から誰も護ってくれないんじゃ残りたくても残れないよ?」


 媚びるような視線を投げてきてセシルが交渉してくる。

 大きく息を吐き出し「依頼は受けん」と断固として断った。


「その代わり侯爵からそれとなくライカの方に自粛するようにと釘を刺してもらうから」

「えー、足りないよ」

「言い寄って来る相手から逃げるのもお手の物だろうがぁ。我慢しろ」

「相手がライカじゃ逃げ切るのは難しいんだけど――その時はその時かな」


 どうやら腹を決めたらしい。

 セシルは組んでいた手を解いて両手を上に付き上げて伸びをする。すらりと真っ直ぐな腕が眩しい。


「逃げ切れず捕まったら結婚するのか?」

「まあね」


 にこりと微笑んで柔らかな髪を揺らして机の上に座っていた腰を上げた。


「前にヘレーネに大事な物を奪ってやるから覚悟しといてねって啖呵をきったことがあって。この一年見て来たけどヘレーネが大切にしている物ってライカくらいしかなくてさ」

「有言実行じゃねえか」

「う~ん。それとはまた違う気がするんだけど」


 類い稀な技術を持つ少女は風のように軽やかに事務所の入り口へと向かう。ノブを掴んで振り返ると意地悪そうな顔で「せいぜい焦らして翻弄してやるつもり」と言い放ち、夜の闇の中へと消えて行った。

 ライカの苛立ちが限界を超えなければいいがと心配しながらも、フォルビア侯爵の頼みをセシルが引き受けてくれたことに一先ずは安堵した。


 これからの未来を担う若者たちが自分の目の前でその力を開花させて行く姿にレットソムは安穏たる気持ちになる。


 きっとフィライト国はこれからも平和で豊かなまま続いて行く。


 彼らがこの国を支えて行ってくれるならそれは揺るがしようのない確実な未来。


 いつかは生まれてくるだろうレットソムとカメリアの子供が笑って、自分の将来を自分で選ぶことが出来る社会を彼らが力強く作ってくれるという確信。


 色あせて見えていたはずの世界が一気に色づいて、このまま枯れ果ててくすんでしまうだけの人生が光り輝く物となったように。


「大変だ!“赤い鍋”の親父と女将の夫婦喧嘩が隣の“狐の酒亭”の親父を巻き込んで大事になってるぞ!便利屋の出番だ」


 騒々しい足音と声に呼ばれてレットソムは腰を上げる。前ほどは重くないその動きは紅蓮と毎日手合せをして身体を鍛え直しているからだろう。


「さてと、今日も頑張って働きますか」


 歓楽街は夜が更ける程に賑やかになる。

 そして酒がすすめば揉め事も増え、厄介事万請負所に仕事が舞い込んでくるのだ。

 今日も儲けの少ない仕事がやって来た。


 それでも厄介事万請負所は些細な揉め事から、人生を左右する大きな依頼までなんでも請負って解決する。

 不可能を可能にするのは難しいが、出来るだけのことは精一杯、誠心誠意させて頂きます。


 王都で困ったことがあればお越しください。


 歓楽街の路地の奥にある厄介事万請負所を――。


厄介事万請負所をここまで読んでくださってありがとうございます。

ブックマークをしてくださった方に感謝を。


また新しい物語の世界でお会いできるのを楽しみに、お待ちしております。

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