第三十六話 家族の肖像
王都ディアモンドから馬で西に五日の場所にあるフェアは芸術家と音楽家を多く輩出したことで有名な街だった。近くの岬に賢者の塔が立ち、その質素で飾り気の無い姿はフェアからでも良く見え独特な街との落差が激しくみすぼらしく感じられる。
古さだけが特徴の賢者の塔に好んで引きこもっている貿易都市コーチャーの領主の気がしれない。
優秀な配下がいるからできることだが。
芸術や音楽に縁の無いレットソムがこの街を訪ねるのには訳がある。芸術家が設計した歪んだ外観の建物や、奇抜なデザインのオブジェが立ち並ぶ街並みに流れる優雅な音楽の調べが相まって酷く居心地が悪い。
できれば長居したくない街に滞在して既に三日たっている。
「仕事なら我慢できるがなぁー……」
残念ながら完全な私用だ。
金にならないことだけがレットソムのやる気を失わせているわけでは無かった。
「この道を曲がるみたいですね。ほらほら、急いでください」
腕を取って引っ張るカメリアは苦笑しながら先を急ぐ。空いている方の手で後頭部を撫でながら仏頂面でそれでもわざとゆっくりと歩いた。
生き別れの家族がいるのなら探しましょう。
母親と弟に改めて挨拶に行った帰りにカメリアがレットソムの家族について聞いてきたので素直に教えるとそう言ったのだ。
別に必要無いと訴えたが結局は笑顔で押し通され、彼女は自分で伝手を使ってレットソムの両親と姉兄について調べ始めた。伝手と言ってもレットソムの知り合いしか頼る相手がいないので、グラウィンド公爵や騎士団に掛け合ったようだが。
そうして調べた結果姉は金を持った男に遊ばれ自分の人生を悲観して自殺し、兄は違法薬物に手を出し危ない仕事で稼ぎながら同じような人間に殺されたらしい。
驚くべきことに父親は真面目に心を入れ替えて辛い鉱山の仕事についたが、やはり運が無かったのか落盤事故で死んだ。
生きているのは母親だけ。
「どうせ、碌な生活してねぇよ」
調べれば簡単に家族の現状を知ることが出来たが、それをしなかったのは知ってしまえば放っておくことが出来なくなるからだ。
知らなければ困っていようが、死にかけていようが気に病む必要は無い。
だが金に困っているのを知っていればレットソムでも知らぬふりはできないし、死に瀕していれば看病もするだろう。
そうなった時に縋られるのも、感謝されるのも、謝罪されるのも嫌だった。
カメリアに説得される形で王都を出発してここまで来たが、母親は一カ月前に引っ越したらしくその所在を調べるのに二日もかかってしまった。探す手伝いをレットソムがすればもっと早かっただろうが、会いたくない気持ちが大き過ぎてカメリアに全てを任せた所為だ。
「俺が嫌だっていってんのによぉ」
私が幸せにしてみせますからと約束したカメリアが、何故か嫌がることをさせるのだから不貞腐れるくらいのことは許して貰いたい。
「そんな子供みたいなこと言わないでください」
「だってなぁー……」
良い思い出など何ひとつないのに。
「だからですよ」
優しい声でレットソムの背中を押す。
今更感動の親子の対面など期待もしていないし、御免である。
「ここみたいですね」
気でも狂ったのかと言いたくなる色合いの集合住宅の入り口を潜って階段を三階分上がる。ここでも何処からともなく聞こえてくる楽器の音が廊下に響いていた。人の生活している音や扉の開け閉めの音がするが、この建物に入って人とすれ違うことは無かった。
廊下に面して並んでいる扉の色は全部違い、カメリアが調べてきた部屋の扉は鮮やかな黄緑色をしていた。
ほんの少し緊張した顔で右手を上げてノックをして「ごめんください」とカメリアが声をかける。
建物の大きさと部屋の数からして、そう広くは無いはずだ。
カメリアのノックも声も聞こえていないはずはないのに応えは無い。
「留守……ですかね?」
困惑しながら何気なくノブを捻ると引っ掛かる事無く回り、そっと開けながらもう一度「ごめんください」と中へ向かって直接呼びかけた。
カメリアの後ろに立って部屋を覗き込むとカーテンの引かれた薄暗い部屋の中に紫煙が漂っており独特の匂いが鼻につく。
気乗りはしなかったが居心地の悪い街にこれ以上滞在することが嫌だったので、カメリアを退けさせて中へと足を踏み入れた。
入って直ぐにある小さな台所には汚れたままの食器と、グラスが山盛りになっており閉め切られたままの部屋の中で顔を顰めたくなるような匂いがする。
「そこで待ってろ」
ドアを閉める前にカメリアに外で待つように言い置いてそのまま奥へと進む。続き間にはベッドがひとつと衣装ダンスがひとつ。正面にある窓へと迷わず急ぎ、カーテンを引き開けて窓を開けた。
湿気のある風が冬の寒さと一緒に入り込んできたが掃除も片づけもされていない部屋の異臭を取り除くことは出来ない。
「……あんた誰?」
衣装ダンスに凭れ掛かり下着姿で床に足を投げ出している女が、逆光になっているレットソムを目を細めて見上げながら誰何してくる。右手に細長い煙管を手に口から煙を細く吹き出して気怠そうにしていた。
五十を過ぎているはずだがその身体も肌も張りがあり、厭世的に口を歪めて笑う顔には色気があった。
嗜好品の中では値が張る煙管を吸うだけの金を持っていることにも驚いたが、適当な服を着せようと衣装ダンスを開けてまた目を丸くした。そこにあるのは高級下着ばかりで服の類は無い。
服が無ければ外へ出られないが、それでも困らないのだとしたら答えはひとつしかなかった。
金を持っている男に囲われているのだ。
若くは見えるが五十過ぎの女をただ抱くためだけに囲う物好きの男がいる――そう思うと吐き気がした。
「何が目的か知らないけど金目の物なんかなにひとつないわよ」
おかしそうに笑い女は豊満な身体を揺らして立ち上がる。この年まで男に愛されている身体は弛みも無く綺麗だった。
苦労しているかもしれないと思っていた母親がなにひとつ不自由無い暮らしをしていたことを喜べばいいのに、ふつふつと込み上げてくる怒りに拳を握りしめる。
お前の娘は人生を嘆いて自殺し、息子は悪い連中とつるんで道を踏み外し殺されたのに。
そうなる前に手を差し出せたのではないかと、自分のことは棚に上げて詰りたい気持ちが抑えられない。
「それとも、私の身体が目当てなの?」
色目を使ってくる女の醜さに反吐が出る。
「息子を誘う親がいるとは驚きだな」
「むすこ……?」
レットソムの眠たげな目はきっと母親譲りなのだろう。翡翠色の瞳をゆっくりと移動させて息子の姿を頭から足の先まで眺めるが、そこになんの感情も窺えず落胆している自分がいることに愕然とした。
「あんたは昔結婚していたことや、子供を三人産んだことも綺麗さっぱり忘れてんだろうなぁ。それでも別に構いやしなかったが……」
カメリアが一生懸命に探し出してくれた労力と気持ちを考えれば腹も立つ。
人違いだったと思いたくてもその顔立ちは自分と似ていて、記憶の中の母親の面影が残っていた。
傲慢で自分のことだけが大切な女。
「カメリアがどうしても挨拶したいって言うから来たが、そんな格好じゃ無理だろう?」
下着姿のあられもない格好の母親とカメリアを会わせることは承服しがたい。有難いことに母親の生活を心配する必要のないことが解っただけでこの際よしとする。
「挨拶って……私に合わせる為にお嫁さん連れてきたの?」
「まー……って!ちょっと待てっ」
女が好奇心丸出しの顔で玄関へと走る。薄い布に包まれた尻が揺れているのを見て慌てて追いかけたが、追いついて止める前に扉は開かれた。
廊下で言われた通りに待っていたカメリアは突然開いた扉の向こうから下着姿の女が現れて一瞬固まったが、厄介事万請負所では全裸の姐さんらが助けを求めて駆け込んでくることもあるので直ぐに平常心を取り戻した。
「初めましてお義母さま。カメリアと申します」
にこりと微笑んで会釈して「羨ましいぐらい美しいお身体をしていらっしゃってびっくりしました」と下着姿で飛び出してきたことも何でもないことの様に受け止めてみせた。
「正直で度胸もあるのね。レットには勿体無いお嬢さんだわ」
「――おい」
幼い頃の呼び名に背中がぞわりとする。肩越しにこちらを向いた母親は昔と変わらぬまま艶やかに笑み崩れ「貴方は嫌かもしれないけれど、私はカメリアとゆっくり話がしたいわ」とのたまった。
「ぜひ」と乗り気のカメリアに駄目だとは言えず、廊下から下着姿の母を引きずり入れて次にカメリアを招き入れる。椅子など無い部屋にカメリアと女は並んでベッドに座り、レットソムは所在無げに台所と寝室の境に立つ。
母はこれまでの苦労話など一切せず、今は有名な画家の作品のモデルをしながら生活をしていると説明した。その画家の愛人として囲われているのは言わずもがなだ。
「どうしてレットなの?」
自分の話はさっさと終わらせて目をキラキラとさせて尋ねるのはカメリアが何故レットソムを選んだのかだ。
確かに疑問に思うだろう。
年は十三も離れているしカメリアは美人だ。未だにレットソムもその事実を受け入れ難く、周囲に付き合っていると言えずにいる。
それでもカメリアとの関係が変わったことは報告せずとも何故か知れ渡っており、歓楽街の人達や公爵に騎士隊のやつらから「おめでとう」とか「ようやくか」とからかわれているのだが。
「やる気が無さそうに見えて意外と色々考えている所とか、親身になって仕事をする姿とか。頼りがいがあって優しい人なのでずっと一緒にいたいと思ってしまったんです。ずっと私の片思いだったから口説き落とすのが大変だったんですよ」
「そうなの?私てっきりレットが強引に口説いたんだとばかり……。こんな高嶺の花から思ってもらえるなんて男冥利に尽きるわね」
「俺からしたらカメリアの中では対象外だと思われてると思ってたからなぁー……」
母親の流し目に肩を竦めてそっぽを向いて逃げるが、カメリアが憤慨した顔で反撃してくる。
「好きな人から結婚相手を紹介してやるなんて言われて私がどれだけ傷ついたか」
「そんなことしたの?」
「……した」
正直に答えれば「本当にばかな子ね」と三十八の大人の男を捕まえて子ども扱いする。その声が酷く優しくてレットソムは全身をむずむずとさせた。
「アニーもマルコも幸せになれなかったからその分までレットがちゃんと引き受けてちょうだいね?」
他の子供の名前も短縮して呼んで女でありながらも母親らしいことを口にする。下着姿を晒しても堂々としている姿は眉を顰めて非難されてもおかしくないのに、何故かありのままを違和感無く受け入れさせてしまう力強さがあった。
「知ってたのか……」
姉と兄が不幸の中で死んで逝ったことを。
助けられなかったことに対しての言訳をしなかったことがかえって潔かったが「貴方が騎士隊に入った時こっそり仕事ぶりを見にも行ったのよ」という言葉に目を剥く。
「まじか?」
「おかしい?私だって母親の自覚はあるわ。子供の行く末を心配するくらいにわね」
何故三人いる子供の中でレットソムだけ気に留めて、仕事ぶりまで見に来るほど特別な思い入れをしていたのか。
騎士になり勤続年数が長くなれば高収入が望めるからだろうか。
そうなれば面倒を見て貰えるからという安っぽい考えがあったからか。
「あわよくば老後の面倒くらいは見て貰おうかしらとかちらりとは浮かんだけどね。レットは私達の愚かな姿しか覚えてないだろうし、私達の所為でまだ小さいのに人生を台無しにされてしまったから」
己の努力だけで養成学校へ入り、騎士にまでなったレットソムの人生を自分がしゃしゃり出ることでまた台無しにするつもりなど無かったのだとあっけらかんと笑う。
「アニーとマルコは私達と一緒に贅沢三昧したから可哀相だったけど、自業自得だったから。レットにはとびっきり幸せになってもらいたかったのよ」
だから王都を離れてこの街にやってきたのだと。
自分がいれば迷惑をかけるかもしれないから――。
「わざわざ探しに来なくてもよかったのに」
でも、ありがとう。
「お継母さま、いつでも王都へいらしてくださいね」
「そうね。孫が出来たら遊びに行くわ」
「はい。頑張って近いうちに必ず」
カメリアが女の手を握って約束すると「レットは若くないからちょっと色気のある下着とか着て少しでも気分を盛り上げないとね」と変な助言をする。
「下着ですか……所長、お継母さまの着てらっしゃるようなのが好みですか?」
真剣な顔で確認してくるので「下着には興味ねぇから」とだけ伝えておいた。
「面白味のない子ね」
母が笑ってカメリアもつられるように微笑む。並んで座るその間に子供がいれば普通でならば有り得ない格好だがそれでも幸せな家族の姿に見えるだろう。
「身体に悪いから、煙管はやめろ」
「えー……」
「孫に会いたけりゃ見た目じゃなく健康に気を使えって」
親孝行などしたいと思っていなかった自分の中に芽生えている、長生きして欲しいという願いに気付いて苦笑いする。
「努力はするわ」
その言葉を聞いてやはりほっとするのだからどうかしている。
それでもカメリアとの間に産まれた子供を母親に抱いてもらいたいと思った。
和解できずに死んでしまった家族の分まで。




