第三十三話 目を離さずに
一週間続いた祭りも終焉を迎え、王都は静かに眠りにつこうとしていた。そんな中でも歓楽街はとりわけ賑やかで、祭り最後の日を惜しむように矯正と歌声が通りに響いている。
多くの旅人達が落としていった金を数えながら商売人たちは明日からの商いに思いを馳せ、勤め人達はまた訪れる日常へと渋々頭を切り替え、女達は浮かれたままでベッドへ入り、子供たちはパレードで見た騎士達の姿に憧れを抱いた。
「で?相談って、どういった内容なんだぁ?」
第二大隊副隊長に連れられて事務所へとやって来たティナは、毛糸で編まれたストールを身体に巻きつけて何故か困ったように首を傾げる。
紅蓮達によってアナナス魔法研究所から救い出された時には袖の無い膝までのチュニックに身を包み汚れきっていたが、それでも彼女の美貌はなにひとつ損なわれていなかった。脂と汚れでべたついていた黒髪は洗って乾かすと緩くウェーブを描き、丸みのある頬を柔らかく縁取り、剥き出しの額は白く滑らかで思わず見入ってしまうほど。
その後ルークが姉のロリーを連れて来る際に途中でレヴィーと合流し、そのままティナは姉弟と共に安全の為騎士団詰所へと行ってもらった。
それ以来不慣れなティナの面倒をレヴィーがあれこれと世話しているようだが、純粋な親切心だけでないのは見ているこっちが照れ臭いほどバレバレである。
「それが、漠然としていて」
相談があると訪ねて来たのに、その内容を尋ねれば答えに窮する始末。
ティナは頬で遊ぶ横髪を耳へかけながら目を伏せた。
「私は森の外の人間に捕えられた時に酷い屈辱と恐怖を与えられました」
感情を殺して口にされた言葉からは彼女がトラカンで実際に何をされたのかはなにも解らない。ティナもその内容を口にすることを忌避しているようだった。
下手な同情も励ましの言葉も逆効果にしかならないことをレットソムは知っている。だから黙って続けるようにと視線で合図する。
「ですが幸運にも私は助け出され、王都へと逃れることが出来ました。安心して眠れる場所と寒さを凌ぐ衣服やお腹を満たす食事を提供してくれた皆さんには感謝してもしきれない程です」
改めてありがとうございましたと頭を下げられ、なんだか見当違いの謝罪に頭を掻く。助け出したのは紅蓮達で寝る場所や衣服食事の提供は騎士団が提供している。レットソムはなにもしていない。
「止めてくれ、俺はなにも」
「そう思うのならこれから私の力になってください」
微笑むその可愛らしさに思わず顔を背ければ、目の端にレヴィーの面白くなさそうな顔が映る。
「私は外の人間の冷酷さと狡猾さ、それとは真逆の優しさや思いやりに触れ、今回ハスタータの魔法が狙われたのは森の中に隠れ住んでいたからだと気づきました。存在を消して身を潜めている者の保身など誰も気にせず、世の中に認められていないのだから好きなように弄び利用し命を奪っても構わないのだと」
「森から出てハスタータは生きるべきだと?」
「森を捨てろと言っているわけでは無いんです。森での生活は質素ですがそれなりに満たされた幸福な物でした。ですがもっと選択肢を広げて、自由に生きてもいいのだと思うのです。外へ出て堂々と自分達はハスタータ一族なのだと胸を張って生きられる、そんな国にフィライト国になってもらいたい」
頬を紅潮させて少し興奮気味に話すティナの横顔をレヴィーが優しく見守っている。ちゃんと自分の言葉で伝えられるように。
「いずれは王都にハスタータが移り住んでくることもあるでしょう。その時にハスタータの為になにかできれば、ディアモンドの人達に私達を受け入れて貰えるような何かをしたい――」
でもそれがなにか解らない。
ハスタータ一族とフィライト国の人間との橋渡しをするなにかを始めたいのに。
悔しそうな表情を浮かべて縋るようにレットソムを見るティナの真剣な瞳に「なにか、ねぇ」とぼやく。
たしかに漠然としていて掴みようのない相談だ。
「長年ハスタータは森で生活してきたからなぁ……。直ぐに彼らが森から出て移り住むってことにはならんだろうな。外の人間に攫われた経験のある者なんかは特に。まずはディアモンドの人間にハスタータのことを理解してもらうのが先決だろうよ」
「知ってもらう方法が思いつきません」
「だよなぁ」
左手で頬杖をついて右の指先で机の上をトントンと叩く。
ハスタータのことを知ってもらうには彼らと交流を持つのが一番手っ取り早いが、まどわしの森は手つかずの森で気軽に訪れることのできない場所である。これからはハスタータの存在を隠す必要が無くなったので整備され開発されるだろうが、今の所それも未定であることには違いは無い。
警戒心の強いハスタータの方に出てこいというのも押しつけがましく、反発が起きそうで良好で対等な関係を築くのはなんと難しいのだろう。
「そういや、あんたは森に帰らずにこっちに住むつもりなんだよな?」
なにかしたいと言っているのだからそうなのだろうが、一応確認しておく。ティナが頷いて「そのつもりです」と答えた。
「じゃあこっちでの生活基盤とか、仕事とか他に考えることはあるじゃねぇか」
今は騎士団詰所にある宿舎の一室に住み、衣食住は国が保証してくれている。だがそれも国民の税金によって賄われており、いつまでも面倒を見てくれるという物では無い。
王都に残るのであればティナは仕事を見つけて働き、軌道に乗った所で住まいを移さなければならなかった。
「そうなんです……。できればその仕事がハスタータとこの国の人の為になる物であればいいなと思っていて」
「無茶いうねぇ」
結局最初に戻る。
ハスタータを知ってもらうにはどうすればいいのか。
「あんたから見てハスタータとの違いとか、ここを知ってもらいたいとかあるか?」
「違い……。圧倒的に人と物が多くて賑やかで、着ている物も食べている物も違います。違い過ぎて」
「だろうな」
「ただ、私たちは同じ言葉を喋る人間で価値観は違っても悲しい時は涙を流すし、腹が立った時には怒ります。勿論楽しい時は笑いますし、人を愛する気持ちも変わりません。だから」
扱う魔法が自分達と違うからといって差別したり、利用しようとしないで欲しい。
「まあ――あれだな。ハスタータとディアモンドの人間との間を取り持つのを別に仕事にしようと思わなくてもいいかもな。あんたが無理して働かなくても、誰かに養ってもらえばいい話だもんなぁ?」
後半はレヴィーに向けた物だが、副隊長は舌打ちしていつもは滑らかに動く舌も今日は調子が悪いらしい。
「誰かに養ってもらおうなんて、そんなこと考えてもいません」
何を言い出すのかとティナが不服そうな顔ではっきりと言い放つ。レヴィーが落胆しているのは彼女には見えていない。
女は現実的に物事を考える生き物だ。
この王都で仕事も無く生きていけるなど思ってはいないのだろう。
「そういや、あんた料理は出来るか?」
ふと思いついたことを実現するにはティナにその能力が無ければそれも難しい。
「できますが――それはハスタータの料理です。こちらの料理に比べて味付けは薄いですし、野菜中心の物が多いですが」
「成程。上々だ」
にやりと笑うとレヴィーへ視線を向ける。何を頼まれるかと身構える前にレットソムは「ティナが国から融資して貰える様に便宜を図ってやってくれねぇか?」と告げた。
「融資?なにするつもりだ?」
「丁度、店を誰かに譲りたいって話があってなぁ。ハスタータの伝統料理を使った持ち帰り専門の店でも始めれば、ディアモンドに住む人らに少しはハスタータを知ってもらえるだろ?それに王都へ移り住んできたハスタータの人達も懐かしがって来てくれりゃ御の字」
次はティナを見て「どうだ?」と問えば、女は嬉しそうに破顔して大きく頷く。そして頭を下げて「宜しくお願いします」とレットソムの提案を受け入れたのだった。
「ハスタータの料理って素材の味が生かされていてとっても美味しいんですよ」
パフィオが焼きあがったパンを店頭に並べながら、自分の作るパンと同じく素材重視の料理を褒め称える。ロメリアは売り子をパフィオに任せて奥の厨房で黙々とパン作りに精を出していたが、レットソムが来ていると聞くと急いで出てきた。
「本当にいい人を紹介して頂き感謝しています」
頭を深々と下げるロメリアに別にたいしたことはしていないから頭を上げて欲しいと懇願すると目を細めて微笑まれた。
整った容姿だが愛想の無いロメリアの滅多に無い笑顔に驚いていると、客がカウンターに持ってきたパンを袋に詰めて会計を済ませて送り出した後でパフィオが盛大に吹き出す。
「便利屋さん、びっくりしすぎ。ロメリアだって人間なんだから笑いもしますよ」
「あー……珍しくて、つい」
頭を掻いているとパフィオが苦笑いして「もう少し大盤振る舞いしてくれたらいいんだけど」と同意して愚痴る。
「でも本当に評判いいんですよ。お隣。最近健康志向が流行ってるみたいで、薄味のハスタータ料理にみんな飛びついてるから。ティナさんも素敵な人だし、第二大隊の副隊長がしょっちゅう出入りするからこの辺の治安はすこぶる良くなりましたし」
「……あいつそんなに来てんのか?」
ハスタータとディアモンドに住む人との相互理解ができればというティナの願いに賛同し、協力してくれたのはブルースター侯爵とフォルビア侯爵だった。そして金の使い道が解らないと日頃悩んでいた男爵がポンと大金を出してトントン拍子に店を開店させることができた。
侯爵二人と男爵のお陰で国からの融資してもらった額は少なく、その保証人には是非にとレヴィーが名乗りを上げてその権利を得た。
「多い時は一日二回ぐらい来てますよ」
呆れたようにロメリアが呟くので、よっぽど鬱陶しいくらいなのだろう。
仕事しろやと心の中で突っ込んでいると、好意的なのはパフィオだけのようで「ティナさん美人だから心配なんですよ」とにこにこ笑っている。
しかし仕事そっちのけで日に二度も店に来られては迷惑以外の何物でもないだろう。
「一応忠告してはみるが――」
多分効果は無いだろう。
「お二人の仲を取り持ってあげればいいのに」
「冗談じゃねえ」
ぶるりと震え上がってレットソムは手を上げて「邪魔したな」とそそくさと店を後にする。扉が閉まる時のカランという音がする前に呼び止められて振り向くと、パフィオが不安そうな瞳で店から駆けてきた。
「カメリアさんのお父さん。相当悪いみたいで」
なにか聞いてますか?と問われ、病状の悪化などカメリアが口にしたこともないので首を振った。態度からもそんな様子は見られなかったので、小康状態が続いているのだと勝手に思っていたがどうやら違うらしい。
「お願いです。カメリアさんの力になってあげてください」
力になる。
それは当然そうするつもりだが、実際カメリアの父親が亡くなった時にレットソムができることなど何も無い気がした。
「暫く休ませてやってもいいが、本人が何も言わない以上こっちからあれこれ口出すのも違うだろうしなぁー……」
「そうじゃなくてっ!」
小柄なパフィオは足も小さい。その足を踏み鳴らして苛立ちを顕にして怒っているのだろうが逆に微笑ましく映りレットソムの口元が自然と緩む。
「ああ!もう。なに笑ってんですか!カメリアさんに聞いてたけど、本当に女心の解らない鈍い男なんですね!」
「……悪かったなぁ」
「謝るより、察してください!」
これで本当に恋の伝道師なんだから全く理解できないとぷりぷり起こるパフィオには苦笑いするしかない。
「ちゃんとカメリアさんを見て、傍にいてあげてください」
驚愕の要望にレットソムは仰け反る。
「それは、俺のすべきことじゃないだろうがぁ」
「便利屋さんにその気が無いのなら、ちゃんとカメリアさんに伝えて下さい」
「だからなぁ」
カメリアにそうして欲しいと言われたわけでもないのに、それは出来ませんと伝えるのはとんだ間の抜けたことの様に思える。
「考えておいてください」
言い捨ててパフィオはくるりと身を翻すと店に戻って行く。振り返れば入口の硝子の間から心配そうにロメリアが見ていた。どんな時でも大切に想う女から目を離さずにいる恋人の鑑のような男だ。
レットソムには出来そうも無い。
臆病者と呼びたければ呼べばいい。
それで心の平穏が保たれるのだから。




