第三十二話 新たな後継者
夜が明けて時計塔の鐘と共に高らかな喇叭の音が王都に鳴り響いた。ディアモンドに住む殆どの人間が温かな布団の中で微睡みながらその音を聞いただろう。
喇叭の音は王から国民に対して出される布令が、王城前広場で読み上げられることを報せるものだ。眠りの中で聞いていた人々は夢だろうと思い、朝早くから忙しく働き始めていた職人たちはカールレッド王子の訃報ではないかと悲しみ沈んだ。
それぞれが取る物も取り敢えず顔を洗って衣服を整えて王城前広場へと集まった国民の前に現れたのはブルースター侯爵。
宰相は丸い顔に満面の笑みを浮かべて巻物を広げ高所から呼びかける。
「本日ローム王とアルベルティーヌ第二王妃の嫡子、アシュラム王子を正式に王室へと迎える運びとなったことをここに宣言する。尚式典後御披露目式を終えた後正午より祝賀パレードを執り行う。新たな王子の誕生を祝して国を挙げて一週間祭典を催す。この善き日を迎えられたことを心より感謝し、言祝ごうではないか!」
宰相の言葉に歓喜の声が上げられ、明けたばかりの空に吸い込まれていく。雲ひとつない晴天にこれからのフィライト国の安寧が見えるようで国民の期待が高まる。
こうして隠された王子は新たな名前を授けられ民衆の前に姿を現すことになった。
突然の祭りの開始に商売人は好機と見て動きだし準備を始める。通りという通りに屋台や小売店が出された。それらしい飾りつけに奔走し、街は祭り一色の華やかで賑やかな盛り上がりを見せる。
飲み屋は樽を店先に出して売り、朝だというのに赤ら顔の男達がジョッキを片手に肩を組んで歌っていた。女達も浮かれたように着飾って、寒風吹く中を楽しげに歩いて行く。
「大丈夫か?」
頭に包帯を巻いたカメリアとなるべく人混みの少ない場所を選びながら進んでいるが、準備に忙しい者達は周りになど気を使ってはくれない。時折前が見えない程積み上げた箱を抱えながらぶつかりそうな勢いで向かってくる。
いつもなら通りの端を歩いていれば危険は無いのだが、その端に露店を作ろうと場所取りをしていたりするものだから安全に歩ける場所など無いに等しかった。
「もうちょっと時間ずらして出りゃよかったなぁ」
「そうですね……。でも父が心配なので」
時計通りから宿場外に出て、歓楽街に行くまでの道が特にすごいことになっている。普段から人の出入りが多く露店も並んでいるが、通りの真ん中にまで露店が出され、これでは馬車も通れない。
プリムローズ公爵が王になるのではないかと悲観し鬱屈していた人々に齎された朗報は、今までにないほどの期待感と昂揚感で王都を異常な熱気で包もうとしていた。
「悪いが、事務所に寄っていいか?」
「はい。構いませんが、別に送って頂かなくても大丈夫ですから」
「紅蓮とフィルも帰って来てるし、あいつらもカメリアの顔が見たいだろうし」
遠慮したカメリアの背中を支え前から来た荷物を抱えた男との間に身体を入れてやり過ごし、人混みを縫うようにして歓楽街へ続く階段を上った。
日のあるうちは静かなはずのこの場所も珍しく人通りが多く、眠たげな顔に晴やかな笑顔を浮かべて王子誕生を喜んでいる。レットソムとカメリアに気付くと挨拶をするので、それに手を上げて応えた。
細い路地を入った所で「あ」と歩みを緩めるので、視線だけでどうかしたかと尋ねれば、朝食になる様な物を何か買ってくれば良かったと学生たちの空腹の心配をする。
「子供じゃねぇんだから、自分の腹は自分でなんとかするさー……」
「でも、」
後ろ髪を引かれるように振り返るので、強引に手を引いて家路を急ぐ。怪我人のカメリアがあの危険な道を少年達の朝食の為に駆け戻らないように。
十五年住んだ住み慣れた事務所のドアを開けて中へと入ると、床に転がって寝ていた紅蓮の身体に足がぶつかった。この寒いのに毛布もかけずに寝ている図太さと頑丈さに呆れる。
「おはようございます」
フィルは既に起きていて応接室の方からひょっこり顔を出して「お茶を淹れますね」と再び引っ込んだ。
「紅蓮、こんな所で寝ていたら風邪引きますよ」
床に膝を着いて蹴り上げられても眠っている紅蓮の肩を優しく揺さぶりながらカメリアが声をかける。
「もう少し寝かしといてやってくれ。久々に暴れて楽しそうだったからなぁ」
「暴れ……?なにかあったんですか?」
不安そうに見上げてくるカメリアから目を反らして「ま、色々な」と誤魔化した。仕事に関する余計なことには首を突っ込まない主義のカメリアはなにか言いたそうな顔をしていたが、それでも口を噤んで立ち上がると紅蓮を迂回して中へと入る。
レットソムは遠慮せず横たわる紅蓮の上を跨いで入り、茶を淹れているフィルの元へと向かった。
「なあ、俺の怪我を治したやつ。カメリアにもやってもらえねぇか?」
忽ち治してしまったフィルの魔法に安易に縋るのは良いことではないと解っている。彼の生命力を奪い治癒を促す魔法は危険を伴うのはよく理解している――だが。
襲われた時の恐怖を打ち消すことは出来ないが、痛みだけでも即座に消すことができるのならそれを願いたい。
「いいですよ」
頼まれた方は軽い返事でふわりと微笑む。
これしかないのだと悲しげに呟いた少年の弱みに付け込む、悪い大人であることを恥じながらその返事に胸を撫で下ろす。
「そのつもりでしたし」
丁寧に蒸されて抽出された紅茶を茶器に注ぎ入れていく。
「誰かの役に立つことがぼくの罪滅ぼしになる――なんて都合がいいですかね?」
「そんなことねぇよ」
そもそもフィルの罪などもう許されている。
少年の父が経営に行き詰まり自殺したのはリディアの父親が無理に手を広げた煽りを受けたからだ。フィルは母親の故郷だった魔法都市トラカンに引っ越し、そこで魔法の才能を開花させた。
それが不幸の始まり。
母親は息子の才能を惜しんで更に上の魔法学校中等科へと進ませたかったが入学金を納める当てがなかった。
どうしても諦めきれなかった母はひとつの計画を立てる。ディアモンドに戻り憎い男から金を奪い取ろうと――。
そうしてリディアを攫い監禁し、傷つけた。
フィルは母に促されるまま犯行を手伝い、そしてリディアに暗示をかけたのだ。
「もう終わった事だ」
六年かけて苦しめられた暗示をかけたフィルをリディアは赦し、そして家族もそれを受け入れた。罪を犯しながらも、償うことを許されなかったフィルとその母親はもどかしく思いながら生きている。
「いいんですよ。ぼくはぼくなりに出来る事をしていくだけですから」
それでも留学する前のフィルはいつ死んでも構わないとふわふわとした印象の少年だった。でも今はしっかりと前を向いて過去を抱えながら生きていこうとしている。
キトラスへの留学が少年になんらかの影響を与えたのは事実だろう。
「さ、行きましょう。女性を待たせては失礼ですしね」
木のトレイに茶器を並べて乗せて持ち上げるとフィルは背中の三つ編みを揺らして事務所へと入って行く。その後について行き机に座ると、茶器を机に配り終えたフィルがカメリアの包帯に覆われた頭部にそっと手を伸ばした。
「フィル?」
怪訝そうに眉を寄せてカメリアは身動ぎする。
「すみません――ちょっとだけ、動かずに、そのまま」
「なにを」
フィルの視線はカメリアの額に据えられているが、実際に見ているのはそこでは無い場所だ。淡い紫色の光がフィルの指先からカメリアの髪の上に零れて行く。あの不思議な旋律の言葉を歌うように紡ぐと、魔力がゆっくりと濃厚になるのが解る。
「――痛いですか?」
「いえ、なにが」
不意にかけられた問いにカメリアは小さく頭を振って答えて、フィルは手を離し「早く治るおまじないです」と微笑んだ。
「ありがとう、フィル」
困惑しながらも感謝を述べ、淹れてくれた紅茶を飲む。
「奥でノアールが寝ているので起こしてきます」
「おう」
深く追及されるのを恐れ直ぐに身を翻すとフィルは応接室の奥にある仮眠室へと向かった。その間にカメリアが違和感に気付く様子は無く、フィルによって起こされたノアールは眼鏡をかけながら駆け込んできた。
「カメリアさん――良かった!」
いつものように事務机に座るカメリアの姿に碧色の瞳を涙で潤ませる。
レットソムが戻るまでアイスバーグ医院でカメリアの傍にいるはずだったノアールは、なかなか意識の戻らない彼女の傍に居ることが段々辛くなったのだろう。居ても立っても居られなくなったノアールは友人であるセシルに助けを求め、独断でローム王への直談判を行った。
勿論正式な謁見には煩雑な手続きと時間がかかる。
彼らは密やかに王城内へと侵入し、驚くべきことに王の居室へと直接訪問した。
どうやって厳重な警備の目を掻い潜り王の元へ辿り着いたのかは解らないが、何処にでも入り込む風のようなセシルがいればそれも可能なのだろう。
新しい風が吹き始めたフィライト国の影で奔走して戦った勇気のある者が十代の若者だと知る者は少ない。
彼らが生きて行く未来のフィライト国が豊かで安寧であればいいと願いながら、その重い責務を負わねばならない少年の華奢な肩を思ってレットソムは深いため息を洩らした。
正午の鐘が鳴り再び喇叭の音が王都に響き渡った。旧市街をサルビア騎士団第一大隊の騎士隊が煌びやかな正装に身を包み馬に乗って先導する。隊の最後尾に白馬に跨り豊かな赤い髪をきっちりと纏めあげた美貌のグラウィンド公爵が笑顔で観衆に応えながらも周囲を鋭い瞳で警戒していた。
その後を第二大隊が続き颯爽と馬に乗るマルレーン隊長の横でいつも通りやる気の無さげな顔をしている副隊長の姿があり、その隊列に黒髪の美しい男女が三人加わっていることに人々は少しだけ不思議そうな顔をする。
彼等は騎士隊の服を着ておらず、素朴な衣装に身を纏っていた。草木で染めた綺麗だが淡い色合いの布で仕立てられた洋服は普段着ではなさそうだが、改まった服装にも見えない。ちょっとした余所行きのような装いだが、見た目の麗しさがそれを補っている。
見たことの無い顔立ちと服装は目立つ。
のちに彼らがハスタータと呼ばれる一族で、まどわしの森に王の庇護の下長く住んでいたのだと知らされ、彼らの自由と権利を保護し、共に手を取り生きていこうではないかと王の演説で一躍三人は有名人となる。
そしてパレードの中心で馬が引く御輿の上で手を振る可憐な姿を集まった国民は目にすることになる。
国の王子たる証しである冠を被り、紺色の祭典用の服を着た美しい王子。
冷たい風の吹く中で白い手を挙げて声援に応えながら笑顔を浮かべる横で、ローム王は長年離れて暮らしていた王子の姿を優しい眼差しで見つめている。
朝一番で行われた式典にアルベルティーヌ第二王妃も召喚され、十九年ぶりに王宮へと足を踏み入れた。
そこで真偽の魔法を使ったアルベルティーヌ第二王妃と王子の血縁関係の審議があり、それからローム王と面会したが彼女は一言も発すること無くただ笑顔でやり過ごし、式典後速やかにフォーサイシアの館へと帰ったそうだ。
全てが滞りなく済み、燻る火種を内に秘めて新たな後継者が生まれた。




