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第二十五話 青天の霹靂

今回は少々血が出ます。

苦手な方はご注意ください。



「はっつくしょおいい!」


 くしゃみと共に流れ出た洟をずるずると啜り上げて鼻の下を人差し指で擦る。ぞくぞくと背中を這い上がる寒気にどうやら風邪を引いたらしいと認めた。

 カメリアが心配そうな顔で「大丈夫ですか?」と聞いてくるが、それに手を振って構わんでくれと意思表示する。風邪ごときで倒れるようなやわな身体では無い。 最近睡眠時間が取れないぐらい忙しいのと、考える事が多いので疲れているのだ。


「所長。風邪は引き始めが肝心なんです。おとなしくアイスバーグ先生の所に行ってください」

「大丈夫だってー……直ぐなお」

「迷惑なんです。うつされては」


 立ち上がってレットソムの椅子の後ろに回り込むと、カメリアは追い立てるように背中を叩く。確かに父親の看病で手いっぱいの彼女に風邪などうつしては迷惑だろう。


「さあ、速く。それとも、これからベッドで休みますか?なんなら付きっきりで看病して差し上げても構いませんが」


 どこか甘く優しい声に慌てて腰を上げ「行ってくる!」と入口まで駆け足で向かうと、カメリアが楽しげに笑う。


「最初から素直に行ってくれればいいのに。行ってらっしゃい」


 白い手を振って送り出すカメリアの顔を見られずに、そのまま事務所を出てぼんやりする頭を振った。大きなため息を吐いて背中を丸めながら歩き出すともう一度盛大なくしゃみをする。


「完璧に風邪だなぁー……」


 考えてみるとまともに風邪を引いたのは子供の時以来かもしれない。久しぶりに身体の不調を感じ、老いを認識した。


 もうきっと無理の聞かない身体になってきている。

 いつまでも昔のまま健康でいられるとは限らないのだ。

 身体が丈夫な事が唯一の自慢だったのに――。


「怠いなぁー……」


 のそりのそりと歩いて歓楽街を抜け、宿場街の向こうにある時計塔を目指す。アイスバーグ医院は年中無休で時間も関係無く診療し朝から夕方までは医院長が、夕方から早朝までの間で急患はその息子であるグレアムが診てくれる。

 良心的な金額と丁寧な診察が評判で、特に息子のグレアムの美形ぶりが好評だ。

 人当たりの良さと技術の高さ、そして抜群の容姿のお陰でアイスバーグ医院は大繁盛している。


「ああー……」


 ドアを開けて待合室を見ると十人ほどが待っていた。受付の女性がにこりと微笑んで「どうぞ中へ」と開いている椅子を指し示す。


「いや、やっぱりいいわ」


 踵を返して帰ろうとすると受付の奥から「便利屋じゃないか」と嗄れた声がかけられた。振り返ると細面に灰緑色の鋭い瞳と薄い唇の女性がにやりと笑う。節くれだった指で招くように呼ぶので仕方なく中へと入る。

 長い黒髪を無造作に後ろに流し、灰色のローブを着た姿はお伽噺に出てくる悪い魔法使いのような姿をしており小さな子が見れば泣いて手が付けられなくなるだろう。

 彼女はミシェル=ドライノス。植物学者で薬学にも精通している。その知識を請われ魔法学園の講師として働いている傍ら、ここの医院長に若い頃世話になっていたことが縁でこの医院の専属の薬剤師もしている。


「珍しいな。便利屋が医者にかかるとは」

「たいしたことねぇが、どうも風邪引いちまったようでなぁ」

「青天の霹靂だな、入れ」


 受付と診察室の間にある扉には調剤室と書かれている。一番見つかっては厄介な相手に見つかってしまったので、今更逃げ帰ることは出来ない。

 渋々調剤室の扉を引き開けて中に入ると、沢山の調剤中の薬が広い机の上に並べられていた。白い乳鉢と乾燥させた薬草がごちゃごちゃと置かれており、これでは何の薬を作っているのか途中で解らなくなりそうだ。


「風邪には睡眠が一番だが……忙しい便利屋は寝る間も惜しんで働いているのだろう?」

「まあぁ……なあ」

「最近は愉快な話しか聞かんが、便利屋から恋の相談員へと鞍替えしたというのは本当か?」

「愉快……?全くおかしくも面白くもねぇよ!迷惑だっつうの」


 段々と頭痛が激しくなってくる。前と後ろをすごい力で締め上げられているかのような痛みに顔を顰めていると、ミシェルは不思議そうに首を傾げて徐に手を伸ばしてきた。

 ひんやりとした掌が額に触れて、ほんの少しだけ痛みが和らぐ。


「熱と痛みか……他に症状は?」

「くしゃみと鼻水、それから寒気と怠さ」

「喉は?」

「言われてみればー……」

「ふむ、風邪だな」


 解りきったことを言ってミシェルは近くにある乳鉢を掴むと、適当にその辺にあった別の乳鉢を取り二つの中身をひとつにする。

 乳棒で掻き混ぜてから掌を翳し、何やら怪しげな声で呪文を唱えた。


「おいおい……大丈夫かぁ?」


 なんの薬草同士を混ぜ合わせたのか解らないが、茶色の泡がぼこぼこと湧き立っている。まるで沸騰した湯のように泡を弾かせながらも、徐々にその勢いは収まって行く。


「……ふう。終わったぞ。飲め」


 ずいっと差し出された乳鉢の中には三口ほどの量の液体。少しとろみがあるが透明度のある茶色をしている。

 見た目は紅茶に見えなくも無い。


「どうした?飲まないのか?」

「……聞いてもいいか?これはなんの薬だ」

「風邪の特効薬」

「どうも適当に混ぜられただけの効果の妖しい薬にしか見えんのだがなー……」

「何度も言わせるな。飲めばわかる。なんなら飲ませてやろうか?」


 レットソムの手の中から乳鉢を奪い取り、それを口元へと持って行こうとしたので「解った!自分で飲むから寄越せっ」と怒鳴って手を伸ばすとあっさりと渡される。


「あまり私の手を煩わせてくれるな」

「お前なー……今口移しで飲ませようと思ってただろっ。なんの嫌がらせだ」

「女日照りの可愛そうな便利屋にほんの少しの潤いを与えてやろうという私の思いやりを嫌がらせとは」


 顎を振りながら嘆息し、ミシェルは調剤の作業を再開した。ゆったりとしたローブは彼女の痩せぎすな身体を逆に強調し、表情が乏しく女には珍しい嗄れた声から魅力的な女性だとは異性には意識されない。

 個人的な依頼で女であるミシェルに、精力増強剤の類を注文する男がいるというのだから相当である。


「潤いを与えてやる相手が違うだろうがぁ」


 つい小言を言いたくなるのはミシェルがグレアムの気持ちを知っていながら相手にせず、レットソムのような男をからかう時に女であることを利用するからだ。

 ぐいっと薬を飲み干すと舌が痺れるような苦みの後でレモンのような爽やかな香りが口の中に広がった。これも嫌がらせとしか思えないような不愉快さと不快さで一杯になる。


「っそういう、ことは。欲しがってる、奴に――ちょっと、水くれ!」

「それは私に口移しで水を欲しがっているということで間違いないか?」

「んなわけあるかっ!普通に水、くれ、」

「……つまらんな」


 水差しを取りに立ち上がりミシェルはグラスに入れてから戻ってくる。それを引っ手繰るようにして奪うと苦みと爽やかさを全て洗い流すべく勢いよく煽った。


「治まったか?」

「――――はぁ。酷い目にあった」


 コップを机に置いてがっくりと項垂れていると、指で肩を突つかれる。煩わしいほど何度も突いてくるので「なんだよっ」と顔を上げるとミシェルが首を傾げて目を覗き込んできた。


「どうだ?治まったか?」

「治まったって……口の中の嫌なもんは全て無くなってはるが」

「そうではない。お前は何をしにここへ来たんだ」

「何って風邪引いたから診て貰いに――」


 呆れた物言いをされたので、ここへ来た理由を述べるとミシェルは目を細めて微笑んだ。


「どうだ?」


 再び問われてレットソムは己の身体の不調が全て改善されていることに気付いた。喉に触れ、鼻を擦り、額に手を当てて痛みも熱も無いのを確かめてから「相変わらず、すごい効き目だなぁ」と苦笑いする。

 適当に調合されたとしか思えない薬がこれほど効くのだから彼女の才能は恐ろしい物がある。


「薬と魔法の力を融合すればこれしきの風邪など造作も無い」

「造作も無いって……まあいいや。助かったわ」

「忙しい医院長の手を取らせる程の病気じゃないからな。さっさと帰って少し休養しろ」


 犬や虫を追い払う様に手を振ってミシェルは自分の仕事に集中する。流れるような手つきで幾つも並ぶ乳鉢をひとつずつ完成させて瓶へと流し入れると、受付の女性に患者の名前を告げて次々と渡していく。

 邪魔になるだろうと声をかけずに出て行こうとすると、掠れた声が追いかけてきて受付で銅貨十枚払って帰れと言われたのでおとなしく払ってから外へ出た。


 来る時は重い足取りだったが、快調になった身体は軽く倍の速さで帰途につく。宿場街から歓楽街へと上る階段を駆け足で上りきった所で、前方から走ってくる顔見知りの女将が「ちょっと!大変だよっ!」と叫んだ。

 青い顔で唾を飛ばしながらレットソムの腕を掴むと事務所のある方を指差した。


「あんたの事務所に、変な奴らが押し入ってるっ!」

「変な奴ら?今事務所には――」


 カメリアしかいない。


 背中を風邪の寒気とは別の物が駆け上がる。陽の高い時間に襲撃してくるとは驚きだが、歓楽街は逆に朝方から昼間にかけて一番人通りが少ない。夜中よりもよほど気づかれず押し入ることができる。


 そんなこと解っていたはずなのに。


 危ない案件の仕事も幾つもやってきたが、事務所を設立して十五年間一度もそういったことが無かった。それに慣れきって、カメリアひとりに留守を任せてしまったことを今更悔いても仕方が無い。


「カメリアっ!」


 慣れ親しんだ道をレットソムは駆け抜けた。路地の中にも明るい光が満ちている中を走りながら頭の中には自分の息遣いしか響いてこない。

 最後の角を曲がった所で倒れている男が数人いるのに気付く。全て意識が無いのを目視だけで確認し、色々な疑問は後で処理することにして今はただカメリアの安否確認だけを最優先にする。

 事務所の扉は無防備に開け放たれたままで、そこへ駆け込むと床一面に散らばった書類と狭い事務所内で揉み合う男が二人。

そして――。


「カメリア!」


 真っ直ぐな栗色の髪が左側だけ黒っぽく色が変わり濡れたように固まっていた。閉じられた目蓋の下の窪みが青白く、四肢はぐったりとして意識が無いのは遠目でも解る。

 壁際まで逃げカメリアを腕に抱き留めて床に跪き、緊張した顔で揉み合う男達を凝視していたのはヘレーネだった。レットソムに気付くと申し訳なさそうな顔で唇を動かすが、言葉を発する前に閉じられる。


「てめぇ。人の事務所で何やってんだ!」


 床を蹴り机の上に飛び乗ると、その向こうで刃物同士を打ち合っている二人の男達の間に割り込んだ。どちらが敵で味方なのか判断がつかないので、両者の手首を掴んで押える。

 ちらりと視線を走らせるとカメリアとヘレーネに背中を向けている方の男の容姿がライカと似通っていたので、大和屋の長男か次男だろうと見当をつけた。外の男達はライカの兄が片付けてくれたらしい。


「つうことは、お前が襲撃者だな!」


 左手側の男を睨みつけ、ライカの兄を掴んでいた手を離して顎を狙って肘を入れる。男はぬらりと身体を引いて避け、不安定な姿勢からでも右足で鋭い蹴りを繰り出してきた。まずはレットソムの左足首を掬うように動き、次に脛、膝と続けざまに攻撃してくる。

 一撃一撃は鋭いが耐えられない痛みでは無い。避けることよりも反撃する方を選び、拳を男の蟀谷に横ざまに振り下ろし、そのまま後頭部に腕を添わせて移動させ首を巻き込んでぐっと締め上げた。

 足掻くように肩を動かし左手でレットソムの太い腕を解こうとしていたが、更に力を入れると顔を赤くし口を大きく開けてからやがて静かになった。


「ふぅ……」


 男を床に転がして振り返るとライカの兄はヘレーネの傍に立ち会釈を返す。


「カメリア、無事か?」

「ごめんなさい」


 潤んだ紺色の瞳が見上げてくるのを受け止めながら腰を下ろす。細いヘレーネの腕の中で胸に額を当てて静かに目を閉じる姿はやはり美しかった。そっと手を伸ばし頬にかかっている横髪を避けてやると、赤い血が蟀谷から一筋流れ落ちる。

 滑らかな肌の温もりと柔らかさにほっと息を吐く。


「あいつらの目的は私だった。もう少し気を付けていればこんな事にはならなかったのに……本当にごめんなさい」

「違うさ。あんただけの所為じゃない。こっちも気を抜きすぎてた」


 十五年間の平穏に胡坐をかいて、危険が及ぶ事は無いと高を括っていた罰が当たった。厄介事を請け負う仕事をしていながら事務所にカメリアをひとりで置いておくなんて。


 ヘレーネひとりの所為では無い。

 責はレットソムにもある。


「これは脅しだ」


 ヘレーネが目的ならば別にここでなくてもいいはずだ。ここに来た所を襲撃したということは、レットソムに対しても脅しをかけて来たと考えて間違いない。

 丁度レットソムが不在の所にヘレーネが訪れてきたのだから千載一遇のチャンスだっただろう。


「目障りになって来たんだろうよ」


 ちょろちょろと目の前を動き回る小物が。

 だからおとなしくしておけと警告してきた。


「カメリアを」


 促すとヘレーネは慎重にレットソムの腕の中へ、意識の無いカメリアを移動させる。傷のある左側がレットソムの肩に当たるので、応接室にある台所からタオルを取って来て欲しいとヘレーネに頼む。

 急いで駆けて行くヘレーネのスカートの裾や袖口にも赤い血がついているのが見えた。ライカの兄は事務所の入り口側へと移動して、外と応接室の中が見えるように位置を取る。その仕草は自然で、静かだ。

 似ているのは顔だけで性格は全く違う。


「大丈夫だと思う?」


 タオルを持ってきたヘレーネが不安そうに尋ねながらカメリアの傷口に宛がう。


「解らん。解らんが、アイスバーグ医院に今、優秀な薬剤師がいる。だからなんとかしてくれるはずだ」


 横抱きに抱えて立ち上がると傷口に響かない様にそっと歩き出す。後ろをついてくるヘレーネに首を振って止めさせ「こいつらがどこのどいつか調べてくれ」とライカの兄に頼む。

 男が小さく頷いてくれたので後は任せることにした。


「それから引き出しに入ってる事務所の鍵で戸締りして、ノアールに今日は休みだと伝えてくれると助かるわ」


 ノアールへの伝言を頼んでから、レットソムは腕にかかる頼りない重さをしっかりと抱き上げて事務所を後にした。


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