第二十四話 任務完了 金色の報酬
「任務遂行御苦労さま」
机の上に腰かけて男爵が重たげな音をさせる革袋を放り投げてくるので、慌ててそれを受け取った。適当に結ばれていた袋の口から見えた色が銀では無く金色だったので驚いて突き返す。
「いくらなんでも貰い過ぎだ」
「いいじゃん。別に貰っときなよ。どうせ金なんて他に使い道無いしさ」
「人だけじゃなく金にも執着しねぇんだから、レイン一族ってのは理解できん」
首を振りながら中から金貨を二枚取り出してからもう一度突き返した。それでも貰い過ぎなのには変わりはないが、くれるというのだから有難く頂くことにする。
「そんなんでいいの?初めから言い値で幾らでも払うって言っておいたから、足りないって言われるかと思ってたけど」
下唇を突き出して「どんだけ業突く張りだと思われてんだかぁ……」といじけると、セシルが「違ったの?」と楽しげに笑い声を上げる。
「まさか近衛騎士団長と宰相閣下の娘を結びつけるとは思わなかったけど、結果上手く行って丸く収まったから上々だね」
「あちこちに借りを作っちまったから、これからが大変だがなぁー……」
「だからその返済に当てなよって」
再び革袋を差し出してくるので「いらねぇって」と跳ね返す。
「こういう仕事は他人に借りを作ることで、後々助けられる事が多いんだよぉ」
「ふうん。面倒臭いね」
「男爵にとっちゃ世の中の仕組み全てが面倒臭いだろうよ」
「よくできました」
手を叩いて褒められても全く嬉しくは無い。依頼書と報告書をまとめて解決済みのファイルに挟み込むと、領収書も書いて一枚男爵に渡した。
「いらないよ。こんなの」
びりびりと目の前で破いて捨てながら税金の申告で控除申請とかしないしと肩を竦める。
金儲けにも興味がないセシルは税金対策もしないらしい。稼いだ金額に対する税金をそのまま払うのだろう。
「税金払った残り全部ばらまいても構わないんだけど、そんなことしたら善人扱いされて感謝されるだけだしさ」
「いいんじゃないか?約束の一年も近い。去る前にクインス男爵家の名を更に高めても誰も文句は言うまいよ」
50年前に寒気で農作物が駄目になり、フィライト国民全てが食べ物に困ったことがある。その際に王は国庫を開いて対応したが足りず、貴族たちにも協力を仰いだが出し渋った彼らの動きは鈍かった。
国民は不満を抱き暴動を起こした。
王も貴族もいらいなと。
その時唯一貴族の中で動いたのがクインス男爵家。ヘレーネの祖父にあたる貿易商のマーティ=セラフィスと手を組んで船を出し食料を他国から持ち込んで無償で国民に施したことからフィライト国民はクインス家を支持し未だに親しみを持ってその慈善を讃えている。
その功績を認められ、クインス男爵家の令嬢はフォルビア侯爵家と婚姻を結んだ。 それがリディアの祖母。だが男爵家には他に男児も縁戚も無く人々に愛されたクインス家はこのまま消え失せる運命だったのだ。
それをセシルは望まぬまま押し付けられる形で引き継いだ。
一年間の身分を保証する為の物として。
「確かに……今のままじゃクインス家の新しい男爵は、女ったらしの碌でもない人物だったって呆れた噂だけしか残らないね」
おかしそうに肩を揺らして笑いセシルは金貨の入った重い革袋を懐にしまう。そして身を乗り出すようにして顔を寄せてくる。柔らかな髪が頬に触れて、その部分が妙に過敏に反応した。
「意外と欲が無いよね……」
クスリと耳元で微笑まれて、唇が触れるほど近くに寄せられているのが解る。まともに取り合っては男爵を喜ばせるだけだと心で唱えながら、顔だけはいつも通り無関心を取り繕って「そりゃどうも」と返す。
「手強い相手を落とすのは好きだ。ゾクゾクする」
「子供の相手はしねぇ主義だ」
「あれ?グロッサム伯爵の侍女は子供に入らない?」
セシルが喋ると耳に吐息がかかって肌が粟立つ。細く長い首が視線の端に映り鼓動が跳ねるが腹に力を入れて堪えた。
男爵のペースに乗せられてはならない。
単に面白がっているだけだ。
本気じゃない。
セシルが本気ならレットソムでも抗うことなどできないだろう。
「ケイトは関係ない……」
「ふうん。じゃあカメリアは?」
節の無い綺麗な指がレットソムの不精髭の浮いた顎を撫でる。その指はゆっくりと喉仏へと下り、更に鎖骨へと移動した。
「なんでそこにカメリアの名が出る」
「あ。関係ないとは言わないんだ」
「お前な――」
不意にセシルは撫でていた左手をレットソムの首に回して抱きついてきた。いい加減厄介なので力づくで振り解こうかと思っていたら「チューベローズ侯爵はチェンバレンについたよ」と囁く。
「――本当か?」
「この件に関しては夫婦共に意見に違いはない。ふしだらな夫婦だけど、彼らの付き合いはそれだけに広い。他国へもその力は及んでいるから油断ならないよ」
チューベローズ侯爵は外交的手腕とその悪趣味な嗜好も相まって、裏での繋がりが広範囲に及んでいる。セシルが言うように国を超えてふしだらな関係は広がっており、快楽を伴う甘美な関係は一度繋がれば離れがたくなるそうだ。
「夫人だけでなく侯爵もか。本当なら手強い」
「間違いないよ。この間侯爵のベッドに忍び込んで確かめたから」
「おい――!」
「なに?心配してくれてるの?」
身を起こして正面から見つめてくる顔の距離も近い。レットソムの懸念は脆くも崩れ落ちそうだ。琥珀の瞳が怪しく瞬いて更に距離を詰めてくる。
「なにしてんだっ」
ぐいっと後ろから男爵の肩が乱暴に掴まれてレットソムから引き剥がされる。机の上から落ちそうになりセシルは机に右手を突いて腰を捻って堪えた。舌打ちしながら振り返りもせずに「ライカ!」と邪魔をした人物の名を呼ぶ。
「相変わらず、力加減の解らない狂犬め。ヘレーネに躾けられないんだったら一体誰があんたを矯正させられるんだろうね?」
左肩を掴んでいるライカの小指を握って外側に捻るようにして拘束から逃れるとセシルがギラギラとした瞳で睨みつける。
「矯正も躾けの必要も無い」
いけぞんざいに言い放ちライカは更に腕を伸ばしてセシルの胸元を掴み上げた。
「こういう所が、躾が必要だって言ってんだけど?」
「お前」
「なにさ?」
「あれだけ俺が警告したにも拘らずチューベローズ侯爵に近づいたな」
問いでは無く、確認でもない。
断言されてセシルは口元を歪めて「それがなに」と口答えする。
「あそこは俺が探ると――」
「あんたのやり方じゃ時間がかかりすぎる。手段を選んでいられないのはあんた達の方じゃないの?レインを引き込んだってことは、肌を晒して技術と身体を使い情報を聞き出せってことだと思ってたけど、違う?」
闇に潜み情報を集めることが優位な事もあれば、セシルのように身体を張って人を誑かす事で得られる情報が簡単で速い時もある。
チューベローズ侯爵夫婦の場合はセシルの方が適任だったろう。
「………………」
「ほら、反論できない。ライカだって解ってるはずだ。時間が無いんだって」
ぎゅっと掴み上げる拳に力が入る。
掴まれた拍子に千切れ飛んだボタンが床に転がっているのを見つけ、レットソムは椅子から立ち上がるとそれを拾い上げた。
「子爵、今回は男爵の方が正論だ。大人しく引き下がった方が良さそうだぜぇ?」
「ちっ」
舌打ちして突き飛ばすようにしながら放すとライカは赤茶色の瞳に苛立ちを乗せてセシルを睨みつける。
その視線を無視して衣服の乱れを整えている男爵にボタンを返すと「ティエリにつけて貰わなきゃいけないな」とにこりと微笑んで受け取った。
「こっちは契約と報酬に見合った働きをしてるだけだから、今更別にライカが気に病むようなことはなにひとつない」
まあ別に金なんか欲しくも無いんだけど、と続けてポケットにボタンを入れながら扉へと向かう。
「ちゃんとノアールとの約束守ってるからさ。本当にみんな心配しなくて平気だって」
「……本当か?」
ライカの低い声が確認してくる。
「勿論。特別な友達との約束を簡単に破るはずないじゃないか。それすら信用されないなら、どうすりゃいいんだか」
肩を竦めたセシルは呆れたようにこちらを振り返る。
「リディのお見合いの件ありがとう。またなにかの時は頼むから」
「おう、いつでも持ってこい」
「そうする」
自然な笑顔で頷いてセシルは扉の向こうに消えた。ライカも暫くじっとしていたが、何も言わずに後を追うように出て行った。




