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第十九話 縁談ではない方法


 連絡も無く訪れたレットソムを侍女頭のグレンダは恭しく頭を垂れて迎えると「こちらへ」と案内して行く。歴史あるフォルビア侯爵家の屋敷は古く、落ち着いた中に趣味の良い調度と内装で品格の高さを感じさせる。

 丁寧に磨かれた床に敷かれた柔らかな絨毯は深い緑色で足音を消してくれるが、踵を深く沈み込ませるほど毛足は長くない。最近変えられたのだと解る程真新しい絨毯はきっと孫娘を想ってのことだろう。


 リディアは踵が細く高い靴が苦手である。敬遠していてはパーティで粗相を起こしてしまう。だから屋敷の中で慣れる為に華奢なヒールの靴を履いて練習しているのだと本人から聞いたことがある。

 慣れない靴を履き慣らそうと頑張る孫娘が絨毯に足を取られて転ばない様に、怪我をしないようにと細心の計らいでフォルビア侯爵は成長を愛でているのだ。


「便利屋さん」


 二階へと上がる階段を上っていると奥の方から令嬢が小走りでやってくる。スカートの裾を持ち上げてはしたなく走ってくる姿に「お嬢様」と侍女頭が咎めるように名を呼ぶ。

 何故か片方靴を履いておらず小さな裸足が絨毯に埋もれている。


「あっと、えっと。御機嫌よう。便利屋さん」


 しまったという顔をした後で膝を曲げて挨拶をする。リディアはグレンダが見ていない隙を目敏く見つけてペロリと小さな舌を出して笑う。

 そんな仕草がやはり貴族の令嬢らしくなくて心配になるが、その方が少女に似合っていたので肩を竦め苦笑した。


「この間はロリーのことありがとう。あれから弟のルークも来てくれて」

「なら、間に合ったんだな」


 ロリーという名があのハスタータ一族の女の名なのだろう。ルークが侯爵家を訪ねた時にはまだ彼女は森に帰らずにいたのだ。

 仕事は報告書をまとめて侯爵家に送り、使用人が依頼料を持ってきたので、あれから直接顔を合わせていないので久しぶりな気がする。


「今帰るのは危ないからってルークが説得してくれて、まだ暫くはここに居てくれるようになったから。いつでも会いに来てあげて」

「……必要があれば伺うさ。ほら護衛騎士殿が心配してるぜぇ」


 片方の靴を手に追いついた護衛騎士が跪きそっと裸足の前に置いた。リディアに腕を差し出して掴まるように視線で促してくる。


「いいよ。クライブ。ひとりでやれる」

「リディア様は少々粗忽な所がありますから、立ったまま履こうとして足を挫かれては困りますので」

「過保護過ぎだし、いくらわたしでも靴履くだけで怪我なんかしない」


 むっとしてリディアは護衛騎士の腕を押し退けてから靴を掴むとわざわざ後ろを向いて履き始める。


「お嬢様私がお手伝いを」

「グレンダも!もう!みんなして子ども扱いしてっ」


 続いて差し出された侍女頭の手にとうとう少女が苛立った声で拒絶する。履こうとしていた靴を握り締め、もう片方も脱ぐと階段下へと投げつけた。踊り場で跳ね返り、数段転がって止まる小さな靴。


「お嬢様……」

「リディア様」


 侍女頭も護衛騎士も癇癪を起した令嬢にどうしていいのか解らず、途方に暮れたような目をする。

 レットソムは階段を下りて靴を回収すると再び上り二人に目配せした。心得た侍女頭は騎士を促して奥へと去る。


「リディア、もう嫌になったのか?」


 少女が軽い気持ちで跡を継ぐと決めたわけでないことは十分理解している。だがそう声をかけてしまうほどリディアが苦しんでいるのが見えた。辛いのを必死で堪えて、それを見せないようにと振る舞おうとしているのも。


「違う……。ただみんなが常に見張ってるから息苦しくて。ごめんなさい。恥ずかしい所見せちゃった」

「みんな新米令嬢が心配なんだろうよぉ」

「それも違う」

「違うのか?」


 頷いてリディアは階段の一番上に腰かけ玄関ホールの高い天井を見上げた。控えめだが美しいシャンデリアに魔法の灯りが灯されている。階段脇にも等間隔に並べられた灯りのお陰で暗さは感じられない。

 レットソムも隣に腰かけて両開きの重厚な玄関扉を眺めた。


「わたしにお見合いの話がきてるんだけど……もう知ってるよね?」

「仕事柄色んな情報が集まるからなぁと言いたいとこだが、セシルがさっき事務所に来て反対だって息巻いてたからなぁ」


 流石に破談にしろと依頼を受けたことは伏せておく。男爵の名前にリディアの顔が和らいで「そっか」と小さく笑いを洩らす。


「それでみんなが結婚を嫌がってわたしがママと同じように逃げ出すんじゃないかって警戒してる。ずーっと誰かが傍に居て見張ってるの」


 小さな膝にスカートの上から手を添えて上を必死で見ているのは泣くのを堪えているからだろう。


「わたしちゃんと解っててここに来たの。好きな人とは結婚できない人生になるって覚悟して。それなのに」

「誰ひとり信用しないで疑う……か。そりゃかなりの疎外感と孤独だなぁ」

「……まだロリーがいてくれるから」


 すんっと洟を啜ってリディアはまどわしの森の美女の名を口にした。セシルやノアールと一緒に居られない寂しさを埋める為に求めた新しい友人。

 厳しいほどの空気を纏う女が令嬢の慰めになっている。どんな相手であれ救いになるのならば今は縋りたいだろう。


「いいのか?本当に好きな男と一緒になれなくてよぉ」

「……よくはないけど、それは望んじゃいけないことだし」

「フォルビア侯爵はなんか言ってるのか?そのことに対して」


 リディアが目を擦って首を振る。


「なにも。今回のお話も嫌なら断っても構わないって」

「嫌なのか?」

「解らない。だって会ったことも無いのに」


 レットソムは少女の膝の上の手を取って靴を握らせると、薄茶色の髪に包まれた小さな頭を優しく撫でた。


「本当に好きな奴と結ばれたいなら、相談にくりゃいい。今じゃ王都で一番ご利益のある縁結びのおまじないみたいなもんだからなぁ」

「恋の伝道師?」

「それは寒いから止めてくれ」


 漸く笑顔の戻ったリディアにほっと胸を撫で下ろすと「他のどうでもいい連中の相談なんかは御免だが、本気で悩んでる奴の相談は乗ってやるからよ」そう励まして立ち上がる。


「ありがとう。便利屋さん」

「いいね。その呼び名の方がしっくりくる」


 今悩んでいる縁談は破談になるから安心しろとは言えない。リディアは政略結婚を諦めながら受け入れている。この見合い話が壊れても、直ぐに次の話が持ち込まれるに違いない。フォルビア侯爵は魅力的な領地と地位と名声を持っている。

 婚姻によって強く結ばれたいと狙っている貴族は多い。しかも市民上がりの貴族世界に疎い少女を巧みに御して乗っ取ろうと思っている輩も多いだろう。

 だが残念ながらリディアは侯爵家を狡猾な婿養子に譲る気は更々無い。子供のように幼く見えるが、彼女は芯が強く真っ直ぐな女性だ。


 舐めてかかると手痛い目に合う。

 それが見抜けないようでは彼女に相応しくないのだ。


「じゃあそろそろ侯爵に会ってくるわ」

「お祖父さまの所にはさっき騎士隊の人も来てたよ」


 靴を履きながら他にも来客者がいると教えてくれた。


「騎士隊?どこの誰だろうなぁ……」

「第二大隊の副隊長さん」

「……あー、レヴィーか」


 きょとんとした顔で「知り合いなの?」と見上げてくるので顎を擦りながら「同期だったんだよ」と答えた。


「え?便利屋さん騎士隊に所属してたの?初耳」

「若い頃少しだけなー……」


 頭を掻きながら廊下の先へと目を向ける。レヴィーが何の用で侯爵を訪ねてきたのか首を捻った。


「今度ゆっくりその時の話を聞かせて」

「おう。いつでも事務所に来いよ。紅蓮も帰って来たし、今じゃフィルもうちで働いてるしなぁ」

「うん。そうする」


 おやすみなさいと廊下を帰って行く姿を見送ってから侍女頭が戻ってくるのを待つ。直ぐに頭を深く下げてから奥から出てくると「こちらへ」と何事も無かったかのように先に立って案内する。


 辿り着いたのはフォルビア侯爵の書斎。扉の前でグレンダがノックをし「便利屋のレットソム様がおこしです」と呼びかけると、中から腹に響く様な低音の声が返ってきた。入室を許可され侍女頭は会釈をして廊下を戻って行く。

 見えなくなるまで眺めてからノブを握って開けた。


「噂の男が来ましたよ」


 レヴィーがにやりと笑いながら侯爵に耳打ちする。フォルビア侯爵は耳触りのいい声で笑い「お手柄だな。レットソム」と何故か褒め称えた。


「……なんについてのお手柄なのか聞かねぇと喜べませんね」


 愉快な話をしていたとは断定できないだけに慎重に言葉を選ぶ。


「既婚率の低い騎士に新たな出会いを作る機会を与えたことと、アン・リム商社の件。それから孫娘の頼みを聞いてくれたこと全てだ」

「最初のやつは偶々で、後は仕事だから気にせんで下さい」


 侯爵は六十代半ばを過ぎているが白い物が混じった金茶の髪は艶やかで、後ろに束ねられた頭髪は豊かで年齢よりも若々しく見えた。優しげな目元と柔らかく輝く薄青い瞳は見る者に安心感を、そして向けられた者には心強さを与える。

 法務大臣補佐官を長く勤めあげたフォルビア侯爵はその肩書きから堅く厳しい人柄だと思われがちだが、本来の性質は真逆だった。


「今日はちょっと頼みがあって来たんですが……」


 ちらりと昔の同期を見て言葉を濁すと、レヴィーが「なんだ?オレがいちゃまずいのか?」と眉を跳ね上げて退室するか?と親指で扉を指し示す。


「いや、できれば協力してもらえりゃ助かるんだが……。問題は侯爵殿が了承してくれるかでなぁ」

「もしやリディアとアルフォンスの縁談の話かな?」


 フォルビア侯爵は全てお見通しだと言わんばかりに目尻の皺を深くして微笑む。厄介事万請負所にリディアの友人が多く出入りしているのを知っていれば、頼みごとの内容も薄々勘付くだろう。


「どうしてもと頼まれちまって」


 断れなかったのだと言い訳すると「構わんよ」と鷹揚に受け止める侯爵の懐の深さ。もしくは孫可愛さに本当にリディアが嫌だと言えば本当にあっさりと断る爺馬鹿かもしれない。


「リディアは良い友人に恵まれているな」


 まさかの曲者も含めて肯定する侯爵に、思わずレットソムは口を滑らせる。


「……男爵をその中に入れるのは早計かと」

「おいおい、お前それ依頼人の名前出したのと同じじゃねえか。守秘義務はどうした?」

「今更隠した所で依頼人はバレバレだろうがぁ」


 第二大隊副隊長にからかわれて舌打ちすると、フォルビア侯爵が至極真面目な顔でそんなことは無いと首を振った。長く生きてきた侯爵はセシルのことに関してはレットソムと違う見解を持っているらしい。


「孫にとってセシルは得難い友人だ。あんな人物はそういない。容姿、才能、技術、博識さ。どれをとっても一流だ。セシルから学ぶことは沢山ある」

「男爵みたいなのがごろごろいたら困ります」


 レットソムの言葉にレヴィーも渋面で頷く。

 確かに学べることは沢山あるだろう。語学に関しても男爵は多くの言葉に精通しており、聞くところによると今は使われていない聖王国の古語まで喋れるらしい。旅人として国を流れ、渡り歩く生活をしてきたレイン一族は遥か遠い国の言葉も事情も文化も知り尽くしているのだ。

 彼らだけが持ち得る知識と技術はどんな金銀宝石よりも価値があり、手に入れることができれば広い世界を知り、可能性が何処までも広がる――。

 だが利用され束縛されるのを嫌い、何にも執着しない彼らを手に入れることは難しい。


「それで?頼みとは」

「その前に少しお話を」


 フォルビア侯爵が頷いて先を促す。


「リディア嬢が連れてきた、まどわしの森の女性の一族のことは御存じでしょうか?」

「……ハスタータだな。陛下に盟約についても確認した」

「彼らを狙っているのが誰かも名を出さなくてもお判りでしょう。これは切り札として効果がある。確たる証拠と情報をもっと手に入れた方が良い」

「頼まれてくれるか?」

「フォルビア侯爵殿の命とあらば喜んで」


 静かな声は拒まれることなど無いという自信に溢れている。侯爵の頼みをレットソムは恭しく頭を垂れて請け負う。


「プリムローズ公爵からブルースター侯爵の所へ縁談の打診があったと聞きました。あるご婦人がいたく心を痛めておりまして。なんとかならないかと涙ながらに相談を受け、ご令嬢の境遇があまりにも不運かと思い、今回のリディア嬢の縁談話をブルースター侯爵に譲ってはいただけないかと」


 大っぴらに公爵が宰相を抱き込もうとしていることへの危惧を口にはできない。それでもここにいる人物の中でレットソムが言わんとしていることに気付けない者はいなかった。


「ブルースター侯爵令嬢は領地も爵位も無い騎士の元へと嫁ぐことにはなりますが、アルフォンスは王の傍近くに仕え血統も申し分ない男です。真面目な性格は、令嬢を大切にしてくれるでしょう」


 宰相もプリムローズ公爵の四男坊に娘をやるぐらいなら、近衛騎士団長であるアルフォンスの元に嫁がせた方が良いはずだ。

 もちろんブルースター侯爵にはローム王の臣下であってもらわなければ困る、王を筆頭に穏健派の諸公たちも同様の意見になるだろう。


「成程……。悪くない話だ」


 フォルビア侯爵が破顔してレットソムの提案に頷き「だが」と続けて、先にプリムローズ公爵が話を持ちかけているのに後からアルフォンスとの縁談話を捻じ込むのは難しいと考え込む。


「縁談では無い方法では如何でしょう?」

「どうするつもりかな?」


 青い瞳をキラリと輝かせてその方法とやらを教えて欲しいと懇願してくる。元同期のレヴィーも興味深そうに身を乗り出してきた。


「あの堅物な御方を動かすのは難しいぜ。なんか策でもあるのか?」

「策って言うかなぁ……。自然な出会いと、ほんの少しの特別な時間を演出してやるくらいしか思い浮かばんが。ここまで聞いたんだ。ちゃんと手伝ってもらうぜ。レヴィー」


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