第十八話 由々しき問題
「これは由々しき問題だよ」
いつになく真剣な顔をして至近距離で見つめてくる男爵から、視線だけを横にずらして左耳の穴に小指を突っ込む。
「ちょっと!ちゃんと聞いてくれなきゃ困る」
眉を寄せセシルがぐいっとレットソムの耳を引っ張って、困惑気味のノアールと苦り切った表情のフィル、それから狭い事務所内で腕立て伏せをしている紅蓮を見渡す。
最後に見た紅蓮は捨て置くことにしたらしく、男爵はまずノアールを標的に決めた。
「ノアールはいいの?」
「……良いも何も、本人が嫌がっているならともかく」
「ああ!もう。ノアール自身はどう思ってんのさ!」
「僕?僕は……正直どっちでも良いんじゃないのかなーと」
動揺しながら曖昧な返事をした友人をセシルは半眼で見つめはっきりと断じた。
「いいんだね?リディが好きでもない男と結婚して、愛の無い人生を送っても!」
「だってお相手は申し分ない方だし、素晴らしい方だし。結婚してから愛が生まれる可能性もあるんだし」
必死で言い訳を講じるがノアールの方の分が悪い。事恋愛ごとに於いて経験値の欠片さえも無く、夜毎ひらひらと蝶のように貴婦人や令嬢の間を飛び回っているセシルには到底及ばない。
「甘い!貴族の政略結婚で愛のある生活を手に入れた者は少ないんだ。そんなことも知らないなんて、継承権を放棄したとはいえ伯爵子息としての自覚皆無だよ!」
「言われなくても自覚あるからっ」
「いっそのことノアールとリディがくっつきゃいいんだ」
「ちょっ、僕もリディアもそんな気持ちは微塵も無いから!」
「解んないよ?結婚してから愛が芽生える可能性、あるんだよね?」
「くうー……」
悔しげに言葉に詰まったノアールは眼鏡の向こうで碧色の瞳を潤ませて敗北を認めた。口で男爵に勝とうなど思う方が間違っている。
「リディの相手は元公爵の出だけど、今は一介の騎士だ。ノアールの方が爵位のある家柄だし相応しいよ。よって、最終的手段として有り得るから。覚えといて」
「えええぇ……そんな」
青くなり震えているノアールの様子を悦びながら男爵は次の標的としてフィルを捕える。
「フィリー、あんたはどっちの味方?」
「…………ぼくに聞くの?」
「そう勿論反対派だよね?」
フィルは息を吐き出して嫌々ながら発言する。
「リディアだって侯爵家を継ぐって決めた時から、結婚は政略的に利用されると理解してるよ。オルキス=フォルビア様が決めたことなら従うだろうし」
「お利口さんの答えを有難う」
にこりと感情の無い薄ら寒い笑顔を浮かべて「フィリー自身の答えを聞かせてよ」と琥珀の瞳でじっとりと絡め取る。
「ぼく自身の意見なんかで何が変わると?」
「変わるさ。リディは健気にフィリーの帰りを待ってたのに」
「あれは」
「お互いに期待させるだけさせておいて、いざ帰って来たら無かった事にしようなんて虫のよすぎる話だとおもうけどね。リディもフィリーもさ」
「……いつまで引っ張ってんだよぉ」
未だに耳を引っ張られていた手を払い除けてレットソムは呆れた視線をセシルへと注ぐ。今日の出勤は紅蓮のみのはずだったが、夕方にノアールとフィルも事務所に現れて何事かと問えば男爵に緊急の用で呼びつけられたのだと答えた。
ほどなくして現れたセシルはフォルビア侯爵令嬢リディアに突然舞い込んできた見合い話を語り、それをなんとかして破談に出来ないかと言い始めた。
「相手が42歳のおっさんだなんてリディが可哀相だ」
大いに嘆く男爵とは違い、紅蓮を除く三人は若干引き気味だ。
ノアールが言った様に相手に不足は無い。
「しかしこれを断られたら近衛騎士団長は二度と結婚できねぇだろうなぁ」
リディアの見合い相手として選ばれたのはグラウィンド公爵の血を継ぐアルフォンス=メディウム。近衛騎士団の団長として王の近くで警護を任された名誉と人徳のある人物。真面目というよりも頭の固い男だが、見目も悪くないし稼ぎも良い。絶対に浮気などしないだろうし、大事にしてくれるだろう。
血筋と人格者として申し分ないアルフォンスと結婚したい――させたい――と思っている貴族も多く、縁談の話は多数持ち寄られているが本人が拒否しているのだと聞いている。
「近衛団長殿はフォルビア家と少なからず因縁があるからなぁ」
「因縁?なんですか?」
ノアールが興味津々で聞いてくる。敬愛する初代グラウィンドの血を引くアルフォンスにも特別に尊敬の念を抱いているので因縁という言葉にキラキラと瞳を輝かせている。
「リディア嬢の母君サーシャ殿と近衛団長殿は結婚間近と噂されてたんだよ」
「え!そうだったんですか……」
「それを蹴ってサーシャ殿は一般人と結婚しちまうし、捨てられちまった近衛団長殿はすっかり自信を失った……か、どうかは解らんがその後浮いた話も聞かんしなぁ」
「じゃあ……今回もリディアに断られたら、二重の不名誉とされメディウム様の名に瑕がつく。そして結婚も」
「だろう……?」
「関係ないよ!断固として反対する」
セシルが鼻息荒く拳を突き上げる。その様子にノアールは「ただ相手が騎士だから反対してるんじゃないの?」と胡乱気な目を向けた。
男爵の騎士嫌いは仲間内では有名である。
「純粋にリディの幸せを願ってるだけだよっ」
「いひゃい」
手を伸ばして友人の鼻を摘まむと艶然と微笑み、意味ありげな瞳をレットソムに移動させた。痛がり抵抗するノアールの事等顧みない。
「仕事の依頼だ。なんとかして近衛団長殿が不名誉にならない形で縁談を破談にして欲しい。失敗は許されないよ。いいね」
「……責任重大だなぁ。依頼拒否って選択は」
「あるわけない」
「ですよねー……」
「別にこっちは手段を選ばなくても構わないけど、一応初代グラウィンドに敬意を示してあげてんだ。勿論リディの名前に瑕がつく様なことのない様に頼むからね」
「面倒臭ぇなぁ」
頭を掻き毟れば「恋の伝道師なら簡単だと思うけど?」と嫌な笑顔で挑発してくる。そんな寒い呼び名はさっさと返上したいが、言い出した相手が誰か解らないので返せないままずるずると今まで来ていた。
「欲しいならくれてやるよ」
「いらない」
「……破談にさせたきゃ自分で動きゃいいものを」
「いいの?」
「だめだめ!セシルに任せたらとんでもないことになるから!」
思わず洩れた本音に目を輝かせて男爵が喜ぶので、ノアールが鼻を救い出し慌てて制止の声を発した。「ちぇっ」とつまらなさそうな顔をするが、実際はリディアの縁談にかまけていられる余裕がないことを友人に知られたくないのだろう。
本来ならこんなに面白くて、不愉快な事象をレットソムに任せるのだから本心では不本意なはず。
「報酬は幾らでも言い値で払うから。出し惜しみしないで依頼を遂行して」
「あー……了解」
「よろしい。速やかな任務遂行を頼むよ」
手を振って入口へと向かっていた男爵はふっと思い出したかのように振り返り「伝言頼んでもいい?」と聞いてきた。誰にだと問えば「ヘレーネ」と答えるので、自分で伝えろよと顔を顰める。
「最近ライカが目障りで避けてるから仲良しのヘレーネに近づけない」
ヘレーネとライカは幼い頃からの友人で一緒に居ることが多い。ライカを避けながらセシルがヘレーネに近づくのは難しいだろう。
「しょうがねぇなー……」
「ロビウム侯爵がフォーサイシアのアルベルティーヌを訪問する四つの商人達に探りを入れ始めてるから注意しといた方が良いよって」
「それって、おい」
「頼んだからね」
ひらひらと手を振ってさっさと扉の向こうへと消えて行く。頼まれたとはいえヘレーネがこの事務所を訪れることは少なく、注意を促すならばこちらから足を運ぶしかない。
「全く……面倒事ばっかり押しつけやがってぇ」
舌打ちして頬杖をつくとレットソムはどうやって破談にさせるかに思考を割く。指の先で机の上をトントンと叩きながら考えるもいい案が直ぐに思いつくわけも無い。
「娘が駄目なら次は孫をとはちょっとえげつないよなぁ」
フォルビア侯爵が是非にと請うたのか、それとも別の思惑と断れない相手から勧められたのか。
どちらにせよセシルが知っているという事はリディアも知っており、承知し受け入れているのだろう。だからこそ男爵はレットソムの力を借りてでも破談にさせようとしている。
大切な少女の幸せを願って。
それは男爵本心からの言葉だ。
相手がいけ好かない騎士だろうが、その辺の破落戸だろうが、リディア本人が好きな相手なのだと告白すればセシルはどんな手段を使ってでもその恋を成就させようとするだろう。
自分の持っている力を最大限に生かして。
「あの、メディウム様に他のご令嬢を紹介してそちらの女性と上手くいってもらえば、あちらからお断りしてもらえるんじゃないですかね?」
「ああー……でも見合いが決まってる状態のあの堅物が他の女に靡くとはとても思えんが」
簡単に恋が始まるのならアルフォンスもさっさと結婚しているだろう。提案してくれたフィルには悪いがなかなか難しい状況だ。
「そこを恋の伝道師の力でなんとかしてください」
「できるかよっ」
にこりと笑顔でなんとかしろと頼まれたが、こればかりは偶々やまぐれを期待していては手遅れになる。話がまとまる前に動かなくてはならないが、方針が決まらないまま動いても上手く行かない。
「しかも他の令嬢を紹介するってー……。待てよ」
顎に手を当ててレットソムは唸る。
最近聞いたもう一組の縁談話もできれば上手く行って欲しくない内容だったはず。そこをくっつけられたら――。
「やってみるか」
のそりと立ち上がりレットソムが重い瞼を押し上げる。身体を鍛えることに集中している紅蓮に「後頼むわ」と声をかけると「万事請け負った」と朗らかな口調で応じてくれる。
その頼もしい答えに背中を押されてノアールとフィルにも「頼むな」と言い残して事務所を後にした。




