表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/37

第十七話 拳士の帰還


 華奢な指で茶器を支えて可憐な唇に持って行く。絹糸のような美しい銀色の髪がさらさらと流れて白い喉元に纏わりついた。

 紺色の大きな瞳が伏せられて長い睫毛が影を作る。ふんわりと編み上げられたシャンパンゴールドのショールと魔法学園の制服である濃い紫のローブの下から上等のドレスの裾が見えていた。

 ヘレーネ=セラフィスは華やかで上品な顔立ちと、花の綻ぶような微笑みをする所謂美少女系。歓楽街にある厄介事万請負所にいることが不似合いなほどお姫様然とした立ち居振る舞いだが貴族では無い。

 貿易都市コーチャーで一番名の売れているアルガス=セラフィスという貿易商の子供で、遠く離れたディアモンドの魔法学園に通っている。故郷を出て王都へ来る際にフォルビア侯爵の後見を受けていた。


「優雅に茶なんぞ飲んでていいのかぁ?」

「あら?お茶を出してくれたのは貴方でしょ?」


 くすりと笑いながら茶器を置くとヘレーネは狭い事務所をぐるりと見回す。今更見た所で何か面白い物が見つかるとは思えないが、興味深そうに視線を巡らせている。

 丁度カメリアが帰り、ノアールが使いで出た合間を狙ったかのようにやって来た。日も暮れて学園指定のローブ姿でうろうろしていては悪目立ちしてしまう。早めに帰そうと無駄な努力してみるが、目元を細めて受け流されてはため息を吐かざるを得ない。


「この辺は物騒だ。あんたみたいな綺麗な子供を捕まえて、どうこうしようと狙ってる奴らが沢山いるんだからなぁ」

「大丈夫よ。ノアールだって綺麗な子供だけれど無事だし」

「あいつはうちのバイトだとここらの奴らはみんな知ってるからな。手出したらどうなるか、解ってるさぁ」

「じゃあ私のことも貴方の威光で護ってくれれば問題は無いと思うけれど」

「冗談言うな。これ以上お荷物は御免だわ」

「ノアールとフィルはお荷物なの?」


 くすくすと声を立てて笑ってヘレーネは手を伸べて置いた茶器の縁を指でなぞる。念入りに手入れされたピンク色の爪が灯された灯りに反射した。


「荷物以外の何物でもないだろう?もう少し腕っ節が強くなってくれりゃ、心配事も減るんだがなぁ」


 フィルの方は酔っ払いの仲裁や依頼人の対応が上手いので助かっているが、ノアールの方は未だに正論を述べて大人の神経を逆なでしているのだから成長していないにも程がある。あれ以来殴られることは無いが、近いうちにもう一発食らう覚悟はしていた方が良いだろう。


「紅蓮がいりゃ、もう少し楽に稼げるんだが」

「本当に貴方はやる気の無い」

「楽して稼げるなら誰でもそうするだろうがぁ」


 呆れているヘレーネに仏頂面を返す。


「噂では東方の戦乱は治まったと聞くけれど……連絡は無いの?」

「ねえな」


 そうそうマメな方では無い紅蓮は連絡するよりも落ち着いたらさっさと帰ってくる方を選ぶだろう。だからきっと今頃ディアモンド行きの船に乗っているのだと信じたい。

 故郷のベングル国からフィライト国の王都まで三ヶ月はかかるのだから。


「待ち遠しいわね」


 ヘレーネも紅蓮の嫌な噂を聞いているはずだ。それでも帰ってくるのを信じて待ち遠しいと口にする。

 紅蓮は本当に周りの者に恵まれているのだ。


 だから。

 無事に戻ってこい――。


「所長。お疲れさんです」


 思わず耳と目を疑ったのはレットソムだけでは無かっただろう。いきなり開いた入口からのそりと入って来た短く刈り上げられた赤い髪と青い瞳の精悍な顔立ちの青年がいつもの口調で挨拶をしたのだから。


 願望か。


 ヘレーネを見ると同じように目を見開き信じられないという表情をしているので、どうやらレットソムだけが見ている幻想ではないらしい。


「あれ?もしかして忘れられてる……?もう必要ない、とか?」


 折角帰って来たのにと腕を組んで首を捻ると困ったように身を返す。そのまま扉を閉めて出て行こうとするので「待て!」と叫んで椅子を蹴倒して立ち上がると駆け寄って呼び止めた。


「お前、本当に」


 続く言葉を飲み込んでレットソムは目の前の青年を見た。随分と筋肉がついて肩幅も身体の厚みも増している。一年前はまだ少年と青年の中間辺りだったが、すっかりと見違えるようになって居た。考えれば一年留年している上に、一年故郷に戻っていたから紅蓮は今年で19歳になるのだ。

 草臥れた旅装のまま、まっすぐここへ来たのだと思うとレットソムの胸が熱くなる。


「紅蓮、」

「はい」

「良く帰ってきてくれた」


 右腕を伸ばして紅蓮を抱き寄せると汗と体臭の中に獣臭い臭いがした。嗅いだことの無い野性味あふれる臭いにさっと離れて「なんの臭いだ?」と怪訝な目を向ける。

 紅蓮は自らの腕や服を摘まんで嗅いでいたが本人は解らないのか首を傾げて、ひとつの可能性に気付いて「あ」と声を上げた。


「ここまで運んできてくれたグリフォンの臭いかもしれない」

「はあ!?なんだと!」

「だから、ベングルから国境の森まで送ってくれたグリフォンの――」

「お前だったのか!」


 結局コーネリアが派遣した第一大隊が辿り着くよりも早くグリフォンは飛び立ち行方が解らなくなっていた。グラウィンド公爵は大層悔しがり、諸公たちは取りあえず危機が去ったことにほっと安堵している。

 周囲の聞き込みの結果誰かに飼われているような様子では無く、貴重な野生のグリフォンだったのだろうと判断されたのだ。


「本当に予想のつかない奴だなぁー……お前は」

「紅蓮らしいわね」

「おっと、ヘレーネ。珍しいな」


 破顔して紅蓮は旧友に手を挙げる。


「お前先に風呂入って着替えてこいやぁ」


 鼻を摘まんでから急かすと「そんなに臭いか?」と不思議そうな顔しつつも荷物を抱えたまま応接室奥の浴室へと向かった。


「まさか幻獣に乗って帰ってくるとはなぁ……」

「炎の拳士が死んだと思われていたことに関係してるのかもしれないわね」

「グリフォンに襲われて命を失ったと思われた……?」

「きっと拳で殴り合って、お互いを認め合い友情が芽生えたとか。紅蓮なら有り得そうだけど」

「男の友情か?」

「そう。きっと雄だったのよ」

「グリフォンと殴り合うねぇ」


 楽しそうに微笑んでヘレーネは立ち上がった。積もる話もあるだろからと気を使ってくれたので礼を言う。


「それじゃ、また来るわ」

「ああ。次来る時は明るい内にしてくれよぉ」

「善処はするけど約束はできない」


 可愛らしく小首を傾げるヘレーネの背中を押して外へと出しながら「あいつにはどこまで」と確認する。まだなにも言う必要はないという返答をもらって了解したと頷くとヘレーネは振り返らずに帰って行った。

 入口を閉めて静かな事務所にひとりでいると、紅蓮が帰ってきたことがまるで夢だったかのように思えてきて不安が募る。

 流石に風呂まで行って居るのを確かめるのはちょっと変態臭いので我慢した。


「本当に唐突な」


 喜びも不幸も全ては突然で、人はその時飾らない素の自分が出るのだ。


「紅蓮が戻って来たんだって!?」


 噛みしめていたら入口が乱暴に開き、近くで居酒屋をしている女将が鶏肉を揚げた物を沢山皿に乗せて持ってきた。その後ろから酒や、それぞれの自慢料理を持った人物がどんどんと訪問して来て帰還を喜んでくれる。


「今風呂入ってるから、後で挨拶に行かせるわ」

「そうしておくれ」

「待ってるからな!」


 狭い事務所に入りきれないほどの歓楽街で働く人々に苦笑いして約束すると、ゾロゾロと連れ立って帰って行く。


 本当に。

 紅蓮は愛されているのだと感じる。


 そして最後に。


「所長!紅蓮が帰って来たって!」


 本当ですかと駆け込んできたのはノアール。人づてに聞いて慌てて帰ってきたようで、それに「無事だったぞ」と告げると泣きそうな顔でくしゃりと笑い。


「よかったー……」

「所長!紅蓮が戻ったと」


 違った。

 ノアールが最後では無く彼女が最後。


「本当に?」


 今の時間は父親の看病についているはずなのに、聞きつけてカメリアは紅蓮の無事を確かめる為に急いで事務所まで来てくれたのだ。


「もうすぐ、出てくるはず」


 振り返って応接室を見ればドアの向こうから髪を拭きながら紅蓮が入ってくる。仮眠室に置いていた着替えに一年ぶりに袖を通したが、成長した身体にあっておらずシャツの前が開いたままになっていた。


「やっぱり小さい。所長の服貸してください」

「紅蓮!お帰り!」


 鍛えられた身体にノアールが飛びついた。難なく受け止めて紅蓮は未だに細いノアールの肩を掴んで引き剥がすと「お前誰だったっけ?」と首を捻る。


「そんなっ」


 青ざめて固まった友人の顔をしげしげと見つめてからにやりと笑い「あ、ノアールか。少し身長が伸びて、ちょっとは引き締まった顔になってたから気付かなかった」と質の悪い冗談をかます。


「わ、笑えないからっ!」

「悪い。つい」


 ノアールの頭をぐいぐいと押しながら撫でて、カメリアに向き直ると申し訳なさそうに頭を下げた。


「親父さんの看病で忙しいのにわざわざ、ありがとうございます」

「いいえ。無事で良かった」

「紅蓮の帰りを歓楽街の連中みんな待ってたみたいだぜぇ?ほら」


 机の上に持ち寄られた料理と飲み物を示すと「すげえ」と紅蓮が喜んで早速手を伸ばす。その相変わらずの食欲旺盛ぶりに、漸く一年前の厄介事万請負所の日常が戻ってきたのだとじんわり染みてくる。


「カメリアさん、ちょっと食ったら送るんで待ってて」

「大丈夫ですよ。送らなくても」

「どうせみんなに顔見せに行くついでだから」


 紅蓮はそういった気遣いをさらっとできる奴だ。明るくて裏の無い性格で人に好かれる。頼りになって、強い。


 だから。


「シャツ持ってくるなぁ」


 居室へと戻り籠の中からシャツを取り、年甲斐も無く緩んだ涙腺に鼻の付け根を押えて楽しげな声が聞こえてくる幸福に浸った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ