第十六話 王女の結婚
ロッテローザ王女の隣国へ嫁ぐ準備が整い、正式に国を挙げての祝賀とパレードが催された。三日三晩のお祭り騒ぎで王都は賑わい、王女は生まれ育ったディアモンドからショーケイナ王国の王都オクへと出立した。
国民は通りへと出て手を振り喝采を上げていたが、その晴やかな表向きの顔の下で王女がなにを思っていたのか知る者はいない。
王女の輿入れに伴い祝祭にディアモンドは湧いたが、その日程が丁度カールレッド王子の生誕を祝う行事と重ねられたのは偶然ではないだろう。
姉の結婚を華々しくして送り出したいという王子たっての希望で、カールレッド王子の祝典は縮小され王城前広場で国民に向けての感謝の意を示す書状を宰相であるブルースター侯爵が読み上げるだけで終了した。
国民の不安は心の中で燻っていたが、御目出度い祭りの浮かれた空気に酔いしれて人々は上機嫌で練り歩く。
まるで自棄でも起こしたように。
「もう勘弁してくれぇ!」
厄介事万請負所の事務所には連日依頼者が押しかけている。居室に逃げ込んで頭を抱えているレットソムが悲鳴を上げようとも、出会いを求める人たちは自らも王女にあやかろうと恋の伝道師の力を求めてやって来る。
カメリアもうんざりした様子で、時には言い寄ってくる依頼者をすげなく躱しながら事務所で対応していた。
「……まさか騎士隊のやつら本当にやるとは」
第二大隊の若騎士たちはレットソムのやけくそで答えた物を考え悩んだ末に実行したらしい。普通なら断られること必須の内容だったが、王都の女性は変わっているのか全て受け入れた。
恥も外聞も無く女性に声をかけまくる必死な若騎士に絆され、素面では無理だと酒を煽って下着姿で下手くそな踊りを披露した騎士を意中の女性は笑って人間らしくて好感が持てると喜び、デートの場所に騎士団詰所へ連れて行けば普段は見ることのできない訓練の様子や騎士の日常が見ることができて良かったと感動され、門の上の胸壁でキスを迫ればみんなに見られてて興奮したと告白し、強引に押し倒せば拒まれるどころかこれを待っていたのだと肉食獣の如き目で見られたというから――。
いっそ当たって砕けてしまえばよかったのだ。
「どいつもこいつも浮かれやがって!」
特に騎士団詰所デートの評判が良く、これを機会に女性を募ってツアーを行い出会いの少ない騎士との触れ合いを持ってもらおうと騎士団が本格的に動き出したというからどう転ぶか解らない物だ。
固いイメージの騎士団だが、既婚率低下はさすがに憂慮していた事態だったらしい。
勝手に幸せになってくれればいいものを、他人の力を当てにして詰めかける努力しない奴らには手など貸したくも無い。
「――所長。もう限界です」
いつもは寄りつかない居室にカメリアがよろよろと入って来た。顔色を失い、紫の瞳に怯えを滲ませて壁に寄り掛かると珍しく弱音を吐く。
途切れること無く押し寄せる依頼者に恋愛相談は受け付けていないと説明して帰すのはとても根気がいり、しかもカメリアほどの容姿を持っていれば格好の獲物として捉えられてしまう。
不思議な事に依頼者の多くは女性より男の方が多く、世の中の男性がどれだけ声をかける勇気を持たないのかと露見する形になっていた。
王都の女性は待つよりも、行動する性格の者が多いのでレットソムのまぐれの力など必要ないのだ。
「悪いなぁ、なんか」
「…………所長の所為ではないのでしょうが、本気で迷惑です」
目を伏せて肩を落とすとカメリアがゆるゆると首を横に振った。開けられたままの扉の向こうの応接室に薄いドアひとつで繋がった事務室の声が漏れ聞こえてくる。
「誰が対応してる?」
「……フィルが。大変だろうからと授業を抜けて来てくれています」
「四年生は割かし暇だからなぁ。その点は助かるか」
卒業を控えた学年である四年生はその後の身の振り方を探り考える為に授業内容は抑えられ都合がつけやすくなっている。
「彼は」
くすりと微笑んでカメリアは事務所へと視線を移動させた。
「押しが弱そうに見えて、かなり強かです。見た目の柔らかさで騙され、気付けば上手く誘導されている。フィルに任せていれば、彼らもすんなり引き下がってくれるので助かります」
「そりゃあな……カメリアみたいな別嬪が対応してくれたら、あいつらも目の色変えてなんとしてでも落とそうと躍起になりもするだろうよぉ」
なんとしてでも恋人を捕まえようと狙っている男連中が、独身でフリーのカメリアを見逃すはずが無い。
そこそこ可愛い女性より、できれば美しい相手が良いと思っているのだから。
「これを機に良い奴がいたら付き合ってみてもいいんじゃないかぁ?」
依頼者の中に真面目で真剣に女性を紹介してもらいたいと願う好青年もいるにはいる。女性との接し方や喋り方を知らないまま成長した男が。
カメリアには病気で臥せっている父親がいる。昼間は母親が、夕方から仕事を終えたカメリアが、そして弟が夜中つくという看病が二年以上続いている。家族の為に生きている彼女に恋人に割く時間などありはしないだろうが、結婚していてもおかしくは無い年頃のカメリアを不憫に思ってしまうのは仕方が無い。
「……誰も、私には良く見えないので」
「そうかぁ。残念だな。良い奴見つけたら教えてくれぇ。協力してやるから」
「本当に?」
「あ?」
「本当に、協力してくれますか?」
言い終えて口を引き結んだカメリアは真っ直ぐにレットソムを見つめている。静かに美しく輝く瞳に狼狽えながらも「ああ、約束してやるから」と頷いてやると、満足気に微笑んで応接室へと消えた。
「……こんなおっさんの力なんてたかが知れてるが」
健気に働き尽くすカメリアの幸せの為に何かができるというのなら、惜しみなく協力するだけの矜持はある。
祝儀を沢山弾むことは難しいができるだけのことはしたい。
感謝の気持ちを表現することは金ではできないが、新しい門出の時に未来に困らないだけの物は持たせてやりたいと思うのはまるで親心のようだ。
「……親父さんもきっとカメリアの花嫁姿見たいだろうよ」
貧しい暮らしの中で大切に育て上げてきた美しい娘を嫁に出す日を夢見ない父親はいない。きっとレットソムと同じように、いやそれ以上に娘の幸せを願っているはずだから。
台所で茶の用意をしている気配に耳をそばだてていると、事務所が俄かに騒がしくなり「いるんだろう?便利屋」と呼ばわりながらずかずかと応接室のドアを開けてコーネリアがやって来た。
依頼者には居留守を使っていたのに堂々とばらされて頭を抱えるが、王都でグラウィンド公爵を知らぬ者はいない。流石に用事があって来た公爵を押し退けてまで相談に乗ってもらおうなどと考える者はいないようだ。
諦めたように帰る者と、公爵が帰るまで待つ者とに分かれるだろう。
「全く以てなんて日だ!」
こちらも珍しく声に苛立ちを滲ませて荒い所作で居室へと侵入し、乱暴にダイニングテーブルの椅子へと腰かける。更に両足をテーブルの上に乗せて「こんな日がこようとは!」と大いに嘆いた。
「あー……なんか、あったみたいだなぁ」
「なんかどころではない」
エメラルドグリーンの瞳を煌めかせて睨み、コーネリアは後頭部に指を組んで背もたれに体重をかけた。安物の椅子は嫌な音を立てるが公爵は気にしない。
壊れたら弁償してもらうかと本気で考えていると「レットソム」と珍しく名前で呼ばれた。
「なんだよ」
促すが子供のように頬を膨らませて口を閉ざす。坊主頭を撫でるように掻いてため息を吐く。
「どうした?コーネリア」
渋々名を呼んで返すと漸く機嫌を直して小さく笑うと「大変だぞ」と若干興奮気味の声で答えた。
「我が国と隣国キトラスの間にある国境の森に幻獣グリフォンが舞い降りた」
「――なんだって?」
「信じられるか?太古の昔に絶滅したとされる、あのグリフォンだ」
ああっと感極まったコーネリアはうっとりと瞳を潤ませて天井を見上げる。賢く人語を解し、強く、魔法まで操る幻獣グリフォン。上半身は金色の鷲で下半身は白っぽい獅子の姿をしている。力強い羽の一打ちで何里も駆けるとされる機動力の高さと、攻撃力は凄まじくグリフォンを手に入れられれば国ひとつ手中にしたのと同じ価値があるとされた。
だが長年はその姿を見た者はおらず、彼らは絶滅したのだと実しやかに囁かれていたのだ。
「まさか」
笑い飛ばそうとしたがコーネリアの表情に偽りなどなく、ただ真剣に純粋な探究心を瞳に宿らせている。
「脅威だ」
他国の手に渡るのも、そして邪な者の手に落ちるのも。
「ならば私が捕まえ、王に献上した方が安心だろう?」
「……ただ研究したいだけだろうがぁ」
コーネリアの元にグリフォンが引き渡されれば一生囚われたままの生活を送ることになる。それは自由に生きる気高い獣に失礼な気がするが、確かに他国に渡れば協定条約によって繋がっている微妙な均衡が崩れてしまう。
もしくはフィライト国内の反乱分子に渡ればどうなるか。
容易に想像はつく。
「今、第一大隊を向かわせている。楽しみだな?便利屋」
「楽しいのは公爵だけだろうよ」
「確かに。他の諸公は右往左往している。キトラスの方から来たことからアイフェイオン閣下はキトラスの物かもしれんと慎重論を唱えてな」
「それなのに隊を動かしたのか!」
「第一報は魔法により私に齎された。その瞬間に隊を動かしたのだから問題はあるまい。一応閣下には隊を派遣した旨は伝えている。キトラス国の神獣であるならば手出しはするなと命令もしているし」
悪びれもせずに独断の行動を正当化し艶やかに微笑む。
「楽しみだ」
浮き浮きと呟いてカメリアが淹れてきた茶を受け取ると優雅に飲んだ。




