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第十五話 手柄と足掻き



「姉ちゃんが、おれを探してるって話は……本当なんですか?」


 無垢な子供のような青い瞳で見つめられ、レットソムは大きな欠伸をしながら、同じ色なのにこうも印象の違う物かと感心する。


 姉の瞳は知的さと警戒心の強さが目立っていた。

 弟の瞳は純粋さと好奇心が溢れキラキラとしている。


「本当だがなぁ……ちょっとばかし遅かったな。姉ちゃんは弟が楽しそうに人生を謳歌していると聞いて、会わずに帰ると言ってたからなぁ」

「会わずに帰る!本当に?」


 目を見開き仰け反って驚く姿は大袈裟だが、ルーク本人は笑いを取ろうとしているわけでは無く真剣そのものだった。


「もう帰っちまったかもしれねぇなぁ」

「そんな……おれてっきり連れ戻しに来たんだとばかり……」

「だから遅くなったのか」


 素直に頷いてルークは言葉も無く項垂れる。わざわざ森を出てディアモンドまで探しに来てくれた姉が、弟の幸せの為に諦めて会わずに帰ると決めたと知り困惑しているのだろう。


「他の仲間のようにどこかに連れて行かれたんじゃないかと心配して森を出てきたんだぜ。良い姉ちゃんじゃないかぁ。いいのか?会わずに帰して」


 ひょろひょろと身長ばかり高いルークは背中を丸めて俯き低く唸った。


「今の状況で姉ちゃんを森に帰したら二度と会えねぇんじゃないかとは思わんか?」

「それは!」


 はっと顔を上げ白い肌を更に白くしてぶるりと身を震わせた。両親を幼くして亡くし、身を寄せ合うようにして生きてきた姉弟だ。親代わりで、姉。たとえ飛び出してこようとも二度と会えなくなるとは思ってもおらず、ましてや命の危険など想像もしていないはず。


「だめだ。姉ちゃんを帰したら!おれが、おれが護らなきゃならなかったのに。それなのに森を捨てて――。ああ!おれなにやってんだよっ!」


 黒い髪を振り乱して大きく頭を振ると机に飛びついて姉の居場所を尋ねてきた。もしまだディアモンドに居るのなら、フォルビア侯爵家に世話になっているはずだと教えると礼も半端に飛び出して行った。


「ほんとに極端な姉弟だなぁ……」


 苦笑いしていると音も無く入口が開き、そこから昔なじみの顔が入って来た。赤くもっさりとした髪に緑の瞳の中年男はサルビア騎士団の制服をだらしなく着崩して「うちのルーク可愛いだろ」とにやにやと笑っている。

 嫌な笑い方をしている第二大隊副隊長のレヴィー=ウェザーを見ているとハスタータの青年に同情を抱いてしまう。


「お前に可愛がられちゃ災難だなぁ」

「なに言ってんだ。オレは心優しい男だぜ?」

「そのうち剣の稽古でぼろくそに叩きのめす癖に」

「あー。ルークは騎士見習いじゃないからな。稽古つけたくてもできねぇんだ」


 肩を竦めてレヴィーは四歩の距離を足早に詰めてレットソムの横に来ると小声で「なにを調べてる?」と探ってきた。


「守秘義務だが……。お前の所の可愛いのをどうこうしようって思っちゃいない。だが十分気を付けてやれ。嫌な奴が狙ってるぞ」

「……だろうな。第一大隊の奴らでも、ルークの力には興味を持つだろうさ。攻撃力の低い魔法でも、研究と努力で開発されればその威力と効果は著しく伸びる。良く知られていない魔法は脅威になるだろう」


 魔法騎士の集まりである第一大隊は魔法をこよなく愛し、傾倒している奴らばかりだ。ノアールやフィル同様、失われた魔法と聞けば目の色を変えてルークを手中に収めようとするだろう。


 プリムローズ公爵と同じように。


「それよりも、もっと大事な案件だ」


 クインス家の封蝋を取り除いたセシルからの手紙を懐から出して渡すと、僅かな空気の流れでも甘い香りが漂った。


「おい」


 低い声を出し、レヴィーの眉がぎゅっと寄せられる。


「今朝受け取ったばかりだ。情報源は言えん。だが確実な情報だ。ルードに渡して今日中に片をつけろと嗾けてくれ」

「相手は」

「アン・リム商社」

「お手柄だな」


 舌打ちしてハンカチを取り出し手紙を間に挟むと懐に入れてレヴィーは離れる。


「ルードに手柄を立てられるのがいやか?」

「ちげーよ」


 そんな小さい男じゃないと渋面で反論した。人差し指をレットソムに突き付けて「お前が持ってきた情報がどれだけ騎士団にとって救いになったかを知ってるから腹が立つんだ」と返して入口へと歩いて行く。


「お前は騎士団辞めてからも着実に成果をあげてる。お偉方はお前が騎士じゃないことを本気で嘆いてるぜ」

「ほざけ。心にもないことを」


 レットソムが騎士団に居た頃そのお偉方が自分のことを目の敵にしていたのを忘れてはいない。


「オレが今腑抜けなのはオレより優秀だったお前が騎士団にいないからだ。張り合いが無くて腐っちまう」


 腰の剣を左手で握って軽く振る。

 昔は互いの剣技を磨き合い、競ってきた仲だ。

 だが今は日々訓練し、鍛錬を怠らずにいるレヴィーの方が強い。


「お前が腑抜けなのは昔からだろうがぁ。人の所為にすんじゃねぇよ」

「違いねぇ」

「さっさと行け。仕事中だろがぁ」

「あーあ。昔なじみの男に配達の手伝いさせられちゃあ騎士団きっての剣の使い手の名折れだな」

「自分で言うなよ。恥ずかしい」

「他に言ってくれる奴がいないから仕方ないんだって」


 身の無い話になるとレヴィーは常にのらりくらりと適当な事を口走る。そんなくだらない会話を楽しみながら、相手の反応を見ているのだ。緊張が突き抜けて異常な興奮状態になる戦闘後、レヴィーのこの喋りで何度も救われた。


 この男は感情を読み取るのも上手い。


 ささやかなことから相手が悩んでいるとか、機嫌がいいとか、落ち込んでいるとか汲み取って声をかけることができる。それは上官として部下を導く事が出来る大切な資質だった。


 レヴィーの下につく者は幸せであるともいえる。


 剣の訓練時には容赦なく叩かれるが、それは命を護るために必要だからだ。

 自分も、そして保護対象も。


「じゃあな」


 無駄口は多いが、無駄な行動は一切ない。

 副隊長は最初からいなかったのではないかと思うほどあっさりと、素早く消えた。




 暗がりを選びながらレットソムは足早に歩を進めていた。旧市街へ裏門から入り、騎士団詰所の前を抜けて橋を渡り、王立ウルガリス学園の豪奢な景色にも目もくれずにただひたすら闇の中を行く。貴族たちの屋敷が立ち並ぶ区域に入ると静けさの中にも多くの人が集まり生活している気配がそこかしこの屋敷から感じられた。

 知らず視線が港のある南の方へと向かってしまうのは、今頃第三大隊がアン・リム商社に調査と評して乗り込んでいるからだ。


 心配はしていない。


 男爵が根拠も無く情報をレットソムに渡すわけは無く、そしてこの好機を逃す程騎士団は腰抜けでも無能でもない。


 ただこれから起こるであろう様々な変化に心がざわめく。


 王城は変わらず青白く輝き、その美しさで国民を傅かせようとしていた。


「皮肉なもんだ」


 どこまでも美しいブリュエ城の内部では必死にカールレッド王子の看病がなされ、そしてロッテローザ王女の輿入れの準備が進んでいる。それからもうひとつの秘策を結実させようと血眼になって情報を探り、味方を得ようと画策が動いているのだから。


 足掻いている。


 全てはフィライト国を戦争へと傾かせない為に。


「あの儚く弱い御方がどこまで立ち向かえるか……」


 支えようと力を貸している人物は誰も彼もが申し分ないが、支えられる側の人格はまた別だろう。

 現ローム王も賢王というには凡才過ぎ、人の良さが美徳だと評されている。優柔不断な性格で、波風なく今まで治められたのは重臣に恵まれたのだとしか言いようがない。邪な臣下がひとりでもいればローム王はただの傀儡として愚王と歴史の中に名を残すことになっただろう。

 プリムローズ公爵も流石に血の繋がった兄に対しては反抗もせずに従っていたのだから。


「ま、いずれは己の手の中に落ちてくる物だと解っていたからかもしれないが」


 風に飛ばされ消えて行く独り言。


 レットソムは角を曲がり、細い道へと入り込む。

 そこはロビウム伯爵の屋敷の丁度裏口へと続く道。

 アン・リム商社が騎士団の立ち入りにあい、何らかの動きを見せるかもしれないと微かな期待を抱いて足を運んだ。所詮は多くの中の収入源のひとつであるアン・リム商社が捕まったとしてもロビウム伯爵は痛くも痒くもない。

 動きがある可能性は低いが、もしものことを考えた。


 ただそれだけの軽い気持ちだった――。


 息をつめた者同士が激しく動き回る気配にレットソムの肌が粟立つ。騎士団と養成学校で培われた戦いの本能と感覚は未だに深く刻まれている。

 普通の者なら気付かないような小さな音と息遣いに反応し、危険だと意識を喚起してくるのだ。

 足音を殺したまま戦いの場へと近づくと、まず目に入って来たのはふわふわと柔らかな若葉のような色の髪。しなやかで伸びやかな手足を使い、狭い道で正面から振るわれる短剣から逃れている。


 相手の獲物が短剣で良かった。


 生憎レットソムは武器を持ち歩かない。騎士を辞めた時に剣は置いたのだからと、どんな危険な依頼であっても手に取ることをしなかった。

 短剣ならば素手でもなんとか対応できる。


「よっと。邪魔するぜ」


 襲われている方の襟首を掴んで引き寄せ、そのまま背後へと投げやると間に入り短剣の腹を掌で押して受け流した。

 新たな闖入者に短剣を持つ男は一旦下がり身構える。

 何処にでもいそうな顔の、何処の従者でも着ていそうな服に身を包んだ男は苛立ちを滲ませて舌打ちし柄を持つ手に力を込めた。

 息を短く吸い込み剣を横に薙ぎ払うように動かす。レットソムが上体を反らすだけで避けると、返す刃で深く打ち込んできた。右側に身体を倒して左腕を伸ばして男の手首に当て袖口をぎゅっと握る。すいっと胸を合わせるように身を寄せ相手の踏み込んでいる左足に右足を絡めるようにして掬い上げると、左肩を強く押して全体重をかけながら地面に押し倒した。


「うっ!」


 倒れる際に身を捩って受け身を取った男だったが、図体のでかいレットソムに押し潰されては息が詰まる。手首を捻って短剣を取り上げてからその手を捻り上げ、男を俯せにして腰に膝を乗せた所で「大丈夫か?男爵」と背後に声をかける。


「……随分都合よく現れたね。びっくりだ」


 右肩を押えながらセシルは琥珀の瞳を細めて唇を歪めた。微かな血の臭いに軽傷だが怪我をしているらしい。


「偶々だ」

「ふうん」


 どうでもいいという風に頷いて、セシルは男に近寄るとにこりと微笑む。


「ロビウム伯爵家の御令嬢に変な虫がつくのが嫌なら籠に入れて閉じ込めておかないと」

「…………」


 男は無言でセシルを睨み上げている。どうやら襲撃者はロビウム伯爵家の従者らしい。この前言っていた夜会を体調不良の理由で断った目当ての令嬢とはロビウム家の令嬢だったのか。


「伯爵は堅物で好きにはなれないけど、令嬢の方は素直で従順だったよ。口づけひとつで落ちるなんて初心すぎる。もっと教育しとかなきゃ」

「男爵の技巧で口づけられちゃ、初心な令嬢も経験豊富な婦人もイチコロだろうなぁ」

「そんなことないよ。ノアールは落ちなかったし」

「…………そうかい」


 色々と言いたい事はあるが黙って飲み込む。

 男の方もなにか言いたそうだが、発言は慎んでいる。


「令嬢に手を出したぐらいで男爵を殺そうとするのは行き過ぎじゃねぇか?しかも同意の上での行為を男爵だけ贖罪を購えとはなぁ。別に騎士隊に引き渡しても構わねぇが……どうする?」

「……同意の上でなければ行き過ぎた行為ではないだろ」


 搾り出された男の反論にレットソムは一応男爵へ「どうだ?」と確認を取る。

 確認しなくてもセシルに見つめられ甘い言葉を囁かれれば、どんなに身持ちの堅い女でもすぐさま蕩けてしまうのだが。


「今まで嫌がる女性を相手にしたことないよ。みんな喜んで受け入れてくれるからさ」

「羨ましい限りだ」

「当然」


 自信たっぷりの男爵は「そういう訳だからさ」と男の顎に手をかけて上向かせると、どんな相手も虜にしてしまう魅惑の笑顔を浮かべる。


 首の後ろがそわそわしてレットソムは横を向く。

 男の身体が強張り掴んでいる手首の脈が乱れているのが解る。


「残念だけどもう令嬢には会わないから見逃してよ」


 耳に注がれる甘い囁きと、甘い香りに男はごくりと唾液を飲む。


「見逃してくれたら今度相手してあげてもいいし」

「おい。ノアールとの約束忘れたとは言わせねぇぞ」

「おっと。残念だね?」


 セシルは男の顎にかけた指をそっと動かしてから唇の端をなぞると腰を上げた。男があからさまにがっかりとしたのを見てレットソムがため息を吐く。

 女だろうが、男だろうが関係なく魅了する男爵の受け継ぐレイン一族の血は日増しに力を強くしている。

 ノアールが危惧していることのひとつ。

 あまり強くなり過ぎるとセシルは王都に居られなくなる。ディアモンドだけでなく何処にも長居が出来ない人生を送らなければならなくなるのだ。


 気の毒な血の元に産まれたものだ。


「さて帰ろうか」


 セシルが何事も無かったかのように歩き出すので、男を解放して追って来る可能性も、再び襲いかかる恐れも無くなったのを見てから後を追った。


「おい、怪我は」

「あー……大丈夫。舐めてりゃ治るよ」

「小さな怪我だと侮ったら痛い目見るぞ。悪いことは言わん。グレアムの所に行け」

「グレアム……?ああ、アイスバーグか」


 面倒そうに呟いて傷のある肩を動かしてから「動くしそんなに痛くもないし」と首を振ったので、また首根っこを掴んで引きずり「強制連行だ」と早足で歩いて行く。


「ちょっと、迷惑」

「いいから黙ってろ」

「………………」


 大人しく口を閉じて引っ張られるままついてくるセシルを肩越しに振り返れば、心此処に非ずで何かを深く考えているようだった。


 令嬢に近づき手に入れた情報を吟味しているのだろう。

 静かなままのほうが扱いやすいのでレットソムは構わずに放っておいた。


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