第十四話 やばい手紙
夢も見ない深い眠りの中を漂っていたが、居室の方の扉が叩かれている音で意識があっという間に覚醒する。目蓋を閉じたままで耳をそばだてていると「所長おやすみの所悪いのですが」カメリアの声が小さいながらはっきりと寝室まで届いてきた。
そう長く眠った感覚も無く、カメリアが申し訳なさそうに問いかけてくる調子だったので恐らくノアールの登校した後からそう経っていない。
基本的にレットソムが居室や寝室に引っ込んだ後は滅多な事でカメリアは声をかけない。
つまり面倒事か、取り次がなくては失礼にあたる人物か――。
「うぅ……。少しは寝かせてくれってんだよぉ」
最近はなにかと忙しくゆっくり昼まで寝ていられることも少ない。若い頃なら無理もきくが、もうすぐ40に手が届きそうな年齢である。寝ても疲れが取れないことも多いのは正直辛い。
ベッドを軋ませながら起き上がり、寝室のドアを開けて細やかな居室に出ると応接室へと続く扉を開けた。
「……誰だぁ?公爵か?」
「いえ、セシルの」
「クインス男爵?なら放っておけ」
何処にでも顔を突っ込んで掻き混ぜることが大好きなセシルの訪問ならば、別に今でなくても構わないだろう。
まあ取り次がなければ無理矢理寝室へと入ってきそうだが。
重要度を考えれば睡眠の方が大事だ。
扉を閉めようとするとカメリアが「大切な手紙を預かっていると、侍女の方がいらしてます」と隙間に足先を突っ込んで肩まで入れて閉めるのを邪魔した。
「侍女?……ティエリかぁ。じゃあ尚更。その手紙カメリアが預かってくれ……」
「私が預かれる手紙じゃないと思います。それから事務所も。こちらにお通ししても?」
「………………そんなやばい手紙を侍女に持たせるかぁ?普通」
舌打ちしてレットソムは頭を掻く。
事務所での対応は危険であるとカメリアは判断して、居室の方へと通した方が良いと勧めている。
厄介事万請負所で働いて三年半になる優秀な事務員は、その場の状況を見極めて急ぎでは無い仕事は依頼内容を聞いてから後で来訪してもらうか、こちらから窺うか約束する。そしてレットソムを訪ねてきた相手によって寝ている雇い主を起こすか、起こさないかの判断をし、その際事務所か応接室に通すか訪問の事情によって判断する。
レットソムは付き合いが幅広く、高貴な人物が相手の内密な話ならば居室へと通すことになっていた。
「いい、ここに通してくれ……」
「はい」
「ったく。自分で来いってんだ」
「朝帰りで疲れているそうです」
「あのやろっ。疲れてるのはこっちもだっつーの」
口角を上げて挑発的に笑うセシルの顔が浮かぶ。ふらふらと女性の元を渡り歩いて遊んでいる男爵に舌打ちすると、カメリアが宥めるように微笑んだ。
「セシルからの情報ですから、きっと有力な物です。疲れているでしょうが、少し我慢して聞いてください」
「……眠気覚ましの茶を淹れて持ってきてくれ」
溜飲を下げてそう頼むと心が震えるような美しい笑顔で「はい」と答え事務所の方へと歩いて行く。ふわりと揺れた栗色の髪がドアの向こうに消えるのを見届けてレットソムは居室へと戻った。
部屋には大した家具は無い。ダイニングテーブルは小さく二脚の椅子があるだけ。だがそこで食事をとった記憶は一度も無く、普段使われてないことを表すかのようにうっすらと埃が積んでいる。
壁側に置かれた籠の中には洗濯して乾いた服が畳まないままそこに無造作に入れられていた。少し前までは畳んで寝室の箪笥の中に入れるぐらいの余裕はあったが、最近は雑事に追われて面倒臭いのもあり、外に干して乾いた物をそのまま籠に回収して終わらせている。
洗濯するのも億劫で溜め込んでいる現状も看過できなくなってきていた。
「流石にまずいか……」
籠を抱えて寝室へと放り込んだ所で丁度カメリアがセシルの侍女を伴って入って来た。その手に布巾と茶の乗った盆を持っている。片手でテーブルの上の埃と共に汚れを拭い、茶器を置くとさっさと事務所へと戻って行く。
聞く必要のない話を耳に入れる好奇心は持ち合わせていないカメリアの性質はこの仕事の事務に向いていた。
不必要な好奇心は身を滅ぼすことに繋がるからだ。
その辺を弁えている彼女は本当に重宝している。
貴重な人材だ。
「すみません。本当に。所長さんには朝早いというか、真夜中みたいな時間にお訪ねしてしまって」
生成りのブラウスに可愛らしいフリルと、胸元の真紅のリボンタイを結び、黒の膝までのジャンパードレスの侍女は初々しい仕草で頭を下げた。
黒いハイソックスに足首までの編み上げブーツを履き、白金の髪を後ろで高くポニーテールしたティエリの顔は丸顔で可愛らしい。薄い紫の瞳はぱっちりとし髪と同じ色の睫毛に縁どられてどこか浮世離れしている。
「男爵の好みはなんというか……」
どこか危うげな感じの少女は多分雇い主のセシルとそう変わらない年齢だ。相対しているとそわそわと落ち着かなくなるのは、どことなく良くできた人形のような容姿をしているからだろう。
「まあいいけどよぉ」
人の嗜好に文句をつけるつもりもない。
椅子を勧めて自らも腰を下ろすと、レットソムの様子をみながら「失礼します」とおずおずと座る。
「で?手紙を預かって来たんだろぉ?」
「はい!そうでした」
慌てて立ち上がるとスカートのポケットから三つ折りの手紙を取り出して差し出してくる。後ろで重なった部分が綺麗に重ならないように少しずらされ、そこにクインス家の封蝋がしてあった。
「……普通はちゃんとした封筒に入れるんじゃねぇのかねぇ」
それをあの雇われ男爵はぞんざいに畳んで、一応封をしたという感じで侍女に持たせている。
「本当に今日はお疲れで戻ってきて……。帰って直ぐに手紙を書いて、便利屋の所長さんに届けて欲しいと頼まれたんです」
恐縮しているティエリを責められる人物などいないだろう。
「いいわ……。もう」
眠気覚ましの濃く渋い茶を啜り、封蝋を外して手紙を広げた。ふわりと漂った甘い匂いに普段は半分下りている目蓋が一気に開かれて翡翠の瞳が驚愕に丸くなる。
急いで鼻を押えたが吸い込んでしまった後だった。
「――っつ!警告ぐらいしろよぉ!」
「ああ!すみません!」
立ったままで何度も頭を下げるティエリが涙目で謝罪する。
いつもなら思考が鈍いはずの午前中の脳があっという間に覚醒され、興奮状態へと導かれた。神経がピリピリと痛いほど尖り、脈が激しく打つ。
「…………神経高揚剤。しかも、匂いだけで誘発される純度の高さ」
違法薬物の一種。
「あんたは平気か……?」
くらくらする頭で侍女に問えば、ティエリは涙を浮かべた瞳で見上げて頷く。そして平然と「はい。ドライノス先生に中和剤の抗体を打って頂いているので」答えた。
「………そんなもん打って貰わなきゃ、男爵のとこで働けないのかよぉ」
呆れながら茶をかぶかぶと飲んで気を紛らせていると、最近男爵は持ち帰って来た怪しげな白い粉を分析するのに夢中になっていて、この甘い匂いが屋敷中漂っているのだと告白する。
「こんな匂いさせてたら男爵の人気が更に増すなぁ……」
セシル本人も中和剤を打っているのだろう。もしくは中和しなくても身体自体に抗体があるのかもしれないが、屋敷中匂うぐらい蔓延しているのならば髪や服に染みついているはずだ。
匂いだけで神経に作用する薬は危険指定され違法とされており、下手すればセシルが捕まる恐れがある。
一体どこから手に入れてきたのか。
今度は慎重に開いて中に目を通す。
「――出所はアン・リム商社か……。それに伴う収益の脱税と他にも疑わしき所有り」
「大丈夫でしょうか?」
「んあ?なにがだ?男爵のことか?」
侍女の心配は雇用主の身の安全。
確かに単に遊び回っている訳ではない男爵の役割は非常に危険で、且つ重要であり、ただそこに居るだけで人を惹きつけて止まないセシル自身の素養が必要だった。
まさしく存在そのものが媚薬のごとき人物。
これでまだ発展途上の段階だというのだから末恐ろしい。
「男爵よりもあんたの身が危ないぜぇ?」
「私……ですか?」
きょとんと瞬きして自覚の無さそうなティエリに忠告する。
「暫くは屋敷と家に戻らず、ここに居ろってさぁ」
男爵の手紙は最後に侍女の安全を求める内容で締め括られていた。だからこそティエリに手紙を運ばせたのだ。
「ま……ここも安全とは言えねぇがなぁ」
騎士団に保護を求めればいいものを、セシルは根っから騎士を信頼しておらず、頼るなど言語道断と言い放つだろう。
だからこそレットソムに託したのだ。
「私は」
「うん?」
「セシル様の侍女です。仕える主人を放っておいて平気な侍女だと思われたくはありません」
「でもなぁ」
頑ななティエリの声を聞きながら坊主頭を撫でてため息を吐く。
セシルたちレインの一族は他者に対して執着しないことで知られている。夢中にさせるだけさせておいて、本人はほんの少しの好意も抱かないというのだから呆れた一族だ。
だがそんなレインの中でセシルは、自分に落ちない友人であるノアールとリディアにのみ強い執着を示した。それは異例の変化であり、喜ぶべき事なのか、危ぶむべき事なのか、本人も周りも判断できないでいる。
「きっと男爵はあんたが死んでも、怪我しても悲しみも後悔もしないぜぇ?」
セシルはノアールとリディア以外に対しての気持ちが希薄で、人間の好き嫌いもはっきりとしている。ティエリを可愛がり、好んで雇ってはいるが、正直安否などに頓着は無いのだ。
ただ自分のやっている仕事の影響で命を落とすことがあると面倒だし、何もせずに危険に晒したと友人に知られたら嫌われるからという打算でレットソムに頼んでいる。
ティエリがそれでも屋敷へ通い、家へと戻ったとしてもそれは自己責任なのでただ一言「一応警告はしたよ」と念を押されるだけで叱責はされないだろう。
「それでも」
頬を強張らせて拒む姿にレットソムは「解った」と答えるしかなかった。
「ただ、今日一日ここに居てくれ。それが約束できないようなら男爵にあんたを解雇するよう直訴する」
「……はい」
譲歩すると侍女は小さく頷いて返事をした。




