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第十二話 秘密の食事会


 四人掛けの小さなテーブルを三人で囲み、グロッサム伯爵主催の食事会は大変和やかな雰囲気で始まった。

 カーウィグ子爵夫人は細く柔らかな後ろ髪を背中に垂らし、横髪を後ろに編み上げて真珠の髪飾りで留めている。身につけた深い緑のドレスが夫人の色の白さと美しい髪を引き立て、目の前に座るオドントがにこにこと褒め称えた。


「メグは本当にいい歳の取り方をしている。大変美しいな」


 子爵夫人の名前は確かマーガレットだった。

 親しげに呼びかけるオドントに応じるカーウィグ夫人はほんのりと頬を染めて微笑み「オドも今日の紫紺色のジャケットにブリュエ城と同じ青く輝くスカーフがとても似合っていて素敵です」と何故か甘い雰囲気である。

 ただ見せつけるためだけに食事会に招いたのかと心の中で愚痴りつつため息を洩らせば、今日給仕としてついてくれているケイトが同情するかのように視線を送ってきた。


「ワインのおかわりはいかがですか?」

「あ……悪いねぇ」


 残っていたワインを飲み干すとすっとボトルを手に近づいてきて勧めてくれる。磨かれたグラスに注がれる赤い液体はさらりとしていて飲みやすい。


「フォーサイシアの今年初物のワインだが、渋みが少なくて口当たりが良いだろ?」

「はあ、飲みすぎて悪酔いしそうですが……」

「便利屋さんはとても強そうに見えるけれど、悪酔いすることもあるの?」


 オドントとカーウィグ夫人が共にこちらに顔を向けて興味深そうに見つめてくる。その顔はやはりやんちゃな少年と夢見がちな乙女の物で、自分よりも年上である事実とのズレに尻の座りが悪い。


「そんなに緊張しなくてもいいだろうに。聞くところによると便利屋殿はかの有名なグラウィンド公爵のコーネリア殿や名門フォルビア侯爵のオルキス殿と親密な関係にあるらしいじゃないか。その方々に比べれば私達など格下の下級貴族だ。しかも隠居の身。楽にしてくれたまえ」


 格下の下級貴族だとオドントは言うが、グロッサム伯爵家は貴族議会の中で重要な位置を占める家柄である。


「グラウィンド公爵とは騎士隊時代からの付き合いで、公爵は誰とでも気軽に交流するので特別に親密というか――」


 厄介事万請負所という仕事をしている所為で互いに仕事の依頼や、協力を得たりしている間柄が長く続いているだけだ。

 ただ長い分弱みも秘密も掴んでいるので、無理難題を吹っ掛けられたり、吹っ掛けたりの関係が切れることはない。


「グラウィンド公爵様は私達のような田舎の領主にも分け隔てなく接して下さる方ですものね」


 ナイフとフォークを使って上品に食事をしながら会話を楽しむのも忘れてはいない。夫人はワインを飲むとほんのりと肌を赤く染める。


 あまり酒に強くは無いようだ。


「四公爵の中では一番コーネリア殿が気さくで話しやすい。だが、それ故本心があまり見えないな」

「……それは」

「不遜な事を言っているか?」


 オドントは楽しげに喉の奥で笑うとメインディッシュの肉を平らげて口元をナプキンで拭った。

 レットソムが親しいと理解している上で、コーネリアの本心が見えないと発言することは彼女の真意を聞き出そうとしていると思われても仕方が無い。


 公爵としての立場でコーネリアが何を思い、考え、どのように動こうとしているのかその全てを知る事は誰にもできない。知ろうと思えば彼女の懐深くに飛び込まねばならないが、そんなことをすればあっさりと消されてしまう。


 跡形も無く。


 コーネリアはレットソムを心から信頼しているわけでは無い。都合よく動かせる手駒として利用し、時に秘密と弱みを少しだけ晒すことでレットソムからの頼みごとに応じてみせ対等であると思い込ませている。

 そこに友人としての気安さと親しみもあるにはあるが、少しでも危険だと判断されれば顔色一つ変えずに斬り捨てるだけの非情さを持ち合わせている女だ。


 そうでなければならないのだ。


 それを理解し、受け入れ、付き合っている。


「アイフェイオン公爵様はやはり武人といった感じで近寄りがたい感じだし、ベロニカ公爵様は賢者の塔に閉じ籠ってほとんど公式の場においでにならないから」


 やはりグラウィンド公爵が一番公平な方だと思うわとカーウィグ子爵夫人は頬を押えてため息を吐く。酔っているのか目尻が赤く潤んだ目をしている。

 その様子にオドントが「飲み過ぎだ。メグ」と注意してケイトに水を持ってくるように命じた。


「アイフェイオン閣下も公正な方ですよ。それからベロニカ公爵にはお会いしたことは無いですが、噂は聞きます。変り者だが道は護ると」

「そうか。騎士隊に居たと言ったな。ロベルト殿は軍務を司る方。便利屋殿も良く知っているか」

「直接言葉を交わしたことは流石にありませんがねぇ……」


 将軍としてロベルト=アイフェイオン公爵はアリッサムを治める傍らでフィライト国の攻守を預かる軍務大臣を兼任していた。騎士団ももれなくアイフェイオン公爵の傘下であり、頂点に頂くのはフィライト国国王ローム王である。


 サルビア騎士団の第一大隊の隊長はグラウィンド公爵であるコーネリアが務めており、軍の縦割り社会では同じ公爵でありながらアイフェイオン公爵の方が上だ。これは軍という武力をひとつの公爵家が握ることへの抑止力の為と、グラウィンド公爵が持つ魔法技術と魔法力は国を護る力として欠かせない物だからでもある。


 本来は第一大隊の隊長を当主であるコーネリアが務めているのは異例で、息子のザイルが15歳を迎え準備が整うまでの緊急的措置であった。そして漸くザイルは今年15歳を迎え、粛々とその準備は進められているはずだ。

 直ぐに隊長職を譲ることは難しいだろうが、そう遠くない将来コーネリアはひとつ荷を下ろせるようになる。


「私、プリムローズ公爵はあまり好きではありません」


 水を飲み少しだけ正気を取り戻した夫人が顔を顰めてはっきりと嫌悪を表した。オドントが苦笑いして「メグ、そんなことを他所で口にしてはいけないよ」と窘めると、拗ねたようにそっぽを向いて「私にだって言って良いことと悪いことの区別はつきます」反論する。

 王弟殿下であり、次の王になるかもしれない相手を批判することは貴族社会では禁忌であることを夫人はちゃんと理解しているだろう。それでも気心の知れた相手に酔ったふりをして吐き出された本音は、常に抱えていた気持ちであるに違いない。


 もしかしたら今が一番いいかもしれない。


「カーウィグ子爵夫人。貴女の領地の近くにあるまどわしの森にまつわる話を聞いたのですが」

「まどわしの森?妖精のことかしらね」


 首を傾げて夫人はもう一口水を飲む。酔いが醒めかけているのだろう、顔が赤を通り越して青白くなっている。


「知人がある美しい女性と知り合ったらしく、その女性がまどわしの森に住んでいる一族だと」

「まどわしの森は歴代フィライト国の王の所有地だ。そこには誰も許可なく住めないはず。きっと口から出まかせで――」

「ハスタータ」

「え?」


 オドントの言葉に重ねるようにカーウィグ子爵夫人ははっきりと“ハスタータ”と口にした。なんのことかは解らないが彼女はまどわしの森に住む一族について知っているようだ。


「……ハスタータと呼ばれる一族があの森にはいるのよ」


 今度は口にするのを少し畏れたように声を潜めてそっと秘密を囁いた。


「初耳だ。なんだ?そのハスタータという一族は。どうしてあの森に住んでいる?」

「彼らは忘れられた一族。ひっそりと静かに森で暮らす害の無い人たちよ」


 夫人はグラスを傾け全て水を飲み干すと大きく息を吐き出す。ケイトが新たにレモン水を注ぐとカーウィグ子爵夫人は「ありがとう、ケイト」と礼を言ってから唇を湿らせて語りだした。


 カーウィグ子爵の領地は田舎ながら王都から三日の距離しか離れていない。小さな森を拓いた細やかな村は穏やかな人々が畑を耕し、家畜を育てて生活をしていた。生活に必要な細々とした日用品は王都に近いので週に一度の割合で商品が届けられ、何不自由なく暮らしていける。

 時々旅人でも無く、近隣の住民では無い者が買い物に来ることがあった。美しい容姿と白い肌を隠すようにフードを深く被り、無駄な事は喋らず欲しい物を買い終わるとさっさと帰って行く不思議な人物。大抵が二人連れ。使う銅貨は古く、少し錆びついていた。


 彼らは一年に一度か二度くらいの頻度で現れるが、住民との関わりは本当に最低限しか取らず警戒心が強い。


 子爵夫人が彼らについて知ることができたのはつい最近のこと。


「森の中に倒れていた男性を保護したのよ」


 屋敷に連れて来られた男は魔法で攻撃されたのだと一目でわかる様な傷を背中に負っていた。着ている粗末な衣服を脱がせて手当をしたが回復の見込みは薄く、男は朦朧とする意識の中で涙ながらに訴えたのだ。


 我々は古来より自然界と共にあり、その力を大切に守ってきた、まどわしの森に住むハスタータという一族である。現在普及している科学や魔法とは一線を画す今や失われたその魔法を受け継ぎ護る者。遥か昔邪道とされ迫害された我々ハスタータは国王に願い出て新たな安息の土地を得た。


 だが王は盟約を破り、我らを滅ぼさんとしている。

 どうかこの暴挙を止めて頂きたい。

 我らは約定を違えてはいないと、どうか――。


「盟約が何なのかは解らないけれど、この件にローム王は関わってはいないわ」


 断言してカーウィグ夫人は再び強い拒絶を瞳に宿す。


「あの方は勘違いなさっているんだわ。既に王の座を手に入れたと」

「カーウィグ子爵夫人、それでは」


 密やかに暮らしていたハスタータ一族を脅かしているのは魔法都市トラカンの領主でありローム王の弟チェンバレン=プリムローズ公爵その人。


 一族が護り受け継いできた失われた魔法を手に入れようと動いているのか。


 歴代の王がまどわしの森を手つかずで残しているのはきっと盟約があるからだ。その森に入り、ハスタータを連れ去っているプリムローズ公爵の行為は反逆罪と見做されてもおかしくは無い。


「更に宰相閣下のご令嬢をあの薄汚い子息の妻にと話しを持ちかけているそうです」


 しかも末の子息にと続け唾棄すべきことだと泣き崩れた。

 プリムローズ公爵には四人の子息と六人の令嬢がいる。ローム王と違い子宝に恵まれた王弟殿下は有力な貴族を抱き込む有益な方法として子供たちを使うことができた。

 長男は王位を継ぐ可能性が高いので、今特定の令嬢を妻に迎えることは出来ない。最後の切り札として取っておきたいだろう。

 残る三人の中で重要度の一番低い末の息子を相手としてあげるのは宰相相手に礼を失する行為にも思えるが、相手は国王の側近で腹心の部下だが爵位は侯爵で公爵家より劣る為駆け引きとして通ってしまう。


「宰相閣下を自分の陣営に引き込み思うがまま国を操ろうとしているのだろうな」

「それをさせてはならないのです!」

「そう言われても私にはどうすることもできない」

「貴族の女は所詮政治の道具にすぎないのです。それでも幸せになりたいと願い、愛されようと努力します。ですがこれはあまりにも」


 宰相はプリムローズ公爵に請われれば令嬢を差し出さねばならないだろう。それなりの断る理由があれば阻止できるだろうが。


「……難しいだろうなぁ」


 随分大胆であからさまな動きをし始めたプリムローズ公爵にローム王の諸侯は頭を悩ませているだろう。雲の上のことは下々が思い悩んでもどうにもならない。申し訳ないがレットソムの手出しができるものでは無く、自分の仕事だけで手一杯である。


 十分な情報を得ることは出来た。


「そろそろ歓楽街が騒がしくなる時間帯ですのでー……」


 口を拭って帰宅したいという湾曲な言い方をするとオドントが「もうそんな時間か」と目を丸くした。カーウィグ子爵夫人が名残惜しそうな顔でレットソムを見る。


「あまり長居しては失礼ですので」

「そんなことはない。だが、また来てくれ」

「今日はお招きありがとうございました。有意義な時間を過ごさせていただきました」


 席を立ち挨拶をすると「便利屋さん」と夫人が呼び止めた。


「貴方は噂通り不可能を可能にする男だったわ。オドと話すことで私の知らないオルグと再び出会うことができた。だから、」

「子爵夫人、買い被りですよ……。しがないただの便利屋です」


 何を期待されているのか気付かない程察しは悪くない。

 だがなんの身分も持たぬ者が何ができるというのか。


 首を振り「失礼します」と退出して少し前を歩くケイトについて行きながら玄関へと向かう。小さな館の廊下は短くあっという間に玄関ホールへと辿り着く。

 ケイトがそこで待っていた御者に声をかけると、男は外へと出て行き馬車の準備をする。その間の少しの待ち時間に生真面目なメイドは退屈させまいとしてか小さく微笑んで「見違えました」と囁いた。


「なにがだぁ?」

「髭を剃ってちゃんとした格好をしたら別人みたいです」


 背中を丸めているのはちょっと残念ですが、と手を伸ばしてレットソムの背中を勢いよく叩く。その小さく柔らかな掌の感触に飛び上がり、計らずとも背筋を伸ばす羽目になる。


「ほら。折角背も高いのに、勿体無い」

「あのなぁー……」


 下唇を突き出してケイトを見下ろすと、困ったような表情で目を反らされた。

 そして改めて自分の格好を眺めると一張羅の礼服に身を包んだ姿は着心地が悪く、できれば早く脱いでいつもの楽な服に着替えたい気持ちになる。


「不可能を可能にできるなんて格好いいですね」

「ああ?できるわけないだろぉ」

「でも、してきたと聞きました」

「あれは」


 まぐれで偶々で。

 周りが勝手に言っていることだ。

 そんなことを信じられては困る。


「いつか私にも見せて下さい。不可能を可能にする所」

「だから――」

「準備整いました」


 できないと返す前に御者が戻って来て急かされる。舌打ちして玄関を潜るレットソムの背中に「約束ですよ」とケイトが声をかけ断る前に頭を深々と下げたケイトが扉を閉めた。


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