第十一話 新しい仲間
「あの……すみません」
事務所の扉がそっと開かれてその向こうからおずおずと顔を出したのは魔法学園の生徒だった。ほっそりとした少年で長い金髪をひとつに束ねて三つ編みにして背中に垂らしている。前髪の下から覗く灰紫色の瞳は目尻が下がっていて優しげだ。薄い眉と唇が儚く、控えめな雰囲気から弱々しい印象を与えた。
「知らねえかもしれねぇが、フリザードの学生はうちに出入り禁止だぞ」
「え?そうなんですか……。でも学園長に行くように言われて来たんですが」
「ああ?公爵から?」
出入りを禁じた本人から行けと命じられたらしい少年はフィル・ファプシス。この前ノアールとリディアにセシルが帰ってくると教えていた人物である。
紅蓮が故郷に帰るのと同時期に神聖国キトラスとの交換留学生として隣国へと行っていた。彼は見た目に反して魔法の素質があり、己の中にある魔力を持て余す程の力を持っている。幼い頃は魔法都市トラカンで魔法を学び、15になる歳にフリザード魔法学園へと編入してきた経緯を持つ。
「ノアールが勉強に集中できるように手助けしてやるようにと」
「つまり……」
人手不足の解消の為に送り込まれてきたのか。
確かに人が増えればノアールの勤務時間や日数を融通することができる。だが欲しいのは魔法の素質がある人物でも、勉強のできる少年でもない。できれば腕の立つ逞しい男を望んでいるのだが……。
「必要ない」
「でも……」
断られて狼狽える少年に立ち上がって近づきドアの外へと押しやる。閉めようとしたドアの向こう側から手が伸びてぐいと引かれてレットソムはよろめいた。
「おい、あいつ、来てないか?」
無愛想な声に顔を向けて見ればそこに立っていたのはライカだった。ここは歓楽街のはずなのに、最近は何故かフリザードの学生ばかりが出入りしている。
紅蓮を雇った時はそんなことは無かったので、これはノアールがバイトに入ってから頻繁になったように思える。
「あいつってどいつのことだぁ?」
該当する人物が多すぎて絞れない。
ライカは遠慮なくレットソムを押し退けて事務所へ乗り込んでくると他に誰もいないことを確認して、更に奥の応接室と台所のある部屋の扉へと手をかけて覗き込んでいる。
「……いねぇな」
舌打ちして床を睨みつけているライカは他に心当たりがないのだろう。動き出す素振りを見せず、じっと木目を見ながら思案している。
「誰を探してんだぁ?」
「……猫みたいに自由な奴」
名前を呼ぶのを厭うように顔を歪ませながらも、誰を探しているのか解るように告げる。
「男爵か」
「セシルならドライノス先生に呼び出されて学園に来てたけど?」
「なにぃ?」
眉を跳ね上げてフィルを見て、そこでようやく同級生がいることに気付いたらしい。赤茶色の三白眼を大きく開けて「帰ってたのか」と感慨深く呟く。
「うん。ただいま。昨日帰ってきたんだ」
いつも眼光鋭いライカの瞳にほんの少しだけ柔らかな色が浮かぶ。そして白い歯を見せてニッと笑いフィルの肩を叩くと「よく戻ったな」と再会を喜んだ。
フィルも嬉しそうに微笑む。
「帰って来たら色んなことが変わっててびっくりした。ライカが子爵になってたり、セシルが学園を辞めて男爵になってたり。一体なにがあったの?」
「…………色々だ」
顔を顰めて面倒そうに誤魔化すと「学園にいるんだな?」と確認してさっさと出て行った。それを見送ってフィルが苦笑いする。
「本当に色々変わったな……」
「お前も変わったかぁ?」
「ぼくですか?」
留学した先で色んなことを学んできたのだろうと問うと、少年は「どうかな」と首を捻る。そしてレットソムを見上げ「解りません。それを少し確かめたいので、ここで使ってください」とはっきりと述べ頭を下げた。
三つ編みが背中から落ちて肩から下がる。その背中も肩も薄いが、どうやら決意は固いらしい。
「……しょうがねえなぁ」
渋々了承するとフィルが柔らかく微笑んで「それではこれからよろしくお願いします」と右手を差し出してきたので、その手を握って契約とした。
「まあ依頼が入ってこないことには何もすることは無いんだよなぁ」
ある程度の流れを説明した後、台所で紅茶を淹れていると事務所の扉が開いた音がした。傍に立っていたフィルが出るべきかどうか迷っているのを見て、紅茶の方を任せてレットソムは隣室へ繋がるドアから顔を覗かせる。
「なんだ、カメリアか」
「…………途中で、迷子になっていらっしゃった女性を案内してきました」
美しい顔にほんの少し不快そうな表情を浮かべて後ろにいた女性を示すと、用は済んだとばかりに自分の席へと向かう。
どうやら失言をしたらしい。
最近カメリアはすぐに機嫌を損ねる。他人が見て解るほどの変化は無いが、明らかに態度が違う。
面倒くさい。
「あんた……」
入口の前に立ち物珍しそうに事務所を眺めている若い女は黒いワンピースに白いエプロンを着け、ポンチョ型のコートを羽織っている。黒のタイツに歩きやすそうな黒い革靴を履いて腕には籐籠を持っていた。
買い物の途中かお使いの途中といった風情。
「グロッサム伯爵家の」
「ケイトです。先日は大変失礼致しました」
深々と頭を下げて謝罪する真面目な若いメイドは恐る恐る視線を上げ、目が合うと困ったように微笑んだ。
「……いや、別に。あんたは仕事をしただけだろぉ。別に謝ることじゃ」
「まさか大旦那様の従者の方にそんな名前の方がいらしたなんて思わなくて。勉強不足です。もっと頑張らないと」
「知らなくて当然だったと思うけどなー……」
従者だったオルグがいたのは35年前以前の話だ。勉強不足等と自分を恥じる必要はなにひとつない。
オドントと執事のハミルトンがからかって困らせたくなるのも解る気がする。彼等はきっとケイトの生真面目さを危ぶみながらも好ましく思っているのだろう。
「今日は大旦那様からの御届け物と、御食事のお誘いをお願いしに来ました」
「届け物?食事会……」
「はい、年代物のワインとそれに合うチーズ。それからミートパイとチョコレートと」
籠をごそごそと探りながら机の所まで歩き、その上にワイン、チーズ、皿に乗ったミートパイ、箱入りのチョコレートと並べて行く。
「それから焼き栗とクッキー」
紙袋を二つ置き軽くなった籠にほっとしてまた笑った。
「とても喜んでいらっしゃいました。久しぶりに昔の友人のことを話せる相手と出会えて」
どうやらカーウィグ子爵夫人はオルグの墓参りの後で、グロッサム伯爵の屋敷を訪ねてくれたようだ。少年のようなオドントと乙女のような子爵夫人はきっと年が近いこともあって話が弾んだに違いない。
「喜び過ぎてカーウィグ夫人を無理矢理長期滞在させるぐらいですから……」
眉を寄せてケイトが少々嫌悪感を滲ませて呟く。
親戚関係でも昔から親しくしていたわけでもない子爵夫人を屋敷に長期滞在させるのは確かに普通では考えられない。宿屋に泊まっていたカーウィグ子爵夫人を招いて一日ぐらいの宿泊ならば常識の範囲内ともいえる。
だが長期となると変に勘ぐる者も出てくるだろう。
「まったくいい歳して」
「ははは……」
彼女が仕えているのは現グロッサム伯爵だろうが、元グロッサム伯爵に敬意をしめして対応しなければならない。真面目なケイトは常に敬い、誠心誠意尽くしているだろうが本心では「色ボケ親父」と呆れている。
それでなくても絡んでくるオドントに若いメイドは辟易しているのかもしれない。
「あの……御食事のお誘いの方は?」
「え?ああ……」
断ろうかと思ったがまだカーウィグ夫人がディアモンドに滞在していることに僥倖を得る。カーウィグ子爵家の領地はグラム川を北に遡った小さな森だ。魔法都市トラカンに近く、そしてまどわしの森にも近い。
なんらかの情報が得られるかと期待してレットソムは必ず伺うと返答した。
「それでは三日後の夕食に」
堅苦しい辞儀をしてケイトは退室して行った。
机に並べられた品々を見ながらノアールが来てからみんなで食べようと思っていたらカメリアが伝票から目を一切上げずに「可愛らしい方ですね」と棘のある言葉を吐き出す。
「可愛い……?」
その単語はきっとさっき帰って行ったケイトに対しての物だろう。真面目で一生懸命な姿は好感が持てるが、可愛いかと問われれば微妙だ。
容姿に対しての好みは人それぞれなので、カメリアから見ればケイトは可愛らしく見えるのかもしれない。
「所長は」
重いため息の後で「女性の気持ちを全く理解してません」と責めるように続ける。給料日が近いのでノアールと自分の分の出勤数と勤務時間を計算しながら。
「……解んねえな」
女だけでなく、自分以外の他人の気持ちを理解することなどできない。手に取る様に解ってしまえば互いに理解しようと努力することもしなくなるだろう。
解らないからいいのだと思う。
年を取ってしまうと何もかも面倒臭くなって、その努力を怠ってしまうが。
「あのー……」
遠慮がちに応接室から声をかけてきたフィルを見てそうだったと思い出す。カメリアは他に人がいたことに驚いて顔を上げ、宝石のように美しい紫の瞳を瞬かせた後でさっと頬を赤らめた。
「今日から新しく雇うことにしたフィル・ファプシスだ」
「よろしくお願いします」
「……カメリアです。こちらこそよろしくお願いします」
座ったままで会釈し強引に平常心を取り戻したカメリアは再び仕事へと集中する。取り澄ましたような横顔は人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた。
フィルは淹れてきた少し温くなった紅茶をそれぞれに配って所在無げに佇みながら、立ったままでコップを傾ける。
微妙な空気の中で打開策を見つけられないまま模索していると扉が勢いよく開けられて「すみません。遅れて!」とノアールが飛び込んできた。そして事務所内にいるフィルを見つけてきょとんと隙だらけの顔をした。
「ひさしぶり。ノアール」
「……フィル」
なんでと呟き、次にお帰りと唇を動かしてノアールは一歩二歩と歩み寄り、自分より少しだけ背の高いフィルを見上げた。
セシルから帰ってくるらしいと教えられてからまだ三日しか経っていない。だから中々実感が湧かないのも無理も無かった。
「ほんとに……」
「紅蓮はまだだってね。ぼくより早く戻ってるだろうと思ってたんだけどな……」
目を伏せてフィルはほうっとため息を吐く。
「ま……ぼくはディアモンドに戻ってこられるとは正直思ってなかったんだけど」
呟いて自嘲気味な笑みを刻んでから首を傾げ「でも戻ってこられたからじたばた足掻いてみようかな」と前向きな発言をした。
「紅蓮もすぐに戻ってくる」
ノアールがそうあって欲しいという希望を込めて断言する。その碧色の瞳をレットソムにも向けてくるので「ああ、そうだな」と同意してやる。
「だがその前にノアール。新しい仲間だ。良く知ってると思うから自己紹介は無しだ」
「え?じゃあ」
「よろしく。ノアール」
フィルが手を差し出してノアールが促されるままその手を握る。ぎゅっと繋がれた手が軽く上下に動かされてから離れた。
学生ばかりを雇うつもりは無かったが、この際細かいことは言っていられない。
お節介な公爵の差し金に、子息であるザイルを寄越さなかっただけでもよしとする。
「どうなることやら……」
頭を抱えたくなるのを堪えて、グロッサム伯爵からの贈り物をみんなで食べようと誘うとノアールが皿を取りに走る。そしてその後にフィルが手伝いに続く。
賑やかな事務所の空気に胸を撫で下ろしながらチラリとカメリアを窺えば、その顔に表情は全く無く仕事を淡々とこなしている。
本当に面倒だ。
そう思いながらカメリアの機嫌を窺っているのだから我ながら笑えてくる。
「努力はする」
仕方なく怠っている自覚はあるのでそう投げかけると、カメリアはインク壺に手を伸ばしながらくすりと笑って「そうしてください」と囁いた。




