第十話 騎士の仕事
王都ディアモンドの中央には青く輝くブリュエ城がある。
魔法の欠片を練り込んだ青白い外壁は陽光の力を蓄えて、夜の闇の中ですら光り輝く。フィライト国の王の威光はどんな困難すら打ち払うのだと示すように。
そしてその王城の北に広がるのは有力貴族たちの屋敷の建ち並ぶ区域があり、王城の下を流れているグラム川を挟んで直ぐに高い壁に囲まれた騎士団詰所があった。
高い壁に囲まれた広大な土地を持ち、西を川で阻まれ東は城壁が聳えている。背後には森林、手前は頑丈な門と壁。
王城を護る近衛騎士団と王都を護るサルビア騎士団が詰め、訓練と寝食を共にし、職務に励む場所である。近衛騎士団員840名、サルビア騎士団員3200名。他に騎士見習いと非戦闘員も擁する詰所は常に多くの人の出入りがある。
「便利屋のレットソムだ。できれば第二大隊のリステル・レナード殿にお会いしたいんだが……」
隊列を作ったまま出入りできる大きな門を潜って右手側にある建物の開いている小窓から声をかけると、奥の机に座って書類を繰っていた深い皺を刻んだ男が顔を上げた。レットソムの顔を確認すると白い歯を見せてにやりと笑うと立ち上がって小窓へ近づいてきた。
「おう。恋の伝道師じゃないか。今日は出会いと経験の少ない若騎士たちの恋愛相談に乗りに来たのか?」
「違います……」
戦えなくなり退役した騎士が詰所で雑事を引き受けて働くことも多く、この男もまた長く騎士を務めた後で退役し受付業務を担っている。
「それからそのクソ寒い呼び名を止めて貰えませんかねぇ……」
「なんだ?便利屋より洒落た名前じゃないかよ。気に入らないのか」
「気に入りません!それより取り次いで頂けるのかどうかお聞きしても構いませんか?」
「別段俺が取り次がなくても勝手知った古巣だろう?誰も止めやしないさ」
肩を竦める男の身体は全盛期に比べて落ちてはいるが、その肩幅とその周りについた筋肉は未だに力を蓄え、いつでも戦えるのだと主張していた。
それに比べ己の身体はどうだろうか。
鍛錬を怠った肉体は急速に衰え、多少のことには対応できても命のやり取りはもうできそうにない。
「愚かで怠け者の部下の行く末が心配だが、お前はここに戻ってくるつもりはないんだろ?」
「すみません……ジェリド分隊長」
「よせよ。俺はもう分隊長じゃない。耄碌した年寄りの受付親父だ」
苦労した十代にレットソムは住み込みで働いて貯めた全財産をつぎ込んで騎士養成学校へと入学した。そして四年で卒業し、騎士団へと入り配属された第三大隊でこのジェリドの下についた。
随分世話になったが騎士を続けることに限界を感じ、レットソムは早々に退役し23歳で厄介事万請負所を始めた。騎士時代に稼いだ金で事務所を求める際に、歓楽街を選んだのは知り合いと縁を切りたかったからだ。
本気で商売をするのならもっと健全で、解りやすく立地条件の良い場所を選ぶ。
騎士を辞めた時、貴族社会や騎士団の上層部の考え方や運営の仕方に嫌悪し、そこで働く同僚たちとの仲が少々拗れてしまっていた。
なんだかどうでもよくなって、不貞腐れた気持ちのまま自分から離れたのだ。
今思えば子供だったのだろう。
結局あの時の繋がりが今のレットソムの仕事に良い影響と協力を与えてくれているのだから申し訳ない気持ちになる。結果的に歓楽街に事務所を構えたことで機知にとんだ仕事に事欠かないのも退屈しなくて済んだ。
もう戻ることなど考えられない。
今はとても気が楽で充実していているから。
「しかしお前といい、レヴィーといい……あの年の連中はみんなやる気ない奴が多い。しかも独身だしな」
「大きなお世話です」
レヴィーは第二大隊の副長でリステルの上官だ。レットソムと同じ歳で学校を卒業した同期。剣を持たせれば一流だがのらりくらりと生きているレヴィーは書類や事務的な仕事を嫌がる。真面目で気の付くリステルに目をつけて自分の尻拭いをさせる為に副官へと抜擢したのもレヴィーだ。
「勿体ねえな。やる気ない癖にいざ戦闘となると、途端に目が覚めたように戦い続ける体力と集中力を持ってるのに」
「それと結婚は関係ないような……」
「あるだろ?お前らがやる気出せば行動力と集中力で嫁を捕まえるなんて簡単だ」
「できてりゃ今頃独身謳歌してませんって……」
「ただの臆病者の癖に」
「…………」
ズバリと言い当てられて返す言葉も無く黙るとジェリドはニヤニヤと笑いながら小窓の向こうから太い腕を差し出してレットソムの肩を掴む。
「自覚ありってところにまだ救いはあるな。二十人の敵に周りを囲まれても平然と戦う奴が、生身の人間と向き合うのが恐いとは……」
「相手が武器を所持していれば恐く無いんですが、素手で無防備だと対処に困ります」
「成程。騎士に既婚者が少ないのもそれが理由かもしれないな」
苦笑いしていると昔の上司が真面目な顔で「全ての若い女性達に武器を持たせる法律を作って貰える様に上に掛けあってみるか」と呟いたのでぎょっとする。
騎士の既婚率が低いので女性に帯剣を願い出るなど正気の沙汰ではない。弱々しく可憐な女性の扱いが解らないから剣をちらつかせて欲しいなど騎士団の中に思っている男は誰ひとりいないはずだ。
「分隊長!」
咎めるように呼びかければ片頬を歪めて笑い、ジェリドは「冗談だ」と返してきた。
「まあ、お前の恋の伝道師の力でレヴィーにも可愛い嫁さん作ってやってくれ」
「……本人が望んで無い物を他人がとやかくいう訳には」
「本当にやる気出してくれりゃいいんだが。ところで、お前最近さぼってるだろ?ちゃんと鍛えとけよ」
「痛っ!」
肩から上腕の筋肉を確かめるように触り、衰えてしまった身体に鞭打つように硬い拳で腕を殴ってきた。
自分とは逆に鈍っていないジェリドの威力に後ろに引いて恨めしい目を向ける。左上腕を右手で押えて擦り痛みを散らしながら「それじゃ、また」と早々に逃げ出した。
「ちっとも耄碌してねぇ癖に……」
正面にどっしりと構える大きな詰所の玄関を入ると、多くの人が働いている気配と音が押し寄せてくる。実際に目の前を忙しそうに動き回る騎士や見習い、それから事務員や清掃員が通り過ぎていく。
一階は特に静けさとは無縁の場所だ。
ここには住民の苦情や、出動の依頼、困っている人々が昼夜を問わず飛び込んでくる。
様々な部署に分かれ、内容によって人々を誘導して話を聞く。住民の声に耳を傾け、時には出向き面倒事を解消させるこの仕事は騎士になりたての者たちが受け持つ。そして巡回と門番としての仕事。それだけでなく訓練も毎日行われているので新人は目の回る様な忙しさだ。
その中で上官たちは働きぶりと、性格、実力を考慮して配属先を決める。いつでも見られているのだという緊張感に新人は疲れ果て、非番の日に出かける余裕など無く宿舎のベッドで一日眠る者も珍しくない。
考えれば騎士とは女性たちに憧れの目を向けられる職業だが、出会いの場が少ないのだから既婚率が低いのは仕方の無い事だった。
王都を巡回で回ることで沢山の事件や事故に遭遇し、その延長で女性を助けることがあったとしても宿舎に住み、決まった日に休みがあるわけでは無い仕事ではその付き合いも長続きしない。
そもそも巡回中に知り合った女性と親しくなることに抵抗を感じる者も多いだろう。仕事中に恋にうつつを抜かしていたと思われるのは面白くない。
仕事を終えて外へ食事に行ったり、飲みに行ったりできるような余裕が出てくるのは騎士になって二年経った辺り位からだ。まず一年目の新人は目の回る忙しさで色恋に割ける時間は無い。
その余裕のできた時期に知り合った異性と目出度く結婚まで漕ぎ着けるのは僅かな者達だ。理由は様々だが長く付き合うと言うのはとても難しい。
そして時期を逃したまま月日が流れると異性と付き合うことが面倒臭くなるのだ。
階段を上り踊り場で折り返していると前から来た騎士が「あ!便利屋の」と声を上げた。顔見知りではないが相手はレットソムのことを知っているらしい。
騎士の制服はサルビア騎士団で第二大隊の印のラインが二本衿についている。第二大隊は宿場街と歓楽街を管轄にしているので、レットソムの顔を見知っていてもおかしくは無い。
「相談に乗ってくださいよ!」
強い眼差しに圧されてレットソムは一歩下がる。鼻息荒く駆け下りてきて騎士がぐっと拳を握った。
「あー……あの不本意な噂を聞いて相談しようと思ってるんだろうがなぁ。ありゃまぐれと言うか、手違いと言うか」
「どんなんでもいいんです!是非!相談に乗ってください」
若者特有のぎらついた熱意は枯れた人生を長く送っているレットソムには暑苦しい。人を頼らずなんとか自分で頑張れよと思いながらも、日頃お世話になっている第二大隊の騎士には強く言えない。
困っていると男の声を聞きつけた数人の騎士が階段から降りて集まってくる。
「ずるいぞ!抜け駆けすんなって」
「俺も!俺も相談に乗って欲しいです!」
「彼女作るにはどうしたらいいですか?」
「好きな子の気を引くにはどうしたら」
「デートは何処に誘えば」
「キスするのにいい雰囲気になるには」
「デート何回目でオッケーですか?」
「あ――っ!煩い!知るかぁ!彼女欲しいなら積極的に動け!既婚者や恋人のいる相手から紹介してもらえ!さもなきゃ手当たり次第声かけまくれっ!数撃てば当たるだろぉ!
好きな女の気を引きたきゃ裸踊りでもして騎士でも馬鹿な真似できると示してみろ!
デートなら騎士団詰所の中を探検しろ!
キスしたけりゃ胸壁の上で強引に迫れ!雰囲気なんか知った事か!
何回目でオッケーかなんか確認すんな!男らしく当たって砕けちまえっ」
群がる騎士たちの言葉に対する適当な答えを矢継ぎ早に吐き出してレットソムは苛々と若い騎士の顔を睨みつけた。
仮にも騎士たる者が知人からの紹介ならいざ知らず、大通りで女性に声をかけまくるなど言語道断である。数撃てば当たるとは女性に対して失礼な発言だがそこは許して貰いたい。
裸踊りも鍛えられた肉体を見て喜ぶ女性もいるだろうが、まず服を脱いだ時点で引かれるに違いない。
騎士団詰所の中を案内するデートなど何も見て面白い物は無いので後日振られる可能性大だ。
詰所の胸壁の上は右手にブリュエ城、正面に港と海の素晴らしい景色だが多くの人々が出入りし働き人目のつく場所だ。そんな所で強引に迫られれば雰囲気など無いに等しい。
更に深い男女の仲になりたいと願う男に相手の同意を得ぬままことに及べば、騎士としての品位を貶めた上剥奪され、牢へと入れられるのがオチだ。
どれもこれもまっとうな答えではない。
途方に暮れたような騎士たちを放ってレットソムは大股で階段を上り、二階奥の第二大隊執務室の扉をノックも無しに開けて中へ入った。
一番奥の机に座っていた女が顔を上げて「よく来たな」と皮肉気な笑みを浮かべる。
「なんだぁ?隊長殿しかいないのか……」
「私では不服か?」
第二大隊隊長マルレーン・フォデルは興味を失った様に面を伏せて、山積みされている書類の束に向き直った。
「不服じゃないが……できれば、副官殿に話を」
「リステルは非番だ。それからレヴィーは会議に出ている」
「そうかぁ……じゃあ、隊長殿少しお時間頂いても?」
扉の前に立ったまま了承を得ようと尋ねると、ちらりと鋭い一瞥をくれてマルレーンは短く切った金の髪を両手で後ろに撫でつけるようにして指を首の後ろで組む。
椅子の背もたれに身体を預けて大きく欠伸をしてから「なんだ?」と促してくる。
「この間副官殿がうちに来た時に連れていたルークという青年についてなんですがね」
「ルーク……あいつがなにかやらかしたか?」
「いえ。彼を探している女性がいるんです」
「あいつを?」
マルレーンが眉を寄せて思案気に天井を仰ぐ。何事か考えている様子を見て結論が出るまで待つ。
事情があって第二大隊で預かっていると言っていたので、隊長である彼女が知らない訳は無く、保護を目的に預かると判断を下したのもマルレーンだろう。内容をレットソムに明かすかどうかは隊長の腹積もり次第。
だからこそここは待つしかない。
「誰が探している?」
結論を出すために問われた物に「姉」とだけ返す。
「ふ~ん……」
ため息交じりの悩み声にどことなく色気がある。そこに惑わされて手を出せば酷い目に合うことは想像できるので、騎士団の男も一般の男も迂闊に誘えずにいる。
きりりと引き締まった顔立ちは文句なしに美形で、短い髪と均整のとれた美しい身体は世の女性たちから羨望の眼差しを向けられていた。
男勝りの性格と容姿によって女性は彼女を女としてでは無く、理想の殿方像として見ているのだ。
「信じがたいことに彼女はまどわしの森に住んでいると。そして弟が突然姿を消し心配して探しているが弟だけでなく複数の住民が姿を消しているので、誰かから連れ去られたに違いないと懸念している――というわけなんですが」
悩んでいるマルレーンの為に先に手札を見せた。それによって彼女がどう反応するのか見るためでもある。
隊長の口が重いのはまどわしの森に人が住んでいたという事実を隠したいがためか、それとも他に何か理由があるのか。
「それは本当にうちのルークのことか?」
「背が高い上に細く、色白で黒い髪に青い瞳のルークです」
「……人違いかもしれん。そもそもまどわしの森に人は住めない。あそこは国王の土地だ。許可なく住むことは出来ないはず」
戸惑ったようなマルレーンの態度は演技ではなさそうだ。彼女が隠したいのはまどわしの森に住む人のことでは無く別のこと。
ルークとその一族には他に何か秘密があるのか。
リディア自身もなにかあると思ったからこそ弟のことだけでなく、一族についても調べて欲しいと依頼したのだろう。
「まあ一応ルークを探している女性に弟は無事だったとだけ告げておくかぁ。連れ去りの件は依頼にないし、放っておく。ルークには姉ちゃんが探してたって伝えてくれ。なにか言いたい事があるなら事務所に来てくれりゃいいから」
「……一応伝えておくが、人違いかもしれんぞ?」
「そんときゃまた探すさぁ」
人違いではないとレットソムの経験と勘が言っている。今はこのまま引き下がって事態が動くのを待つしかない。
「忙しいのに邪魔した」
「いつでも来てくれ。便利屋なら歓迎する」
既にマルレーンの目は書類の上にある。見えてなくても気配は伝わるので会釈をしてから退出した。




