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「……は?」

「ですから、会社を解雇されてしまいました」

 唐突な展開に、陽介の頭脳は混乱を極める。この不景気に会社をクビになったりしたら一大事である。

 それゆえに嫌々ながらも、陽介だって真面目に会社勤めをしているのだ。それなのに目の前の女性は、そんな重大事件を何故か笑顔で語っている。

 またしても返答に困り、何も言えないまま、陽介は相手を見つめてるしかなかった。

 無言の見つめあいが続いたあとで、雪村薫が「仕方ないですよね」と呟いた。

「何日も連続で欠勤していたら、会社はもちろん同僚にも迷惑がかかります。この処罰も当然なんです」

「……そういうことか」

 ようやく陽介は状況を理解した。要するに、この公園でお金を貸した見知らぬ男性を待ち続けてる間、雪村薫はずっと会社を休んでいたのだ。そして久しぶりに出勤したら、自分の机がなかった。

 詳細を説明してもらったわけでないが、そう考えて間違いなさそうだった。陽介だった特別な用事なく欠勤を続ければ、あっさり解雇される。相手の言うとおり、当然の結果だった。

 傍から聞いてればアホな理由にしか思えないが、目の前の女性はそういう人間なのだ。わりきって考えないと、陽介の心がもたなくなる。

「一応、会社へ休むとは伝えてたのか」

「はい。そうしなければ、失礼ですから。きちんと、名前はわかりませんが、待たなければならない人がいるので、会社を休ませていただきますと――」

「――ちょっと待て。本当にそう言ったのか」

 聞き流すつもりでいたが、思わず陽介は口を開いてしまった。

 どこの世界に、そんな理由で休暇を欲しがる人間がいるというのか。陽介が上司で、部下からそういう電話をもらったのなら、会社へ出勤するつもりがないと断定する。

 人を信じられるのはいいことだと言ったが、何でもかんでも正直に生きろとは言ってない。それでは、会社を辞めたいですと言ってるようなものである。

「もちろんです。きちんと毎日、会社だけでなく上司の携帯電話にもかけました。大抵まだ寝てましたけど、しっかり説明しました」

「……何て?」

 聞くのは非常に怖かったが、好奇心も手伝って陽介は雪村薫に尋ねていた。

「ですから、名前を知らず、顔もうろ覚えですが、人を待たなければならないので会社をお休みさせていただきますと」

「……何時頃に?」

「そうですね。上司の携帯電話には朝の6時頃で、会社には業務が開始される8時頃です」

 雪村薫が携帯電話を切ったあと、上司はさぞかし怒り狂っていたに違いない。ほぼ徹夜で公園にて人を待っている雪村薫は当然起きてるが、普通の人はまだ眠ってる時間帯である。

 現に先ほど目の前にいる女性自身が、電話をかけた時、上司は大抵眠っていたと告げている。

 こんなのを毎日繰り返されたら、ただの嫌がらせである。そんなに辞めたいのなら、どうぞ辞めてくれと上司も思っていたに違いない。しかし厄介なことに、雪村薫の説明はすべて本当だった。

 雪村薫の言葉が正しいと証明する人間がいない以上、悪戯扱いされてもやむをえない。だからといって、陽介が弁護に行っても、君がその待ち人かなんて嫌味を言われそうだった。

「休むにしても、他に言いようがあったんじゃないか? 病欠にしてしまうとか……」

「駄目ですよ、嘘はいけません。それに、誰かがこの公園で私を見たらどうするんですか。言い逃れなんてできませんよ」

 人を愚直に信じるだけが取り柄かと思いきや、意外と冷静な判断もできている。出会ってまだ数日なのだから、当たり前とはいえ、ますます雪村薫という女性がわからなくなった。

 ともかく、解雇されたのを覆すのが、なかなかに難しいミッションなのは間違いない。同じ会社に固執するより、他の就職先を探す方がまだ楽だった。


「そうか……それなら、頑張って新しい働き口を探さないとな」

 陽介の発言に、雪村薫は元気よく頷く。会社を解雇されても自暴自棄にはなっておらず、やる気だけは売るぐらいあるみたいだった。

「もちろんです。ですが、その前に住む場所を探さないといけないんですけどね」

「……何……?」

 今度もまた、とんでもない発言がさらっと飛び出てきた。

 この女性と一緒にいれば、びっくり箱いらずだな。内心で渇いた笑い声を響かせつつも、陽介はとりあえず詳しい説明を求める。

「私、今まで会社の寮に住んでいたんです。けれど解雇されてしまったので、三日以内に退出してほしいと言われてしまいました」

 言われてしまいましたで終わるところが、まさしく雪村薫クオリティ。とはいえ、陽介も同じ状況になったら、素直に従う可能性が高かった。

 本来ならいくらかの猶予期間が定められているはずなのだが、どうせいつかは出なければならない。会社と争ってる時間があるのなら、新しい住居なり仕事を探す方がずっと有意義である。

「そうか……そういうことなら、仕事より家だな。けど、それは簡単に見つかるだろう」

「それが……なかなかないんです。もっとも、私の手持ちが少ないせいなんですけどね」

「まあ、敷金とか例金とか、色々あるからな。で、予算はどれぐらいなんだ」

「予算ですか? それは決めてないんですけど……手持ちのお金は三千円です」

 どうして目の前にいる女性は、こうも衝撃的な告白をポンポンしてくるのだろうか。ジュースとかを飲んでる最中だったなら、間違いなく噴出していた。

 他人の陽介が愕然としてるのに、当人は穏やかな微笑を浮かべている。この状況下でも何とかなると信じてるのか、もしくはやけくそで笑ってるだけなのか。さすがに判別は不可能だった。

「て、手持ちが三千円って……いくらなんでも、それはないだろう……」

 冗談を言うような相手ではないとわかっていたが、そう言わずにはいられなかった。

 いくら不況でも、今の時代、高校生でもそれ以上は持っている。

「本当です。何ならお見せしましょうか?」

 自身の財布を取り出そうとする雪村薫を制し、どうしてそんな有様になってるのか説明を求める。

「先日、お話した男性と出会ったのが、丁度私の会社の給料日だったのです」

 そこまで言われたところで、陽介は大体の事情を理解した。

 要するに今月分の給料も含めて、貯金全額をその見知らぬ男に貸したのだ。そういう理由なら、貯金も所持金もなくて当然だった。むしろ、よく三千円も残っていたものである。

 次の給料日に辞めた日分までの給料や、解雇手当が入るとはいえ、それまではほぼ一文無しの状態で過ごさなければならない。若い女性には、かなり危険な行為となる。

 本来なら親元へ帰れと言いたいところだったが、先日の話では確か雪村薫の母親は亡くなっていたはずである。

「……非常に聞きにくいんだが……父親は……」

「父は……私が小さい頃に母と離婚して……住んでる場所は知りませんし、今、生きてるのかどうかもわからないんです」

 これまたヘビーな展開になってきた。要するにお金がないのにプラスして、頼れる親族もいないのだ。他人事ではあるが、これぞまさしく四面楚歌である。

 だがまだ生き抜く方法はある。解雇されたのだから、すぐに失業保険がもらえるはずだ。そのことを教えるも、相手はすぐに浮かない顔をする。

「実は……私が勤めていた会社は、雇用保険に加入してなかったのです。なので失業保険はもらえない。解雇を言い渡された直後に、上司からそう言われました」

 話を聞いていると、雇用保険どころか解雇の際に貰えるはずの一か月分の給料も貰えていない。本人は電話対応の事務職と言っていたが、どうやらなかなかにグレーな会社の可能性が高かった。

「引越しの費用もないので、電気製品とかは欲しがる同僚にあげたので、荷物はこれだけなんですけどね」

 そう言って雪村薫は、両手で持っていたやや大きめのバッグを強調して見せた。

 リサイクルショップにでも売れば、額は少なくてもとりあえずお金にはなっただろう。だが、陽介はあえてその言葉を飲み込んだ。言う必要はないと判断したからである。

 目の前にいる女性の性格上「必要としてる人がいるなら、あげたほうがいいですよ」なんて言うのは、わかりきっていた。

 しかしそうなると、所持金は三千円で貯金はない。保障もなければ、住むところもない。家具もないし、身寄りもいない。ないない尽くしで、バーゲンセールでも開催できそうだった。

 そんな状況で住居を探しても、見つかるはずがない。数日はカラオケボックスなどで過ごせても、すぐに手持ちは尽きる。そうなったら、あとは路上生活しかなかった。

 本人は何とかする気マンマンみたいだが、世の中そんなに甘くはない。どこかで必ず落とし穴が待っている。

 けれど人を信じるのも才能だと言い放ったばかりの陽介が、間違ってもそんな台詞を口にできない。となれば、残る方法はひとつだけだった。

 頭をクシャクシャ掻きながら「あー……」と言ったあとで、何度か咳払いをする。

 頭の中で言うべき台詞は完成してるのだが、それがなかなか口から出てこないのだ。ひとり悪戦苦闘する陽介を、不思議そうな目で雪村薫が眺めている。

 このままでは、周囲から不審者扱いされる可能性も出てくる。覚悟を決めて、言うしかなかった。


「……それなら……その……お、俺の……家に来るか……?」

「……え?」

 向こうにとっても唐突な提案だったのだろう。さしもの雪村薫も、状況判断に手間取っている。

 変な勘違いをされたかもしれない。焦った陽介は、下心による発言ではないと伝えようとするが、やはりうまく言葉を組み立てられない。この時ばかりは、己のコミニュケーション能力の不足を呪いたくなった。

「ち、違うんだ。その……あ、あれだ。次の家が決まるまで、住所がないと困るだろうし、住民票も移して……って、変な意味じゃなくてだな」

 なんだかとてつもない堂々巡りになってるような気がして、何がなんだかわからなくなる。今の状況に比べたら、会社で商談してる方がずっと楽だった。

 しどろもどろな発言を連発する陽介を怪しむでもなく、雪村薫は「フフッ」と微笑んだ。そのあとで、わかってますよとばかりに顔を頷かせる。

「ありがとうございます。本当に嬉しいです。でも……杜若さんに、迷惑をかけるわけにはいきません」

 表情は穏やかながらも、キッパリとした口調で提案を断られる。あれだけ人を助けようとするくせに、差し伸べられる手は簡単に振り払おうとする。

 悪意があるわけでなく、単純に他人へ迷惑をかけたくないと思ってるのだ。それは陽介も十分に承知していた。

「次の職が見つかるまで、貸してやるだけだ。給料が入ったら、家賃も払ってもらう。だから、迷惑にはならない」

 照れ隠しで、ぶっきらぼうな言い方になってしまったが、これなら相手も納得する可能性が高かった。

 それでも相手女性はしばらく悩んでいたが、やがて陽介へ「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 これで当面の問題は回避できた。やれやれとため息をつく陽介が相手の顔を見ると、雪村薫は瞳に涙を浮かべていた。

 本人なりに、気を遣ってもらってるとわかっているのだろう。言葉で礼を言われなくても、それだけで陽介には十分だった。

「荷物はそれだけだったよな。それじゃ……帰るか」

 陽介の言葉に、雪村薫は涙まじりに「はい」と応じたのだった。

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