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 人を信じた末に、非業の死を遂げた。雪村薫の母親がそうであるなら、やはり陽介と似た環境で育ってきたことになる。

 ただしあくまで似ているだけで、まったく同じかと問われれば首を左右に振る。何故ならば、陽介の両親は雪村薫の母親と真逆だったからである。

 思い出したくもない過去を蘇らせながら、陽介はゆっくりと口を開いた。

「俺の両親は……常に人を疑っていたんだ……」

 話し始めた陽介の声に聞き入るように、すぐ側にいる女性は黙って立ち尽くしている。

 次の言葉を待っており、陽介はポツリポツリと続きを話す。ひとりでいるのを選び、友人もあまり作らなくなった己のルーツ。それを他人に教えるのは初めてだった。

「決して貧乏だったわけじゃない。小さい頃はそれなりに裕福だった。それに、運も良かった……間違いなくな」

 どうして断言できるのかと言えば、陽介が幼い時に両親が宝くじで一等を当てたからである。

 ――幸せと感じていることが、本物の幸せとは限らない。少年だった頃の陽介が得た人生訓だった。

 怒鳴り散らしたりなどという行為をあまりしない両親で、近所でも優しく穏やかな夫婦と認知されていた。

 外に出れば誰もが挨拶をしてくれ、町内の行事にも率先して参加した。周囲からの信頼も厚く、陽介少年は両親を誇りに思ったものだった。

 だが突如として転機が訪れる。それが、宝くじの一件だった。

 有頂天の両親は銀行で受けた説明もろくに頭へ入ってなく、当選の事実を数多くの住人たちへ伝えてしまった。

 両親の嬉しそうな顔を見ると、事情をよくわかってない陽介も嬉しくなった。小学校へ上がったばかりの頃で、友達が増えていたこともあり、教室内で大発表までしたのである。

 杜若夫婦が宝くじを当てたことを知らない人間は近所にいなくなり、最初は誰しもが祝福してくれた。

 ――こんなに幸せでいいものか。母親にお酌をしてもらいながら、ソファで美味しそうにビールを飲んでいる父親の台詞が、今もまだ陽介の耳の奥にこびりついていた。

「両親は間違いなく幸せだったんだろう。あんな笑顔を見たのは、生まれて初めてだった……」

 寂しいような、悲しいような……それでいて懐かしく、ついつい微笑んでしまうような感情が陽介の中にあった。

 自分の感情などうまく説明できないので、その辺は省いて話を続ける。

 雪村薫は相変わらず何も喋らない。とにかく、陽介の話を聞くのに集中してる感じだった。

「その頃からだよ。得体の知れない親戚が増えだしたんだ……」

 連日ひっきりなしに、親戚と名乗る人物から電話がかかってきた。そのすべてが借金の催促である。

 その他にも近所で仲良くしていた人間が、やたらと両親を旅行などへ誘うようになった。

 すべては両親が得た大金目的だったのだが、気をよくしていた両親は困ってる人がいるなら助けようとお金を貸してあげた。

 さらに近所で仲が良かった人物の勧めもあり、投資を主とする個人会社を設立したりもした。

 税金の対策になるから。細かいところは自分たちが手伝うから。様々な言葉が、両親の心を惑わせた。

 ――いや、宝くじが当たった時点で、両親の心はすでに狂っていたのかもしれない。だからこそ、周囲の甘言に気づけなかったのだ。その結果、招いたのが破滅の二文字だった。

 素人が運営する投資会社などうまくいくはずもなく、一年も持たずに資金は底をついて倒産した。それだけでなく、莫大な借金が残ったのである。

 両親は必死になって金策へ走った。けれどあれだけ仲が良いと思っていた友人たちは、金がないとわかると揃ってそっぽを向いた。

 散々お金を貸したのに返しもせず、あろうことか器量の良かった母親をソープへ売って支払いの足しにしたらどうだとまで発言したのだ。激昂した父親はその人間に殴りかかり、最終的に拘置所でひと晩過ごすはめになった。


 父親が家に戻ってきてから、状況はさらに悪化した。あれだけ周りにいた人間が、一目散に去っていった。

 あれだけ明るく優しかった父親なのに、あまり言葉を話さなくなった。

 借金取りが連日家へ押しかけ、危うく母親が連れ去られそうになったケースも発生した。

 陽介自身も学校でいじめられるようになった。それまで中心的な立場だったはずなのに、いきなり状況が一変したのである。

 そこで陽介は初めて、自分が人気だったわけでなかった事実を知る。要するに王様へ祭り上げられていただけだったのだ。そして着る物がなくなり、裸となった王様は道端へ投げ捨てられ、全員から足蹴にされる。

 それでも陽介少年は、家に帰れば暗い顔ひとつしなかった。幼いながらに、両親が大変なことになってると知っていたのだ。だからこそ、決して我侭は言わなかった。

 そんなある日の夜、トイレに起きた陽介は両親の部屋のドアが開いてるのを見つけた。

 好奇心も手伝い、陽介少年はドアの隙間から室内を覗いた。両親は眠りもせずに抱き合っていた。

 その日、陽介は初めて両親が泣いてるのを見た。声をかけることなどできはせず、トイレを済ませてすぐに部屋へ戻った。

 あの時どうして話しかけなかったのか。陽介は今でもたまに悔やんだりする。何故なら、それが動いてる両親を目にした最後のシーンだったからである。

 翌日――。朝の挨拶をしに尋ねた両親の部屋は空っぽだった。

 不思議に思いながらもリビングへ行くと、湯気をたてた美味しそうな目玉焼きとご飯が食卓に乗っていた。

 ご飯を美味しく食べ終え、学校へ行く準備をしてると、家の電話が急に鳴った。それは、新たな試練の始まりを告げる合図だった。

 その近辺のことはよく覚えていない。電話の相手が何を言ってるか理解できず、学校へ行くと、授業の最中に親戚の伯父さんがやってきた。

 ひとりだけ学校を休みになり、連れて行かれた先は警察署だった。霊安室へ行き、そこで仲良く並んでベッドへ横たわっている両親を見た。

 顔に白い布をかけられ、伯父さんがそれをめくり涙する。同席した警察の人が、沈痛な面持ちでそれを見守る。

 幼い頃の陽介はその光景を、まるで夢か何かのように捉えていた。何故、両親は目を覚まさないのか。そんなことばかり考えていた。

 死因は溺死だった。近くにあった川へ、夫婦揃って飛び込んだらしかった。靴はきちんと揃えて置かれており、近くには遺書もあった。

 事件性はないと判断され、自殺として処理された。そして陽介少年は、警察署へ連れてきてくれた伯父さんへ引き取られることになった。


「うう……ぐすっ……うええ……」

 ここまで離し終えたところで、相手の様子を確認すると、何故か号泣しまくっていた。

 自分も結構な目にあってきてるのに、よく人のことでここまで泣けるものだ。そう感じつつも、心のどこかでありがたく思ってる陽介がいた。

 陽介以外にも、両親のために泣いてくれる人間がいた。それが何より嬉しかった。

「そんなわけで、俺は伯父さんの家で新生活を送ることになった。伯父さんは結婚していたから、奥さんも子供もいた」

 それが大きな問題だった。陽介少年は伯父さんを信頼していた。理由は親戚の中で、一番優しかったからである。

 けれど伯父さんもその他大勢の人間と同じで、両親のお金を目当てに近寄ってきただけだった。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よという言葉に倣い、両親からお金を引っ張るためにまずは陽介と仲良くなろうとしたのだ。けれど計画の途中で、弟夫婦は破産の末に自殺してしまった。

 陽介の父親と二人だけの兄弟で、両親はすでに他界している。そのため、必然的に伯父が弟夫婦の息子――つまりは陽介少年を預かることになった。

 実弟の子供の相手をしてまで、ご機嫌をとろうとしていたくらいなのだから、経済的に裕福なはずがなかった。

 最初は優しい伯父さんと暮らせると、多少なりとも喜んだ陽介少年だったが、すぐに甘い考えだった気づく。引越ししたその日から、厄介者扱いされたからである。

 押入れみたいな部屋を与えられ、伯父さんたちの子供の勉強や遊びの邪魔だけはするなと何度も念を押された。

「俺たちがいなければ、お前は路頭に迷うしかなかったんだ。感謝をしろ」

 何かあれば常にそう言われ、家の手伝いなども率先してやらされた。

 まるでお手伝いさんみたいに扱われ、伯父さんたちの子供にもいいように使われた。

 それでも陽介は、生きてるだけマシだと考えた。扱いこそ酷かったが、伯父さんは両親の借金を肩代わりしてくれたのだ。それだけでもありがたかった。

 そのせいで生活がより困窮になり、やり場のない怒りを弟の息子である陽介にぶつけてるのだろう。そう判断して、我慢をし続けた。

 勉強机や生活用具。何から何まで、伯父さんたちの子供と差をつけられた。惨め極まりなかったが、ご飯を食べさせてもらえるだけでも感謝しなければと自分を抑えた。

 伯父さんの家には男の子が二人おり、そのうちのひとり――兄の方は陽介と同じ歳だった。

 ゆえに、小学校なども同じところへ通っていた。それが陽介少年には試練となる。

 貧乏人の息子とバカにされ、クラス中からいじめられた。守ってくれるヒーローも、わけ隔てなく優しいヒロインもいなかった。

 だが陽介は決して泣かなかった。両親の分も生きて、必ず仇を討つ。そんなふうに思っていた。

 ひとり薄暗い押入れの中で暇があれば勉強し、なるべく学費のかからない学校をと考えてるうちに陽介の成績はみるみる上昇した。

 公立の中学校から、有名な私立大学の付属高校へ特別推薦枠で合格した。奨学金も出るので、授業料に関しては心配しなくてもすむ。さらにはアルバイトも可能なため、陽介には願ったり叶ったりだった。

 これ以上、伯父さんたちの世話になってはいけないと家を出る決意をし、高校からはひとりでの生活を開始する。

 アルバイトと勉強の両立は大変だったが、クラスメートからの虐めなどもなく充実した日々を送っていた。

 そんなある日、陽介は昔の知り合いと偶然に出会う。とはいっても両親の友人であり、最後近くまで側に残ってくれた数少ない人間のひとりだった。

 陽介の記憶では気力に満ち溢れた青年だったが、今ではすっかり恰幅もよくなり、ある意味立派な中年男性になっていた。

 出会った当初は心苦しそうに話しかけてきたが、陽介がもう気にしてないと言うと、少しだけ安堵する様子を見せた。

 けれど両親の件があるため、心から笑ったりはしなかった。もしかしたら、今もなお罪悪感に捕らわれてるのかもしれない。そう思うと、陽介は少しだけ相手を同情した。

 街角でバッタリ会ったまま立ち話もなんなので、中年男性の提案で近くの喫茶店に入る。

 あまり乗り気ではなかったが、相手に付き合って当時の話をする。まだ心が痛んだが、時間の流れはだいぶ陽介の苦しみを癒してくれていた。

 中年男性もこちらを気遣って露骨な話は避けてくれていたが、ひょんなことから飛び出した発言で陽介は硬直することになる。

「子供のためを思って、最後は自分の生命保険で決着させたからな。偉かったと言うべきなのか、怒るべきなのか……」

「……え? 今、何て言いました?」

「何って、君の両親のことだよ。借金を完済すると同時に、陽介君が苦労しないようにしたんじゃないか」

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