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 ……何だ、一体どうなってるんだ。陽介は内心で狼狽しまくっていた。

 原因はただひとつ。例のスカウトらしき男性がいなくなったあと、道のど真ん中に立っている女性の態度である。

 恋する乙女のごとく頬を朱に染め、少しはにかむ様子まで見せている。どうしてこのような状況になっているのか、陽介にはさっぱりわからなかった。

 計略どおりに雪村薫へ怪しい就職話を断らせ、先ほどまでここにいた男性を見事に退散させた。

 これで陽介のミッションは完了となり、あとは仕事に戻ればいいだけだった。それなのに、そうできない雰囲気が出来上がっている。

「ごめんなさい……」

「な、何がだ?」

 今度は突然謝りだした女性に、陽介の思考回路はすでにお手上げだった。

 様々な憶測が頭の中で飛び交っては、ますます混乱させてくれる。いい加減に考えをひとつにまとめろと、自分へキレてる間にも雪村薫は次の台詞を口にする。

「今の今まで、杜若さんの気持ちに気づいていませんでした。ところで……いつからだったのですか?」

 い、いつから? いきなりの問いかけに、未だかつてないぐらいのパニックが陽介を襲う。だがその時、ひと筋の光明が差してきた。

 ひょっとしたら、あの男の就職勧誘が怪しいと気づいた瞬間を聞いてるのではないだろうか。パッと浮かんだ考えを声に出さずに反復するたび、これしかないと思えてくる。

「最初からだ」

 胸を張って答えた陽介に対して、もらった方の女性はさらに顔を赤くした。

 どこかウットリしてるように見えるのは、ひょっとしなくても気のせいではない。両手を前で組んで、もじもじする姿は明らかにいつもと違っていた。

「そんなに……だから、声をかけてくださったのですね」

 もしかして、勘違いしてるのではないか。そう考え始めた矢先の陽介に、次なる言葉が与えられた。

 最初から怪しんでいたがゆえに、スカウトマンらしき人物と一緒に歩いている雪村薫へ声をかけた。この事実に間違いはなかった。

 きちんと同じテーマで会話をしている。確信した陽介は、安心して相手女性へ「まあな」と返した。

「嬉しいです……でも、その気持ちに甘えるわけにはいきません」

「え? そ、そうか?」

 ここで予期せぬ言葉が登場した。気持ちに甘えられないとは、一体何を意味しているのか。再び陽介の思考は、複雑な迷宮のど真ん中へ叩き落される。

「そうです。いくら好きあってる者同士でも、どちらかに依存しすぎるのはいけないと思います」

 間抜けな表情を晒して「は?」と口を開ける余裕すらなかった。相手の発言はあまりに唐突すぎて、陽介の中で時間が数瞬停止する。

 何がどうなってるのかは未だにわからないが、とにかく会話がかみあってなかった事実だけは判明した。途中で覚えた違和感の正体は、これだったのだ。

 とはいえ、今さら想定していた話題と違ったので、これまでのやりとりはすべて消去しようなんて言えるわけがなかった。

 勘違いしたのはお互い様で、陽介にも現状をややこしくした原因の一端はある。相手だけに責任を押し付けるのは、筋が違った。

 それに陽介が、相手女性に惹かれていたのも確かだ。雪村薫と両想いだとわかったのだから、結果オーライと言えなくもない。これはこれで、よしとするべきである。

 思い返してみれば、前方の女性も陽介の気持ちを確認する発言をしていた。二人の問題であり、雪村薫がいなくなると困るのか。このような趣旨の問いかけに、自信満々で「その気持ちに嘘偽りはない」と答えたのだ。

 スカウト男性を追い払うのに一生懸命すぎて、先ほどは気づけなかったが、告白も同然の台詞だった。それがわかると、急に気恥ずかしくなってきた。


「どうかしましたか?」

 陽介が突如、挙動不審になったため相手女性は怪訝そうな顔をしている。

 それでもほんのりと頬がピンク色なのは、陽介同様に照れの感情を覚えているからに違いなかった。

 考えてみれば、相手はこちらの想いを受け入れてくれたのだ。必然的に、交際の二文字が浮かんでくる。

 思わぬ形から思わぬ展開になっているが、ここまできたのなら陽介も自分の気持ちを押し通すべきだと判断する。

「無理に急いで職を決める必要はない。焦ってもろくな結果にならないからな」

 今日の雪村薫がいい例だった。偶然の産物とはいえ、陽介が様子を見に来れたからこそ、悲惨な末路を辿らずに済んだのである。

 もっとも、当人は未だに例の男性を微塵も疑っていない。下手に文句を言えば怒られるのは陽介なので、今回の話はこれ以上触れないことにする。

「ですが……杜若さんにご負担ばかりおかけするのは、心苦しいです。親しき仲にも礼儀ありと言いますし……」

 変なところで律儀すぎるので、なかなか扱いには大変だが、これも相手女性のいい点だと割り切れば腹も立たなかった。

 どうしようか考える陽介の頭に、天の助けか妙案がいきなり浮かんできた。

「俺は負担に思ってない。それでもお前が心苦しいと言うなら、家事手伝いとして雇ってやる!」

 女性を指差し、居丈高に宣言する。普通の相手なら「何言ってんの」のひと言で終わりそうだが、そこは雪村薫である。

「家事全般をやってくれれば、生活にかかる費用は全部給料ということにしよう。そうすればお前も気兼ねなく、落ち着いて新しい職を探せるんじゃないか」

 そんな裏技的なのがあったのかと驚いていた雪村薫が、陽介の言葉を受けて表情をパッと輝かせる。

「確かにそのとおりです。でも……こんなに親切にしていただいて……何てお礼を言えばいいのか……」

「お礼ならいい。俺がしたくて、やってるんだからな」

「はい……」

 頷き終えた雪村薫と、不意に視線がぶつかった。そのまましばらく見詰め合ったあと、陽介から顔を逸らした。

 相手女性を嫌ったのではなく、恥ずかしかったのだ。こんな純愛チックな感情を抱いたのは、学生の頃以来だった。

「そ、それじゃ、俺は帰るから……っと、そうだ。どうせなら、帰る前に晩飯の買い物くらいしていけよ」

 バス代といっても素直に受け取らないだろうから、そう言って陽介は財布の中から一万円札を一枚取り出した。

「買った物を落としたりしたら大変だから、帰りはきちんとバスに乗って帰れよ」

 ここまで言っておけば、さすがの雪村薫もバスを利用するだろう。一万円札を手渡しながら、陽介は自らの策略に満足する。

 本当は一緒に買い物へ行きたい思いもあったが、陽介はまだ仕事中なのである。これ以上、関係ない場所で時間を浪費するわけにはいかなかった。

「それじゃ、俺は会社に戻るけど、車とかには気をつけろよ」

「そ、そんなに子供ではありません。ですけど、ありがとうございます。杜若さんも、十分に気をつけてくださいね」

 相手女性の晴れやかな笑顔に見送られながら、陽介は急いで会社へ戻るのだった。


「ふうー……」

 ため息を吐くと同時に、陽介が仕事を終わらせたのは、午後十時近くになってのことだった。

 日中に雑務で外出したのにプラスして、雪村薫の就職騒動を解決してきただけに、結構な時間を浪費していたのだ。

 今日の仕事を翌日にまわしたくなかった陽介は、会社へ戻るなり必死に仕事をこなしたが、結局今の今までかかってしまったのである。

 いつもなら「やっと終わった」とグッタリするところだが、今日だけは事情が違った。

 すでに雪村薫が夕食の材料を購入して帰宅中のはずであり、陽介が戻ればコンビニやスーパーの惣菜などではない美味しい料理を楽しめるのだ。加えて誰かが家で待っててくれているというだけで、やたらと心がウキウキする。

 会社を出たあとは、どこにも寄ったりせずに家路を急ぐ。常連だったスーパーやコンビニは、売り上げが低下すると嘆くだろうが、そこは我慢してもらうしかなかった。

 腕にはめている時計をちらちら確認しながら、ようやく我が家へと辿り着く。陽介の部屋からは明かりが漏れており、誰かが中にいることを証明していた。

 日中の件があるだけに、少し気恥ずかしかったが、迷っていても何も始まらない。ズボンのポケットの中に入れていた鍵を使って、ゆっくりとドアを開ける。

 すると待ってましたとばかりに、パタパタと忙しげに足音が近づいてくる。昨日とまったく同じ展開だった。

 結構遅くなったのに陽介の帰りをきちんと待っていてくれ、いざ帰宅するとすぐに出迎えてくれる。同居してまた日が経過してないだけに、このアットホームな雰囲気にはまだ慣れてなかった。

「お帰りなさい」

 やはり雪村薫はエプロン姿で、満面の笑みを見せてくれる。愛想笑いが多い世の中で、心からの笑顔を作れる人間がはたしてどれぐらいいるだろうか。ふとそんなことを考える。

「どうかしましたか? さ、早く上がってください。ここは杜若さんのお家なんですから、遠慮したら駄目ですよ」

「ああ、もちろんだ。ただし、ひとつ訂正しておく。今はお前の家でもある。正確には、俺とお前の家だ」

 言ってみてから、自分の発言がどういう類のものかようやく気づく。口にした時は何も感じてないのに、そのあとで顔から火を噴きそうなぐらい恥ずかしくなる。

 だがここで顔面を真っ赤にしたら負けだと勝手に判断し、あくまでも陽介は自然体を貫こうとする。

「……はい。ありがとうございます。それでは、改めて……杜若さんと私のお家にお帰りなさい」

「あ、ああ……た、ただいま……」

 平静を装おうとした挙句、声を上擦らせる。これほど格好悪いことはなかった。

 とにかくリビングでゆったりして、緊張や照れを落ち着かせようと靴を脱いで玄関に上がる。

 すると、出迎えてくれた女性がスッと両手を伸ばしてきた。何かの合図みたいだが、陽介にはさっぱりわからなかった。

 ――まさか、ハグをしてほしいと要求してるのだろうか。いや、先ほどの台詞にクラっときてたとしても、こんな急展開はありえない。冷静になるんだ。頭の中で、様々な軍勢がぶつかりあう。だが戦力は均衡しており、なかなか勝敗は決しなかった。

 結果、呆然と立ち尽くすだけになっていた陽介へ、雪村薫が「上着をお預かりします」と声をかけてきた。

 伸ばされた両腕の意味を理解した途端、またもや盛大な勘違いをしていた自分自身が恥ずかしくなる。これではまさに、キングオブピエロだった。

「わ、悪いな」

 激しくなる鼓動を悟られないようにジャケットを脱ぎ、エプロン姿の女性へ手渡す。上半身が多少軽くなったところで歩き出すと、その半歩後ろを雪村薫がついてくる。

 世話になってる責任感から無理にそうしてるわけでなく、自然とそういうふうになるみたいだった。

 ひょっとすると陽介が考えているより、育ちがいいのかもしれない。もっとも、幼少時より結婚願望が強く、前々からこういうシチュエーションを夢見ていたという可能性も考えられる。

 リビングに到着すると、急ぎ足で雪村薫はハンガーのある場所へ移動してジャケットをかける。テキパキと目の前の作業をこなしながらも、陽介への心配りも忘れていなかった。

「晩御飯をすぐに温めますから、少しだけ待っていてください。それとも、先にお風呂にしますか?」

 気を遣って尋ねてきた雪村薫へ、またしても陽介は何も考えないまま、思ったことを口にする。

「なんか……新妻みたいだな」

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