二つの世界と一人の男
「悪いが、俺にはあんたの言っていることの意味がわからない。ここは俺のいた世界じゃない?けれど俺がいるべき世界だって?どういうことなんだ」
解放された手首を擦りながら問う男に、ジムルギアと呼ばれていた彼女は頷いた。
彼女の指先が触れたところを起点にして、青銀の鎖は徐々に砕け散り、最後のひとかけらが塵となると、どこからともなく吹き込んできた風にさらわれてゆく。
「申し訳ありませんが、あなたにも私にも時間がありません。移動しながら説明しましょう」
有無を言わさずこちらへどうぞとだけ言った彼女は、白い絹のドレスをふわりと翻しながら玉座の奥へと消えていった。
男は従うべきか迷うそぶりを見せたが、ここにいても何もかわるまいとその後をついて行く。
玉座の奥には、大きな背もたれに隠れるようにして、人一人が通れるぐらいの大きさの扉がついていた。金の細やかな装飾が目に痛いほど輝かしい。ドアノブまで金で出来ている。
ジムルギアはその扉を開けてその向こうへと進み、男もそれに続く。
ふと、扉はしめなくてもいいのだろうかと振り返った彼は、先程自分に向かって指をさし、追い出せとわめいていた男、アクレオと目があった。
互いに驚いたように目を瞠るが、次の瞬間、察し合わせたかのように眉根を顰める。
アクレオにとってどうであったかはわからないが、少なくとも、男にとってのアクレオというのは「いきなり自分を指さして、何の説明もしないまま追い出せとわめいた男」である。第一印象がいいはずもない。
「さっさと行け。ジムルギア様をお待たせするな」
先に目を逸らしたのはアクレオの方だった。気に入らない、という心の声を隠すことなく顔にだし、渋面を作る。
男は何か言い返そうと口を開いたが、右も左もわからない場所で面倒事を作るのはごめんだと思い直す。そのまま開けた口を閉じて、大人しくジムルギアの後ろ姿を追った。
彼女はすでに彼らの先を歩いており、後ろで起こった剣呑な空気に気付く様子もない。
「まずは、何からお話ししましょうか……。そうですね、あなたのいるここについて、簡単に説明しましょう」
「そうしてくれ」
男のぶっきらぼうな返答に、扉を閉めてからついてきたアクレオはいっそう気に食わないとばかりに渋面をひどくしたが、それに気付く者は彼以外にいなかった。
「まず、この世には二つの世界が存在します。一つはあなたが生まれた世界、もう一つは|あなたが今いるこの世界です。二つの世界には、それぞれに世界を統治する神々が存在しています。私は、あなたが今いるこの世界の神々の長なのです。
私たちは、二つの世界の根本的な違いを取り上げてこう呼び分けています。「魔法の世界」、「科学の世界」と」
六本の足が、磨き上げられて鏡のように反射する大理石の床をうつ。
ジムルギアの言うことは、男が培ってきた常識から考えれば、鼻で笑い飛ばされても文句を言えないような荒唐無稽な話である。自分が住んでいた世界のほかに、もう一つ世界があるなんて聞いたことがない。
彼はまず、彼女の言うことを信じるべきか信じないべきかの二択を迫られたが、死んだ身でこうやって誰かと会話できていること自体が荒唐無稽な話であると気付き、彼女の話を理解しようと努めることに決めた。
「二つの世界の違いは簡単です。「魔法の世界」には魔力というエネルギーが大気に満ち溢れており、訓練をすれば誰であっても魔法を使えるようになる世界ですが、「科学の世界」にはそもそも魔力がありません。そして、「科学の世界」には魔法にも匹敵するほどの高度な科学というものがありますが、「魔法の世界」ではそもそも科学という概念がありません。「魔法の世界」には魔法があり、「科学の世界」には科学がある、ということです」
「それは、あんたの……「魔法の世界」とやらでは一般常識なのか?」
「いいえ。神々と、それに近しい者以外にこの事実を知る者はいません。この世の真理を垣間見ることは、二つの世界の均衡を乱すことになってしまいますから」
要するに、二つの世界は基本的にお互いの存在を知らないということか。男は、なんとも都合のいい世界だと皮肉気に笑った。
「それで、「魔法の世界」と「科学の世界」があるということは理解しよう。質問してもいいか?」
「どうぞ。出来る限りお答えしましょう」
「なんで「魔法の世界」が、俺の戻るべき世界になるんだ?」
男が最も聞きたかったのはこのことだった。
ジムルギアは、ここはあなたの生まれた世界ではないが、あなたが居るべき世界だと言った。この意味をすぐに理解できるようなつわものはもちろんいないと思うが、その言葉がさっきからやけに頭に残ることが気になったのだ。
彼女としてもそれを聞かれることはあらかじめ予想していたらしく、小さく頷いて口を開いた。
「始まりはミラ、この「魔法の世界」に存在するすべての魂を管理する女神が見つけた、ある綻びが原因でした」
彼女は、寝つきの悪い子供に子守唄を歌うかのように、やわらかく語り始めた。
「ミラは、この世界に生きているすべての魂の数、そして寿命を全うして転生を待つ魂の数を数える役目を担っています。転生を待つ魂は、神界の外にある輪廻の泉に落ち着き、神々が穢れを落とすまで眠りにつくのです。ミラは輪廻の泉に来た魂と、何かの原因によって増減した魂をすべて調べ上げて帳簿に乗せ、道を外れてしまった魂がないか調べているのです。
ある日、彼女がいつものように魂の数を数えていると、一つだけ行方のわからない魂を見つけました。増えるにしろ減るにしろ、必ず原因がわかるはずなのですが、その魂はどうして行方がわからなくなってしまったのか、その痕跡がかけらほども見当たらなかったのです。彼女からそのことを聞いた私は、行方の分からない魂を探すために多くの神々に探させました。しかし、探し物に長けた神ですら、その魂がどこにいったのかわからなかったのです」
男は、魂が一つ減ったぐらいでそこまで大慌てするものなのか、と問う。話の腰を折られたにもかかわらず、ジムルギアは気にするそぶりを見せずに答えた。
「何の痕跡もなく消えてしまった魂は別です。なにしろ前例がありませんでしたから、放置した場合に何が起こるかわかりません。私たちは全力でその魂の行方を調べましたが、一年たってもとうとうわからず、探すべき場所は探しつくしてしまったために途方に暮れてしまいました。
ところがある日、「科学の世界」の神々が私に干渉してきて、「魔法の世界」の魂の気配をこちらに感じると報せてくれたのです」
「それが、俺だったのか?」
「そうです。報せを聞いた私はすぐに「科学の世界」の神々に干渉し、あなたが死んでしまった後、その魂を「魔法の世界」へ転送してくださるように働きかけました。あとは、あなたが知る通りです」
ある程度の常識を捨ててしまえば、彼女の言葉を信じることにそう時間はかからなかった。
つまり、自分は史上稀に見る超ド級がつくほどの迷子で、彼女たちはそれを必死に拾ってくれたお巡りさんのようなものなのだろう。どこか間の抜けた迷子だが、見つかってよかった、といったところか。と男は自分なりに解釈した。
「と、いうことは……俺はこれからどうなるんだ?ここで転生を待つことになるのか?」
来世はもう少しゆったりした人生がいいんだが、と言う男に、なぜかジムルギアは首を横に振った。
話の流れから察するにそういうことなのだろうと勝手に納得していた彼は、サビの部分で突然調子が外れた音楽を聞いてしまったときのように、ぽかんとした顔をする。
「魂が勝手に世界の壁を超えることはありえないのです。世界を超えることができるのは、神界にそびえるゲートのみですから。恐らくあなたは、ゲートを開くことのできる何者かによって、その魂を「科学の世界」へと転送させられてしまったのでしょう。ご丁寧に、術をかけたミスリルの鎖までつけて」
「ミスリルの鎖?」
どこかで聞いたことがあるような単語に首を傾げる男に、今まで押し黙っていたアクレオが口を開いた。
「魔力を宿すことのできる特別な鉱物をミスリルと呼ぶ。ミスリルは青銀とも呼ばれ、それで作られたものは強力な魔具となる。お前に巻きついていたのはそのミスリルによってつくられた鎖で、魂の形を変質させる術がかけられていた」
「魂の形を変質させる……?」
「魂には決められた形がある。人間の魂の形、犬の魂の形と、命あるものの数だけ形があるのだ。そしてその形は個々で違い、その魂がもつ魔力の多さなどを表している。そういった形を人為的に変えてしまうのが、魂の形を変質させる術だ。
お前は恐らく「魔法の世界」から「科学の世界」へと転送される際に、我々に気付かれるリスクを減らそうとして、あちらの世界にはない魔力を封じようとあの鎖をつけられたのだろう」
先ほどまであれだけ気に入らない気に入らないと態度に出していたアクレオだったが、思ってもみない人物から答えが得られたことに何事かと振り向いた男を気にすることなく、すらすらと答えを返している。
同じようにアクレオを気に入らなかった彼だったが、その突然の変わり様に驚いたことで、それまで感じていた嫌悪感が薄れたのを感じた。
「変質させられた魂はそのままではいつか異常をきたし、やがて魂としての死を迎えてしまいます。幸い、二度目の転生の前にこうやって鎖を取り払うことができましたから、あとはゆっくり魂の形が戻るのを待つだけです。安心してください」
アクレオの言葉を継いでそういうジムルギアに、安心しろと言われても何をどう安心すればいいのか、と口を開きかけたが、彼女が足を止めたことに切っ掛けを無くして黙り込む。
いつのまにか廊下の終端まで歩いてきたらしい。遠く離れたところから見た扉は、そのときに持った印象よりもずっと大きく、控えめな装飾で飾られていた。
アクレオが前に進み出て拳で扉を叩くと、両開きのそれは、重々しい音をたてながらゆっくりと開いていった。その隙間から暖かい陽の光が差し込み、男は思わず目を細める。どうやらこの扉の向こうは外だったようだ。
開き切った扉をくぐったジムルギアの後ろについて外へ出ると、扉の両脇に立つ甲冑を来た二人の兵士が、見慣れない男を見て困惑した表情を浮かべた。
「しかし、神界では形が戻るまで待つことはできません。」
彼女の足は、敷き詰められた白い石畳を早くもなく遅くもない足取りで進んでいく。
石畳はすこし離れた場所で大きな円を作り、その縁を見たこともない青色の花が飾っていた。その外側に生い茂る色とりどりの草花はジムルギアを歓迎するかのように咲き乱れ、ほのかな花の香りと相まってまさに楽園のごとき様相を呈している。
「何故だ?」
ジムルギアは静かに答えた。
「ゲートを開くことができるのは、神界に入ることのできる者のみです。疑いたくはありませんが、もしかすると神々のうちの誰かがあなたの魂を転送したのかもしれません。神々に気付かれないような細工を施すほどですから、もう一度同じことを考える可能性も高いでしょう……。ここにいるよりも急いで人界へ降り、そのまま転生した方が安全だと、私は考えます」
彼女の真意を測りかねた男が、眉間に皺を寄せる。アクレオは何か言いたげにジムルギアを見たが、何も言うなと懇願するような彼女の視線に目を瞑り、溜息を吐いた。
「そのまま転生……?記憶を持ったまま転生する、ということか?」
「ええ。穢れを落とす時間をかけている余裕はありませんから」
自分の身に起こることを必死に理解しようとする男は気付いていなかったが、ジムルギアの目の前の白い城壁が、淡い光を放ち始めていた。
最初は蛍の光よりも淡く儚いものだったそれが、彼女の存在に反応してか、刻一刻と光を強める。次第に赤い円形の線が大きく現れ、その中に複雑な図形が展開し、ちじれた紐のような文字が周囲を囲んだ。
男はそれが立てるじり、という砂を噛むような音で初めて変化に気付き、「魔法の世界」と呼ばれる所以であるその魔法を初めてしっかりと目にした。それは彼が生前に見たことのある小説や漫画に出てきた魔方陣というものによく似ていた。
「私たちが管理すべきものを管理しきれなかったために起こったことですから、そのお詫びと言ってはなんですが、あなたはこの世界で、二度目の生を自由に生きてくださって構いません」
「な、ちょ、ちょっとまて!」
まだ聞きたいことがあるんだという男の必死の静止もむなしく、ジムルギアは出来上がった魔方陣の前から退いてしまった。
目を焼くような強い光へとまともにさらされた彼が思わず顔を腕で覆う。光はいっそう強くなり、男の影を溶かした。
「それが私にできる、□□□□□への贖罪です」
ノイズが入ったようなその声を最後に、男は意識を失った。
寝不足のハイテンションで書き上げておりますので、ご了承ください。
正気に戻ったら見直して、おかしなところがあったら編集しようと思います(゜ω。)