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神託の降臨  作者: REXEL
序章
2/9

招かれざる者

 磨き上げられた壁のそこここに設置された、乳白色の宝玉。それから放たれる不思議な光を受けて、黄金色に照り返す宮殿の内側を、鈍い鈍い鎖の音が幾重にも重く這いずりまわる。

 華々しくも荘厳なその場所を、どこかおどろおどろしい物へと変えているにもかかわらず、遠目からもわかるほどに強く神聖な輝きを放っているアンバランスな物の正体は、きらびやかな廊下を項垂れながら一歩、一歩と玉座へと歩みを進める薄汚れた男の四肢に絡みつく、青みを帯びた銀で作られた細い鎖だった。

 呪縛のように固く結ばれた銀灰色の鎖を、いかにも重そうにずるりずるりと音を立て引き摺り歩いていく。

 男は埃をかぶった黒い前髪が視界を遮っていることに今やっと気付いたかのように足を止め、鬱陶しそうに面を上げることで振り払う。ろくに手入れもされていないように見える不揃いな前髪の隙間から覗く瞳は、髪と同じように黒色をしていた。

 身に着ける服は安っぽい黒色のジャケットとスラックスで、特にこれと言って特徴のない、見ようと思えばどこででも見られる品物だ。上も下も、所々が解れ、穴が開き、摩耗してしまっている。

 いかにも(・・・・)な空気をその身にまとっていなければ、彼の容姿がこれほど整っていようとも、どこの宿無しかと敬遠してしまうほどの小汚さである。

 ゆっくりと歩む男の足が、絹で織られたタペストリーや金銀様々な盾、そして眩く輝く捻じれ角で飾られた謁見の間に踏み入った。

 その途端、男の他に人の影すら見当たらなかったその空間に、この世の物とは思えないほどに美しい数十体の大理石で出来た人形が突如として現れた。

 男女まばらに立つそれは、一体一体顔のつくりがまったく違うというのに、見る者全てに「どんな彫刻師でもこれほどまでの傑作は作れまい」と思わせるような、神々しいとしか形容できない美貌を誇り高く掲げて佇んでいる。

 しかし、その人形たちは現れると同時に美しい眉根に皺を寄せて、まるで踏み込んできた男がこの上ない危険物であるかのように睨み付け始めた。

 上質な絹で織られた衣服から覗く完璧な肉体も、不測の事態に備えているかのように緊張しているように思える。

 人形の首は、男が歩くのに合わせて石と石をすり合わせるような音を立てながら動く。

 表情の変化は先ほど眉根を寄せただけで、その後は不気味なほど変わらない。にもかかわらず、彼らの視線を一身に受けた男は、小心者であれば腰を抜かしかねないその異様な光景にも動じなかった。そればかりか、先程の生気のない歩みに幾分か力を取り戻したかのようにも見える。

 人形は相変わらず、その一挙一動を睨み付けている。


 男の小さな呼吸音、よれた靴音、石と石がすり合う音、鎖の打ちあう金属音。

 さまざまな音が混ざり合い、奇妙な雑音を生み出していたのが、男の呼吸音を残してはたと消えた。

 玉座の前までたどり着いてやっと足を止めた男は、いつの間にかそこに座っていた生きた女性の姿を見つけると、喉の奥から低く唸るような声を出して笑った。

 世の女性がどれほど望んだって手に入れられないであろう、陶磁器のような輝く白い肌。細くも太くもない均衡のとれた完璧な四肢、まるで金糸をそのまま髪にしたかのような艶やかな金色の髪―――――。

 まさに女神と呼ぶにふさわしい容姿のその女性は、男の不可解な行動にも気味悪がることなく、この世の全てを肯定し許すかの如く神々しい笑みを湛えていた。


「いったいなにがおかしいというのか」

「やはりこの者を宮殿へ通すべきではなかった」

「このように不気味な青銀の鎖で縛られた者は、一度としてこの宮殿を訪れたことがない」

「今からでも遅くはない。宮殿からつまみ出しましょう、ジムルギア様!」


 突如響いた声に気付いた男が振り返ってみれば、先ほどまで人形たちが立っていたその場所に、人形とまったく同じ顔をした生きた人が立っていた。

 人形であった頃よりも表情豊かに、あるいは不審そうに、あるいは不安げに男を睨みつけている。身に着けた衣服をよく見ても、紛うことなく人形が着ていたものであった。

 男はそこで初めて驚いたように少し目を見開いたが、彼らの言っていることを理解することはできなかった。しかし、そのうちの一人が自分を指さしてわめいていることから、何か自分に関係することで文句を言っているのだろうということはわかっている様子だった。


「落ち着いて、アクレオ。彼を呼んだのは私なの」


 玉座に座る女性が困ったように微笑んで言うと、アクレオと呼ばれた男と他数名の者の口が、信じられないとでも言うかのように開閉を繰り返す。

 尚も鎖で縛られている男は、自分と女性の間を行き来する視線に居心地が悪そうに身じろいだ後、けだるそうに口を開いた。


「そうか。何の用かは知らないが、理由を聞く前に質問してもいいか」


 男が声を発すると同時に、彼の周りに立っていた人々の顔が驚愕に歪む。さらに強く向けられた視線に、男はいい加減にしてくれと言いたげに鬱陶しそうに唸ると、彼らの顔を睨み付けて黙らせた。

 何とも知れない気迫に飲まれた彼らは揃って口を噤み、その様子を見ていた女性はまるで懐かしいものでも見るかのように目を細め、微笑をたたえて続きを促す。


「俺はてっきり、死後の世界に呼ばれたものだと思ったんだが。ここはどこで、あんたは誰なんだ?」

「……ここは聖地ヨルティのはるか空、人々の言う神界に建つアルモニア神宮殿。私はこの神界に住む神々の神、ジムルギアと申します」


 男の質問に少し困ったように首を傾げた女性は、たっぷり時間を置いてから、いたって真剣な表情でそう答えた。

 それを聞いた男は、何を言っているのかわからないと言いたげな複雑な表情を浮かべる。

 彼を囲んで睨み付けていた人々は彼の反応を見て困惑した様子で、「この男が彼女の言葉を理解できていない」ということが、自分たちには理解できないと表情に浮かべて顔を見合わせた。


「……悪い。もう一回言ってくれるか?」

「ええ、もちろん……と言いたいところですが、今のあなたには何もわからないでしょうから、あなたの故郷から離れた場所に建っているお城に住む、神様の長です。……と言った方がいいでしょうか?」


 何がおかしいのかころころと鈴が鳴り響くように笑う女性に、困ったような表情を浮かべる男。そして自分たちの言っていることが理解できないこの男は、いったい何者なのかと探る周囲の人々。

 男と、その周囲を囲む人々の間で、女性の笑う声をバックに気まずい沈黙が続く。

 ひとしきり笑った女性が、尚もくすくすと小さく笑いながら男を見て口を開いたことで、ようやくその沈黙は破られた。


「あなたのことですから、私の言っている意味は分からずとも、自分の置かれている状況はきちんとわかっていることでしょう」


 まるではるか昔から自分のことを知っているような物言いに、不快そうに眉を顰めた男だったが、この神のごとき……いや、恐らくは本当に神なのであろう女性に文句を言ってしまうと、自分を取り囲んでいる者たちがまた何らかの、彼にとっては鬱陶しい表情をするような気がして、頭を振るだけにとどめた。


「悪いが、何もわからない。」

「全てを理解したうえでこの宮殿へ来る人間は滅多にいません」

「……もう一つ、質問してもいいか」


 変わらない女性の調子に対して、暫くの沈黙の後、呆れたような、疲れたような声で問うた男に、女性は静かにうなずいた。


「俺が逃がしたヤツはどうなった?死んでしまったのか?」


 男は元々それに対する答えを期待していなかったが、ただ黙って頭を振る女性を見て満足した様子だった。鎖に絡め取られたままの腕から力を抜いて、晴れやかに笑う。

 彼のはりつめた気配も霧散してゆき、服さえマトモであれば至って普通の美男に見えるであろう円やかな雰囲気へ変わった。

 それを見た女性は、なぜか少しだけ痛ましげに目を伏せる。


「そうか。死んだのは俺だけか」

「あなただけ、とは言い切れませんが、生きている可能性は高いでしょう。ほんの少ししかあなたの世界に干渉できませんでしたから、詳しくは見ていませんが……」


 そうかそうか、と嬉しそうに、少しだけ寂しそうに呟いてうつむいた男は、ふと女性の言葉に引っ掛かりを感じて眉根を顰め、顔を上げて再び緊張した雰囲気を纏った。


あなたの世界(・・・・・・)?」

「……そうですね。単刀直入に言いましょう」


 怪訝そうに聞き返す男の顔にそう言ってゆっくりと顔を上げた女性は、その勢いで玉座から立ち上がった。

 細工の細かい装飾品が、互いに重なり合うたびにしゃらんと小気味良い音を響かせる。彼女はその音色に合わせるかのように優雅に膝を折り、この場にいる誰よりも丁寧に織られた純白の絹のドレスの裾をふわりと靡かせて男に歩み寄った。

 神々しいその姿とは対照的な、解れた衣服を身にまとった男は、警戒して後退りする。

 それに臆することなく、彼女は身にまとう絹のドレスと同じぐらいきめ細やかな手を伸ばして、男に絡みつく鎖をそっと指先でなぞった。




「ここはあなたが生まれた世界(・・・・・・・・・・)ではありません。ですが、断言しましょう。ここはあなたが戻るべき世界(・・・・・・・・・・)なのです」





 今までよりも一際大きな金属音を立て、青みを帯びた銀の鎖は砕け散った。

無計画ここに極まれり

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