第5話:怪物の契約、あるいは覇道の共犯
帝都最奥、黒鉄宮。
窓のない執務室は、魔導灯の白い光だけが支配する、まるで巨大な檻のような空間だった。
重厚な机を挟み、レティシア・ヴァインベルクは帝国皇帝フェルディナンド一世と向かい合っていた。
「戦場の死神」。
感情を不要と切り捨て、勝利と効率だけで帝国を拡張してきた男は、じっと動かない視線で彼女を観察している。
「――王国を事実上破綻させ、債権を帝国に流し込んだ」
皇帝は低く言った。
「その胆力と計算力は認めよう。だが、レティシア。君は自分が何者か、理解しているか?」
沈黙が、圧として降りかかる。
「君は裏切り者だ。祖国を売り、逃げてきた女だ」
皇帝の声は淡々としていた。
「帝国にとって、君は便利な駒であり、同時に最も危険な毒だ。利用価値が尽きた瞬間、処刑しても何の問題もない」
普通の貴族なら、その場で膝を折っていただろう。
だが、レティシアは違った。
彼女はゆっくりと椅子に腰を深く沈め、用意された紅茶を一口含む。
香りを確かめるように、ほんの一瞬、目を閉じた。
「あら……」
そして微笑む。
「それは、投資家として三流の判断ですわね、陛下」
皇帝の目が、ほんの僅かに細まった。
「処刑は損切りではありませんわ」
レティシアは続ける。
「“失敗を認めた経営者”の逃げ、です」
彼女は一通の封筒を取り出し、机の上へ滑らせた。
封蝋は黒。帝国の正式文書ではない。
「私が差し出すのは、王国の残骸ではありません」
淡々と、だが確信を込めて言う。
「大陸全域を繋ぐ魔導通信網の再設計案。
それから、王家が半世紀にわたり隠蔽してきた関税回避ルートと、その帳簿」
皇帝は封筒を開かない。
だが、その沈黙は「価値を理解した者」のものだった。
「……それを献上する、と?」
「いいえ」
即答。
「条件付き、ですわ」
レティシアは背筋を伸ばした。
「私を帝国の財務総監に任じなさい」
声は静か。
「一年で、帝国をこの大陸唯一の“貸し手”に変えます。
剣を抜かずとも、諸国の王が膝を折り、条約に署名する世界へ」
皇帝の指が、机を軽く叩いた。
「大胆だな」
感情はない。
「それで、君は何を得る?」
レティシアは、ほんの少しだけ笑みを深くした。
「私は世界を買いたい」
即答だった。
「陛下は、世界を支配したい。……目的は違えど、必要な手段は同じですわ」
一瞬の沈黙。
「忠誠も、愛も、信仰も不要」
彼女は言い切る。
「必要なのは、利益と契約だけ。……共犯者として、これ以上に合理的な関係はありませんでしょう?」
皇帝フェルディナンドは、しばらく黙って彼女を見つめていた。
やがて――
小さく、低い笑い声が漏れた。
「……面白い」
それは愉快さではなく、獲物を見つけた捕食者の反応だった。
「確かに、愛だの忠義だのを語る者ほど、裏切る」
皇帝は立ち上がり、レティシアの前に立つ。
「いいだろう。財務総監の地位を与える」
だが、声が冷える。
「ただし、失敗すれば――君は帝国史上、最も見せしめになる処刑を受ける」
皇帝は彼女の手を取った。
その動作は優雅だが、慈悲はない。
「怪物は、失敗を許されない」
レティシアは、怯えもしない。
ただ、愉しそうに目を細めた。
「あら、承知しておりますわ」
そして囁く。
「ですからこそ――その処刑台も、運営費も、すべて私の帳簿に載る日が来ないよう、最善を尽くします」
二人は微笑み合わない。
ただ、理解した。
この日、帝国は一人の財務総監を得たのではない。
世界を金で解体する怪物と、正式に手を組んだのだ。




