第4話:正義の騎士と、錆びついた剣
帝国と王国の国境。
分厚い鉄門の前で、レティシアの馬車は静かに止められていた。
帝国兵たちは整然と並んでいるが、空気はどこか張りつめている。
その中央に立つ一人の青年騎士――赤髪を揺らし、白銀の鎧に身を包んだ男が、剣を抜いていた。
「レティシア・ヴァインベルク」
その声は、怒りよりも硬い決意を帯びていた。
「私は帝国聖騎士団副団長、カシアン・フォン・グラード。貴殿の入国を拒否する」
馬車の窓が開き、レティシアが顔を出す。
視線は騎士の剣先を一瞥し、それから――興味を失ったように彼の目へと戻った。
「理由を伺っても?」
「貴様は祖国を売った。王国を破綻させ、民を混乱に陥れた」
カシアンは一歩踏み出す。
「そのような女を、帝国の土に踏ませるわけにはいかない。これは私の職務であり、正義だ」
周囲の兵たちは息を呑む。
騎士の言葉は真っ直ぐで、偽りがなかった。
――だからこそ。
レティシアは、馬車を降りた。
「……素晴らしいですわ」
扇子で口元を隠し、くすりと笑う。
「ええ、とても。久しぶりに“本物の正義”を拝見しました」
「嘲るな!」
「嘲ってなどおりませんわ」
彼女は首を振る。
「むしろ感心していますの。ここまで何も知らずに剣を抜ける胆力に」
カシアンの眉がわずかに動いた。
「――知らない、ですって?」
「はい」
レティシアは懐から書類を一枚取り出し、軽く振った。
「ここに、帝国財務省発行の臨時輸入保証証があります。穀物、塩、鉄。来月分まで、全て私名義ですわ」
「な……」
「さらに」
もう一枚。
「帝国南部河川の氾濫予測と、それに伴う収穫減少率。三割減。これは軍部未公開資料ですわね?」
帝国兵の一人が、思わず息を呑む。
「そして最後に」
レティシアは一歩、カシアンに近づいた。
剣先が喉元に触れる距離。
「私がここで足止めされると、三日後に港湾労働組合が“偶然”全面停止します。理由は簡単。彼らの前払金を、私が引き上げるから」
「……それは、脅迫か?」
「いいえ」
彼女は即答した。
「契約ですわ」
沈黙。
カシアンの剣が、わずかに震えた。
「副団長殿」
レティシアの声は低く、静かだった。
「あなたが守ろうとしている帝国は、“正義”では回っていませんの。数字と契約と、昨日までの支払いで生きています」
「だが……それでも……!」
「ええ、分かっています」
彼女は初めて、真っ直ぐに彼を見た。
「あなたは正しい。剣を抜いた判断も、騎士としては正解ですわ」
だからこそ――と、囁く。
「あなたがここで私を斬れば、帝国は餓えます」
剣が、下がった。
カシアンの肩が、目に見えて落ちる。
「……道を、開けろ」
その命令は、帝国兵ではなく、自分自身に言い聞かせるようだった。
レティシアは満足げに頷き、馬車へ戻る。
「良い選択ですわ、副団長殿」
扉が閉まる直前、彼女は言った。
「その剣――正義を振るうには、少し錆びてしまいましたけれど」
馬車は動き出す。
国境を越え、帝国へ。
カシアンは、その背を見送ることしかできなかった。
剣を持ったまま、守ったはずの国の重さに、初めて膝が震えた。




