第15話:帳簿の外側へ
大陸中央銀行の最後の清算が終わった夜。
帝都・鉄黒宮の最上階は、異様な静けさに包まれていた。
戦争は終わっていない。
だが――もう、剣が振るわれる場所は残っていなかった。
レティシア・ヴァインベルクは、バルコニーから大陸の夜景を見下ろしていた。
無数の街に灯る光。その一つ一つが、今はすべて同じ帳簿の中にある。
「……随分と、静かですわね」
背後から応じたのは、帝国皇帝フェルディナンド一世だった。
「戦争とは本来、こういうものだ。
終わったと気づいた時には、もう勝敗が確定している」
彼は剣を帯びていなかった。
代わりに手にしていたのは、一冊の分厚い書類束――
大陸中央銀行、各国王侯、商会連合が署名した暫定精算合意書。
「君は、帝国を勝たせたのではない」
「“敗北という概念”そのものを消し去った」
レティシアは振り返らない。
「褒め言葉としては三流ですわね、陛下。
私はただ、採算の合わない仕組みを閉じただけですもの」
フェルディナンドは、短く笑った。
「だからこそ、聞く価値がある。
――次は、どうする?」
その問いは、
求婚でも、命令でも、懇願でもなかった。
世界の側から差し出された、確認だった。
レティシアはしばらく黙り込み、やがて扇子を閉じた。
「女帝? 統治者? 神?
……どれも時代遅れですわ」
彼女は夜の大陸を指先でなぞる。
「この世界は、まだ“動く余地”が多すぎる。
完成させてしまえば、利益が止まるでしょう?」
フェルディナンドの目が、わずかに見開かれた。
「つまり……」
「私は座りませんわ、王座になど」
「帳簿の外側に立つだけです」
彼女はようやく皇帝を見た。
値踏みするように、ではない。
対等な交渉相手として。
「陛下。あなたは剣を持ち続けなさい。
国を守るためではなく――
“数字に逆らう愚か者”を止めるために」
沈黙。
そして、フェルディナンドは深く頭を下げた。
「了解した。
この世界が君を必要とする限り、帝国は君の後ろに立とう」
レティシアは再び夜景に視線を戻す。
かつて自分を追放した王国。
かつて聖女と王子が「愛」を語った場所。
今ではすべて、同じ市場の中に沈んでいる。
「……精算は終わりましたわ」
だが、その声は満足していなかった。
「次は――運用です」
大陸はまだ、生きている。
だからこそ、
彼女の物語も、ここでは終わらない。
帳簿を閉じる音が、夜に静かに響いた。
これで第一部完です。
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